君はまだシンデレラさ

 夢を見た。

 おろしたての靴と階段にまんまと転ばされ、八つ当たりに毒づいたその日の夜のことだった。


 わたしは何処か得体の知れない道を歩いている。いや、道というよりも、それは階段らしかった。階段らしいが段らしきものはひとつもなく、ただのっぺりとした白く平坦な斜面が、坂道の如くつづいている。

 しかし、確かに一歩足を踏みだすと、粘土のように地面が歪む。歩幅に合わせてその都度つど段を自動生成しているのだ。

 むよむよむよ、むよむよ。

 そんな擬音がしっくりくるような踏み心地に、わたしは愉快になってしまって、しばらくその場で階段昇降をして遊んでいた。自動生成の段を一段昇ると、下の段はすぐさま消えてなくなる。一段下がると、上の段は消えてなくなる。

 何故、階段がこんなふうになってしまったのか。それには諸説あるそうだが、中でもいちばん有力とされる説はこれだ。『あまりに階段を踏み外して怪我をするものが多いから、世界中の階段はすべてこの白く平坦な階段自動生成の斜面に変えられた』というもの。階段が階段として残存しているのは、いまや神社や寺院、遺跡などの限られた区劃くかくだけなのだとか。

 むよむよ、むよ、むよ……。

 しばらくその踏み心地をたのしんでいたわたしだったが、先程までの階段が消えていくのを見ていると、なんだか無性に悲しくなってしまった。

 わたしは階段が好きだった。

 別段、これというはっきりとした理由があるわけではない。学校の階段も、公園の階段も、実家のちょっと急な階段も、それなりに好きだった。

 学校の階段の踊り場で立ち止まり、そこの窓から中庭やグラウンドを眺めたり、数少ない友人と短い休憩時間をお喋りで費やしたりする。それは坂の途中では駄目で、平坦な地面の中間地点ではてんで駄目で、学校の階段の踊り場だからこそ良かったのだ。

 公園の階段だって、グリコ・チョコレート・パイナップルゲームをするのにあれほど最適な場所はなかった。グリコ・チョコレート・パイナップルゲームとは、ジャンケンに勝った手によってそれに対応した歩数進み、さきに階段を昇りきるなり降りきるなりしたほうが勝ち、という単純なゲームである。単純だから、幼少期によくやっていた。わたしはチョコレートが好きだという理由だけで、チョキばかりだしていたけれど。

 実家の古い階段も、わたしは好きだった。はじめて昇った階段だからかもしれない。一階から二階に上がる階段は途中で右にぐるりと曲がっていて、その曲がり角のちょっとだけ広い踏板で、愛猫がよく寝そべっていた。二階から三階に上がる階段は結構な急勾配で、古い木のにおいもするし、みしみしと音がしてちょっとだけ怖い。しかし夏祭りの夜には屋上から見える花火が好きで、三階まで一気にばたばたと駆け上がったものだった。

 駅の階段も、坂の代わりの階段も、神社やお寺の階段も、図書館や美術館や博物館の階段も、わたしは好きだった。さいきん行きつけの喫茶店なんか階段の途中にも本棚があって、わたしは階段で脚をふらふらさせながら本を物色するのが好きだった。非常階段なんかはもっと好きだ。ひっそりとして誰もいないコンクリートの灰色に囲まれた階段は、まるで秘密基地みたいだった。街中の至るところにあるそういう階段が、わたしはみんな好きだったのだ。

 しかし、もうそんな階段はない。

 ぐっとのしかかってくる寂しさの重みに耐えかねて、わたしはその場を駆け出した。

 むよ、むよむよむよむよ、むよむよむよむよ。

 わたしの走る速度と歩幅に合わせて、白い道は段を形成する。きちんと段を踏みしめている感覚も薄くって、駆け上がっている感覚も鈍い。こんなんじゃ、シンデレラは躓いてガラスの靴を落とすこともないだろうし、大人の階段を昇ることすら出来ないじゃないか。

 後ろを振り返りながら駆け上がる。なのに、わたしは絶対に転ばない。わたしの駆け上がってきた足跡は、上塗りされていく雪の足跡みたいに消えてゆく。

 もう昇るのをやめてしまおうか。

 そう思ったとき、眼前に大きな鳥居が現れた。

 何連にも連なる朱の鳥居。こちらの白の背景とは異なる、異様なまでに眩しい朱色。その下には、私の見慣れた石畳の階段がある。灰色の、石の階段。振り返りながら走ったりなんかしたら、絶対に転んで怪我をするような階段だ。

 しかしわたしは迷うことなく、その石畳の階段に足を踏み入れたのだった。


 目覚めたわたしは、ここが階段のある世界だということに、心底ほっとしていた。

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