すいかずらの恋(2/2)

 三島さん、三島みしま利名子りなこさんの家を初めて訪問したのは、入職してすぐで、四月の終わりの、連休前最後の開庁日だったと記憶している。

 三島さんの家はいわゆる典型的なゴミ屋敷で、ほとんど天井までゴミ袋が積み上がっており、そこから食品と思しき容器や空き缶や瓶、広告や新聞紙、衣類その他さまざまなものがはみ出していた。庭も同じような状況で、生い茂った植物にロープのようなものが絡み付いたような状態で敷地の外へ飛び出していた。

 もう何年も前から近隣住民からの苦情が入っており、何年も前から、この係に配属された何人もの人が説得に伺ったが聞き入れてもらえないのだということだった。

 係長と二人で訪れた一度目の訪問で、予想通り三島さんはとても怒り、絶対に片付けない、帰れ、と怒鳴った。私たちはひとしきり怒鳴られたあと、また来ますと言ってその場を辞した。


 市役所の休日は基本的には土日祝日なので、ゴールデンウイークの連休は、カレンダー通りに休みだった。晴れて暑い日と寒い雨の日が繰り返すようにあり、すごく久しぶりに、風邪を引いた。


 連休が終わり、私はまた三島さんの家を訪ねた。今度はひとりでだった。三島さんは前回と同じように、片付けない、帰れ、うるさい、と繰り返し、私も前回と同じように、道路にはみ出しているぶんだけでも片付けてくださいと繰り返した。

 本当は衛生的にも、家の中まで片付けるのが望ましい。とくに三島さんの場合は、積み上げられたものの多くが有機物で、腐敗しているものも多いような状況だった。最初の訪問時から三島さんの顔色は悪く、どこか身体を壊してしまっているだろうと感じていた。

 けれど、本来は個人の敷地である住宅の中のことは、強制することはできない。他者の人生に踏み込むことができないのと、同じ。外側に見えるものだけを捉えて、対処療法を行うことしかできない。それでも家の片付けに同意してもらえれば、他の福祉サービスにつなげることができる可能性はあると思っていた。


 そのとき玄関のほうから、カラカラと扉の開く音がした。最初は、だれか家族が訪ねてきたのだと思った。でも、違った。現れたのは、若い女性だった。サマーニットというのだろうか、薄い黄色の七分袖のニットに膝丈のベージュ色のスカートを着、ウエッジソールのサンダルを履いていた。

 なぜかは説明できないけれど、彼女が三島さんの家族ではないことはすぐにわかった。顔を見るなり、彼女は私のことを、憎悪の籠もった目で睨んだ。

 このひとは、違う、と思った。動物の本能のような危機感で、初めての感覚だった。喉もとに何かつかえたように感じて、唾を飲み込むと喉の奥がかっと痛んだ。風邪がぶり返したのかもしれない、と思う。朝には、熱は下がっていたはずなのだけれど。

 帰っとくれ、ともう一度、三島さんが強く言ったので、今日はもう潮時だろうと思った。部屋に入ってきた彼女の横をすり抜けて、外へ出た。

 一刻も早く去りたかったのに、玄関を出てすぐ、呼び止められた。振り返る。首筋がびりびりと痺れるような感覚があった。


 「リナちゃんは、片付けないと思いますよ」

 「……」

 「リナちゃんの気持ちも考えずに、そういうのがお役所仕事って言うんじゃないですか?」


 これが仕事ですから、と言うと、彼女の顔色が変わった。怒った、というよりは、勝利を確信したひとの表情に見えた。


 「あなた名前はなんていうんですか」

 「……、」

 「名前、お聞きしてるんですけど」

 「……生駒です」


 彼女は口を開きしばらく何か話し続けた。大きな声だったが、私は何ひとつ聞き取ることができなかった。皆に小さいと言われている係長の声は、あんなにはっきりと聞き取ることができるのに。

 ただ、楽しそうだ、と思った。決して楽しいシーンではないはずなのに、彼女はとても楽しそうだった。喉の奥から背中まで焼けるような痛みが走って、目眩がした。


 それからあとのことは、よくおぼえていない。どうにかして市役所までは戻ったようだった。帰庁してすぐ、私は嘔吐して、倒れたらしい。気付いたら病院にいた。目覚めたときベッドの横に鳴海さんと係長がいたから、一瞬、庁舎のどこかで寝ていたのかと思ってしまった。

 診断は胃腸炎だった。一週間、入院し、もう少し休みなさいと係長に言われたので、あと三日、有給休暇を使って休んだ。

 入院中、係長と鳴海さんは毎日入れ替わりで病院を訪れてくれた。私は床に倒れながら、気持ち悪いです、気持ち悪いです、と何度も言っていたのだという。今思えばなんて冷静なんだろうって笑っちゃうけど、すごくびっくりしたのよ、と鳴海さんは言った。私はうまく返事をすることができなかったが、彼女は気にしない様子でいてくれた。 もともと身体は丈夫なほうなのですぐ食事も摂れるようになったが、退院時に体重を計ったとき、五キロも減っていたので驚いた。


 三島さんが自宅の片付けを許可してくれたのは、その後すぐ、六月のことだった。きれいにしとくれ、と言われ、わかりましたと私は答え、業者の手配をした。

 

 そして七月、片付けられた自室で、三島さんは亡くなった。


 その年は、暑い、暑い夏だった。

 葬儀場は庁舎のすぐ近くだった。片付けにも、三島さんの葬儀にも、係長は立ち合ってくれた。三島さんにも身寄りはなく、葬儀は福祉制度による簡易なものだった。

 帰り道、係長が車で送ってくれるというので、私はそれに甘えることにした。係長も今日は週休だ。申し訳ないとは思ったが、ひどく疲れていた。


 「係長」

 「うん」

 「恐れ入りますが、途中で下ろしていただけないでしょうか」

 「うん、いいよ、どうした」

 「図書館に行きます」


 言うと、係長は黙って頷いてくれた。


 図書館は、市役所から歩いて十分ほどのところにある。当時、住んでいたアパートとのだいたい中間地点だった。数年前に建て替えられたのだという、ガラス張りのあかるい雰囲気の建物で、平日は夜八時まで開館している。

 毎日、仕事が終わってから図書館へ行き、閉館まで本を読むのが日課だっだ。休日は、昼間に行くこともあった。木製の書架の間を歩いて、知識の本からフィクションまで、目についたものを手に取って片っ端から読んだ。いつでも、私には、知らないことやわからないことがあまりにもたくさんあると思っていた。

 小学校のころは小学校の図書室で、中学校、高校、短大のころは、それぞれの図書館で、同じことをしていた。幼かったころはとくに、そこ以外にわたしが知識に触れられる場所はなかった。

 社会に出てからは、市立図書館を使った。市立図書館は学校の図書館に比べて蔵書の数が多く、私はこれまでよりもっと多くのことを知ることができたし、もっと多くのことを、まだ知らないのだと感じた。


 図書館の駐車場に係長は車を停めてくれた。ありがとうございましたと言って扉を開けようとした私を、係長は呼びとめた。


 「生駒」

 「はい」


 しばらくの沈黙があった。係長がいつもに増して話しづらそうに考えあぐねている様子だったから、亡くなってしまった三島さんのことを言おうとしているのだろうかと思った。でも、違った。係長は、まるで重大な任務を告げようとしているかのような表情で、あのな、と言った。


 「……俺も、図書館に行っても、いいだろうか」

 「え、」

 「いや、……えっと、」


 係長が本気で困った顔をしていたので、すぐに返事ができなかった。図書館に行っても良いかどうかという判断を他者から求められたのは初めてだった。


 「問題ないと思います」


 うん、と言って係長は、静かに運転席の扉を開けた。


 子どもの本のコーナーから植物の図鑑を一冊持ってきて、閲覧用の席に座った。本は、なんでもよかった。すいかずらのことは、その本で見た。三島さんの家の庭にも、すいかずらの実がなっていた。

 係長は少し離れた席でなにか本を開きながら、わたしが長い間その図鑑を見ているのを、おそらく、ずっと待ってくれていた。




 ふと係長の腕が動いた。予想していなかったから、私の身体は大きく震えるように動いてしまった。そのことに、少し驚いた。ごめんなさい、と言った声は、ずいぶん掠れた。そうだ、私の身体も、そうなるのだったと思った。


 「わるかった、怖がらせたか」

 「いえ、」


 係長の手はゆっくりと、すいかずらの実を摘んだ。黒い果汁が、長い指を伝う。


 「係長、」

 「うん」

 「……、いえ、」


 私が手を動かしたとき、同じように震えた彼女のことを思い出した。けれど、口には出さなかった。私たちはしばらく、黙って、ただ並んで座っていた。




 私はゴミ屋敷で育ち、そして、被ネグレクト児だった。だから環境課道路衛生環境保全係から数回の異動を経て児童福祉課に配属になったとき、ああ因果だ、と思った。生きてきたようにしか、ひとは生きていけぬものなのだと思った。悲しくはなかった。ただ、実感としてそう思った。

 児童福祉課、児童相談係。係長は、遠野さんだった。


 係長は、二度目に会ったときも係長だった。俺は出世が遅いんだよ、と珍しく冗談のような口調で言っていた。本当は出世したくないような言い方だった。

 係長は、いつも何か諦めたような顔をしていた。だから、私と似ていると思った。似ていると思って、惹かれてしまった。


 そこが私の、市役所で勤めた最後の部署になった。その年の冬、私は、あろうことか係長の、遠野さんの車の鍵を盗んで車を勝手に持ち出し、当時担当していた、被虐待を疑われていた女児を誘拐し、見知らぬ土地を連れ回した。

 立派な犯罪だ。けれど、私自身は罪に問われることはなかった。それは、私が連れ出した子どもが本当に虐待を受けていたのが明らかになったこと、親が私を訴えなかったこと、そして、その件が地域では比較的大きなニュースとして扱われ、私の行動を擁護するような市民の声が、諸機関へ多く届いたからだと聞いた。それでもさすがに市役所に居続けてはいけないと思ったから、自分から申し出て退職した。

 それから、もう六年も経つ。



 女児の名は田嶋たじま真亜沙まあささんといった。

 彼女はずっと、父親からの虐待を疑われていた。疑いというよりは、どの組織もどの部署もほとんど確信を持っていたようだったが、父親の威圧的な態度であったり、女児自身に虐待を否定するような言動がみられたことから、強制的に保護することができない状態であった。

 訪問を重ねるたび、状況は悪化していると感じた。あの日、彼女が私に向かって、もう来ないでください、と言ったとき、その声はもう諦めていた。

 私が訪問するとき、部屋はいつも綺麗に整えられていた。けれど、そのときどこからかふっと便の臭いがした。

 わかりました、と私は答え、帰庁した。もう夕方遅くなっていた。自分の席の、椅子に座った。市役所の備品はどこの部署のものも総じて古く、キャスターのついたオフィス用の椅子も、座るときしっと軋むような音を立てる。

 ふと机の上に目をやると、赤色の飴玉がふたつ置かれていた。

 役所というところは職員の異動が多く、部署に所属する人も年単位でどんどん入れ替わる。人付き合いに苦手意識のあった私には、それぐらいの距離感が丁度良かった。それが慣習なのかもしれないけれど、どこの部署でも、だれかが机の上に小さなお菓子を置いてくれていたことがあったなと思った。

 座ったまま、一度目を閉じた。真亜沙さんの、切り揃えられて目の上ぎりぎりまで伸びた前髪を思い浮かべた。白い頬に小さなほくろがひとつあること、いつも私が自宅を訪問した際、こんにちは、と言う声。長袖の、新品の服で隠された、がりがりに痩せた身体。あの髪の下に、あの服の下に、どれだけの傷があるだろう。

 来ないでくださいと言った声の震えと、死を覚悟した目を思った。私の名前も、茉麻まあさという。同じ名前の彼女。さっき嗅いだ便の臭いがふっと鼻を掠め、それはすぐに、わたしがむかし暮らしていたゴミ屋敷の臭いに変わった。

 目を開けて、窓の側にある、係長の席のほうを見た。私の席から顔を上げると、いつも係長が猫背のまま、書類を読んだりパソコンに向かっている姿が見えたなと思った。

 係長は席を外していた。ノートパソコンはもう閉じられていて、帰宅しようとしたところで誰か他の部署の人に呼ばれたのか、椅子の上に鞄が、机の上には車の鍵が無造作に置かれていた。同じ部署のデスクには他にもう誰も残っていなかった。

 立ち上がって机の下に椅子をしまった。椅子の背には青色のマスキングテープが貼られたままになっていて、そこには、いこまちゃん、と書かれている。先日フロア全体に清掃が入った際、椅子を廊下に出すときに、目印にと言って隣の席の先輩が貼ってくれたもの。

 息を吸って、吐いた。何も起きない。苦しくはない。あれから、風邪も引いていないなと思った。私の身体は、たぶんほかの人より頑丈にできている。

 むかし、父親に殴られて水をかけられて三日三晩外に出されたときも、熱ひとつ出さなかったことを思い出した。ベランダに積み上げられた瓦礫の中から私を掘り出した父親が、生きてるのか、こいつ、化け物だな、と言ったこと。そのときの、あの顔は、きっと、恐怖だった。

 ああ、なにもちがわない、と思った。三島さんの家に来た、あの女性のこと。彼女に会ったときの私の感情は、恐怖だった。なにか禍々しいものに出会ってしまったときの、生理的な拒否反応。けれど、でも、私も化け物だった。初めて、心臓が早鐘のように打った。きっと、それは、生きているからだろう。


 係長の鍵を掴んで、地下の駐車場へ行った。係長の車は、三島さんの葬儀のときに乗せてもらったので、すぐにわかった。係長の車の、今度は運転席にひとりで乗り、もう一度、彼女の家に向かった。

 視界が悪いように感じて瞬きをすると、涙が流れていることに気が付いた。はやく、と思った。はやく、はやく、彼女を。はやく、生きていられるように、はやく。

 ねえ、でも、生きていることは、そんなにいいことだろうか。私には、それを教えてくれる人はだれもいなかった。でも、それでも私は、彼女を生かしたかった。生きていてほしいと、思ってしまった。



 アパートの隣に車を停めてしばらく待った。フロントガラスには雨が落ち始めていた。雷が光った。上着のポケットに鋏を入れていた。職場の、共用の文房具の箱の中から、一番大きなのを選んで持ってきた。

 刺し違えても彼女を連れ出すつもりだったが、偶然にも両親揃って外出するのを確認し、私は、生まれて初めて他人の家の窓硝子を割り、不法侵入を試みた。庭に置かれていたシャベルで突くと、硝子は難なく割れた。

 警報が鳴るかと思ったが、少なくとも、すぐには鳴らなかった。私は、居間で立ったまま柱に縛り付けられて失神しかけていた真亜沙さんを力づくで連れ出し、係長の車の助手席に乗せた。

 当面の生活に必要なかったから車は持っていなかったが、免許は就職する前に取っていた。どこに向かうあてもなかった。ただ、彼女が安心できるまで遠くへ行こうと思った。


 闇雲に車を走らせる途中、高速道路のサービスエリアで、係長に電話をした。

 係長の声は冷静だった。車が無くなったことにはすぐ気付いたはずなのに、警察には通報していないようだった。怒ることもなく、ただ、居場所を知らせること、そして、彼女だけでなく私自身も、無事でいること、と言われた。

 無事でいてほしいなどとだれかに言われたのは、初めてのことだった。


 そのあとは、電話番号を使ったショートメッセージで居場所だけを伝えた。深夜、私と真亜沙さんが泊まっていたホテルを訪れた係長は、やはり私を問いただすことも責めることもせず、ただ、車の鍵を返すようにと言った。

 せめて、レンタカーにすればよかったのだ。巻き込んでしまうと、わかっていた。彼女だけは、真亜沙さんだけは逃がすと決めていたけど、私自身はもうどこにも戻れない覚悟をするつもりでいた。

 それは、私が幼い頃、彼女のように尿や便を漏らしながら殴られたことがあるからかもしれないし、積み上げられた有機物の上で母親と知らない男がセックスをするのを見ながら育ったからかもしれないし、あの暑い夏の日、三島さんがきれいに片付いた畳の上で、目を見開いたままひとりで亡くなっていたのを見たからかもしれなかった。

 私のことをだれか助けてくれたのだったか、わからない。どうやって生きながらえたのか、どうやって、どうして、生きようと思ったのか、もう、わからない。ただ、真亜沙さんだけは助けたかった。それは、私情だった。助けたいという、たすけてほしかったという、私の私情だった。

 それだけなら、よかった。私ひとりで、ぜんぶすればよかった。それなのに、係長と繋がっていたいと思ってしまった。それは、私の人生で初めての甘えで、人生で初めての、取り返しのつかないあやまちだった。


 翌日、テレビで流れたのは、田嶋陽一、真亜沙さんの父親が、車に轢かれ死亡したというニュースだった。

 そして、顔写真こそ出なかったが、画面下部に映った容疑者の名は、間違いなく、係長の氏名だった。

 父親の顔写真がテレビに映っただけで怯えて失禁してしまった真亜沙さんを、何かに縋るように抱き締めながら、私は、ああ、私が殺せばよかった、と思っていた。




 どこかで、ウゥーウー、とサイレンのような音が鳴った。はっとして隣を見ると、遠野さんがいた。

 ふと、三島さんの家の片付けに立ち会った日のことを思い出した。あの日も、隣を見たら、遠野さんがいた。あの日は、たしか暑かった。今はもう、冬で、もう、何年もあのときから、経っているのに、それに、一緒に仕事をしていたとき、係長は何度も、私の隣に立ってくれたはずなのに、思ったのは、そのときの、ことだった。三島さんの家の、からっぽになった玄関の横にも、すいかずらが黒い実をつけていた。



 遠野さんがこの町にいることを知ったのは、本当に偶然だった。いつだか街頭のテレビジョンが映し出したニュースの中の風景に、一瞬だけその姿が、似た姿が、映ったかもしれないと思ってしまっただけだった。

 遠野さんはポケットから煙草と、黄色いプラスチックのライターを出した。


 「遠野さん」

 「うん」

 「一本ください」

 「……駄目だよ、女は、煙草なんか吸ったらさ」

 「女性差別です、係長」


 冗談言うようになったな、と遠野さんは笑って、まだ少し渋るような顔をして、結局、煙草を一本手渡して、火を点けてくれた。

 自分の煙草を一口吸って、遠野さんは向こうを向いて、大きく咳込んだ。長く、苦しげな咳だった。それが治まるのを待って、彼は立ち上がった。


 いつの間にか日が暮れていた。遠野さんは、私が乗ってきた電車の駅まで歩いて送ってくれた。外から見上げた駅舎は、来たときと同じように寂れていた。空には月が冴え、そして、黒い雲が流れてそれを隠したり、また見せたりした。

 駅の掲示板の前で、立ち止まった。ポスターは貼り直されたりしていない。なくそう差別、まもろう人権。ひゅう、と風が吹いた。すいかずらの汁はもう乾いたはずなのに、指先がいっとうつめたく感じた。


 「遠野さん」

 「……うん」

 「抱いてください」


 ばかなことを言うな、と言った遠野さんの顔はとても、とても悲しそうだった。ごめんなさい、と言いそうになって、やめた。


 「じゃあ、」

 「……」

 「戻ってきてください」

 「どこに」


 いま、どこに居るのか、何をしているのか、遠野さんはついぞ私に尋ねなかった。私が遠野さんのことを尋ねなかったのと、同じ。

 私たちはもう、環境課道路衛生環境保全係にも、児童福祉課児童相談係にもいない。戻る場所など、どこにもないのだ。

 ふと、鳴海さんは元気にしているだろうかと思った、私は、鳴海さんのことも、とても好きだった。遠野さんのこととは、違うかたちで。彼女にももう、きっと会うことはないだろう。


 「っ、どこって、わかりません、でも、戻ってきて」

 「戻れないだろう、ひと殺したらさ」

 「ひと、だって、でも、それは、」

 「……だってとかでもとか言うようになったなあ」


 そう言った遠野さんの声は、なにか大切なものを愛おしむような声だった。喉から胸の奥までつんざくような痛みが走った。でも、もう泣くまいと思った。


 「どちらもだめなら、」

 「……、」

 「生きていてください」


 言うと遠野さんは悲しそうな顔のまま上を向いて、はっは、と声を上げて、笑った。

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