祈りはいずれ呪いとなりて
哀しい呪いの夢を見た。
警察庁警備局の公安には、表沙汰に出来ない事件を取り扱う部署があった。
表沙汰に出来ない事件とはつまり、異形や異能、呪いなどによって起こる怪異事件のことだ。
それらを解決するのが公安内部に存在する特務課――通称〝
どうやら夢の中のわたしは、その一員であるらしかった。
その夜、わたしはとある呪いの対策チームに選抜され、同期と共に地下へ向かっていた。
〝
一定範囲内の人間に対して問いかけを行い、それに正しく答えられなかった者に死を与える
咒物の状態は、脳や内臓に至るまでの
鬼問いの問いは、生前の恨みや未練に関連しているとされる。問いの数は個体によって異なり、観測されている限りでは最大で六。「誰が自分を殺したか」「
厄介なのは、問いが未練によるものであった場合だ。
そして、問いに正しく答えること以外では即座に
呪いという名の牢獄に、魂の一部を宿したままで。
これから無力化する呪いは、そんな呪いなのだ。
憂鬱に頭を抱えかけたが、数歩先を歩く同期を見て、わたしは即座に
なんせ、今夜のわたしはただのサポート。メインで呪いを祓うのは、同期の子。
同じ霧課でもトップクラスの成績を収めている、
異形を映す目の所為で幼い頃から厄介なものに目をつけられていた彼女は、幸運にもそれを退ける才能にも恵まれていた。しかしそんな得体の知れないものに触れることを、視えない人間である母親に理解出来るはずもなく、彼女はたった一人の身内である母親と喧嘩別れする形で家を出たそうだ。その後、かねてより繋がりのあった霧課の先輩の家に転がり込み、修行の体で無理やり事件に同行しながら、所属が決まるまで粘り続けたらしい。
そんな経緯で同期内でも随一の腕を誇る彼女はしかし、今夜ばかりは誰よりも険しい面持ちで地下へと向かっていた。普段は呆れるくらいに朗らかな彼女が、眉をしかめ、目を吊り上げ、唇を噛み締めながら、早足で廊下を突き進んでいるのだ。
気を緩めれば泣き出しそうな、その表情の理由は明白だった。
彼女が祓う〝鬼問い〟は、彼女の母親なのだから。
「大丈夫?」
大丈夫じゃないことは分かっていたが、訊かずにはいられなかった。
「うん、大丈夫、ありがとう」
青い顔で答える彼女。
もしも彼女が解呪しなければ、母親の魂の一部は千年を苦しみながら封じられる。解放出来るのは自分だけ。そんな重圧が、華奢な彼女の背にのしかかっている。
絶対に、大丈夫なんかじゃないはずだ。
ただ幸いだったのは、今回の鬼問いが一人も犠牲者を出していないことだ。
偶然にもそれを発見したのはわたしたちの上司――彼女が家に転がり込んだ例の先輩だった。
先輩は、
鬼問いに成り果てた茜の母が、一体何を恨んでいるのか、はたまた何を断ち切れずにいるのか、わたしには検討もつかない。
そしてそれは、茜も同じ。
分かりようもないのだ。喧嘩別れをしたまま二度と会わなかった母が、何故呪いになったのか、なんて。
コツ、コツ、コツ、コツン。
足音が止まる。安置所の扉は目の前だ。
茜が深く息を吐いた。一度、強く目を
ゆっくりと、一足、一足を踏みしめるように、茜が祭壇に近づいてゆく。彼女が完全にそれを見下ろす位置に立てば、固まり切った鬼問いの口がカタカタと音を出した。
物音ひとつない地下。ひりつく緊張。
空気が震えた。
鬼問いが、問う。
――茜、元気にしてるのかい?
息を
その場にいた全員が、その問いの意味を考えたはずだ。
「答えろ、茜」
固まった空気を切り裂くように、素早く叱責したのは先輩だ。
茜はハッと我に返り、一瞬の葛藤の後、震える声でこう答えた。
「元気だよ」
沈黙する鬼問い。しかし解呪されないということは、次がある。
かなりの動揺が見られるものの、茜に害が及んでいないところからして、一問目に対する解は適切であったらしい。
けれども、これは、この問いは。
鬼問いの問いが恨みによるものでないのなら、これは未練の問いということだ。
誰にも打ち明けず、墓場まで持ち込むために仕舞い込んだ問い。
家に帰ってこない娘を案じた、娘の無事を願い続けた、その果てに生まれてしまった呪い。
こんなことが、あるのだろうか。
――怖い目に遭っていないかい?
「平気だよ」
――ちゃんとごはんを食べているかい?
「食べてるよ」
――無茶をしてはいないかい?
「してないよ」
カタカタ、カタカタ、音が鳴る。誰も彼もが息を潜めた。
呪いを警戒しているからではない。
娘を想う母親の問いを、誰も邪魔してしまわぬようにだ。
――……。
何か想いを巡らすように、鬼問いの口が僅かに止まる。
きっとこれが、最後の問いだ。
――茜、
聴こえる声は、何より優しい。
――しあわせになるんだよ?
「……うん……おかあさん」
途端、突風が吹くようにして、重たい気配が掻き消える。
風の中心、祭壇に横たわる茜の母に目を向ければ、もうその姿は
解呪が成功した。
今はもう、そこにあるのは呪いではない。
四方を固めていた人員が慌ただしく動き出す。外の待機者に指示を飛ばす者、遺体を運ぶための担架を用意する者、安置所の浄化を準備する者。わたしと先輩はそんな中、座り込んだ茜に駆け寄った。
堪え切れない嗚咽を漏らし、うつむく茜の肩を抱く。
「よくやった。よくやったよ、茜」
先輩が茜の頭を撫でる。その言葉に堰を切ったように、彼女は声を上げて泣いた。
母親の、我が子のしあわせを願う祈り。
それはこうして呪いになっていなければ、決して彼女に伝わっていなかっただろう。
呪いに変じていたからこそ、最後に娘と言葉を交わすことが出来た。これを
いや、確かにこれは呪いなのだろう。
「しあわせになれ」という祈りにも似た呪いが、きっとこれからの彼女を生かすのだろうから。
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