パラダイス
神社跡、瞳さんのアパート、学校、商店街、図書館。私の生活はこの五点を巡る。学校が終わったら商店街と図書館を経由してからアパートに着き、ご飯の支度をしてから山に向かう。大体はそういうスケジュールだけれど、今日はちょっと違った。
学校の図書室で神社の構造様式について書かれている本を借りられたので図書館には寄らなかったことと、八百屋さんになぜかアイスを貰ったので「溶けないうちに」と思ってアパートには寄らずそのまま山へ向かった。
いつもと違、初めて歩く道。その途中で民家の間に忽然と現れた林の間に鳥居を見かけて「こんな所に神社があったんだ」と意外に感じた驚きは続いた。鳥居の内側から、私に「おいでおいで」をする手が見えた。
その手は異様に白く、妙に高い位置にあって、しかも多い。明らかに不自然な数で藻のようだった。見ている間にスウっと消えて、そこには誰もいない。
(……この神社の神様かな?)
ふしぎな話ではあるけれど、常識で測れない出来事を体験し過ぎて今更否定できない。
「ご近所さんだしご挨拶したほうがいいかな……。本物の神社を見ておけば建てるのにも役立つし」
一礼して鳥居の隅を通る。内側に足を踏み入れた瞬間、ヒヤリとして肌が
「……やっぱり緑が多いと平地でも涼しい」
境内は手狭で至る所に木が植わっている。誰もいない。
(注ぎ口は竹だけど、元は水道かな。確かにこうしたほうが風情が出るよね。……参考になる)
預かっているタブレットで画像を撮ってから、作法を思い出しつつ手を
次は拝殿。あの神様の神社も元はこうだったんじゃないか――という簡素な木造で、こじんまりとしている。大きめの扉だけで幅はほとんどいっぱいだ。
(あっ、そっか。お賽銭の箱があるものだよね。箱はいいけど、鈴は用意できないやあ……。木製だと木魚みたいになっちゃって『寺じゃないんだから』って瞳さんガッカリしちゃう)
なんとか立派な神社を建てて、帰ってきた瞳さんに喜んでもらいたい。
賽銭箱に小銭を投げ入れガランガラン。二礼、二拍手、一礼。神頼みは特に思い浮かばない。頼るならもっと親しい神様がいる。
(あ、写真を撮らせてください。うちの神様と仲良くしてください)
瞼を開くと、無数の手が見えた。鼻や肩に触れそうな近い距離でユラユラと
「……寄って行ってほしかったんだと思ったんですけど、違いましたか?」
手がまたスウっと消えると、拝殿の正面にある扉が薄く開いていた。片方の戸で黒い錠前が揺れている。たった今誰かが外したみたいに。
「違ったんじゃなくて、もっと近くに来てほしかったんだ」
招かれたのなら断るという選択肢が私には無い。何か用事、例えば神様同士の伝言を預けたいのかもしれない。
迷わず賽銭箱の横を回って二段しかない階段を踏み、戸の前に建つ。
「それじゃ、おじゃましますね……」
呼ばれているのだから戸をノックするのもおかしい気がして、声をかけながら中へと入った。
中は当然暗い――かと思ったら派手な音を立てて後ろで戸が閉じた。反射的に押してもビクともしない。
「えっ? あの。すみません。出られないんですけど。すみません、ここを開けてください。アイスが溶けちゃうので」
呼びかけても返事はなかった。閉じ込められたのだからそれ自体は普通のことだけれど、本当に普通なら外から笑い声くらいはするはずだった。
そもそもここに私を誘ったのはこの神社の神様。初めから普通じゃない。古い戸が一枚あるだけなのに、室内が完全に闇になっているのもおかしい。
心臓がバクバク騒ぐ。段々パニックに近づいていると自分で気付いて目を閉じた。暗いのは目を閉じているから。これは当たり前なんだと言い聞かせる。
気分が落ち着くと、そのまま呼びかけた。
「こんにちは。この神社の神様の方ですか? 何か御用でしょうか。私にできることなら精一杯がんばります。あっ、もしかしてアイスが欲しかったんですか? ラムネ味とリンゴ味がありますよ。ラムネ味は神様――あっ、私の家の神様の方です――あの子に食べさせてみたいから、できればリンゴ味にしてもらいたいんですけど」
思い付くことを端から口にしていたら、頭の中で声が響いた。これも体験したことがある。私の家族があの神社に来た時に聞こえた、神様の声。
声は私に「ここにいろ」と訴えかけてくる。
「それはできません」
答えて、そのキッパリぶりに自分で驚いた。要求を跳ね除けるなんて、相手は神様なのに。
「あっ、えっと、今のは違って――」
思わず瞼を開いてしまって、今度は別のことに驚く。
明るかった。ただ、それどころじゃない。部屋の様子がおかしなことになっている。
壁にテレビと茶箪笥とストーブ、真ん中にはコタツ。いつの間にか私はそのコタツに足を入れて座って、天板には鍋がグツグツ煮えている。
この部屋はよく知っている。あの家――江根家の居間だ。見慣れた顔ぶれが同じように鍋を囲んでいる。笑顔で、私に鍋の具をよそった小鉢を差し出してくれる。
「ああ、これは幻覚ですね」
私がこんな風に
顔を見た時には脂汗が浮かんだけれど、偽物とわかれば恐くはなくなった。
「あの、すみません。こういうことされてもどう反応するのが正解かわからないので、目的を教えてもらえませんか? あと温かくなった気がして、アイスが溶けませんか? せっかくの頂き物だからせめて食べてほしいんですけど」
マボロシが消えて、また暗くなった。一体何がしたいんだろう。
頭の中の声が焦っているのがなんとなくわかった。言葉以上に意思が伝わってくる。どうも記憶を覗いて私が「ここに留まっていたい」と願うように幻覚で仕向けたいらしい。
でも、その「私がここにいたい」と思えるような環境が、私の記憶の中に見つからない。
「そんなわけないじゃないですか!」
とんでもないことを言われた気がしてつい大声を出してしまった。悪いとは思っても止められない。
「私がいたい場所は神社ですよ。ここじゃありません! とりあえず神様と瞳さんを出してくださいよ。あなたじゃありません!」
さっきの様子を見た限りでは事実を捻じ曲げられるはず。それだったら神社も再建させて立派にしてくれたら、もう言うことなしの楽園になる。
「学校だっていいですよ。友達もできて私にはもったいないくらい、毎日幸せなんです。……そう、もったいないって……私がこんな風に良い想いをするなんて、間違ってるって……!」
喋りながら、涙が溢れた。どうやら私はずっと自分の中で貯め込んでいたらしい。
そんなことを考えるのは神様や瞳さん、友達にも不誠実なことだから考えちゃいけない。考えちゃいけない。でも、今話したほうが私の本音だった。家族が戻って来て復讐される悪夢こそが私の運命には相応しい。
「みんなが助けてくれたのに……。私って、嫌な奴だなあ……」
私の望みが叶うなんて間違っていると私が思うから、この神様は私を騙せなかった。それで手段を変えることにしたらしい。「力づくでも」という風に伝わる意思が変わってくる。
真っ暗なで何も見えない視界に白い無数の手だけが浮かぶ。手足に絡んできても恐ろしくは感じない。きっと私にとって相応しいことになる。この神様が私を正しくしてくれる。そう信じられた。
するすると指が腿の所まで這いスカートをめくり上げかけた時、白い手は弾かれたように反り返った。熱いものや棘に指が触れたみたいに、一斉に引いていく。
何かと思って見下ろすと、スカートのポケット部分が光っていた。中を探ると、この前の週末に神様から貰った折り紙細工が出て来た。神様が折って息を吹き込んだ紙風船。
守ってくれた。それがわかっても、嬉しい気持ちにはならなかった。
「……そんなことしなくても、守る価値なんて無いのに」
この言葉を否定するに違いない笑顔が思い浮かんで、一層涙が溢れた。
ひとりで声を出してわんわん泣いて、気が付くと周りは暗闇から普通の部屋の様子に変わっていた。戸の隙間から夕陽が差し込んでいる。
部屋の中には補修用なのか角材といくつかの段ボール箱、それから奥にお月見で団子を乗せるイメージの台と、酒瓶などが置かれている。参考に画像を撮るのはやめておいた。
トボトボ歩いて神社を――境内を出て山への道を歩く。アイスはとっくに溶け出していて、これならアパートに寄って食材を置いてからにしてもよかったけれど、早く神様に会いたい気分だった。
「……あれ?」
登山口近くの公園、その駐車場に青色があった。瞳さんの軽自動車。本人もいる。
もう何日も会っていないから、きっと再会したときはもっと我を失うと思っていたのに冷静だった。それはついさっきの出来事が影響している。
私は自分が何者なのかを思い出した。瞳さんが私に構って優しくしてくれたのは私が神様の〝引き金〟だったからであって、私自身に用があったわけじゃない。そして神様は今現在落ち着いてひとまず危険物ではなくなっている。祟りはもう起きない。前のような危険が無いのなら、私の重要度も消え去った。
今まだこうして訪ねて来てくれているのはその後の様子を確認しているだけ。いよいよ「もう大丈夫」と判断できたら立ち去って二度と現れなくなるはずだ。
もしも神様がまた危険な存在になれば、瞳さんは私につきっきりになってくれるのだろうけれど、そんなことはしたくない。神様がまたあんな姿になってしまうなんて嫌だ。
それと、瞳さんを見つけても気分が高揚しなかった理由はもう一つあった。驚きと、戸惑いがあったからだ。
瞳さんは何度か見たパンツスーツで、ボンネットに腰かけてタバコを咥えていた。薄い黄色のサングラス越しでもわかるくらいに顔が険しくて、イライラしているのがひと目でわかる。
「あー、ったく、クソが……くはーっ……あっ、芽ちゃん?」
近づいて行った私に気付いて、慌ててタバコを携帯灰皿に押し込む。
「瞳さん、タバコ吸うんですね」
「違うのよ芽ちゃん。私があなたの前でそんな教育に悪そうなことするわけないじゃない?」
そう言いながらも鼻から煙が吹き出る。
「別に平気ですよ私。よく顔に煙を吐きかけられましたし」
「そういう連中と一緒にされるのは不本意なんだけど……。ああでも、よっぽどタチの悪いことしてるか……。タバコはその、ストレスが溜まったときに、ちょっとね」
瞳さんは車のシートにサングラスを放り出し、ドアを閉じる。
「……それより芽ちゃん、上にいたんじゃなかったの? 見えなかったからてっきり――ああ、なんでもないわ」
山の上を指差しながらよくわからないことを言われたので、私は自分が来た道を指差した。
「神社にはいましたけど、上じゃなくって横の神社ですね。そこの神様に呼ばれたので寄り道していました」
「神様に……呼ばれた?」
瞳さんが眉を持ち上げる。こういうことに関わったのなら日常茶飯事かと思ったら、そうでもなかったらしい。瞳さんの顔がまた険しくなる。
「何があったの? 詳しく話して」
「学校からここへ来る途中に神社がありまして、前を通りかかったらこう、手がたくさんブワーッと……。それで『呼ばれた』と思って立ち寄りました。お参りしていけばいいかなって思ったんですけど、同じようにまた手招きされたので拝殿の中に入りました」
身振りを
瞳さんの顔がまた険しくなる。
「拝殿の中に入った!?」
大きな声にびっくりして、持っていた買い物袋を落としてしまった。
「だって、呼ばれたと思って……」
「ああ、ゴメン。芽ちゃんに怒ったわけじゃないの。……でもそうね、芽ちゃんはあの神様と親しくしているから本来あるべき距離感がわからないのかもね。本来そういう場所には立ち入るべきじゃないのよ」
手を取って促され車のシートに座らされる。なんとか涙をこらえるのがやっとで、息が乱れて話もできなかった。
その間に瞳さんは心配そうに私の頭や肩、全身を撫でさする。
「特に障られてはいないみたいだけど、神気は感じる。あれ? これは……芽ちゃん、ちょっとポケットいい?」
小さく頷いて了承すると、瞳さんがポケットから取り出したのは例の紙風船。
「これ、作ったのはあの神様ね。そっか……守ってくださったんだわ」
推測はどうやら正しかったらしい。
「何かあったらいけないと思って、芽ちゃんの服とか持ち物には私も色々手を加えてたのに……やっぱり本物の加護には敵わないわね」
そう言いながらも満足そうにほほ笑む。その言葉に疑問があった。
「加護、ですか? 神様は――山のほうの神様は祟り神なんですよね? そんなことできるんですか」
私はてっきり知らない神様が手を出して来たから「本来の所有者が怒った」みたいなことだと思っていた。いわば私という縄張りを争ってのケンカ。
「〝祟り〟っていうのは立場と解釈次第だから。例えばある村がヨソ者から自分たちの土地を守ろうと村の周りに結界を張ったとします。その結界のおかげで村人は安心して暮らしていけるからそれは加護。でもその後村が発展して外まで広がったとします。すると結界は外に住む人を攻撃するようになるからそれは祟り。同じものなのにね」
寂しそうに話すのを聞き、そういう不都合をなんとかするのが瞳さんなんだとわかった。現代に合わなくなった神を退治する――と聞いていた。
同時にもうひとつ察した。
祟り神。そう呼ばれるからにはあの山の神様は不都合な存在だ。山賊を倒す為に用意された呪いが元なら、山賊がいなくなった時点で役目を終えている。現代には不要な神。それは瞳さんの仕事の対象になるはず。
それがわかったから、瞳さんが私の持ち物にした細工というものが何に対するものなのかまで気付けてしまった。
私が落ち着くまで待っても、瞳さんは神社へもアパートへも動こうとしなかった。むしろ運転席に座ってソワソワとしている。動揺が移ってしまったみたいだ。
「あの、タバコを吸いたいならどうぞ」
「うーん……それはいいのよ。芽ちゃんのことなら私はストレスとは思わないから」
それはつまり私のことで悩んでいる、という意味になる。
「黙っていたらマズい事態になりそうだから、やっぱり話しておくわ。実はね、芽ちゃんに謝らなくちゃいけないことがあるの」
ピンと来ない。瞳さんが私に謝らなくてはいけないようなことをしたことはないし、するわけがない。
「……私の母と深い仲になってこれから二人で駆け落ちするとか?」
私にとって一番辛そうなことを想像して言ってみると、瞳さんは仰天して車の天井に頭をぶつけた。
「イタタ……どうしてそうなるのよ?」
「そうなったら嫌なので」
「確かにあなたのお母さんも距離感おかしいところがあるし、芽ちゃんによく似てるから『可愛いな』って思うことはあるけど、変なことにはなってないわよ。いやもうホントに」
瞳さんが私を保護する理由は無くなっているし、別に他の誰かを構い始めたからといって責めるのも妬むのも私にはそんな資格が無い。
「そうなっても神様がいるから連休前よりは辛くありません。……ああでも、瞳さんはこの町を離れる前に神様をなんとかしちゃうんですよね。あ、謝ることってそれですか?」
母とのことなら二人の自由意思だけれど、神様のことなら私に一言断る理由としてはそのほうがそれっぽい気がする。
思い付きを口にしただけだったのだけれど、瞳さんは表情を凍り付かせて固まった。
「あっ、すみません。私――」
自分が傷つく覚悟を決めることで、他の誰かの心にまで無神経になってしまっていた。現に瞳さんを傷つけた。
「いいのよ。そう言われても仕方がないことをしてるんだから、気にしないで」
硬直を解いた瞳さんは深く息を吐いて髪をかき上げる。
「全部正直に話すとね、そうするよう命令されてはいるのよ。神様と……芽ちゃんを殺せって」
言葉を失う。
もしかすると同じ車の中で並んで座っているのは危険な状況なのかもしれないけれど、その気になられたら私はどこでどうしていようと逆らえないと思う。
そのことで悩ませてしまっているのなら申し訳ない。瞳さんになら殺されてもいい――そう伝えたかったけれど、震えてできなかった。さっき神社に閉じ込められたときにはすっかり観念できていたのに。
長い沈黙に耐えられなくなって首を横へ向けると、瞳さんはボーっと前へ視線を投げ出していた。横顔がやつれて見える。
「芽ちゃんはさ、そんな事情でも、私のこと信じられる?」
「はい」
考えを巡らせるまでもなく、そう答えられた。瞳さんはゆっくり笑顔になって、視線が合う。私も嬉しくなった。
「私、ちょっとビックリしてるんです。さっき瞳さんに言われて、『死にたくない』って思ったんですよ。瞳さんだから嫌だったのかもしれませんけど。私を殺して瞳さんが嫌な思いをするのも悲しいし、まったく平気で殺されるのもそれはそれで寂しい気がして」
「あー、ちょっと待って。その部分は信じなくていいのよ。その命令に従う気は無いから」
話がわからなくなってきた。瞳さんにとって私は〝用済み〟で、自分より格上からの命令に逆らう理由なんて無いはず。
「連中に芽ちゃんの価値を認めさせるためにね、提案をしたの。……その部分が私の謝らなくちゃいけないことでね。芽ちゃんが『戦力になる』って言った。私と同じように戦えるって」
要するに「まだ利用価値があるから生かしておこう」ということらしい。
「瞳さんと一緒にお仕事できるってことですか?」
知らない神社を出てから初めて、気分が高揚した。友達が言っていた「テンアゲ」はこういうことだと思う。
てっきり「見捨てられる」とばかり思っていたのに、想像もしない形で瞳さんと新しい結びつきを持てることになりそうだった。
これはさっきの神社の御利益かもしれない。お礼を伝えに行かなければ。
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