ディアナ──冬の訪れ。試行錯誤する少女

 二人の姉妹はかつて森に捨てられていた赤子あかごだった。

 それは冬の直前で、澄み渡った紺色の空に丸く白く光る満月がひどく綺麗な夜だった。

 申し訳程度の薄いぼろぼろの布切れにくるまれた赤子あかごは、このまま訪れる未来など何も知らずにすやすやと寝息を立てていた。

 魔女は自分の家の前に赤子あかごが捨てられているのを見つけると、その場で困惑し、呆然とし、憤りを覚え、やがて哀しみと憐れみから、しゃがみこんでひとりずつ赤子あかごを抱き上げた。初めてのことに魔女は戸惑ってなんとも不器用な抱き方になった。

 目を覚ました赤子あかごは、ひとりは笑って、もうひとりは泣いて、そうしたら先の子がつられて泣いたので、魔女もどうしていいか分からず泣きたい気持ちになりながら自分の家の中へと入っていった。


 そして大きくなった二人の姉妹は、魔女に見守られて生きている。

 笑って、泣いて、怒って、また笑っては過ごしているかけがえのない時間を。

 魔女はその成長を心から楽しみに思い、二人を──ディアナとルナを長い間見てきていたのだ。




 魔女は──デメテールは、冬の間はなるべく森の外に出ないようにしていた。それは共に住むディアナやルナも同様だった。

 冬になると申し訳程度に木々に茂っていた色褪せた葉は、その身を地にはらはらと落とす。この森の林相は場所によって様々だが、この時期になると多くの木は葉も種も木の実も残さずに枝は閑散となる。緑は点々と残して。

 風は湿り気を失って冷たくなっていき、吹く度に勢いを増していく。

 暖かな陽の登る時間が短くなり、底冷えのする夜の時間が長くなる。

 森に住まう動物達もなりをひそめるようになる。木のうろや土の下や小さな洞窟などを中心として活動を最低限にしたり、あるいは冬眠に入ったりする。

 そして雪が降る。

 それはちらちらと湿って重く積もったり、さらさらと風に流される粉のようですぐに溶けたりした。

 雪はときに吹雪いては太陽の光を遠く遮り、強く肌をなぶって視界を奪い、進むべき方向を鈍らせる。

 ときに深く積もっては足元を悪くして滑らせ、一歩進むごとに疲労を蓄積させる。

 冬の寒さと雪は体力を、手や足の感覚を奪い人をひどく不自由にさせるが、それでも晴れた日に見れる、太陽の光をきらきらと乱反射させる一面の銀世界は、いつ見ても目に痛いほどに眩しく美しい。

 足元に積もった雪をさくさくと踏みしめれば、その感触と音だけでも楽しく、出来た足跡を振り向いて見れば白銀の中にある無数の跡はまるでひとつのアートのようだ。

 はあっと息を吐いては浮かぶ、雪とは違う白さはすぐに音もなく景色に溶け、それもまた幻想的だった。

 朝に少し遠くで流れている川の淵を見てみれば僅かに端の方が凍っており、草や葉を取り込んだ形や光を弾く色合いはまるで珍しい魔法陣のようで、ディアナはその氷に触れるのが好きだった。川の水はほんの少し触れただけでも指を刺すように冷たいけれど。

 そんなようなことを、ディアナは初めて行う手紙同士の送り合いという中で、ああでもないこうでもないと悩みながら少しずつ便箋にしたためていた。一度に全部書いてしまうとすごい量になりそうだし、そうしたら次に書くことがなくなってしまいそうだからだ。

 手紙を送る相手は、もちろん『イオリスの街』で出会ったリオンである。

 あの日、生まれて初めて手紙を貰うと、宿に帰ってから何度も読んだ。読み返して読み返して読み返して、驚きと嬉しさのあまりなぜか涙が出てきそうになった。

 リオンが書いた手紙の中身に、きっと特別な何かは無いのだろう。

『ディアナと会えて楽しかった』とか、『あの店で一緒に食べたお菓子バクラヴァ、すげー美味かったよな』とか、『イオリスは季節ごとで来る人が違うし、だから見れるものも変わったりするからまた来いよな』とか、『ルナとメテルさんと仲良くな』とか。

 あとは『ディアナが帰りは迷子にならずに家に帰れるように祈っとくぜ』とか、からかうような文字はあったけれど、そんなのは全然嫌じゃなかった。

 あの日街で会った時のように気安くて、親しげで、陽だまりみたいにあたたかくて、それが本当に不思議でくすぐったかった。

 右上がりのクセがある文章の中に、自分の名前が何回出てくるのか、ひとつひとつ数えてみた。両手の指で数えられるくらいで、それだけでもうなんだか嬉しかった。

 文字を読むだけなのに、まるで本当にリオンが名前を呼んでくれているみたいな気持ちになれた。

 ルナからは、見せて見せてーわたしのも見せるからー! と肩を揺さぶられてせがまれたけど、絶対に見せなかった。

 だってこれはディアナだけの言葉だ。リオンから貰った、ディアナだけの。

 だから絶対に秘密にして、自分だけの宝物にしようと決めた。

 そうして満足していたら、デメテールが楽しげに言った。彼に返事を書かないとね、と。

 手紙を貰ったのなんて初めてだから、それに対して同じように手紙を書いて返すなんて、思いつきもしなかった。そういうのは全部、物語とかで読んではいたけれど。

 デメテールに連れられて、商業地区にある比較的落ち着いた雰囲気のある雑貨屋で、ルナと一緒に色々な物を見て、迷って、それでも悩みながら何度も選び直した。

 新しいペンと替えのペン先。何種類かのインク。いくつもの便箋に封筒と、それに封をするための蝋と印璽シーリングスタンプを買った。シーリングスタンプはまだ何も掘られていない無地の物だ。折角だから自分で意匠デザインを考えて作りたいと思った。物語に出てきた高貴な人のような、世界にただ一つの物を。

 そうして気に入ったそれらを店内用の持ち歩き籠に全部入れてからディアナは気がついた。べつに何度も書くわけじゃないのに、と。

 ちらりとルナの籠の中を覗き見れば、自分よりも少ない量が入っていた。

 一気に恥ずかしくなって、やっぱりやめようとディアナが籠の中からインク瓶を取り出して店内をうろうろしていたら、買わないの? とデメテールが訊いてきたので、だってこんなにいらないと思うからと返したら、デメテールは目をぱちくりとさせた。それからくすくすと声を立てて笑った。

 どうしても欲しいのではなかったの? と。一瞬だけためらってから小さく頷くと、デメテールはまた訊いてきた。

 ちゃんとよく考えて選んだのでしょう? と。ディアナはこくりと頷いた。

 それなら大切に使ってあげられるわよね、とデメテールはディアナの頭をひと撫ですると、ディアナが持っていたインク瓶を籠の中にそっと戻した。ルナがわたしも撫でてーとデメテールに擦り寄っていった。

 結局、最初に渡されていたお金で籠の中身は全部買えた。ついでに買った物を入れる布の袋も買って中身はそこに入れた。

 袋のすみと持ち手には橙色をした独特な絵が印刷されており、雑貨屋の店主に尋ねてみると太陽を摸した意匠デザインだとのことだった。

 こういうの、好きだったりするのかな? と、ディアナはまたリオンの事を考えた。

 そうやって必要な買い出しを終えた翌日に『イオリスの街』を出た。馬車に乗り村に着くと御者と馬と別れた。ちょっとだけ名残惜しかったけれど、元気でいるだろうか。

 魔法で大きさや重さを調節した荷物を持って、村を出て歩いていけば見慣れた森に辿り着く。

 そのまましばらく歩き続けて川を越えれば、魔法陣で護られたいつもの木造りの家が待っていた。




 冬の間だからといって特に静かではなく、することはそれなりにあった。

 デメテールと共に魔法で狩りをした時の獣の皮を、枝を切り落とすと滲み出てくる樹液でなめしたりした。

 欠けてない角や牙や爪は、洗ったり削ったりして汚れを落としてつやが出るように磨いた。

 肉は骨から外してなるべく均等な大きさに切ってから塩漬けにしたり香辛料スパイスに漬けたり燻製にしたりした。

 骨は魔法を使う際の媒介に使えるからと一部は残して、内臓などの使わなかったものは畑に埋めた。簡単な、小さな畑だ。春になったら白詰草クローバーが咲くだろう。

 冬の前に穫っておいた果実を寄り分けて日持ちのするジャムにしたり、乾燥させた状態でも食べられるようにした。

 新しく買ってもらった冬服を着て、仕舞しまっていた春以降の服を取り出しては干して乾かし、ところどころを繕った。

 あまりにもくたびれ過ぎているものは、適度な大きさに切って端切れにした。雑巾ウェスとして掃除に使うのだ。

 晴れた日には時々、買い出しした薪が足りなくならない程度にと枝を拾い集めに行って、『乾かす』魔法で水気を飛ばした。

 それらは『留める』魔法陣の描かれているそれぞれの棚に入れたり、入らないものは魔法陣を描いた布に包んで物置部屋に仕舞しまった。自分達で消費したりもするが、春になったら近くの村に持ち込んで商人に買い取って貰うのだ。

 今年の冬はいつもより厳しくて、朝になると水場の近くにある井戸が時々かちかちに凍っていて、その度にデメテールが『温める』魔法を使っては氷を溶かした。ディアナやルナだと、出力が足りないのかなかなか氷が溶けなかったからだ。

 三人は腰まで積もった柔らかな雪を掻き分け、すっかり隠れてしまった魔法陣を光に当てるためにスコップを使って雪をどかしていく。

 外壁に使用した塗料インクは耐水性だからと案じていなかったが、少しにじんでいた。これなら地面に描いた魔法陣は見るまでもないだろう。また描き直さなければならないはずだ。思いながらスコップを動かして雪をどかし続けた。

 『温める』魔法で雪を溶かさないのは、辺りを水浸しにしてびしゃびしゃにしないためと、後でディアナとルナが雪で遊ぶためだ。

 そんな日々の中で、二人はデメテールから魔法を教わったり、そこから面白い魔法が作れないかと二人で額を突き合わせたり、あるいは新しい本や昔からある本を読んだり、デメテールが集めている自鳴琴オルゲルの奏でる音色に耳を傾けたり合わせて一緒に歌ったり、保存していた木や岩や草などで物を作ったりなどもしていた。




 二人は暖炉の焚かれている、そこそこ広い部屋に居た。二人で兼用している自室だ。

 雪の降っている外の寒さが嘘みたいに部屋は暖かい。

 ルナは年季の入っている椅子に座り、机に向かって手紙を書いていた。ペン先が紙を引っ掻く音と、楽しげな鼻歌が聞こえてくる。

 ディアナは毛の長いふかふかな敷物が敷かれた床の上に座り、難しい顔で様々な魔法陣が描かれている本を広げていた。

 乾燥させた丈夫な茎、濃い色をした木の実、削って丸くした透明感のある小石や、光を透かす薄い紙に太い針と糸に先がねじになっている細長い棒に小さなトンカチなどの道具類を、自身の周りに広げるようにして並べている。

 そうしているディアナの首からはペンダントムーンストーンが下げられている。

 チェーンは街で直して貰った金色ではなく、リオンから手渡された赤銅色。

 暖炉の炎に照らされた時の煌めきは、まれに夜空で見える赤い月にも似ていてどこか幻惑的だ。

 ディアナは指先でチェーンに触れ、そっとため息をつく。

 どうしてあたしだったんだろう。

 ディアナの壊れた金のチェーンは、リオンが紹介状を書いてくれた装飾品を扱う店に持っていったら一日とかからずに直して貰えた。

 だからリオンから貸して貰ったチェーンはきちんと返そうと思っていたのに、あの時読んだ手紙にはこうも書かれていた。

『あのチェーンはディアナにやるよ。オレが子供のときに祖母ばあちゃんからもらったヤツなんだけど、一度も壊れたこと無いしすげー丈夫なんだぜ。たまにでも使ってくれたら嬉しいよ』

 もちろんディアナは困った。いくらリオンが優しいと言っても、そんな想い出のありそうなものなんて貰えなかった。

 だから当然返そうと思った。けれど次に会う約束なんてもちろんしていないから、リオンがあの広い街のどこにいるのかも分からない。

 封筒の裏に書いてあった地名──住所がリオンの家なのだろうけれど、それこそ約束も無しにいきなり訪ねるのははばかられた。

『オデットの宿里やどり亭』の奥さんにお願いして返してもらおうとしたけれど、そういうときは素直に貰っておくもんだよ、と柔らかく苦笑されて受け取っては貰えなかった。

 手紙の中で『リオンに悪いから返す』と書いてみたら、『それもうオマエのだからオマエの好きにしていいけどさ、返される方がオレはヘコむんだけど?』と、ちょっと怒ったような感じのする文字が返信の中に書かれていたから、ディアナの方が少し悲しくなってベッドにしばらく潜り込んだ。

 だから赤銅色の鎖リオンのものだったチェーンは、今もディアナの首を飾っている。

 ……嬉しくないわけじゃ、ないんだけど。

 でも、なんというか、貰ってばかりなのはすごく気が引けた。形があるものとしてでも、ないものとしてでも。

 それがリオンなりの優しさの表し方なのかもしれないけれど、人付き合いからして慣れていないディアナには、それはどうしても心苦しい。

 だからまずは、ディアナもリオンに贈り物をしようと思った。リオンがディアナにしてくれたように。

 買い物は出来ないから得意な物作りにした。

 そもそも買い物をするためのお金はデメテールが管理しているものだ。元々デメテールはディアナやルナの分もそれぞれに貯金しているらしいけれど、それを使って贈るのはなんだか違う気がした。

 最初に作ったのは耳飾りイヤーカフスだ。

 川辺で取れる鉱石の欠片に『除く』魔法を使い、少しの金属だけを取り出す。金属の色は濃い紫にも見えて輝く黒色だ。

 耳の縁に挟む部分と耳朶みみたぶを挟む部分をそれで作り、二つを結ぶのはなめして切った鹿の革。

 白から緑へと流れる階調グラデーションが綺麗な羽を一枚、耳朶みみたぶから吊り下がるように配置した。

 色味の強いリオンの肌に映えるといいなと思った。

 次に作ったのは髪の毛を結うための紐だ。

 干しても丈夫で瑞々しい緑色のままなつるを、一本の太い紐になるように丹念に編んでいく。

 両端にはリオンの瞳みたいなあかい実をいくつか編み込んでめた。

 結んだ毛先が尻尾みたいに揺れる、リオンの橙色の髪の毛に合うといいなと思った。

 それから腕飾りブレスレットも作った。

 物置部屋から探し出した赤味の強い革を細く切って編み込み、濃い赤に染めたつるで先をめた。

 その両端の間に、丸く整えてつやを出した緑の石を三つ通してつるを結ぶ。結び目は穴を開けた石の中に隠した。

 ディアナよりもずっと大きかったあの手にちゃんと合うだろうかと思った。

 次はどうしよう。指輪リング? 髪飾り? どうせならこのチェーンみたいに身に付けられるものにしたい、けど。

 どんなものなら貰ったものにちゃんと返せるんだろう。

 どんなものならリオンは受け取ってくれるんだろう。

 どんなものならリオンは喜んでくれるんだろう。

 作ったものを床に並べてじっと眺めていると、なんだか胸がひりひりしてきた。

 縋るようにチェーンに触れるけれど、だからといってリオンの気持ちが解るなんてことはない。そんな魔法はかかっていないから。

 あたしはどうしたらいいんだろう。

 ディアナが途方に暮れていると、ルナが声をかけてきた。

「ねー、まだ作るの?」

「……わかんなくなってきた」

「じゃあそのくらいにしたら? 魔法だってかけるつもりなんでしょ?」

「うん……」

 手紙を書いていたはずのルナを見れば、いつからかディアナの作業を眺めていたらしく目が合った。

 その机の上にはデメテールが収集している自鳴琴オルゲルのひとつが音を奏でていた。ルナはいつの間にか部屋を出入りしていたらしい。

 理解した途端に音楽がちゃんと聞こえてきて、自分がかなり集中していたことに気がつく。意識して深く呼吸をすると少し身体がだるくなった。

 肩が重い気がしたので左肩をぐるぐると動かしていると、なんだかいい香りがしていた。そう思ったら、ほら、とルナがカップを差し出してきた。湯気はわずかだけ立っていて、受け取ると少しだけあたたかかった。猫舌なディアナに合わせてくれたのだろう。

「ありがと。これなに?」

柑橘類の皮オレンジピールのハーブティー。疲れが取れるって教えてもらったでしょ? だから」

「うん……、うん? なんだか甘いんだけど」

「蜂蜜入れたもん。疲れたときには甘いものが一番だよねー」

 ちょっと甘すぎるよ、という言葉はハーブティーで流し込んだ。ルナが甘党なのはいつものことだ。

 ルナがカップを手に向かい側に座って、ディアナが作ったものを見つめる。口元にはゆるやかな笑みがある。

「気づいてる?」

「なにが?」

 ルナは顔を上げて言う。

「ディアナが作ったもの、全部にみどりが入ってるの」

「ほんとだ。気づかなかった。……リオンは好きかな、緑色」

「……嫌いじゃないと思うけど? だって」

 何かを言いかけて、やめた。そのままこくりとハーブティーを飲み始める。

 ディアナは続きが気になったので眉を寄せつつ視線で促した。

 自鳴琴オルゲルの音色が止んで、室内は少し静かになる。

 くす、とルナが声を立てた。

「……ないしょ。だってディアナ、まだ気づいてないもん。ディアナのことなのにね。だから気づいたら教えてあげる」

 楽しげに、意味ありげに微笑むルナの向こうで、暖炉の薪のはぜる音がした。

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