リオン──ディアナとルナ、繋いだ手。
リオンが
ディアナは、あたしも食べたから半分支払うと言っていたが、でも食べたかったのはオレだから。と言って押し通した。ディアナは不満そうだったが、律儀なヤツなんだなとリオンはそれを好ましく思う。
店の外に出て上着を着て、はぐれないように、とディアナに手を差し伸べる。
ディアナは逡巡するような間を置いてから、そおっと手を重ねた。小さいのに意外としっかりとした肌の、先程よりもあたたかな手のひら。
リオンはその手をしっかりと握ると、時計台の方向へと向かっていく。
人混み特有の、あのどこに行くのか分からない程のうねるような流れは少し落ち着いているように感じた。それでもはぐれないようにと気をつけながら間をすり抜けて路面を踏みしめる。
ディアナは繋がる手とは反対の手で胸元を、おそらくはペンダントを握りしめている。
「なあ、そのメテルさんってどんな人? なんか母親とかじゃなさそうだけど……ああ、話したくなきゃいいんだけどさ」
リオンは俯き気味に歩くディアナを人の流れから庇いながら、視線を向けて尋ねる。
この子下向いて歩くとかヘンに器用だよなーでも危なっかしいから前見てほしい。という気持ちが内心で混ざっているが、顔には出さないようにする。
ディアナがあまり人の顔を見ないようにしているのはこの短い間でも分かったが、人見知り由来なのだろうか。
けれど言動ははっきりとしているから、気が弱いとは話していても感じなかった。
本当に不思議な少女だ。
「メテルはお母さんじゃないけど、小さなときからあたしたちを育ててくれてる人。綺麗で、優しくて、たまに怖くて、いつも手袋してるんだけど、撫でてくれる手があったかいの。それでね、なんでも知ってて、色んなことをあたしたちに教えてくれるの。だからメテルはすごいんだ。あたしね、メテルのことが大好き」
ふっくらした唇が流れるように言葉を紡ぎ、はにかんで弧を描く。
陽に照らされた頬は少し紅くなっている。
繋ぐ手は少しだけぎゅっと強くなった。
ディアナの心からの想いだと分かる。
「……そっか」
血の繋がりのない家族というのはリオンにとってはそこまでめずらしくはなかった。なかなか子供が生まれず養子を取ったという家の知り合いはリオンにもいる。この街や他の街に限らずに。
彼女のように楽しげに家族のことを話す友人だって何人もいる。
でも、今は、ディアナが羨ましい。
リオンの父は代々イオリスの家を継いでおりその重責を背負う故か厳格だ。
見合いで結ばれたという母は穏やかではあるが父に対しては異論を示すことなく従順だ。
イオリスの家にはリオン以外に子供はいない。街中には学校は無いので通ってはいない。優秀な家庭教師はリオンのためだけに長い間雇われている。
小さな頃からリオンは様々な教育を受けていた。
基礎的なことならば、文字の正しい読み方に書き方。数字の正しい読み方や書き方に四則計算の方法。外交においての作法と実際の場に赴いての実践。
『イオリスの街』に存在するあらゆる決まり事やそれに至った背景。この国全体にある法律については多く細かいので大まかにだが、その裏にあった歴史については、昔はあまり外に出してもらえない反動からかよく本で読んでいた。童話や絵本などの物語の代わりだった。
剣術や武術をかじったり絵を描いたり音楽を奏でたり料理を作ったりもしたが、どれも惰性で続けているのみだ。
それよりも、屋敷をこっそり抜け出して街に出る方が好きだった。
街の人々と挨拶やなんでもないことを話す方が楽しく勉強になった。
幼少の頃に図書館で、どうしても解けない問題があってだから教師の教え方が分かりづらくて好きじゃない、とひとり涙目で考えていた。普段は学校の先生をやっているという目鼻立ちがはっきりとした化粧の女性が隣に座って、解きほぐすように分からないところをノートにひとつひとつ書いては話して教えてくれた。
『イオリスの街』の決まり事について、あれは良いこれは悪いあっちとこっちは矛盾してるけどどうしてるんだ? と皮肉げに笑う変わった黒髭の旅芸人をしているおじさんが、顔色ひとつ変えず昼間っから小さな酒瓶に口をつけながら広場のベンチに座って、お前さんは型にはまらずにちゃんと変わっていけよと背中をぽんと叩いてきた。
そんなことをばかりをしていたから、家庭教師によく怒られたり母にたしなめられたり何人かいる使用人には困り顔をされたけれど。父はどうだっただろうか。もっと精進しろ、だとか、そんなようなことを言われたような気もする。
父に撫でられたことなんて、きっとない。
「リオン?」
「──っ」
ディアナの呼びかけで、いつの間にか足を止めていたことに気づく。人の動きがまるで大きな岩を避ける川のように自分たちを避けては流れている。
「……どうかした?」
「なんでもない。ちょっと、」
上手い言い訳が思いつかなくて仕方なく辺りを見回す。
陽射しはだんだんと紅く傾いていて建物や人々を染めている。頬を撫でる風がまた強くなってきていて上着を着ていても分かるくらいに涼しくなっている。
早く時計台に行かないと。こんなに良い娘の家族なら、きっとひどく心配しているだろう。
繋いでいるディアナの手は心地よくあたたかい。
離したくないと思ってしまうほどに。
「……寒くなってきたから、少し急ごうぜ」
リオンはディアナに向かって笑ってみせた。
時計台の真正面で、腕を組んだ少女が、私の周りにいる全部が敵ですがなにか? ぐらいに怖い顔をして立っていた。
紅い陽射しをきらきらと弾く真っ直ぐな銀色のサイドテール。
夕陽の色を吸い込んだように見える紫の瞳は、きっと本来は
白のシャツに色付きベスト。肩に掛けられた鞄。ふわりと広がる膝丈のスカーフから伸びる白い足は丈夫そうな厚底のブーツを履いて、しっかりと路面を踏みしめている。
色彩や格好のところどころは違うけれど、その少女がリオンの後ろにいるディアナの縁者──おそらくは双子だろうということは、簡単に察せられた。顔の造作や体つきがよく似ている。
不思議なのは、ディアナがリオンの背中合わせになる形で回り込んでしゃがみ込み隠れていることだ。手を繋いだままだから腕が変な方向に曲がりそうな気がしてちょっと怖い。
「……ルナこわい」
その声は近いからどうにか聞こえたというくらいに、か細い声だった。
時計台の前にいる少女を見る。
なるほど。確かに納得だ。見た目が愛らしい故に、迫力が半端ない。
時計台の方へとひときわ強く風が吹く。
はっきりとリオンを映す。
自分の後ろへと
あ、これは終わったわ。
少女が驚いた顔をして、それからまた怖い顔になると人混みを掻き分けてリオンたちのいる方向へと走ってくる。
ブーツの厚底が路面とぶつかって鳴らす音がだんだんと近づいてくる。ディアナはさらに身を縮めている。
少女がリオンの真正面に立って、止まった。睨みつけるような怖い顔のままで。
その唇が何事かを言おうとしてわなないて、震え、表情がくしゃっとゆがんだ。
泣き顔に変わる。
スカートの裾を両手で掴んで、少女は叫んだ。
「……ディアナのばかぁ!!」
あまりの大声にリオンは目を閉じた。道行く人がこちらを見たり一瞬足を止めたりしている。
ディアナが立ち上がって隠れていた背中から出ていく。リオンの手を、そっと、離しながら。
「ごめん、ルナ」
「ばか! ディアナのばか! わたし探したんだよ!?
「ごめん……」
少女──ルナがディアナにしがみつくようにしてその胸のあたりを拳で叩いている。大きな声で泣きながら。
「心配かけて、ごめん。ルナ」
「ほんとだよ!」
ディアナがルナをあやすようにしてその背中をぽんぽんと撫でる。ルナはうーっと猫のような声を出すとディアナの肩に顔を埋めて泣いている。ときおり、ばか、ほんとばか、と呻きながら。
ディアナは困ったようでいて恥ずかしそうでいて、それでもどこか嬉しそうにも見える微笑みを浮かべている。
街の人々はそんなディアナたちを横目に素通りしながら歩いていく。
しばらくしてルナが泣きやみ、鞄からハンカチを取り出して顔を拭く。目が真っ赤になっていた。
「──で。一緒にいる人だれ」
ルナがトーンの低い声でリオンを指さした。いきなりでリオンは動揺しかけるが、すぐに気を取り直して頭を下げる。
「悪い」
「……へ?」
「待って」
ルナの力が抜けたような声と、ディアナの緊張した声が聞こえる。待って、とはどちらに向かって言ったんだろう。
顔は上げないままリオンは続ける。
「その子を連れ回したのはオレなんだ。本当にごめん。悪い。だから怒るならオレにして、ディアナのことは許して欲しい」
「待ってルナ。リオンは悪くないの。リオンはあたしを助けてくれたんだよ。だからリオンには怒らないで」
「……ねぇぜんぜん話が見えないんだけど、なんなの」
ディアナに肩を揺さぶられながら、奥歯に物が挟まったような顔をしてルナは言った。
ディアナが見つかったら、先に宿に戻ってるようにって言われてるから。
ルナはディアナと手を繋いで、リオンの横に並んで道の端を歩いている。
日が落ちるのは思うよりもずっと早い。
ひたすら青かった空はすっかり夕焼けとなりつつあり、
赤みを増した太陽は重く建物の向こうへと消えつつあり、空の中で頼りなくぽつんと浮かぶのは白い三日月。
風は朝よりは勢いを失っていて、さらりと頬をなぶる。鼻の頭が冷たくなる。
ゆっくりとした速さの馬車が通り過ぎていく。
ディアナとリオンの話を聞いたルナが唇を尖らせてひとこと言った。
「ずるい」
半目をリオンに向けてくる。ディアナはルナを見て唇を半びらきにしている。リオンは目を丸くして、……なにが? と返事をした。
「だってディアナだけ友達作ってるんだよ? 物語に出てくる旅人みたいに。わたしだってほしいのに。二本足で歩く猫とか喋る
ルナが無意識にだろう、肩にかけている鞄に触れながら話す。
ルナの欲しがる友達の種類がおかしい気がするが、そこには触れない方が良い気がした。
代わりに肩を竦めた。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって、なによ?」
ルナがつーんとなる。
リオンは足を止めてルナに手を差し出した。
人好きのする笑顔を浮かべる。
ルナとディアナも足を止めた。
「オレと友達になってよ、ルナ」
「……なんだか、ずるくない?」
ルナはぽかんと口を半びらきにしたあと首を縮めた。頬が紅をさしたかのように赤い。
「嫌ならいいぜ?」
「……嫌じゃないし……」
差し出した手にルナが手を重ねてくる。ディアナと同じくらいの大きさだった。ディアナより温度は高いかもしれない。
どちらからともなく、ぎゅっと握る。
「よろしくな、ルナ」
「よろしくね、リオン」
はにかむように笑ってルナが手を離す。ディアナも微笑んで二人を見ていた。けれどディアナの口数はなぜか少ない。
そしてまた三人で歩き出す。
人々の行き交いがだんだんと減っていき、あちこちから鼻をくすぐる良い匂いがしてくる。きっと夕食の用意だろう。
やがて見えてきた白い鳥の看板に、あれ、とルナが指をさす。
察したリオンが口にする。
「あそこがキミたちの泊まってる宿?」
「そう」
「……」
「いい所だぜ、『オデットの
「わかるの?」
「昔、ちょっとな」
小さな頃に家庭教師と大喧嘩をしてすぐ勢いで何も持たず家出をして、当てもなくさまよった末に保護してくれたのがそこの宿の奥さんだった。格好悪いから言わないけれど。
「……」
さっきからディアナの顔色がだんだんと悪くなっている。口を引き結び、胸元で手をぎゅっと握っている。歩く速度もどんどん遅くなっていて、半ばルナが引っ張っているようにも見える。
「ディアナ、覚悟しといた方がいいよ」
「……うん……」
ぽんぽんと慰めるようにルナがディアナの肩を叩くが、ディアナの顔色はより悪くなった気がする。
デメテールさんってそんなに怖い人なのか……と思いながらリオンが眉根を寄せた。
「でも、元はと言えばオレのせいだし、一緒に謝るから」
「「それはダメ」」
「は?」
二人の双子の同時の発言にリオンは面食らう。
「デメテールが本気で怒ったら怖いもん」
「ルナ、名前」
「え? あ、そうだった……でも今更じゃない? まいっか。えっと、そう。間違えた。メテルが怒ったら怖いの」
「……そりゃ、怖いほど怒るのは当たり前だろ。家族がいきなりいなくなったんだから」
リオンにも覚えがある。何度も家出をする度に、失敗する度に、家に帰ったら母や家庭教師や果ては使用人にまで怒られるのだ。いつも仕事で家にほとんどいない父がどうだったかは、よく思い出せないけれど。
「そうだけど。でもリオンまで怒られる必要は、わたしはないと思う。ディアナだって嫌でしょ?」
「うん……」
「でも、だけどオレのせいなのに」
「リオンのせいじゃない」
ディアナが顔を上げてきっぱりと告げた。
「リオンはあたしを助けてくれた。あたしの大事なものを取り返してくれた。だから、リオンは悪くない」
「じゃあメテルさんになんて言うんだよ? 嘘をつくのか?」
「それは……」
リオンはなんだかムキになって言うと、ディアナは一転して口ごもる。リオンはその隙をついてさらに言葉を重ねる。
「そんなことしたくないんだろ、ディアナは。だったら、オレも一緒に全部話して、一緒に怒られた方がいい」
「あたしはよくない」
「ディアナがよくなくても、筋は通さなきゃいけないって言ってるんだよ」
「それだとまるでリオンが悪いことをしたみたいじゃない。そんなのおかしい!」
「おかしくないだろ!」
「ちょっと落ち着いてよ!」
ルナが大きな声を上げる。人気の減った大きな道に声が広がり、屋根に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
ルナはディアナの手を強く引っ張って、リオンの服を掴んで引っ張った。
「手! 手いたいよルナ!」
「待ったやめろ服が伸びる!」
「ケンカする二人が悪い!」
そうやってルナは気が済むまで引っ張り続けるといきなり、ぱっ、と両手を離した。リオンもディアナも転びそうになってたたらを踏む。
「……落ち着いた?」
リオンとディアナはお互いを見ると、それから恨めしげにルナを見てしぶしぶ頷いた。
どこかで木の扉が開く音がして、時計台の鐘が五回、音を鳴らした。
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