夢、魚腹に葬らる

 休日、ふて寝をしていたら、夢を見た。


 わたしは夢を見ている。それはもう分かりやすく、空を飛んだりだとか、猫と喋れたりだとか、子供の頃に戻っていたりだとか、魔法が使えたりだとか、そういう夢を。

 たのしい夢だ。そういうものが夢であるべきだ。学生の頃に見た某ファストフードのピエロに家宅侵入されて「遊ぼうよ」なんて言われて付け狙われる夢だとか、ホラー映画に影響されて見た深夜の学校に閉じ込められて骨格標本に追いかけられる夢だとか、祖父の趣味で廊下に飾ってあった贋作がんさくのモナリザが自室の扉の隙間からじいっとわたしを見つめている夢だとか――最後のは本当に夢であってほしい――そんな夢は見るべきでないのだ。

 だからわたしはほっとしていた。

 少なくとも、そのときは。

 たのしい夢が、額縁に飾られていく。パステルカラーで描かれた絵本のような、淡い色づかいの絵画。わたしはそれを見ている。額縁の外側から小説や映画の世界を眺めるみたいに、自分の夢を見ている。絵画は活動冩真かつどうしゃしんのようにくるくると色を変え場面を変え、わたしという観客をたのしませてくれていた。うつくしい光景だ。うつくしい時間だった。

 なのに。

 わたしの夢が飾られた美術館のような廊下の一角に、するするとすべるように侵入してきたものがいた。やけにぎらぎらした白い腹と鈍色にびいろの鱗の魚。カッターの刃のように鋭利な印象を与える背びれや尾びれをゆらゆらと揺らし、それは夢に近づいた。


 そして魚は、ばくりと、わたしの夢を食べたのだ。


 ごき、ごきり、ばく、もぐもぐ、ぼりん、ごくり。

 そんな音を立てて、鈍色の魚はわたしの見ている夢を片っ端から食べていった。わたしは吃驚びっくりして、呆然とそれを見つめる。

 わたしの夢が食べられている。あのうつくしい光景が、うつくしい時間が、わたしの、そうあるべき夢が。

 あんな、あんな一匹の魚なんかに。

 夢を平らげた鈍色の魚が振り返る。もっと寄越せと言わんばかりに開けた口内に、何十本もの細かな歯が剣山のように並んでいるのが見えた。あれで、こいつはわたしの夢を噛み砕いたのか。うつくしい夢たちを、そのみにくい腹の中に容赦なくみ込んだのか。

 許せない。許すものか。

 気づいたら、わたしはその魚の腹を破いていた。いつの間にか手に持っていた小さなカッターナイフで、鈍色の魚の腹を裂く。腹はまるで熱したナイフをバターにあてがったときのように簡単に切れてしまった。

 食べられた夢を取りかえそうと、まっぷたつに割れた魚の腹に両手を差し入れ、一気に真横にじ開ける。わたしのうつくしい夢たちは、それで無事に帰ってくる。そのはずだった。


 ――ぼとぼとぼとぼと。


 途端に生まれた音とにおいに、ひっ、とわたしの喉が鳴く。

 血腥ちなまぐさい血液や肉片にくへんのようにして地面に叩きつけられていくのは、かつてのわたしの夢だ。変色してどろどろの肉塊と化したそれが、魚の腹から溢れだす。あんなにうつくしかったわたしの夢に、その面影おもかげ微塵みじんもない。

 鈍色の魚の一部に成り果ててしまったそれを見て、わたしは堪らなくなり、一目散にその場を逃げ出したのだった。


 あんなにうつくしかったわたしの夢は、魚の腹で変質していた。

 ああなってしまった夢たちを、きっと悪夢と呼ぶのだろう。

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