第4話 椿莉子は読みたがり
三年の先輩とは誰のことだろう。
そもそもおれに三年生の知り合いは一人もいないので考えたところで無駄なのだが、津布楽さんが言った「腐ってる」がどうしても頭から離れない。おそらく彼女の「腐っている」は業界用語だ。腐の民を指す言葉だと思う。
だからその三年の先輩は腐女子なのだろう。希少の存在と今まで思っていたが、割といらっしゃるようだ。どんな人か気になった。
三時限目終わりの休憩中。
トイレで用を足していると隣の小便器に輪郭が全体的に丸い男が立った。
「小便ならおれも誘えって」
カチャカチャとベルトを外しながらそう話しかけてきたのは喜太郞だった。
「連れションなんて中学生までだろ」
「おうおう大人ぶっちゃって。あっ、そうだよな。静真はもう大人の階段登ったんだもんな」
「何の話だ」
「とぼけんなよ。おれたち友だちだろ? 隠してないで教えろよ~」
身だしなみを整え、おれは無言で手洗い場まで歩いた。彼は慌ててジッパーに手をかけ、立ち去ろうとするおれにくっついてきた。
「何で無視するんだよ! おれたち同盟を組んだ仲だろ!」
「組んだ覚えないけどな」
「解った……解ったから見捨てないでくれ……! おれは寂しいと死ぬんだよ!」
「随分と太ったウサギだ」
「アニメを観たら太るから仕方ないだろ!」
「お前が怠けてるだけだからな。アニメ会社に土下座しろ」
喜太郞は腰を九十度曲げて頭を下げた。その方向にアニメ会社があるのだろうか。どうでもいいけれど。
そうして謝罪が終わると再び彼は問い始めた。
「津布楽さんとどこまでいったんだ? 答えないと全国の魔法使いを呼んで船倉の家、爆破するからな」
「はぁ!?」
「津布楽さんの家に行ったのは解ってんだよ! 証拠だって挙がってる! これでも罪を認めないつもりか!?」
「家に行ったことは否定しないが……」
「はぇー認める気になったか。マジで失望したわ。何でそんな簡単におれを裏切るの? 何でリア充になろうとしてんの? 恥ずかしくないの? おれと永遠にアニメを語り合うって約束したよな?」
こいつ、息を吐くように嘘をつきやがる。こんな性格をしているから友だちが一人もいないんだ。
トイレから出てもまだ話は続く。
「そっかー、静真くんはリア充さんかー。悲しいなー。もうお前のためにアニメを語れなくなるのかー」
「勘違いしているようだがな……」
「これじゃあ日本の未来は暗いな。一応訊いておいてやるよ。もう子供はいるのか? 挙式はいつ?」
「……津布楽さんは恋愛感情を知らないんだ」
「ご祝儀は十円で――え?」
喜太郞は立ち止まって目を点にした。そして口元を歪めて首をかしげる。
「恋というものが解らないらしい。だからお前が想像しているような事は何も起こってねぇよ」
「……いや、嘘だろ。誰も好きになったことないなんて絶対嘘だろ」
「お前……日頃から三次元はあり得んって口うるさく自分で言ってるだろ……」
「ただのキャラ作りだから真に受けんなよ。おれだって可愛い女の子がいたら惹かれるっつーの! まぁいいや。静真がまだ魔法使い候補生のままと解ったからそれでいい……」
彼は知りたかったことを知れて満足したようだ。足取りも普段のように一歩一歩自信に満ちたズッシリ感が蘇る。その自信を友だち作りに活かせばいいのにといつも思うのだが、彼は文化系の部活に入ることもなくただひたすらアニメ鑑賞に全力投球だった。
教室に戻ると女子グループで談笑していた津布楽さんが目に入った。お洒落好きの可愛い女子高生にしか見えないのに恋を知らないなんて何か可哀想だ。女子が大好きな恋バナには参加できないだろうし。いや、でもBLがあるからいいのか。
そんな彼女と目が合ってしまった。おれはバッと顔を背ける。視線に気付かれたことが恥ずかしかった。
すると津布楽さんはこちらに近づいてきた。喜太郞は女子の接近を感知して石のように固まった。魔法使い同盟の三箇条である「女子と喋らない、触れない、付き合わない」を本気で守り抜くらしい。
「凄く熱い視線を感じたんですけどー」
津布楽さんはもの言いたげな目で詰め寄った。腰に手を添え、ずいっと顔を突き出しておれの弁解を待つ。
「いや……何かこうして見てみると普通の女子高生だな、と思って……」
「ふつうー? じゃあ私は普通じゃないの?」
「だってなぁ……そうだろ?」
「難しいことわかんぁない」
会話のキャッチボールが成り立たねぇ……。
おれは喜太郞に助けを求めようとしたがやはり石像のように固まっていた。女子への敵対心の強さはきっと本校一だろう。
「あ、そうだ。朝話したことだけど、先輩が昼休みなら会えるってラインきた。ご飯食べたら行くからね」
「了解」
「うん。あとどうして松本くん固まってるの? 私のこと怖い?」
「多分、女性恐怖症なんだ。ほっといてやってくれ」
「ふぅん。だからアニメばっか見てるのかな」
やめてさしあげろ。それはかなり傷つくやつだ。ほら見ろ、喜太郞の目尻から一粒の涙がこぼれ落ちたじゃないか。寂しがり屋なんだからもうちょっと繊細に扱わないとダメなんだよ、こいつは。
昼休み。
昼食を終えると同時に津布楽さんがやってきた。見計らっていたに違いない。タイミングがバッチリすぎた。
「はい行きましょー」
「ちょっと待って、眼鏡が……」
グラスの汚れが気になり、一度眼鏡を外した。視力が悪いと本当に不便だ。冬の時期になるとマスクでもしていたら簡単に曇ってしまうし、傷が付けばとても不快な視界になる。良いことなんて何一つない。
「うっ!」
眼鏡拭きで優しく拭いていると津布楽さんが呻き声を上げた。おれの机に手を乗せて上半身を支えるその姿は朝見た光景と同じだった。
「やっぱりまだ体調悪いのでは?」
「う、ううん! 元気だから! めっちゃ元気!」
熱を出しているとしか思えないくらい顔が赤かった。目は泳いでいるし、呼吸も少し荒い。突発的に動悸を起こしやすい体質なのだろうか。
眼鏡をかけ直すと、未だに落ち着きを取り戻せていない津布楽さんは翻って歩き出した。おれはその後を追従する。
教室から出て廊下を進み、階段を降りる。渡り廊下を通過して三年生がいる校舎へと入った。彼女は背中を丸めてずっと胸に手を当てているようだった。終始無言だったので声をかけようにもかけづらい。
彼女が階段を上ろうとした。それを見た瞬間、おれは急いで彼女の隣まで追いついた。
「えっ、なになに急に」
「津布楽さん。校則を守ってくれ」
「守ってるけど」
「スカート短すぎだから」
「うわぁ……船倉くんエッチッチだねぇ~」
彼女のために忠告したのに軽く含み笑いをされて終わった。おれはもう二度と指摘しないと心に決めた。下着見られても知らないからな。
その後、津布楽さんは生徒会室前で立ち止まった。
「生徒会? 部活の申請でもする気か?」
「ちーがーうー。これだからエッチな男の子は困るなぁ」
男同士の濃厚な合体図を描いてるやつに言われたくない。
彼女はノックして「紅羽でーす」とのんきに言うとすぐガラッと引き戸を開けた。もはやノックの意味がなかった。
「いきなり入ってきたと思えば紅羽、か。なら納得ね」
「どうもー、
生徒会室には
同時におれは嘘だろと思った。腐女子って可愛い子と美人しかいないのか? 最高かよ。天使かよ。
「紅羽。その人は?」
椿先輩が視線をおれに向ける。
「船倉静真くん。同じクラスメイトで作品作りの協力者です~」
「そう……ちょっと待って。作品作りって言った?」
「言いましたよ」
椿先輩はガタッと立ち上がった。深刻な表情に切り替わった先輩は早歩きで詰め寄り、おれの両腕をがっしり掴んだ。
おれは突然のことに混乱して身体を仰け反る。そして津布楽さんに助けを求めて目を向けた。しかし彼女はぼけーっとこちらを凝視しているだけだった。ラブコメ的展開に疎いと人はこのような顔をするのか。
「君、もしかして腐男子……!?」
「ふ、だんし……?」
「あなたも腐っているかって訊いてるの! どうなの!?」
「いや、多分腐っていないと思います……。発酵もしてないかと……」
物凄い剣幕でそう問われた。普通に恐怖を感じた。
反射的に腐っていないと答えたが使い方が合っているのかは解らない。とりあえず否定しておけば助かる気がしたのだ。でも明らかに先輩と同類ではないからきっとこれが正解だ。
「そう……。紅羽、それで何の相談?」
「自由に使っていい教室とかってありますか?」
「あるにはあるけれど……。使用目的は?」
「作品作りです。次回作は一般ラブコメにしようと思ってまして。彼はその協力者です。お互い自宅が中途半端に遠いのでどうしても学校でやりたいんです」
「待って待って。紅羽、BLは? BLは描かないの?」
「今回は違います」
「嘘でしょー!? 楽しみにしてるのよ!」
椿先輩は頭を抱えて叫んだ。あの椿先輩が取り乱している様子を見て、ただただ口を開けて呆気にとられた。クールとは何だったのか。
そんな心中でいたおれを椿先輩は睨み付ける。
「何よ。君は紅羽の天才っぷりを理解していないだけよ。一生解らないでしょうけどね。すっごいんだから。やっばいんだから。欲望とか本能とかもう世界中の欲をかき集めて凝縮したのって思うくらいエロいから」
「はは……」
「なにその笑い。紅羽、こんなのが役に立つの?」
苦笑いしかできない。
「ふ、船倉くんにしか頼めません! 船倉くんは凄いんです! 『映画の海』っていうブログを調べてみれば解ります。きっと船倉くんの作品に対する直向きな姿勢が解ると思います」
「ふーん、本当に? 紅羽って眼鏡フェチだからそれで彼に頼んだんじゃないの?」
「ちっちち、ち、ちがいます!」
津布楽さんは眼鏡好きなのか。思い返せば彼女の描いた作品には眼鏡男子が多かった。でもこんな忌々しい医療器具のどこが良いんだ。鬱陶しいだけでしかないのに不思議だ。世の中色んな人がいるな。
津布楽さんはおれをずっと掴み続ける椿先輩を強引に引き離した。すると今度は彼女が椿先輩の両腕をがっしり掴んだ。
「先輩お願いです! どこか場所を提供してください! 先輩も私の次回作読みたいですよね!? 読みたいでしょう!? うん、読みたい! さぁください!」
「何をそんなに焦ってるの。もしかして彼が好きなの?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないよ! 私は初恋もまだだ!」
「私、一応あなたの先輩なんだけど」
おれは二人のバトルが終わるまで静かに見守った。
数分後。
「解った、解ったから。隣の教室が空いてるから使いなさい」
「隣ってこの生徒会室の隣ですか?」
「そう。生徒会が使っていいことになってる上に、滅多に使わないから構いません。外部の人がちょっとした特別授業を行うときにしか使わないから存分に使えると思う。大学っぽい教室だからお洒落だし、これ以上の場所はないわね」
「十分です! ありがとうございます!」
「ただし条件があります」
「え……はい」
「勝手に物を置かないこと。あくまで学校として認めているわけじゃないから私物化しないでちょうだい。私の親切心だけで貸すからね。まぁ妨害してくるやつは私がねじ伏せるけど」
「置きません」
「私にも作品を見せること」
「見せます見せます」
「よろしい。いいでしょう」
交渉成立したらしい。津布楽さんは自慢げに親指を立てておれにドヤ顔を見せた。
椿先輩はやれやれと首を振ってため息をついた。迷惑をかけてしまって申し訳なかった。でも心なしか、先輩も楽しみにしているようにも見える。尊敬する作り手を近くで見られるのだから当然か。いったい二人はどのような経緯で知り合ったんだろう。
ひとまず場所を取ることができた。でもスタート地点に着いただけでまだ何も始まっていない。全てはこれからだ。
彼女はどんな物語を作りたいのだろう。
おれはぼんやりとそう考えながら二人の加熱するBL話が終わるまで沈黙し続けた。船倉静真は攻めか受けかとか、よく解らない話だった。
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