第16話 みんな誰かの物語

 自分の気持ちを津布楽さんに伝えた日の夜。

 小蔦さんに事後報告しようとメッセージの文面を考えていたら彼女から電話がかかってきた。あまりにもタイムリーだったので監視されているのかと疑ってしまうほどだ。彼女ならやりかねない。おれに対する人権意識が低いからな。


「こっちから連絡するつもりだったからびっくりした」

『おいーっす。かのんでーす。てことは報告できることがあるんだなぁ? 洗いざらい話してくれるんだよねぇ?」

「もちろん」


 おれは簡潔に説明した。放課後に会って先輩と付き合わないでほしいと津布楽さんに伝えた旨を淡々と話した。思い出すだけでも羞恥心で暴れ狂いそうだったから教科書の文章を読み上げるような棒読みで述べた。でないと自我崩壊する。

 しかし放課後に何をしているかや疑似恋愛うんぬんの話は省いている。津布楽さんにとって小蔦さんには知られたくない部分だからだ。疑似恋愛とかは特に一般的な目からすれば痛々しすぎる。

 

『へぇ、よく頑張ったねぇ。お姉さん嬉しいよ』

「かのんの脅迫のおかげだ」

『でも満点ではないよねー』

「お、おい。怖いこと言うなよ。かのんの要求は気持ちを伝えてってだけだろ? 条件はちゃんと満たしてるじゃないか」

『好きって伝えてないよね』

「いやそれはだな……」

『あ~あ告白練習の意味がなくなっちゃったー。まぁ今回は許してあげるましょう。明日が楽しみだなぁー』


 楽しみなんて何一つない。おそらく明日を起点に津布楽さんとの関係性は大きく変わるだろう。でも変わってしまう前に伝えることができてよかった。もやもやしていた心の霧が少し晴れた気がする。

 

「ずる休みしたい気分だ」

『ダ、ダメ! それは絶対ダメ!』

「? 急に何だよ」

『あっ、明日休んだから大変なことになるんだからな! 学校来なかったら静真は性病になったってデマ流してやる!』

「おれのデマは性に関することばかりだな。確かに効果抜群だけど」

『とにかく! 明日は絶対に来い! 解ったら返事!』

「解った、行くって」

『はいじゃあね! 切るよー!』


 最後は一方的に切られてしまった。

 言われなくとも明日は学校に行く。サボりなんてするほどやさぐれてもいないし、今のところ皆勤だから一年生は無遅刻無欠席で終業式を迎えたい。

 もうやれることはやったのだ。あとは津布楽さんの気持ち次第。これ以上もう動く気はなかった。





 金曜日。

 今日、津布楽さんは先輩に返事をする。

 最近は直接ではなく電話やラインで済ませることが多いと聞くので噂も立たずにいつの間にか付き合っていたケースが多い。いつ返事をするか正確には解らない。

 彼女の動向がとても気になる。でも探ったら人間として最低だ。この欲のせいで朝から集中力が散漫していて授業の内容が全く頭に入らなかった。ノートにペンを走らせているとふわっと津布楽さんのことが浮かび、意識を黒板に戻す頃には書いていた文字列の続きは既に消えていた、なんてことが二度も三度もあった。

 今更気にしたところで何も変わらないというのにずるずると引きずって心底情けなく思う。自分のことを殴りつけて目を覚ましてやりたかった。それに彼女の意思を尊重するなら関わってはいけないのだ。誰にも指図されず自由に決めた選択こそが幸せなはずだからだ。

 その考えに至った瞬間おれは自分を卑下した。昨日の放課後、おれはこの世の誰よりも無礼に指図した。小蔦さんに無理強いされたとはいえ最後に決断したのはおれ自身。本当に浅はかで愚直なやつだ。


「静真、飯食おうぜ」


 未だ自己嫌悪が融解しない中、喜太郞が昼食を誘ってきた。


「おれ、今日弁当じゃないから売店行ってくる」

「そんなこと知ってる。おれも行く」

「人の弁当事情をよく把握してるな……」


 財布を持って席を立ち、教室を出る前に津布楽さんの様子を一瞥した。小蔦さんと笑い合っているいつもの日常風景で少し安心した。しかし返事をするならこの昼休みか放課後だろう。相手も連絡を返せる時間帯な上、会いに行く時間がたっぷりある。絶好の機会だ。

 ダメだ、また彼女のことを考えてしまっている。もういっそのことここ一週間分の記憶を消したいくらいだ。そもそも月曜日に椿先輩が津布楽さんが告られたなんて話をしなければ、こんなにも津布楽さんのことで頭がいっぱいにならずに済んでいた。先輩が実に恨めしい。

 

「静真、今日のお前はおれに張り合えるくらい気持ち悪いぞ」

「そんな風に見えているのか」

「いつものお前はしんとしてて落ち着いている。けど今のお前はキョロキョロと首と目玉を動かして情緒不安定だ。見ていて吐き気がする」

「そ、そこまで言うか……」

「まるでエロアニメを親にバレないように観ている小三のおれみたいだ」

「不健全すぎるぞ」

「英才教育だ。不健全じゃない」


 今日限定の気持ち悪さだから一日ぐらい許してほしい。明日以降からは普段のおれに戻るはずだ。

 売店でパンを購入し、教室に戻った。喜太郞は自分の席ですればいいものの、わざわざおれの前席に座ってアニメ視聴を始めた。英才教育の結果がこれなのだから悲しくなった。もしイヤホンをしていなかったら永久追放していたところだ。


「そうだ。気になってたんだが静真は放課後いつも何してるんだ? 部活にも入っていないのに何処へ行ってるんだ」

「何って、居残り勉強的な……」

「嘘つけ。津布楽紅羽と何かしてんだろ。殺すぞ」

「随分と物騒だ」

「隠したいなら詮索はしないけどな。せいぜい幸せに爆発しろ」

「ん? お前がそんなこと言うなんて珍しいな。そこは苦しみもがいて爆発しろーとかじゃないのか?」

「口を閉じろ。アニメに集中してるんだ」

「はいはい」


 昼休みはあっという間に終わってしまった。

 後半は喜太郞とくだらない話をしていたため津布楽さんのことはすっかり忘れていた。むしろその方が気が楽だった。無用な勘ぐりや不安に駆られることがなかったから喜太郞には助けられた。本人にそんな自覚はないだろうが心の中で感謝した。


 五時限目、六時限目と授業が続く。しかし時間は無情にも激流の如く流れた。五時限目はすぐ終わり、六時限目も一瞬のうちに終わりを告げるチャイムが鳴った。今日一日、六時限分の授業を受けた気がしなかった。

 掃除が終わったら帰ってしまおう。

 そんなことを考える。津布楽さんが放課後にあの教室で集まるか否かをおれに伝えてこなかったら帰ろう。昨日あんなことを言ったやつとなんか二人で会いたくないだろう。おれ自身もどんな顔をして会えばいいのか解らない。

 担任が連絡事項を伝え終わり、各々掃除を開始する。それぞれ班ごと清掃場所に散らばった。今週はトイレ担当だった。ほうきで床を掃き、水で汚れを流すだけの簡単な掃除だ。新しめのトイレということもあって汚れが少なく、いつもメインはトイレットペーパーの補充だ。だからすぐ終わった。

 教室掃除も終了していた。連休前だからみんな早く解放されたいのだろう。

 その時点で津布楽さんの姿はもうなかった。机に掛けられているバッグもなかったから帰ったか、先輩のところへ行ったか、例の教室へ行ったかのどれかだろう。


「しずまー。あんた帰んのー?」


 荷物を鞄にまとめていると小蔦さんがふらっと寄ってきた。


「帰る」

「ちょいちょい、いいの? 紅羽どっかに行っちゃったよ?」

「関係がない」

「ばか! 今すぐ探しに行け! デマ流すぞ!」

「もう終わった話だろ……。勘弁してくれよ……」

「いやぁああん! 静真がぁ! 静真が私の胸を――」

「解った!! 解ったから喋るな!!」

「解ればいいのー。ほらいけいけ~」


 彼女はおれを教室から押し出した。

 何なんだ。探せとか言われてもどこを探せっていうんだ。うちの高校は校舎が三つもありグラウンドも立派だから全体の敷地はかなり広い。それに運良く見つけたとして何をしろと。仲を引き裂くような卑怯者なんて演じられない。恋愛における究極の悪人だ。

 行く当てもなく校内を放浪するわけにもいかず、おれは例の教室へと向かった。そこしか気を安らげる場所がない。校舎の一階へと降り、渡り廊下を通って三年生の校舎へ。生徒会室のある階まで上がり、廊下を進む。到着だ。

 とりあえず二十分くらいここで待機しよう。その頃には小蔦さんは帰っているだろうから荷物を取りに行ける。それでもまだいたら探しに行くふりをしてもう一度ここに戻ってこよう。そう考えながら引き戸を開けた。


「よう、静真」


 おれは化け物でも見たかのように飛び上がった。この教室に現れることは絶対にない人間が一人居座っていたからだ。


「どうして喜太郞がここを……」

「結構綺麗な教室だな。大学のパンフレットに載ってた教室とそっくりだ。こんなところでイチャイチャグチャグチャしていたなんてな。極刑だ」


 喜太郞はぐるりと首を回して教室を眺めた。ここに彼がいる理由が解らない。放課後に何をしているのかすら教えたことはないのにどうして場所がバレているんだ。しかも一人でおれを待ち構えていたようだった。

 どんな意図か見当もつかず、おれは引き戸の前で立ち尽くした。


「そういや、津布楽紅羽がさっき来たぜ」

「津布楽さんが……?」

「すぐ出てったけどな。『伝えることがある』ってぼやいて階段を下りてったぞ」

「そうか……」


 興味がないといった風におれは無愛想に答え、教室に入った。すると喜太郞は眉間に深い皺を作っておれを睨みつけた。


「入ってくんじゃねぇよ」

「はぁ? さっきから何なんだ? 昼もそうだったけどお前おかしいぞ」

「早く追いかけろよ、お前こそ何やってんだ。走れ、走って追いかけろ。でなきゃ打上花火みたいにタマ蹴り上げるぞ。たーまや~ってな」

「そんなことしたら友だち辞めてやる」

「おれからも辞めてやる。孤独は慣れてるからな。早く行けよ!」


 喜太郞の剣幕は冗談ではなかった。何もかも意味不明だったが彼が本気で言っていることだけが唯一明白だった。従うしかない。ポケットに手を突っ込んで黄昏れる喜太郞を残し、おれはその場を後にした。

 急いで一階まで下った。だがそれ以降はどこへ行けばいいのか解らない。外か、それとも一階ではなく二階か? 喜太郞から教えられた少ない情報では判断が難しい。

 そう焦っているとここで会うはずのないよく見知った顔と遭遇した。


「あっ、し、しずまだぁ……! ぐ、偶然だなぁ!」


 震える指でおれをさしたのは小蔦さんだった。顔は引きつり、目は泳いでいた。告白練習の時の迫真の演技は何処へ行ってしまったんだ。かなりぐっときたのに。


「津布楽さんが何処へ行ったか知ってるか」

「あっ、く、紅羽ぁ? 紅羽を探してるの? ふぅん、偶然だなぁ。さ、さっきこの渡り廊下を走っていった姿を見たよー? 私たちの校舎に戻ってったよー?」

「そうか、ありがとな」

「いいえ~。じゃ、じゃあ私帰るから!」

「また来週な、大女優さん」

「からかうなぁ! これでも頑張ったんだからっ!」


 一人地団駄を踏む小蔦さんを残しておれは走った。

 自分の校舎に戻ると次に待ち構えていたのはまたしてもここにいるはずのない人だった。


「あら奇遇ねぇ。どうしたの、息をはぁはぁと上げて」

「次は椿先輩ですか……。津布楽さんを見ませんでしたか?」


 先輩は「そうねぇ」と呟き、腕を組んで考える振りをした。もう薄々先輩たちの企みには気付いているんで早くしてください。


「そういえばこの階段を上がっていったわよ。多分屋上ね」

「屋上ですか。でも屋上って閉鎖されてますよね」

「ふふ」

 

 妖しく微笑む先輩の手には鍵が握られていた。この人、職員室から無断で取ってきたに違いない。恐ろしい人だ。


「職員室は私の庭なの」

「流石です、椿莉子副会長」

「さっさと上まで上がりなさいな。素敵な夕日が待ってるわ」

「解りました」


 おれは先輩を残して階段を上がっていった。

 段を上がっているうちに馬鹿らしくなってきた。おかしくて笑えてくる。いったいいつからおれは巻き込まれていたんだ。

 これは一つの物語だ。きっとおれは彼らの考えた物語のパーツにすぎない。

 誰のシナリオだろう。喜太郞、椿先輩、小蔦さん、それとも津布楽さんか。誰であれうまくできていると思う。いや、おれがうまく仕立ててやっているのだ。おれがこの階段を上るのをやめれば物語は破綻してしまう。エンドロールも流れずにいいところで暗転したら誰も救われない。

 だから今だけは操り人形のように振る舞ってやろう。おれだってエンディングがどんなものか楽しみだ。

 屋上のドアに到着した。ドアノブを握って捻るとカチッと音が鳴った。施錠はされていない。ゆっくりと重い鉄のドアを押し開けると眩い光が目に飛び込んできた。半熟卵の黄身のように色濃く燃える太陽がこの世界を温かな橙色に染め上げていた。

 その太陽と重なるように紅の少女が立っていた。フェンスに手を掛け、その少女も恒星の美しさに目を奪われているようだった。


「津布楽さん」


 声をかけると背を向けていたその少女はこちらを向いた。


「君を、待ってた」


 きっとクライマックスはここからだ。

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