神さまの無限回廊

 とある神社に御詣おまいりした日の夜、夢を見た。

 あまりに神秘的で、冒涜的で、そしてうるわしき邪神の夢を。


 わたしは夢の中で、変な巫術ふじゅつと日本刀を操る巫女一族の人間らしかった。らしい、というのは、わたしはそれを他人に聞かされてはじめて認識したからだ。でなければ、誰がそんな中学二年生特有の病気じみた設定を自称するものか。そしてそれを教えてくれた人間――いや、人間ではなかった――男はというと、わたしの目の前で滅茶苦茶にぶすくれている。

 手入れされずに伸びっぱなしになってはねている黒髪、薄い紫色の目、百七十後半の背丈、そして派手な着流しの男。

 この男は、どこかもわからない神社の長い階段でわたしが途方にくれていたところを、出逢い頭に斬りかかってきたのであった。それはもう、殺す気満々で。わたしが片手にたずさえていた白刃の日本刀とは毛色の違う黒刃の日本刀を振りかぶり、思いきりわたしに振り下ろしてきた。一体わたしが何をした。咄嗟とっさに避けることが出来たから良かったものの、でなければ一瞬で御陀仏おだぶつだっただろう。わたしの立っていた石段がちょっとだけ抉れていたのを見て、わたしの顔から血の気が引いた。

 やらなければ、やられる。そう悟ったわたしは、片手に掴んでいた日本刀のつかを握り、さやから思いきり引き抜いた。殺陣たてなんて、見よう見まねでしかやったことがない。剣道だって一年も経たずにやめてしまった。しかもこれは竹刀しないでも木刀でもない、正真正銘の真剣だ。構えも何もわかったもんじゃない。ずしりとした鉄の重みが手から腕へと伝わる。しかし、日和ひよっている場合ではない。先程の男はまだわたしを睨み付け、今にも斬りかかろうとしているのだから。

 わたしと男の間に緊張が走る。ぴりり、とした冷たい空気が頬を刺す。欠片でも油断をすれば、今度こそわたしは斬られる。足許あしもとの石段みたいに。

 一秒、二秒、日本刀が重い、三秒、四秒、そもそもここはどこなのか、五秒、六秒、というか今は一体いつだ、七秒、八秒――何故わたしは、こんな得体の知れない男に殺されかけなければならない!

 その苛立ちが、わたしに隙をつくってしまった。男はそれを見逃してはくれず、瞬間的にわたしに肉迫にくはくする。彼の刀の切っ先がわたしの首を捉えようとうねる。

 ああ、死ぬ――――。


 ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……。


 目をつむり死を覚悟したそのとき、どこかから鐘の音が響いた。

 暮れ六つの時の鐘だ。

 暮れ六つ、というのは江戸時代の時刻法で、今では大体午後六時頃のことを言う。時の鐘はその暮れ六つを始め、一日に十二回、時刻を知らせるためにかれる鐘のことだ。時の鐘は、まず注意喚起のために捨鐘すてがねと呼ばれる鐘を三つ撞く。その後、知らせる時の数の鐘を数度撞くのである。

 今鳴った鐘の音は、捨鐘を含めて九つ。つまりは、暮れ六つ。

 まだそんな文化が根付いていたとは。このご時世にめずらしい。そんなことをぼんやり考えて――わたしは気づいた。

 わたしの知る時法で秒数を表すのなら、捨鐘は一度目の鐘から一分半後に二度目の鐘、三度目の鐘を撞く。時刻を表す鐘を撞くのは、そこから更に一分半後だ。その一つ一つの間隔は段々短くなるものの、およそ十五秒ずつくらい。

 つまり、わたしが暮れ六つの時の鐘だと確信するまで、四分ほどの時間が過ぎている。四分ほどの時間が過ぎているのに、わたしの首はまだ、わたしの胴体と仲良くしている。

 もしかして、わたし、死んでいない?

 恐る恐る目を開けると、私の首から数ミリというところで、刀の切っ先が制止している。目線をずらして男を見れば、男は「しまった」とでも言いたげな顔をして、そのまま体勢を崩し、どさり、とその場に倒れしてしまった。

 何が起こったのかはわからないが、どうやら命は助かったらしい。

 辺りを見回せば、空が幕を降ろすようにして急激に暗くなっていく。同時に、ぽぽぽ、と石段の左右に並んだ石灯籠いしどうろうに火が灯った。全段分火が灯りきっただろうと思うと、今度は耳にかすかな笛の音が届く。おそらくは上の神社の方から。その笛の音に次いで太鼓の音が混じり、鈴の音が混じり、それは徐々に音量をあげていく。

 異様な雰囲気だ。気味が悪い。

 わたしはしばし迷って、とりあえず、ここに居続けてはいけないという直感に従い、男を半分肩に担ぎ、半分引きずりながら、その場を後にしたのだった。

 神社の石段を降りきった先の真っ赤な鳥居を抜け、街に出る。街は何故だか、紫色の鉱石で出来たような植物に覆われている。なんだこの世界は、と混乱に頭を埋められながら、たまたま目についたさびれた茶屋に入った。可愛らしい大正浪漫たいしょうロマン風の着物にレースのあしらわれたエプロンをつけた店員は、わたしとわたしの肩に担がれた男を見て怪訝けげんな顔をしたものの、すぐに畳敷きの個室に通してくれた。

 投げるようにして男を床に下ろす。卓袱ちゃぶ台を挟んで反対側に正座をし、男の持っていた日本刀はわたしの日本刀と共に後ろに並べて置く。

 先程の店員が緑茶を置きに現れ、個室のふすまを閉めたところで男が目を覚まし――冒頭に戻る。

 正直、ぶすくれたいのはこちらである。


「……で、わたしが何故、あなたに協力を?」


 わたしは殺されかけたのに、という圧力を込めて男を睨めば、ちょっとだけばつの悪そうな顔をして、彼はわたしに目線を寄越した。


「……悪かった。だが、お前も悪い。あんなところにいたら、あの神社の巫女だと誰もが思う」


 あの神社の巫女、というのが、どうやらこの男の敵であり、勘違いでわたしが殺されかけた理由だった。

 この男――青藤あおふじだか白藤しろふじだかと名乗った男――は人間ではないらしい。見た目は人間だが半分妖怪の血が入っている、所謂いわゆる人間と妖怪のハーフ、半妖はんようだというのが本人の談だ。

 それが本当かどうかはさておき、青藤だか白藤だか――面倒だな。この藤色さんは、大切な友人の少女をあの神社の巫女たちにさらわれてしまったという。

 詳細は不明だが、その日から暮れ六つが過ぎると灯籠に火が灯り、街は紫の鉱石で出来た植物に覆われ、わたしとは別の系統の巫女たちが夜な夜な神楽を舞っている。藤色さんは日が落ちて街が植物に覆われている間は動けない。明け六つの鐘が鳴るまで、外に出るとたちまち身体が硬直し、倒れてしまうと言うのだ。

 そして明け六つの鐘が鳴ると、世界がすべて

 信じがたいことではあるが、この街は今、同じ日付を延々と繰り返している。あの神社の巫女が執り行う儀式じみた何かが上手くいっていないのか、それともこの繰り返しこそが目的なのか。それは判然としていない。

 はっきりと分かっていることは、少女を取り戻すことが出来なければ、明日も取り戻せないということ。

 だから、わたしに夜の間の捜索を手伝えと言う。


「無茶苦茶です」

「無茶でも苦茶でもない。お前は討魔とうまの血筋の子だろう。だったら出来る。助けてくれ。斬りかかったことは謝る」


 討魔とうまの血筋と言われても。確かに母方の旧姓は字違いではあるが藤間とうまだし、母方の血が巫女血筋だと言われたことはある。だが、それがなんだ。わたしにはそんな大層な力はないし、霊感だとかそんなものだって微塵みじんもない。巫術ふじゅつがつかえる? なんだそれは。寝言は寝てから言ってほしい。

 けれども、どうやら藤色さんは本気らしい。互いに互いの目を見据え、沈黙で訴えかける。多分、これは先に目をらしたほうが負けだ。

 沈黙。

 沈黙。

 沈黙――。


「……わかりました。やります」


 そしてわたしは、その手の勝負にすこぶる弱かった。


「本当か! 恩に着る!」

「けれどわたしはその、巫術ふじゅつ? だとか、一度もつかったことがありません。なので、お役に立てるかどうかは、本当に分かりませんよ」

「大丈夫だ。討魔とうまの子なら」


 一体、その自信はどこから来ているのか。

 彼は「行動は早ければ早いほどよい」などと言って襖を開け、わたしに外に出るように促す。初対面の、しかも勘違いで殺しかけた女学生にする態度とはとても思えない。人遣いが荒い。ひとでなしだ。いや、半分は人でないのだったか。


「仕方ありませんね。藤色さんは夜の間はぽんこつなんですから、ここで茶でもすすっていてください」

「ぽんこつって言うな! それに俺の名は藤色ではなく――」

藤鼠ふじねずだかなんだかわかりませんがとりあえず藤色っぽい名前でしょう」

「だから藤色ではなく――」

「行動は早ければ早いほどよいので、いってきますね」


 ぱすん! と爽快に襖を閉める。

 これくらいの可愛らしい意趣いしゅ 返しは許されてしかるべきだろう。

 わたしはわたしの日本刀を片手に、もう一度街に出た。紫色に支配された街をきょろきょろと見回しながら再びあの神社へと向かう。そういえば、少しだけ地元の道筋に似ているな。もう大分長いこと実家には帰っていないが、この道、ああこの鳥居の感じも、随分ずいぶん懐かしい――。


つきさま」

「うわっ」


 いきなり名を呼ばれ、わたしは兎が跳ねるようにして跳び退いた。

 刀のつかに手を掛け振り向くと、さっきの茶屋で給仕をしてくれていた店員の女の子が、着物にエプロン姿のままでそこに立っていて――何故か、頭には兎の耳が生えている。

 さきに弁解しておくが、うさみみ少女は決してわたしの趣味ではない。決して。


「な、なに、え、なに」

「月さまに、ついていくよう言われました。小桜こざくらと申します」

「言われた? あ、藤色さんにですか?」

「藤色……はい、そうです。藤色に。監視するためにと」


 兎の耳を除けばわたしより頭一つ分低い彼女が、じっとわたしを見上げて言う。

 監視、ってなんだ。もしかして逃げるとでも思われているのだろうか。失敬な。夜の間は動けないぽんこつのくせに手伝いを頼んだ相手を疑うなんて。

 いやしかし、敵方の巫女と間違えるというファーストコンタクトを経て勘違いで殺しかけた相手なのだから、逃げるかもしれない、と思うのは当然か。むしろ、逃げずに手伝うと言うほうが奇特なのだ。きっと。

 わたしはそう納得した。


「ええと、監視なら、声を掛けずにひっそり見ていたほうがよかったのでは?」

「はい。そう思ったのですが、放っておくとそのまま鳥居から侵入し、参道を闊歩かっぽし、境内けいだいを練り歩いて巫女たちに見つかる未来が見えるようでしたので」


 正論だ。確かに、さっきのわたしは地元を懐かしむあまり、地元の神社よろしくそのまま鳥居から入る心算つもりだった。

 わたしを引き留めた小桜ちゃんが、つい、と指差した方向に、獣道の入口が見えた。侵入経路は一応存在しているらしい。わたしが頷いてそちらに方向転換すると、彼女もゆっくりと後ろからついてくる。そのまま二人して獣道へと足を踏み入れ、ゆっくり草をかき分けながら山道を上る。

 笛の音が聞こえだした。太鼓と鈴の音も。

 ああ、嫌な雰囲気だ。

 背高草せいたかそうを分け、ごつごつした木の根を踏みしめ、わたしたちはどこか――おそらく神楽殿かぐらでんあたりの裏側に出た。向こうからは御神楽みかぐら奏楽そうがくと、巫女がうたっているであろう神楽歌かぐらうたが大音量で響いてくる。頭蓋の奥にわんわんと反響するような歌だ。何を言っているのかは判別がつかないが、人間が聞くに相応ふさわしくないようなものだと言うことはわたしのような阿呆あほうにも分かる。

 脳みそを揺さぶられるような不快感。

 吐き気が、する。

 わたしと小桜ちゃんはその歌を脳から追い払うように首を振って、裏手から神楽殿や拝殿の先にある本殿に回る。藤色さんの大切な少女が囚われているのなら、おそらくそれは本殿だろう、とわたしはアタリをつけていた。囚われの姫君のいる場所は、一番奥の特別な場所と相場が決まっているからだ。

 反対側にひしめく巫女たちに見つからないよう、慎重に歩を進める。

 御霊代みたましろまつる本殿の扉が開けられるのは、基本的に例祭の日だけだ。扉が開かれても大抵の場合において、宮司ぐうじ以外は誰も入ることを許されない。そこは神さまの御座おわす場所なのだから。

 しかし、今は開いているはずだ。藤色さんの話が本当なら、この世界は同じ一日を繰り返している。すなわち、御神楽を奏でて神降かみおろしをする――例祭の日を。

 アタリだ。

 本殿の扉が開いている。

 だが、周囲には数人の人影がある。宮司か見張りの巫女か。後ろから回って近づいても、扉まで忍び寄るのはいささか無茶である。

 何か突破口はないか、と考えあぐねていると、小桜ちゃんの指がわたしの肩越しに何処かを指差した。

 ――格子こうし

 本殿の端に、格子窓がある。

 何故、本殿に格子窓なんてものがあるのだろうか。都合良く中を覗けそうな格子窓が、見張りのものたちの死角あたりに都合良くあつらえられているなんて、あまりにも都合が良すぎる。

 罠だろうか。

 いや、この際確認が出来るのならばそれでもいい。本殿正面の扉から隙をついて忍び込むくらいなら、死角の格子窓から中を覗いて少女の所在を確認したほうが早い。選択肢が二つに一つなら、後者のほうがずっと安全だ。

 危険を感じたら、小桜ちゃんを連れて一目散に逃げればいい。それは戦略的撤退である。

 わたしは意を決して、足音を鳴らさぬよう細心の注意を払って格子窓まで近寄ると、その隙間から本殿の内部を覗き込んだ。

 覗き、込ん、で。


 なんだ、


 少女の姿は、見えた。確かに。

 祭壇さいだんの手前の床に、よわい十四、五程度とおぼしき少女が倒れている。ここからでは生死まで判別できないが、蝋燭ろうそくのような白い肌から衰弱しているであろうことは見て取れた。固く閉じられたまぶたは、きっとこの場所から連れ出さなければ二度と開くことはないだろう。そんな印象を抱くほどに、その光景は死で満ちていた。

 いや、違う、それはいい。いや良くはないが、それはいいのだ。

 肝心なのは、彼女の奥、祭壇の上、この神社でたてまつられている、御霊代みたましろ御本尊ごほんぞん――。


 なんなのだ、は。


 言葉にするのもおぞましき体躯たいく、うねうねとうごめく定形のない触手じみた手足、混沌こんとん陰鬱いんうつとを煮詰めた岩石のような皮膚、膨張と伸縮を繰り返す剥き出しの心臓部、泡立つようにまばたく、深淵しんえんを覗き込むようなくらい瞳――。

 石像のかたちを無理矢理真似した、名状しがたき


 あんなものが――神さま?


 ぐるり、ぐるり、ぐるり、ぐるり、視界が回る、音が聞こえる、笛と、太鼓と鈴と、歌と、響いて、揺れて、頭が、頭が揺れている、あの目がわたしを見ている、わたしがあの目を見ている、見て、見てい、て、あ、ああ、ああああ――。

 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。そんなニーチェの言葉が、混乱と狂気に充ちていく脳裏をよぎる。もしかしてわたしは、人生を危険にさらしているのか。脳みそがとろとろと溶けるような不快感。怖気おぞけ。苛立ち。吐き気。そして。

 ぐり。

 腹部に、何かの感触がした。


「え?」


 腹を見る。何かがわたしの腹から生えている。これは、これは、刀だ。わたしの刀。わたしの刀がわたしの腹に突き刺さっている。ぬらぬらと濡れた血、わたしの血だ。わたしが刺されて、血が出て、それで、それで?

 後ろを向く。小桜がいない。

 代わりに顔を面布めんぬので隠した巫女装束の女が、わたしの刀を握り締めている。

 やっぱり、罠だったのか。

 熱い。刺された腹がまるで燃やされているみたいに熱い。腹こそがわたしの心臓になってしまったかのように、刺された箇所がどくりどくりと脈動している。熱いのに冷たく、冷たいのに熱いわたしの血が、命の残量を減らすみたいに容赦なくこぼれ落ちていく。甘いしびれが全身に拡がる。目眩めまいを凝縮したように視界が狭く暗くなっていく。

 今度こそ、わたしは死ぬのか。

 ああ、せめて、あの子が本殿にいたことだけでも、藤色さんに伝えておきたかったな。

 目を瞑る。

 わたしは再び、死を思い――。


 ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……。


 鐘の音がした。

 捨鐘を含めた九つの鐘の音が。

 暮れ六つではない、明け六つの、時の鐘。


『明け六つの鐘が鳴ると、世界がすべて


 またこの世界は、巻き戻ってしまうのか。

 御神楽は、いつまで続くのだろうか。

 藤色さんは、いつか少女を助けられるのだろうか。

 この繰り返す世界で。


 ――ぷつん。


 そうしてわたしは、夢で意識が途切れたと同時に目を覚ましていた。

 刺された腹をするりと撫ぜる。

 そこはすべてを巻き戻したみたいに、綺麗な腹のままだった。

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