祈りはいずれ呪いとなりて

 哀しい呪いの夢を見た。


 警察庁警備局の公安には、表沙汰に出来ない事件を取り扱う部署があった。

 表沙汰に出来ない事件とはつまり、異形や異能、呪いなどによって起こる怪異事件のことだ。

 それらを解決するのが公安内部に存在する特務課――通称〝霧課キリカ〟。

 どうやら夢の中のわたしは、その一員であるらしかった。


 その夜、わたしはとある呪いの対策チームに選抜され、同期と共に地下へ向かっていた。

 〝鬼問オニドい〟というのが、今回対峙する呪いの名だ。

 一定範囲内の人間に対して問いかけを行い、それに正しく答えられなかった者に死を与える咒物じゅぶつ。誤答した対象は良くて精神崩壊、悪ければそのまま呪い殺されてしまうという。生成方法は現時点では不明。自然発生なのか、人工的な呪いなのかは判明しておらず、材料は実在する人間であると推測されている。

 咒物の状態は、脳や内臓に至るまでのすべての器官が何らかの方法で乾燥されて出来た完全な木乃伊ミイラ。そのサイズは、生前の体格より二回りほど縮小される。腕を胸の前でクロスし、足を重ね合わせ、仰向けに眠った体勢で、顔面は干からびて変色しているにしては奇妙なほど生前のままの面影を残している。そしておぞましいことに――この咒物には生前の人間の意識が、魂と呼ばれる器官の一部が、そのまま取り残されているという。

 鬼問いの問いは、生前の恨みや未練に関連しているとされる。問いの数は個体によって異なり、観測されている限りでは最大で六。「誰が自分を殺したか」「如何どうして自分は死んだのか」「報復は成されたか」といった恨みによる問いが多く、鬼問いの生前が特定される場合の対処は未練による問いよりも容易い。無論、生前の特定がなされない場合の対処は難しくなる。

 厄介なのは、問いが未練によるものであった場合だ。

 何時いつ、誰に、何処どこで、どうして、どのようにして殺され、呪いにされたかを訊くのではない。鬼問いが誰にも打ち明けず、墓場まで持ち込むために仕舞い込んだような、そんな未練を秘めた問いを正しく解答することはほとんど不可能だった。

 そして、問いに正しく答えること以外では即座に解呪かいじゅがなされず、破壊による無力化も出来ない特性上、主に未練による問いを放つと判断された鬼問いは、その恨みや未練が弱毒化されるまで、千年もの歳月をかけて地下深くに封じられるのだ。

 呪いという名の牢獄に、魂の一部を宿したままで。


 これから無力化する呪いは、そんな呪いなのだ。

 憂鬱に頭を抱えかけたが、数歩先を歩く同期を見て、わたしは即座に威儀いぎを正した。

 なんせ、今夜のわたしはただのサポート。メインで呪いを祓うのは、同期の子。

 同じ霧課でもトップクラスの成績を収めている、アカネという目の前の女性だ。

 異形を映す目の所為で幼い頃から厄介なものに目をつけられていた彼女は、幸運にもそれを退ける才能にも恵まれていた。しかしそんな得体の知れないものに触れることを、視えない人間である母親に理解出来るはずもなく、彼女はたった一人の身内である母親と喧嘩別れする形で家を出たそうだ。その後、かねてより繋がりのあった霧課の先輩の家に転がり込み、修行の体で無理やり事件に同行しながら、所属が決まるまで粘り続けたらしい。

 そんな経緯で同期内でも随一の腕を誇る彼女はしかし、今夜ばかりは誰よりも険しい面持ちで地下へと向かっていた。普段は呆れるくらいに朗らかな彼女が、眉をしかめ、目を吊り上げ、唇を噛み締めながら、早足で廊下を突き進んでいるのだ。

 気を緩めれば泣き出しそうな、その表情の理由は明白だった。


 彼女が祓う〝鬼問い〟は、彼女の母親なのだから。


「大丈夫?」

 大丈夫じゃないことは分かっていたが、訊かずにはいられなかった。

「うん、大丈夫、ありがとう」

 青い顔で答える彼女。

 もしも彼女が解呪しなければ、母親の魂の一部は千年を苦しみながら封じられる。解放出来るのは自分だけ。そんな重圧が、華奢な彼女の背にのしかかっている。

 絶対に、大丈夫なんかじゃないはずだ。

 ただ幸いだったのは、今回の鬼問いが一人も犠牲者を出していないことだ。

 偶然にもそれを発見したのはわたしたちの上司――彼女が家に転がり込んだ例の先輩だった。

 先輩は、がんとして実家に帰らず連絡も取らない茜を心配して、茜の無事を母親にしらせようと彼女の実家に向かったそうだ。そこで感じた呪いの気配に、無理やり扉を開け放って見たものが〝それ〟だった。先輩はそのまま細心の注意を払い、霧課に回収の手配をし、無事に地下の咒物じゅぶつ安置所に運び入れた。そして「お前がやるべきだ」と、茜を地下へ召喚したのだ。

 鬼問いに成り果てた茜の母が、一体何を恨んでいるのか、はたまた何を断ち切れずにいるのか、わたしには検討もつかない。

 そしてそれは、茜も同じ。

 分かりようもないのだ。喧嘩別れをしたまま二度と会わなかった母が、何故呪いになったのか、なんて。

 コツ、コツ、コツ、コツン。

 足音が止まる。安置所の扉は目の前だ。

 茜が深く息を吐いた。一度、強く目をつぶって、扉の取手に手を掛ける。重たい音を鳴らして開いた扉の先に、鬼問いの横たわる祭壇がある。

 煌々こうこうと灯るのは蝋燭の火。うっすらとくゆるのははすこう。四方をチームの人員が囲む、その中心に、彼女の母は眠らされていた。

 ゆっくりと、一足、一足を踏みしめるように、茜が祭壇に近づいてゆく。彼女が完全にそれを見下ろす位置に立てば、固まり切った鬼問いの口がカタカタと音を出した。

 物音ひとつない地下。ひりつく緊張。にじむ冷や汗。渇く舌。痛む頭。いざとなれば茜を鬼問いから引き離し、すぐに癒師ゆしの祓いを受けさせねばならない。油断の許されない状況に、チーム全員が目を凝らしている。

 空気が震えた。

 鬼問いが、問う。


 ――茜、元気にしてるのかい?


 息をんだのは、茜だけではなかった。

 その場にいた全員が、その問いの意味を考えたはずだ。


「答えろ、茜」


 固まった空気を切り裂くように、素早く叱責したのは先輩だ。

 茜はハッと我に返り、一瞬の葛藤の後、震える声でこう答えた。


「元気だよ」


 沈黙する鬼問い。しかし解呪されないということは、次がある。

 かなりの動揺が見られるものの、茜に害が及んでいないところからして、一問目に対する解は適切であったらしい。

 けれども、これは、この問いは。

 鬼問いの問いが恨みによるものでないのなら、これは未練の問いということだ。

 誰にも打ち明けず、墓場まで持ち込むために仕舞い込んだ問い。

 家に帰ってこない娘を案じた、娘の無事を願い続けた、その果てに生まれてしまった呪い。

 こんなことが、あるのだろうか。


 ――怖い目に遭っていないかい?


「平気だよ」


 ――ちゃんとごはんを食べているかい?


「食べてるよ」


 ――無茶をしてはいないかい?


「してないよ」


 カタカタ、カタカタ、音が鳴る。誰も彼もが息を潜めた。

 呪いを警戒しているからではない。

 娘を想う母親の問いを、誰も邪魔してしまわぬようにだ。


 ――……。


 何か想いを巡らすように、鬼問いの口が僅かに止まる。

 きっとこれが、最後の問いだ。


 ――茜、


 聴こえる声は、何より優しい。


 ――しあわせになるんだよ?


「……うん……おかあさん」


 母娘おやこの会話が途絶えてしまうのを躊躇ためらうように、茜がゆっくり言葉を吐いた。

 途端、突風が吹くようにして、重たい気配が掻き消える。

 風の中心、祭壇に横たわる茜の母に目を向ければ、もうその姿は木乃伊ミイラのように枯れ固まってはいなかった。大きさこそ元に戻らないものの、その容貌は生前の記録のまま、ただしずかに眠りにいているかのようだ。

 解呪が成功した。

 今はもう、そこにあるのは呪いではない。

 四方を固めていた人員が慌ただしく動き出す。外の待機者に指示を飛ばす者、遺体を運ぶための担架を用意する者、安置所の浄化を準備する者。わたしと先輩はそんな中、座り込んだ茜に駆け寄った。

 堪え切れない嗚咽を漏らし、うつむく茜の肩を抱く。


「よくやった。よくやったよ、茜」


 先輩が茜の頭を撫でる。その言葉に堰を切ったように、彼女は声を上げて泣いた。


 母親の、我が子のしあわせを願う祈り。

 それはこうして呪いになっていなければ、決して彼女に伝わっていなかっただろう。

 呪いに変じていたからこそ、最後に娘と言葉を交わすことが出来た。これをはたして呪いと言ってよかったのだろうか。


 いや、確かにこれは呪いなのだろう。

 「しあわせになれ」という祈りにも似た呪いが、きっとこれからの彼女を生かすのだろうから。

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