第3話 可愛い嘘と甘き恋

「何でやつれてんの?」


 今、おれはどんな顔をしているのだろう。立て続けに男たちのお乱れた様子を読んだ後、人はどのような表情を浮かべるのが正解なのか。おれには解らない。

 物凄い世界が広がっていた。それを知れたのは良かったし、込められた熱意も感じることができた。ついでにこの世界の先生方が対象としている読者に、おれは該当していないということも知った。

 気付けば彼女はまた隣に座っていたがもうあれこれ言う気力はもう枯渇していた。


「ほーらー、元気出してー」


 おれの肩を揺さぶってベッドを激しくギシギシと音を立てる。

 多分、津布楽さんは異性に対して恋愛感情がまだ完全に芽生えていないのだろう。その煮え切らないところをBLで爆発させているんだ。正直言うと激エロでしたし、なんでそこ細かく描けんの、日頃から見てんの、と疑問が溢れて止まらなかった。

 だから目覚めたときには猛獣になると思う。

 

「次は船倉くんがしてよ」

「……ブログを見たのなら大体解ってると思うけど、おれは映画専門だ。ジャンル問わず年代問わず観まくって解説、考察、感想を書いてる。映画が好きで記録したかったって気持ちから始めたけど、最近は布教目的だな。世の中には息が詰まってしまうくらい衝撃的な映画がたくさんあるんだ。それを知ってほしくてずっと更新し続けてる」

「凄い。読者の鑑じゃん。作り手からすると宣伝してくれるってとっても嬉しいことだよ」

「そう思ってくれるとおれとしても書いた甲斐があったって安心できる。本当は監督や作者の意図をはき違えていないかビクビクしながら書いてるんだけどね……」


 実際、記事を修正することは少なからずある。

 自分の解釈が間違っていてブログ読者に指摘されて恥をかくという流れは何度も経験してきた。その度に作り手に申し訳ない気持ちになる。絶対に「そうじゃねぇよ!」とお怒りになるだろう。それでもやめないのはやっぱり皆に知ってほしいからだ。


「そんなことない」


 津布楽さんはおれの手を包み込んだ。こんなことを素でやってのけるのだから恐ろしい。また鼓動が早まった。


「船倉くんみたいな人がいるから私たちは作り続けられるんだよ。一番怖いのは話題にもしてもらえなくなること。低評価でもいいの。作品は語られているうちが華、だから」


 眼をうるうるさせる彼女はとても綺麗だった。

 しかし冷静に第三者の目で状況を見るとこれもラブコメ的にマズイ。

 ベッドの上で二人の若い男女が見つめ合って手を熱く繋いでいるこの状況は、まさに彼女が描く世界においてはお乱れの予兆だ。

 待てよ。もしかしたら彼女は恋を感じているかもしれない。空想上でしかなかったこの状況を自らが実体験しているのだから少しくらい感じているかもしれない。


「津布楽さん。今、どんな気持ち?」

「手があったかい」


 ダメだ。男女のラブコメはまだ描けねぇ。



「帰るの早くない? お風呂にも入ってないじゃん」

「絶対に入りません」

「むふふ。冗談だよ」


 ご両親がご帰宅する前に去らないとおれが危機に瀕する。こちらの心境に構わず彼女は未練がましく引き留めようしたが何とか言いくるめて玄関まで辿り着いた。力が強い。

 靴を履いていると彼女が傍でしゃがんだ。


「ねぇ。私にもラブコメ描けるかなぁ」

「きっと描けるよ。おれも津布楽さんが描いたラブコメを読んでみたいから協力する。参考になりそうな作品とか吟味してみる」

「わー嬉しい! 楽しみにしてるね」


 ドアノブに手をかけて振り返る。津布楽さんは後ろに手を回して微笑んだ。


「じゃあ」

「うん、ありがと。何か……夫婦みたい。夫を送り出す妻、的な?」

「は、はは……」

「そうだ! 番号とメアド教えてよ!」


 彼女は慌ててスマホを取り出してそう言った。この自然体が羨ましい。その一言を口にするのにどれだけ勇気がいるかを彼女は知らないのだろう。

 おれは自分の連絡先を画面に出した。


「面倒だから写真撮らせて。あとで電話するね」

「解った」


 津布楽さんは最後までニコニコとしていて機嫌がよろしかった。

 





 私には大きな嘘と大きな秘密がある。

 大きな嘘は、恋を知らない。

 勿論、私は恋がどういうものかを知っている。苦しくて、触りたくて、温かくて、泣きたくて、そして全てを独占したくなるような気持ち。この気持ちが解らなかったらBLが描けるはずがない。何ですんなり信じたんだろう。

 大きな秘密は、船倉くんが好き。

 内臓ごとぐちゃぐちゃに混じり合いたいくらい好き。平気でこんなこと言えちゃうくらい好きだった。刺激強めの薄い本を大量に読んできた私にしかできない表現だと思う。とにかく眼鏡男子信者の私にとって、船倉くんはあまりにも理想的すぎた。


 しかし私は異性に想いを伝える勇気がなかった。好きと伝えることがめちゃくちゃ苦しくて難しい。

 空手で会得した平常心のおかげで顔が真っ赤になることも取り乱すこともないという自信はあった。けれど、どうしても彼を前にすると近づきたくて近づきたくて気が狂いそうになる。だから入学して彼を知り、今日に至るまでの五ヶ月間は戦いだった。

 夏休みは本当に地獄だった。

 まる一ヶ月間船倉くんを見られないから死ぬかと思った。目の保養ができなくてBLを描き続けることで何とか精神を安定させてきたけれど本当に辛かった……。

 他の女どもに船倉くんが取られたらもう自我崩壊すると悟った私は、思い切って彼にラブコメ共同創作作戦を決行した。策士な私はうまく家に呼ぶことに成功し、ようやく船倉くんとの接点を結ぶことができた。

 そして私は船倉くんがかなり鈍感だということを知った。

 女の子の家で、あ、あんなことがあったというのに、船倉くんは私が本当に恋愛感情を抱いたことのないお子ちゃまだと思ってる……! でも私は私で想いを口にできない小心者だから言える立場ではない。

 

「鈍感って最悪……」


 船倉くんが去ると私は床にへたり込んだ。

 この二日間で色々と仕掛けてみたのに彼は赤面はしても、私が嘘をついていることを疑うことはなかった。私を信頼してくれてる点については嬉しいし、愛しくて彼の眼鏡を食べちゃいたいくらいだったけれど余計な嘘をついてしまったと若干後悔した。

 でもこれはこれでいいかもしれない。

 ラブコメを描きたいのは本当だから彼と正当な理由で話せるし、私の好意が全部空回りするというなら船倉くんが私を好きになるまで存分にからかってやろう。

 

「ふふ……ふふふ」


 拳を床に付き、ゆっくりと立ち上がる。

 大丈夫。今の私なら男の子を落とせる。九年間、芋虫みたいな空手坊やたちに囲まれて稽古をしてきた天才空手少女・津布楽紅羽はもういない。

 今ここに立っている津布楽紅羽は恋するBL漫画家だ。好きな男の子を振り向かせるために頑張る可憐な少女なのだ! ビシッと両手で構えて明日から始まる戦いに胸を躍らせた。


「ただいま――って、何してるの、紅羽。また空手習う?」

「なわけないじゃーん。ママおかえりー」


 ママは不審者でも見るような目で私を見た。地味に精神に来た。


 同日二十時。

 風呂からあがったばかりの私は自室でスマホをいじっていた。

 

「しゃしん~しゃしん~船倉くんのでんわ~」


 勇気を出して入手した彼の連絡先画像を見つめる。この時間帯なら彼にかけても問題ないだろうと思い、現在連絡帳に登録作業中だった。

 電話越しなら好きだと伝えられるだろうか。いや、でもあの鈍感くんは冗談だと思うだろうし、私の嘘を頑なに信じているだろうからやめよう。それにからかってやると決めたのだ。あぁ~好きな子をからかうBLが読みたい。

 電話をかけた。

 コール音が鳴り響く。


『――はい、船倉です』

「もしもしー? 紅羽です」

『あ、津布楽さんか。誰かと思ったら……そっか、教えたばっかりだもんな』


 わざわざ『紅羽』って名乗ったのに『津布楽さん』、かぁ……。

 距離を感じるなぁ。


「忘れてるー! それはそうと今日はありがとね」

『こちらこそ。面白かった。でもBLはもういい、かな……』

「ふふ、ごめんね。刺激強かったよね。船倉くん今何してたの?」

『別に何も。風呂入るかなーと思ってたくらいだ』

「ごめん! 私先に入っちゃった!」

『どっ、どうでもいいわ!』


 あぁ、好きだ――。


「ごめんごめん。この番号は私のだから登録しといてね。ラインもね。ブロックしないでよ! 泣くから!」

『しないしない! じゃあ切るぞ!』

「うん、じゃあねー」


 ホーム画面に戻り、私は一つため息をもらした。

 椅子から立ってベッドにうつぶせに倒れ込む。わさわさと布団を撫でながら次第に羞恥心がどどっと波のように押し寄せてきた。


「ンッッーーー!!」


 毛布に顔を埋めて叫ぶ。

 私先に入っちゃった、とか我ながら気持ち悪い! なにその夫婦気取り! というか船倉くんの去り際にも夫婦とか言っちゃってるし! キモすぎる死ね私!

 荒ぶる呼吸を鎮めようと胸を押さえる。その時また思い出した。私は逃げる彼を引き留めるために抱きついてもいた。恥ずかしくて死にそう。どうやら私の中で欲望と理性の均衡が崩れそうになっているようだった。

 よし、姐さんたちと語り合って落ち着こう。

 私はいつものように匿名掲示板を開き、夜遅くまで語り尽くした。


 翌日、金曜日。

 船倉くんと正当な理由で会話する権利を得ている私は彼が教室に現れるとすぐ飛んでいった。


「おはよー、船倉くん」

「あ、おはよう」


 朝の挨拶をする関係になっていることが嬉しくて高揚した。私は勝ち組だ。

 君を絶対落としてあげるからね。


「そうだ。昨日考えてみたんだけどさ、ラブコメ作りをする前に教えて欲しいことがある」

「ん、なに?」

「漫画の作り方。おれなりにネットで漫画作りについて調べてみた。大体似たような過程っぽいけど津布楽さんはどうやって作ってるのかなーと思って。一緒に作るなら尚更ある程度知っておかないと二人の間でズレが生じると思う」

「うっ!」

「え?」


 全身に電流が走って身体がビクついた。

 嘘……船倉くん、私のためにそんなことを考えてくれていたの……? 私なんて夜中は姐さんたちと東京駅の卑猥さについて延々と語って興奮していたというのに……。

 でも自惚れてはいけない。

 船倉くんは私のためじゃなくて、ラブコメ作りのために調べてくれたんだ。それだけ真剣に私の頼み事を考えてくれているのだから誠意を見せないとダメだ。

 と意気込んだが嬉しすぎて足の力が抜けた。私は船倉くんの机に手を置いて身体を支える。


「え、え!? 津布楽さん!?」

「ごめん、ちょっと興ふ――ちょっと疲れが出て……」

「おいおいおい、大丈夫か。身体悪くなりやすいのか?」

「いや、昨日頑張り過ぎちゃっただけで……でも大丈夫だから!」


 万年健康体なので身体を壊したことは一度もない。風邪もいつ引いたか忘れた。


「漫画作りは私も普通だと思う。物語を考えて、キャラデザして、あとは描くだけ。キャラデザしてから物語を作る時もあるけどね」

「なるほどな。じゃあおれが手伝えそうなのは物語作りか」

「そうだね。どこでする?」

「お互いの自宅は遠いしなぁ。自転車通学でもないし。学校でやるのが一番じゃないか? 放課後使ってさ」


 ちっ、私の家がもっと近ければ……!

 しかし彼の言うとおり時間は多い方がいい。物語の構成にかける時間、吟味する時間は特に大事だ。物語が破綻していたらどれだけ画力があっても漫画としての体を成さない。描く前が重要だ。

 

「船倉くん、使えそうな場所とか知ってる?」

「……無いな」


 私も知らなかった。他の校舎がどうなっているかもまだよく解っていない。一年生だから当然だ。それにもし空いていたとしても勝手に使っていいわけがない。

 自由に使える空間と言えば自習室、図書室、教室ぐらい。どれもダメそうだ。静かにすることが前提の自習室と図書室は論外だし、教室は人目がある。となると外しかない。どっかのカフェで二人っきり……無理無理死ぬ!

 

「津布楽さんも思いつかない?」

「……うん。先生とか誰かに頼るしか――」


 その時、私は思い出した。一人だけ頼れそうな先輩がいることを。


「いた」

「え?」

「一人だけ頼めそうかも。三年の先輩だけど可能性ある」

「お、マジか。津布楽さんってやっぱり人脈広いな。どんな人?」

「すごく、腐ってる」

「は?」

 

 生徒会で副会長を務めるあの先輩なら解ってくれるかもしれない。

 涼しい表情と透き通った綺麗な声で淡々とハードなBLを語る椿つばき先輩なら……!

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