それをわたしは秋と呼ぶ
母に「無理心中するしかない」と言われた日、夢を見た。
〝神聖なるもの〟とは何か、というとはっきりとは答えられないのだが、神社だとか、教会だとか、
わたしの担当している場所は、その〝神聖なるもの〟の中でも神社を模したとされるフロアだ。そこには模型とは思えないほどうつくしい神社が建ち、空はバーチャルの天候プログラムを
さわさわと、空調によって再現された涼しい風が吹く。スタッフの衣装としてわたしが身に
「月」
名を呼ばれて、振り返った。
彼はわたしの姿を見るなり顔を悲哀で歪ませて走り寄り、いつもより幾分かやさしい声で「辛かったな」と言った。
なにが「辛かったな」なのだろう? ――そう思うか思わないかという瞬間、わたしは、わたしの母が死んだことを思い出した。
死因も知らないし、いつ死んだかも知らないのに、漠然とそれだけを思い出して泣いた。幼馴染みは泣くわたしの腕をつかんで神社から引きずりだし、
「俺、死んだこと知らなくて」
「辛かったよな、苦しかったよな」
「月は、死んだりしないよな」
「俺もケイスケも心配していて――」
慰められながら、ふと、自分の左手を見た。
するとわたしは、素っ気ない
これはわたしの、もう一人の幼馴染みの青年、ケイちゃん――ケイスケくんのことをわたしはそう呼んでいた――が書いたものだ。
その
『画面にぽんぽんと浮かぶ文字列を指でなぞる。彼女は元々言葉少なな人間であるから、文字だけでもこれだけ
青いインクで書かれたそれを読んでいるうちに、わたしはいつの間にか、目を覚ましてしまっていた。
わたしは母に「無理心中をする」と言われたことなんかよりも、幼馴染みのケイちゃんが書いたその本を読みきれなかったことのほうが悲しかった。
夢の中の母の死因よりも、ケイちゃんの秋空のような文章をそれ以上思い出せないことのほうが、わたしにとってはよっぽど損失だったのだ。
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