セイタカアワダチソウの町(1/2)

 潤吾へ


 潤吾、先日は嬉しい手紙をありがとうございました。わざわざ写真も送ってくれて、ありがとう。なんだか感激しちゃいました。せっかくなので、お祝いを兼ねてお返事を書きます。

 潤吾、まずは、ご結婚おめでとうございます。潤吾が美恩と結婚すると聞いて、びっくりしたけど、ああ、やっぱりなあって、納得するような気持ちもありました。

 びっくりしたのはきっと、出会ったとき五年生だったあなたが、いつの間にか、すごく立派な三十歳になっていたからだね。私も、歳をとるはずだなあ。


 あの町の、あなたたちのいた学校での日々のこと、今でもつい昨日のことのようにおぼえています。

 とくに印象深くおぼえているのは、二階の教室の窓から見た校庭、それから、私鉄の駅から学校まで歩く、私の通勤路。朝、歩いていると、よくみんなが後ろから走ってきて、私を追い抜いて行ったな、と思い出します。


 潤吾、長くなってしまうかもしれないけど、少し、あのころのことを書きます。あなたはそう思っていなかったかもしれないけど、あのときの私は、潤吾に、美恩に、あのクラスの皆に、本当に助けられました。それは、先生としてだけでなく、ひとりの、人として。そのことを、伝えたいと思います。



 図書館で、セイタカアワダチソウのことを調べたのをおぼえていますか。はじめ図書室で調べて、最後にはクラス全員で、行政センターの図書コーナーまで行きました。このまえ気まぐれに訪ねてみたら、あのときの司書さん、まだ現役でいらっしゃいましたよ。定年になったけど、再雇用であそこに勤めているみたいです。


 私の通勤路、あなたたちにとっては通学路でしたが、あの線路沿いに、セイタカアワダチソウがたくさん生えていました。

 世界は、セイタカアワダチソウに侵略される、と言ったのはあなたでしたね。ある秋の日の、二十分休みのこと。教室のまえのほうにいた私のところへ、大真面目な顔で近づいてきたのでした。


 「図鑑に載ってたよ、あれ根っこに毒があって、ほかの草とかぜんぶ枯らすんだって」


 それを聞いて、はっとしました。同じことを、私も思っていました。むかし、子どものころ。あなたが言ったのと同じことを、聞いたこともありました、セイタカアワダチソウの根には、毒がある。おなじ土地に生えているほかの植物を、ぜんぶ枯らしてしまうのだと。


 あなたは物語の本を読むのは得意じゃなかったけど、図鑑や知識の本は好きでしたね。朝読書の時間には、図鑑を眺めていることが多かった。大人が読むような細かい字の図鑑も、飽かず眺めていました。朝読は十五分間でした。じっと座っているのは苦手だっただろうに、よく頑張ったね。

 その日、いつも二十分休みは一番に校庭に飛び出していくあなたが教室にいたのは、たしかそのまえの週、土手で遊んでいて川辺の階段を転がり落ちて、手首をねんざしていたからでした(しばらく体育もできないので大変だったと思うけど、頭を打たなくて本当によかった)。

 最初は、そのときちょうど教室にいた美恩と三人で、図書室に行ったんだったね。そして、一緒にセイタカアワダチソウのことを学びました。私は先生だったけど、あなたたちと同じように、そのとき初めて学んだのです。

 そのことだけじゃない。たくさんの、たくさんのことを、あなたたちと一緒に私は、あそこで学びました。



 去年、久しぶりに歩いたあの道は、まえに歩いたときと変わりませんでした。あなたが声をかけてくれた日です。

 秋で、やわらかな陽ざしが道を照らしていました。塗装の剥げた緑色のフェンスに沿うようにしてススキが穂を揺らし、そしてその合間を縫うように、セイタカアワダチソウが黄色い花をつけていました。よく見ると、たしかにむかしより、セイタカアワダチソウは小さくなっているように見えました。


 四十五歳で、教員を辞めました。教務主任という役職にまで就いていたから(教頭先生の次にえらい先生、というイメージです)、もったいない、と言う人もいました。でも、私は先生を辞めました。

 去年この町に戻ってきたのは、そういうわけだったのです。先生を辞めてから一年間、市民大学で英語と児童福祉の授業を受けて、小学校の指導員という仕事に就きました。

 指導員という名前はなんだかえらそうな感じですが、市の非常勤職員で、学校の事務職員さんと一緒にプリントの準備をしたり、先生と一緒に教室に行って授業のお手伝いをしたりと、「なんでも屋」のようなお仕事です。十月は学期の途中ですが、あなたたちの学校に勤めていた指導員さんがちょうど辞めてしまって、欠員になってしまったと聞いて、ぜひ、私がここに来たいと言ったのです。



 図書室であなたは奥の棚にまっすぐ行き、植物の図鑑を取り出して見せてくれましたね。


 「先生、ほら、ここに書いてあるだろ、ほかの植物を枯らしますって」


 ずいぶん古い図鑑でした。セイタカアワダチソウのところにはたしかに、海外から持ち込まれた植物であること、根にほかの植物を枯らす成分が入っていることなどが書かれていました。


 「日本にもとから生えている植物を枯らしてしまうので、クジョすることになっています、先生、クジョってなに」


 抜いたり、刈ったりして、その場所から取り除くってことかな、と私が言うと、ふうん、とあなたは図鑑を見たまま言いました。


 「おれらみたいだな」


 この町にはむかしも今も、外国籍の子、両親のどちらかが外国出身の子が、ほかの土地より多くいます。あなたもそうでしたね。

 クラスにも何人かそういう子はいて、だから少なくとも教室の中では、それをからかったり、悪く言ったりする子はいなかったように思います。けれどきっと、お母さんの姿を見ていたり、また、あなたのそれまでの十年の人生のなかでも、つらい思いをしたことがあったのでしょう。

 ひとの勝手で日本に持ち込まれ、増えれば駆除されるセイタカアワダチソウに、日本という異国の地で、あるいは「余所者」扱いされながら暮らしていかざるをえなかった自分たちの姿を重ね合わせていたのでしょうか。あのときのあなたの顔も、声も、怒っているようでも、悲しんでいるようでもありませんでした。私は、なにも言えなかった。脳天をがーんと殴られたような気持ちがしました。なにも言えずにいるうちにあなたがこちらを見て、先生、と呼んでくれました。


 「先生、おれ、もっと調べたいな、セイタカアワダチソウのこと」


 当時、図書室には職員は配属されておらず(今は学校司書さんがいるんですよ)、私たちは翌日も図書室で本を探しましたが、ほかにセイタカアワダチソウのことが書かれた本はありませんでした。それで、次の総合学習の時間に、皆で図書館まで歩いて行くことにしました。

 行政センターの小さな図書コーナーは、二十八人のクラス全員が訪れるとぎゅうぎゅうになってしまいましたが、事前に電話したときから、図書コーナーの職員さんはとても親切に対応してくださいました。貸出カードもひとり一枚、作ってもらったね。子どもの本だけじゃなくて大人向けの本も使わせてもらって、皆それぞれ好きな本を見たり、自分の調べたいことを調べる時間にして、最後に自分のカードで本を借りて学校に帰りました。

 あなたは美恩と一緒に、セイタカアワダチソウのことを調べていましたね。そのあと学校に帰ってから、借りてきた本を見せてくれて、調べた内容を教えてくれました。図書室にあったものより新しい、大人向けの、外来生物と書かれた本でした。はきはきとした声で、あなたは読み上げてくれました。


 「セイタカアワダチソウは、自分の根っこの毒で自分も枯れることがある」

 「そうなの?」

 「うん、それで、最近はむかしより背が小さくなってきて、ちょっとススキに負けるときもあるらしい」

 「へえ、知らなかった」

 「ながらく花粉症の原因だと言われてきたが、別の植物という説もある」


 はっとしました。窓のほうを見ました。校庭を見ると、そこには、セイタカアワダチソウは無かった。そのときは、給食と掃除の時間が終わったあとの十五分休みでした。ススキは、校門の向かいの工場の敷地に、少しありました。よく見ると、その間に、ススキより少し背の低い黄色い花が、見えたような気がしました。

 私にセイタカアワダチソウの話をしてくれてからあと、二十分休みに外へ遊びに行くまえ、あなたはよく窓から校庭のほうを見ていたなと思います。よっしゃ、セイタカアワダチソウ、まだ来ないぜ、と、大きな声で言っていた。「セイタカアワダチソウ世界侵略してくる説」はクラスの男の子たちの中で流行って(あなたが流行らせたんですね)、校庭の隅なんかに生えてきたのを、皆で根こそぎ抜いて用務員さんのところへ届けに行ったりしていたみたいですね。用務員さんから突然お礼を言われて、びっくりしたことがあります。用務員さんは、草むしりを手伝ってくれたと思ったみたい。

 感謝されていたこと、今思えば、ホームルームの時間に、伝えてあげたらよかったね。本当に私はヘッポコな先生だったなあと思います。ああすればよかった、こうすればよかったと、今も思うほど。毎日、反省ばかりでした。でも、幸せな日々だったな。あなたたちはあの日々を思い出すかな、どういうふうに思い出すのかなって、ときどき思います。



 去年あの道で、あなたが声をかけてくれたとき、あの日が、指導員として勤務する初日でした。

 まだ出勤には、ずいぶん早い時間でした。秋の朝の、やわらかな陽が道を照らしていた。ゆっくり歩いて行って、学校の周りをぐるっと回ってから出勤しようと考えていました。


 「ダダ先生!」


 突然、後ろから呼ばれて、驚いて振り返りました。向こうのほうから大きく手を振りながら走ってくる、水色の作業着を着た青年が、あなただとすぐにわかりました。


 「潤吾!」


 思わず顔が綻びました。あなたも、息を弾ませながら、やっぱり、と言って笑ってくれました。


 「ダダ先生だ、まじかよ、戻ってきたの?」


 その声があまりに嬉しそうだったから、泣きたくなっちゃった。そんなふうに言ってもらえると思っていませんでした。

 見上げるほど背が伸びた今も、あなたの目の奥がきらきらっとするのは変わりませんね。徳田建設、と胸もとに刺繍の入った作業着は使い込まれていて、けれど、しっかりと洗濯されているのがわかりました。


 「うん、もう、先生じゃないけどね」

 「え、学校じゃないの?」

 「ううん、学校は、学校、小学校だよ、あなたたちの」

 「やべえ、嬉しいな、マリアにメールしていい?」

 「いいけど、マリアも元気なの?」

 「元気だよ、近くにいる、かあちゃんと同じ仕事」


 お母さんは看護師でしたね。校区にある病院で、看護師長を務めていらっしゃったと記憶しています。まだ、現役でいらっしゃるのかな?

 お姉さんのマリアとは、たしか四歳差だったかな。私がいたときマリアはもう中学生で、だから担任したことはなかったけど、中学校と敷地が隣だったからときどき顔は見かけました。こっちを見ると手を振ってくれたりした、面倒見がよくてあかるいお姉さんだったね。今でも姉弟、仲良くしているようで、うれしく思います。


 「潤吾、大きくなったねえ」

 「えー、おれ、もう三十だよ、先生」

 

 言って、あのさ、とあなたはふいに真面目な顔をしました。あの秋、教室の窓から校庭を見渡していたときと、同じように。


 「おれさ、結婚するんだ」

 「そうなの?」

 「うん、それで、相手、美恩だよ、おぼえてる?」


 おぼえてるよお、と歓声をあげてしまいました。あなたも、嬉しそうに笑っていましたね。


 仕事行くから、またね、と言ってあなたが走って行くのを見送ったとき、ふっと風が吹きました。あなたの足取りはむかしから、たしかだったなと思います。今も、そうですね。

 視界の端で、ススキの金色と、セイタカアワダチソウの黄色が揺れました。



 セイタカアワダチソウのことを、長いあいだ嫌いでした。子どものころは、嫌いというより、憎い、というふうに思っていた。あるいは、怖い、という感覚に近いものだったかもしれません。


 わたしが花粉症になったのは、小学校に入るもっとまえでした。もともと鼻炎もちだったのもあるけど、春と秋はとくに症状がひどかった。

 当時、まだ花粉症というのは、そこまでメジャーなものではありませんでした。学校を休みたいと何度も訴えたけれど、当然、親も先生も、学校どころか体育の授業すら、休むことを許してはくれませんでした。薬を飲めば授業中に眠たくなってしまったり、朝起きられないので止められました。

 今では想像もつかないかもしれないけど(笑)、私はおとなしい子どもで、授業中に何度もくしゃみをしたり鼻をかむのをクラスの子にからかわれても、言い返すこともできませんでした。マスクも今のように使い捨てのものなどなく、洗うとしょぼしょぼになってしまうガーゼのマスクしか家にはありませんでした。毎日、帰るころには内側がぐずぐずになって息がしづらいマスクの下で何度も鼻水をすすりながら、逃げるように家に帰っていました。


 私にセイタカアワダチソウのことを言ったのは、当時、通っていた耳鼻科の先生でした。今はもう、閉院してしまったんだったと思います。おじいちゃん先生で、悪い人ではなかったけど、通っても花粉症はあんまりよくならなかったから、私は耳鼻科も嫌いだった。ともかく、その先生が、私に言ったのです。あの黄色い草、セイタカアワダチソウってあるでしょ、あれが花粉症のもとなんだよと。そのとき、根っこの毒についても聞かされたのだったと思います。

 セイタカアワダチソウは、耳鼻科からの帰り道にも、通学路にも、たくさん生えていました。背が高くて、てっぺんにたくさん咲いた黄色い花はいかにも毒々しく見え、道路の脇や空き地を埋め尽くすように生えたそれは、今にもこちらへ襲い掛かってきそうに見えました。

 あれが、周りの花をぜんぶ枯らしてしまうんだ、と思ったら、なんだか怖くなりました。この草が私をこんなに苦しめるんだ、と思ったら憎々しくて、でも、その花をまっすぐ見てしまうとよけい、鼻がむずむずするような気がして、その日からセイタカアワダチソウが群生している場所の横を通るときには、できるだけ顔を背けて早足で通りすぎるようになりました。


 鼻が詰まってよく眠れない夜、セイタカアワダチソウの夢を見ました。線路の向こう側で、空き地のフェンスの内側で、セイタカアワダチソウはどんどん増えていき、そして、気付けば私のすぐ横に、あの黄色の花がありました。はっと目を覚まして部屋の中を見回し、家の庭も点検しに行ってやっと落ち着くことができる、という日が続きました。

 学校の授業中も気が気ではなく、学校の校庭にまで生えてきたらどうしよう、ほかの植物をぜんぶ枯らして、その代わりに、セイタカアワダチソウばかり生えてきたら、どうしよう、世界がセイタカアワダチソウに埋め尽くされてしまったら、どうしよう、と思っていました。そう思うたび、じっと座っていられないほど、こわくなりました。

 そんな日が、しばらく続いたと思います。けれど 小学校を卒業し、中学校、高校と進むうち、少しずつ花粉症の症状は改善されていきました。治ったというよりは、子どものころとはちがう耳鼻科へ行って眠くなりにくい薬を処方してもらったり、薬局で使いやすいマスクを買うようになったりして、自分で対処できるようになったということだと思います。

 同時に、周りの子たちも成長するにつれて、症状をからかわれるようなこともなくなりました。通学路でセイタカアワダチソウのいちばん多かった空き地は、いつの間にか、更地にされて新しいアパートになっていました。

 大学生になるころには、道ばたでセイタカアワダチソウの群生するところを見つけても、子どもの頃のように怖さを感じることもなく、憎々しい気持ちにも、ならずに済むようになっていました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る