その間の瞳さんは

 祟り神騒動が一応の終着を見せて、まず最初にしたことは町の住民の調査だった。

 あの元・祟り神が今後も無事「元」であり続けるには芽ちゃんの安定が必要になる。彼女はそれほど深く神と結び付いてしまっている。

 その為に害となる存在の排除。それは急務になる。全国各地で待っている任務も総庁への詳細な報告も二の次だ。

 薄々感じていたことだが、この町には芽ちゃんが意識している以上に彼女の味方がいた。

 まず商店街にある八百屋の夫妻。食材を捨て値――時には無償で提供していたのは主人で、奥様は商品以外の差し入れを用意していた。かなりハッキリ味方であることを話していたらしいのだが、芽ちゃんはあの通りなので伝わっていない。

 それと役所の職員にもいた。布団一式を粗大ごみ置き場に置いて芽ちゃんが回収するよう仕向けたのは彼だ。

 それから江根家の近所に住んでいた老婆。話しているだけで顔をしかめたくなるほど物言いがキツく、親族や独立した子供にすら煙たがられているというのも納得な人物だったそうだが、意外にも彼女が最も芽ちゃんを守っていた。

 芽ちゃんの扱いを改善するよう江根家に再三に渡って訴え、それが通らないと知れば芽ちゃんを見かけ次第呼びつけてあれこれと家のことをやらせることで芽ちゃんを保護していた。本当の害悪から遠ざける為に。マトモに躾をされていないはずの芽ちゃんがその割に行儀が良いのもそこで教え込まれた成果らしい。それが伝わらないまま、昨年亡くなってしまったことが切ない。余程憎まれていたのか、家はもう更地になっている。いつか真相を話して芽ちゃんを墓参りに連れて行きたい。信仰の違いはこういう場合気にしない。

 それ以外の家事やら子守りやらを押し付けていた人物には徹底して釘を刺して回った。今後も芽ちゃんに余計な苦労を押し付けるなら、私は祟り神の目覚めを待つつもりはない。

「とりあえずこれでよし! 今後も何かあったら教えてちょうだいね」

 顎を撫でてやると貴重な情報提供者は「ニャー」と鳴き、与えた煮干しを咥えてどこかへ走って行った。

 この町の人間は誰を信頼していいものかわからないから、見かけた動物には片っ端から話しかけた。そんなことを繰り返していたから町の住民にはすっかり変な目で見られるようになっている。が、不審視ついでに危険視されるならそれでいい。私はどこへ行ってもやかましく吠えたてる番犬だ。

 だからこそ総庁からは便利に使われている。便利な便利な、神通力のおかげだ。神と通じて仇名すものと渡り合い、動物とも話ができる。そして――

 膝を払って立ち上がり、閉じたまぶたの間に指を当てて精神を集中する。神通力としてはポピュラーだろう、千里眼。大いなる力で守られている場所でなければどこであろうと見通せる。

 瞼が塞いでいた視界が開け、鳥のように飛ぶ。目指すのは借り受けているアパートの一室。そこに、芽ちゃんはいた。夕方前のこの時間から台所に向かって夕食の仕込みをしている。

 気になったのは服装だった。シャツの袖を余らせているから「こんなの買ってあげたっけ」と疑問に思ったのは束の間、それが私のワイシャツと気づいた。

 車に積んである予備に着替えることでどんどん部屋に増えて行った汚れ物。頼んだことも無いけれど、芽ちゃんは洗濯をしてくれている。ただし私が脱いだものは一日置いて、コインランドリーに運ぶのは翌日にしている理由がこれでわかった。何も着る物が無くてそうしているわけではない。

 芽ちゃんは襟を持ち上げて匂いを嗅ぐと、上機嫌になってから調理に戻った。鼻歌まで漏らしている。

 つい心が乱れたことで千里眼が途切れ、視覚は平常の闇――瞼の裏に戻る。

 こうして時々神通力で覗き見している。「心配だから」というのはもちろんあるが、半ば以上は趣味だ。芽ちゃんに私が留守にしている間のことについて言及するつもりはないので、これも可愛い隠し事として秘密のままにさせておいてほしい。

 大きく伸びをして、腹の底から声を出す。あばらが痛んでも我慢する。

「よーし、早く帰れるようにがんばろう!」


 次に取り掛かったのは芽ちゃんの母親に関して。

 彼女は一時友人を頼って生活し、現在は独立して隣の市で暮らしているそうだ。現在も籍は夫婦――江根家から抜かれていない。

 できることならこの町で芽ちゃんと暮らし、神社の管理にも復帰することを希望している。ただ、それは難しいと初の面談でわかった。今のまま芽ちゃんと二人で暮らしてもあの喫茶店と同じように二人ともモジモジし続けて生活もままならず、時間をかけても距離が縮まる前にどちらかがストレスでまいってしまう。

 直接の連絡手段を作っていない以上放っておいても進展はないので私が働きかける必要がある。そう考えて初面談のあとも同じ喫茶店で彼女に会った。

「芽ちゃんは――ああ、失礼。娘さんは……」

「どうぞ、お気になさらずに。呼びやすい方で構いません」

 訂正しようとすると、彼女は控えめに笑って頷いた。

 老けて見えるほどまではないが、疲れた印象を受ける。そこも合わせて芽ちゃんによく似ていた。相手の顔色を窺うことが癖になっている様子で、常にうつ向きがちに上目遣いを向けてくる。芽ちゃんが時々見せる開き直ったくらい覚悟のタフさは感じない代わりに気弱な態度は音なの色香がある。

「何から何まで、あの子の為にありがとうございます……」

 芽ちゃんは自己否定の段階すら踏まずに自分を世間の下に置く。それをやめさせる為に母親である彼女が特効薬になるべきとは思うが、彼女自身もまた救いを必要としているようだ。ならば彼女の特効薬には芽ちゃんがなり得るか、少なくとも自主的には望めない。

「芽ちゃんは自分への愛情や優しさを信じにくいので、少し強引に接しないといけません。例えば抱き締めたり、そうやって気持ちを伝えてあげてくれませんか? 無理やり近づいても彼女は拒否しません。それはそれでマズいことなのですが……何度か続けていくうちに信じてくれるようになると思います」

「私にはそんな資格……ありませんから」

 芽ちゃんが世間全般に感じている引け目をこの人は娘に感じている。これではいつまでも望みは敵わない。ただしここでそれを責めても彼女が打ちひしがれるだけで解決はしない。

 母と娘、そういう立場と関係では駄目だ。ならば別の角度から接すればいい。

「……芽ちゃんはこの地域で子供の面倒を見ていました。あなたも友人の保育所を手伝い、実務経験を経て保育士資格を得た。そうですね?」

 調査の結果知ったことを話すと、戸惑いがちに頷きが返ってきた。「急に何を」といぶかしんでいるのだろう。

「現在倒壊している神社を再建すればあなたはその管理を務めることになるわけですが、祭りなどがあるわけではないので基本は年に数度破損のチェックをする程度です。報酬も一応は支払われますが、それだけで食べていけるほどではありません。要するに暇で、他に収入を得る本業が必要になります」

「あ、生活の心配をしてくださっているのですか? それなら問題ありません。今の仕事を続けたいと考えていますし、子供一人くらい育てていけます。それは親二人揃っている家庭よりは、苦労をさせるかもしれませんけれど」

「来月以降は旦那さんからあなたの口座に入金されるはずですよ」

 よほど驚いたのだろう、ポカンと口が空いた。

 これ以上は黒い話をせざるを得なくなるので説明したくない。彼女の戸籍上の夫とその家族は「遠くへ行った」とは事前に伝えてあるので、そこと同じく追及しないでほしい。

 強制的に離婚させることもできなくはないが、彼女が芽ちゃんを養育した実績を取り繕う期間を挟んだほうが手続きがスムーズになるらしい。何にしてもその辺りは詳しくないので後日弁護士と話してもらいたい。

 今の本題は別だ。

「ところで神社には保育所が付属することがよくありますね。寺も同じく、地域の子供を養育していた時代の名残りです。そこで提案があります。神社再建のついでに保育所が作られたら、そこで働いてみませんか?」

 はぁ、とわかっていなさそうな返事。別に私は彼女に職を世話したいわけではない。

「さすがに山中に併設――というわけにはいきませんが、極力神社のある山近くに建てることになります。神社に入り浸っている芽ちゃんと顔を合わせる機会もあるでしょう。……そうだ! いっそ手伝ってもらうのがいいですね」

 いかにも「今思い付いた」風に話したが、そこが話の着地点だった。

「そんな、あの子を働かせるなんて……」

 顔を青くして首を振る。子供を働かせたくない。説得には応じてほしいが、その感覚は忘れないでいてほしい。

「芽ちゃんは雑事を押し付けられてきた経験があるから大抵のことはできます。でもそれは虐げられてきた結果なので、支払われるべき対価というものがわからないんです。『どこまですべきか』の加減を知らないから、無償で倒れるまで働いてしまう」

 それでは将来と言わず困ることになる。

「彼女には『正しい労働と報酬』を学ぶ場が必要です」

 仕事に付き合わせるわけにはいかない私には難しいこと。あの〝神様〟にも無理だ。

「芽ちゃんと〝親子〟をできないなら、仕事仲間から始めてみませんか? もちろん、芽ちゃんが承知することが前提の話ですけど」

 それ以上は何も言わずに威圧しないよう視線を外し、決断は当人に任せる。

 少し間が空いてから、向かいで頭を下げる気配と共に前に出していた手が握られた。

「ぜひよろしくお願いします」

 芽ちゃんに関する心配事がひとつ減った。それが少し寂しい気もする。

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