その後の神様と私
絵本を図書館で借りて神様に読み聞かせするのが日課になった。神様一番のお気に入りはかさじぞう。とても深く感情移入するようで、それはもうひどく号泣する。
「ふぐぅっ、傘を被せてもらっただけでこれほど礼の品を差し出すとは。よほど日頃ないがしろにされてきたのじゃろうなあ……! 神様わかる! 己のことのように身に染みる!」
言われてみれば、普段からお供えに事欠かないならおじいさんおばあさんがこんなに得をすることもなかったと思う。神社が荒れ放題だった神様が共感するのも納得だった。
その神社もあの騒動で完全に壊れてしまっているのを上半身で振り返って確かめる。
「私も神様に恩返しをしないといけませんね。……やっぱり神社を再建することでしょうか。あの、時間がかかってもいいですか? 『明日まで』とかだったら割り箸アートになってしまうので……」
「芽はもう既に色々としてくれているではないか。感謝しておるよ」
膝に乗せた神様が近い距離で首をかしげて笑う。
真っ白な和装に綺麗な黒髪を広げる、私の神様。
「それに神様と芽はともだち――じゃろ?」
私は血の気が引ける思いがした。
神様が黒い化け物になってしまって、原因の家族を責めた時に興奮してうっかり出てしまった発言を取り上げられた。そのことを思い出すと震えがくる。
「あれは口が滑って……調子に乗ってしまい申し訳ありません……。神様のことは全然友達とか思っていません……」
「『嬉しかった』という話をしておるのに。神様悲しい」
「悲しませてすみません……」
神様はため息をついて見た目に似合わない呆れ顔をした。
「芽よ……お主なんにも変わっておらんではないか。八木ぃ! 八木を呼べ八木を」
瞳さんはとても忙しそうで、あれ以来この神社(跡地)に立ち寄らなくなった。この山のふもとにあるアパートの部屋にも帰って来ない日が多くて、帰って来てもかなり遅い時間で心配になる。まだケガもきちんと治っていないはずなのに。
「駄目ですよ神様、瞳さんにムリをさせたら」
「神様より八木を大切に扱うのはおかしいのじゃ。芽を
つまらなさそうに口を尖らせる神様をぎゅっと抱き締める。
私は家族がいなくなった家には戻らなかった。学校が終わったら商店街で買い物を済ませて瞳さんのアパートで家事をしてから山で神様と過ごし、七時くらいにその日帰るかどうかを瞳さんがメールで教えてくれるので、帰るならアパートに戻りご飯とお風呂のお世話をして一緒に泊まる。帰らないならそのまま神様とテントで眠ることにしている。
今日は土曜で昨日も瞳さんが帰って来なかったので前日から昼の今までずっと神社跡地で神様と過ごしている。神社は壊れたままでも瓦礫から掘り起こしたテントが使えたので寝床だけはなんとかなった。ご飯はアパートのキッチンで作ってから持ち込んでいるから調理道具も要らない。
生活費は瞳さんが出してくれている。恩返しは瞳さんにも考えなければいけない。とても返せる気がしないけれど。
「大丈夫ですよ神様。私はずっとここにいますので。一生かけて恩を返していかないといけませんし」
早く大人になってできることを増やしたい。そんな風に前向きな考えを持てることが嬉しくもあり、違和感で落ち着かなくもある。
「そう言うが芽、お主母親が見つかったのじゃろ。母親とは暮らさぬのか?」
聞かれて「うっ」と呻いた。
母親。私がずっとそう思っていた人は父の妹で、本当の産みの母が別にいた。あの家を追い出されて隣の市で暮らしながらずっと私のことを案じてくれていたらしい。
私に仕送りもしてくれていたそうだ。そちらは間違いなく家族が使ったのだろうけれど、学校に納める費用は直接振り込まれていたらしい。つまり私の分の修学旅行費も給食費もきちんと支払われていたことを知った。そう言えば先生に確認なんてしていない。
親に
理屈の上ではそうだとわかっても「そうだったのか! 今日から私普通の子」とは受け入れられない。まず母という存在からしてどう対応していいのかわからなかった。
「いえあの……。母と一緒に暮らすのは、難しいんじゃないですかね」
一度だけ会った。瞳さんにそう勧められたら断れるわけもなく、という形で。
ひと目で「確かに自分の母親だ」と理解できた。それは別に「やっぱり芽ちゃんによく似てる」と聞いていた通りの見た目の話だけじゃない。指定された喫茶店で先に待っていたその人物が席に座るでもなく心細そうにフロアに立っているのを見て、大きくなった娘と会う緊張でそうしているわけじゃないとなんとなく察したからだった。
居場所が無いんだと思う。利用料金を払った店でも家族の許可がある家でも、そこが自分の場所だということを信じられない。常に居たたまれない。だからこそ私は誰のものでもない廃神社に居場所を求めた。ここで神様が歓迎してくれなかったら、瞳さんがあのアパートで過ごす時間が長ければ、多分私はどちらにもいられなくなっている。
「なにゆえ一緒に暮らせぬ? ……よもや芽、お主の真なる母もあの醜い家族ども同様、お主に害を成すのではあるまいな」
普段は落ち込んでいても明るく弾んで聴こえる神様の声が低く濁った。長くて黒い髪が風も無いのにザワザワと揺れる。
これはいけない。恨みや憎しみをため込んだら悪い神様になってしまう。
「違いますよ。照れくさいだけなんです。ずっと会ってなかった人と『今日から家族になれ』って言われても困るじゃないですか」
もっと具体的なことを言われて従うだけならできるけれど、母は私に何も求めなかった。と言うよりも会話をしていない。喫茶店ではお互いにテーブルばかり見つめて黙ったまま時間を過ごした。
現在の状況に私が満足していて、母があの家にいられなかった事情を理解しているつもりでも、口を開けば「どうして自分だけ逃げた」と責めてしまいそうで何も言えなかった。学校への支払いや産んでくれたことへの感謝を押し退けて恨みが先立つ。そんなものは子供の気持ちとして正しくない。そんなことを言えば瞳さんに失望されてしまう。
母は母で葛藤しているのが手に取るようにわかった。置いて逃げたことや今更現れて母親面しようとすることを自分で責めている。多分私が怒るか許すかすれば、それに従うんだと思う。主導権は私にある。
私が知っている世の中の
でも私は怒ることも許すことも選べなくて、審判を待つ母に何も伝えず喫茶店で二時間過ごした。途中で「二人きりにしたほうがいいのかな」と席を立とうとした瞳さんの袖を握る手があとから痛くなった。
「芽がどうしたいかは知らぬが、母親に『好かれたい』と願っていることはわかるぞ。なぜならお主、八木にあつらえてもらった服で目いっぱい身なりを整えて出かけたであろう」
怒りを鎮めた神様は絵本を私のエコバッグにしまう。振り返ってかすかに笑う横顔は容姿に似合わず大人っぽかった。
「できるなら『誰にも嫌われたくない』と思ってはいますけど」
「そうではないよ、芽。『好かれたい』と『嫌われたくない』は非なる想いじゃ。似てもおらぬ。誰にでも、ではのうてお主は母を想うおるのじゃから、それは異なる心じゃ」
言われて、思い出す。
喫茶店で沈黙したまま日が暮れて「もうそろそろ」と待ち疲れた瞳さんに手を引かれ喫茶店を出る直前、母を振り返って「また」と言った。それが唯一伝えた言葉だった。
あれが〝許し〟だと、母がそう受け止めたなら、それでいい。
ボーっと考えていたら、神様が涙目で立ち尽くしていた。
「芽が母親と一緒にどこかに行ってしまう……! 芽がいなくなったら、神様ひとりぽっち……」
ボロボロ泣き始めたので慌てて飛びつく。
「行きませんよどこにも。母は元々この町の人間らしいですし、神様の神社を管理してた血筋だって瞳さんが言ってたじゃないですか。だったら私も同じです。役目を放り出していなくなるなんてできません」
「ともだちから遠ざかったのじゃ……」
「友達じゃありませんってば」
同じことを主張すると、神様は「ふぐぅ」と余計に泣いた。
日暮れ前にそろそろアパートへ降りて夕食の支度をしようか、という頃になって瞳さんがやって来た。普段なら帰る前に連絡をくれるから少し驚く。
「やっぱりこっちにいたのね。部屋にいないから心配したわ」
そう言われてもピンと来ない。私の心配事は全部瞳さんが解決してくれたから快適過ぎてかえって不安になるくらいだ。
どちらかというと、緩い傾斜を登って来る瞳さんの方が心配だった。まだケガが治っていないから一歩ごとに顔をこわばらせつつゆっくりと近づいて来る。
「瞳さん! 私がそっちに行きますから動かないでください。瞳さんのいるところが私の拠点です。連絡だけでアパートにいてくれてたらいいのに……」
スマートフォンは返したけれど、学校の様子を伝える時に使ったタブレットを代わりに借りて持ち歩いているからいつでも連絡は取れる。
「いや、ここへ来い八木。お主なにゆえ芽を放ってばかりおいてどこをほっつき歩いておるのじゃ。もっと芽を構え。あと
神様が急にプリプリ怒り始めたので目まいがするほどビックリした。
「何言ってるんですか神様!? 瞳さんはケガしてるし忙しいんですよ!」
それが境遇でも能力でも人格でも、どんな
「えっ、神様は八木がいれば芽が喜ぶと思って……あっあっ、神様が悪かったのじゃ。こんなことで怒るな芽、見捨てないで……」
膝にすがり付いてきた神様を抱き上げるとギュッとしがみ付いてきた。涙の熱まで感じるのに人間じゃないなんて思えないけれど、それを疑うには色んなものを見過ぎた。
またあんな風に変わってしまうかもしれない。その可能性があるから瞳さんもハラハラしてこっちを見ているんだと思う。
「平気ですよ、神様。私は神様のこと大好きなので」
赤ん坊をあやすようにお尻と背中を支えて軽く揺すり、頬っぺたを押し付けて涙を擦り落とす。くすぐったかったようで神様はすぐにケラケラ笑い出した。
そこへ、ホッとした顔の瞳さんが近寄って来る。視線は神様を向いていた。
「ケガに障るので、平伏せず立ったままご報告させていただいてもよろしいですか?」
「うむ。構わぬぞ」
地面に下ろした神様は腰の後ろで手を組み胸を反らす精一杯の〝目上〟のポーズ。品格を感じさせる容姿だから小さくても結構サマになる。
「おおせの通り、もっとこちらで過ごそうと思えばそれもできるのですが、今はできるだけ予定を詰めて務めに当たっています」
「ほほう。して、それはなにゆえなのじゃ。返答次第では天地の間にお主を置かぬ」
「あとで自由な時間を長く作り、芽ちゃんとゆっくり過ごせるようにする為です」
「なるほど。承知したのじゃ。先程のことは詫びねばならぬの。芽のことを忘れておらぬようで安心したのじゃ」
呆然とやり取りを見守っていると、瞳さんが私を見てほほ笑んだ。
「ほったらかしにしてゴメンね。芽ちゃんに『自分のせいだ』って思わせたくなくて、忙しくしてるのをバレたくなかったんだけど、先に伝えておいたほうが良かったわね」
瞳さんには〝担当地域〟という区分が無くて、全国どこでも仕事に出かけると聞いていたから忙しいことは初めからわかっていた。それなのに一ヶ所に留まる無理を通そうと無茶をしているらしい。
「私、ひとりでも平気ですよ。というか、瞳さんのおかげでもう独りじゃありません。神様がいますし……母だっています。平気です」
その理由が私なら瞳さんを開放したい。そう思って言うと、髪がクシャクシャになるまで撫でられた。
「今のをそういう眼じゃなくて普通に言えるようになったら、ちゃんと話を聞いてあげる。その時は私が『ヤダヤダ』ってダダこねるけど」
片腕に誘われて、その胸に顔をうずめた。
「ただいま」
この言葉を聞くのが好きだ。そう思うことは罪なんだろうか。
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