第5話 くれはのお仕置き

 週が明けて九月に入った。

 気まぐれに暑くなる時期のため高校はもちろん、社会全体でもワイシャツがまだ目立った。とはいえ七月や八月に比べれば快適だ。朝八時から猛暑だなんて本当に地球はどうかしている。夏休み期間が登校日だったら毎日誰かが倒れていただろう。

 九月に入ったと同時におれの学校生活が今日から変化する。

 先週の金曜日に津布楽さんが椿先輩に交渉して創作スペースを確保した。だから今日からラブコメ作りが始まるのだ。元々創作したことが一度も無かったので津布楽さんが何を考えながら作っているのか、何に重きを置きながら作っているのかを目の当たりにできるから楽しみだった。


「何から始めようか」


 放課後、おれと津布楽さんは確保した教室にいた。

 大量に長机が置かれているのに使っているのはたった一つだけ。向かい合って座っているわけだが、津布楽さんは頬杖をついてニコニコしているだけだった。なのでおれから話を切り出した。

 

「んー?」

「物語作りだよ、物語作り。津布楽さんが頼んだんじゃないか」

「あ、そうだった」


 このまま日が暮れるまで何もせず見つめ合うつもりだったのか? それはそれで楽しそうではある。津布楽さんはかなりの美少女だから見ていて飽きが来ない。けれど冷静に考えてみれば狂気の沙汰だ。何時間もお互いの顔を見つめ合うなんてオカルトの人体実験としか思えない。

 おれはメモ帳とペンを机に出した。するとそれに倣って津布楽さんは大学ノートと高そうな油性ペンを出した。


「どんなお話にしようかなぁ」

「そこだよな、まずは」

「とりあえず悶えるようなラブコメ描きたいよね~。でも私は男の子と女の子の恋愛は解んないからさ~。船倉くんの恋愛観が頼りだよ~」

「いきなり投げやりか……」


 すると彼女はノートにペンを走らせた。すらすらと迷いなく走る線はすぐ形を成し始め、次第に人物へと近づいていった。


「凄いな。そんなにさらっと描けちゃうのか」

「落書き程度だけどね。ちなみにこれ船倉くんね」

「マジで。何か嬉しい」

「受けキャラとして登場させてもいい?」

「ヤメロォ……ちゃんと君らの専門用語は調べたから今は意味解ってるからな……」


 仕切り直そう。これじゃあ津布楽さんのペースでぐだぐだと時間が過ぎてしまうだけだ。彼女を待つファンのためにもちゃんとした作品を作らないといけない。


「テーマを決めよう。悶えるラブコメじゃあ抽象的すぎるから物語に太い釘を刺すような強いテーマを決めて、それからキャラを作っていこう」

「難しいなぁ。私はガチガチにプロット固めるようなことしてないからむずいー」

「マジすか。じゃあ津布楽さんってどう描いてるんだ?」

「ぶっちゃけ私の描くBLはストーリー重視じゃないよ。私の処女作読んだでしょ? 私の売りはどれだけ『エロいか』だから。もちろんストーリーが神がかってる作品はあるけれど、私の場合はそれとは方向性の違う人気なの」

「画で魅せるってことか……」

「うん」


 なるほど。段々と津布楽さんの実情が解ってきた。

 映画でも似たようなことはある。CG技術、VFX技術に力を入れて視覚的な面白さを追求したものだ。アクション映画に多く散見される。陳腐な展開だったりするが、それはそれでいい。映像美や迫力を売りにしているのだから。


「素敵な恋を描いてみたいなぁ……。欲望だけで理性の感じられない物語じゃなくてさ。ま、それも好きなんだけど」


 おれは過去に観てきた映画を思い返した。

 ラブコメや恋愛と言っても他ジャンルの要素が含まれていることが多い。SFを絡めたもの、ホラーを絡めたもの、ファンタジーを絡めたものなど様々。非常にミックスしやすいジャンルだから何にでも合う。そもそも愛や恋といった概念は人間、もしくは人間的なモノを作中で動かすための原動力として、とても有用性の高い要素だから相性が悪いはずがない。

 そしてその人間が作り出すドラマは対立か協調しかない。この二つの原因の多くが極端な話、好きか嫌いかという感情によるものだ。やはり愛や恋は物語の根本だ。

 つまり「ラブコメを描きたい」だけでは作品を象るための材料が少なすぎる。


「津布楽さん。じゃあ世界観からにしよう。過去か、近未来か、現代か」

「そりゃ現代だよね。うーん、学園でもいいし、社会人ものでもいいし……」

「社会人の恋愛なんて難しくないか? 高校生の俺たちにはさ」

「それはあるかもね。ぼろが出そう。じゃあ私たちみたいに高校生がぴったりかも。制服も描き慣れてるからそれでいこっか」


 おれはメモ帳に記録していった。タイトル未定で世界観は現代の高校、ジャンルは一応ラブコメ、と箇条書きで書いていく。

 こういった行為はおれの癖だ。映画のレビューをするつもりで鑑賞するときは必ずメモ帳とペンを用意する。印象に残ったシーンやテーマ、伏線、台詞、用語等を記録する必要があるからだ。それを怠ると一時停止と再生を視聴後に何度も繰り返すことになる。

 メモし終えると津布楽さんが席を立って背伸びし始めた。ぐーんと背筋を伸ばし、胸を張って弓形に身体を反る。スタイルの良さが際立った。


「背筋を伸ばすと頭の中がすっきりするの。描く前はいつもこうしてるんだー」

「確かにすっきりしそうだな」

「さて、考えましょっか。でも期間を設けない? 三日後までとか今週中とか。無理に急いでも詰めの甘いのしかできないと思うから」

「それもそうだ。じゃあとりあえず木曜日の放課後までに大まかな概要を話せるくらいにはしよう。金曜日にはさらに練って、土日は各々細部の設定を考える。現代、ラブコメ、高校の三つを主眼にしてな」

「解った。それでいいよ」


 随分軽いなぁと思ったが目の前にいる女子高生は紛れもなくプロなのだ。創作でお金を稼ぐプロなのだからおれが過度に心配したところで彼女にとっては有り難迷惑だろう。経験も創作力も段違いに彼女が上だ。

 あくまでおれはサポート。自分の持っている力で助言をするだけであって彼女より前に立ってはいけない。

 それから沈黙が続いた。津布楽さんはペン回しをしながら虚ろな目で窓の外をずっと見つめる。きっと頭の中ではあらゆる架空の世界が浮かんでは消えを繰り返しているに違いない。

 ただ静かに街並みを眺めているようにしか見えないかもしれないが、確実に新しい世界が生まれようとしていた。





「んああああー!」


 津布楽さんは突然発狂した。両手を上に伸ばしてぎゅっと目を瞑るとまた唸って苦しみ始める。全く考えが煮え切らないという主張らしい。

 そして最後はつんと鼻を上に向けたままになってしまった。


「何も思いつかなそうか」

「思いついてはいるんだけど、ありきたりというか、衝撃さが足りないというか……」

「例えば?」

「家族同然の幼馴染みと主人公の話。それぞれ高校で好きな人ができて報告し合うんだけど、二人ともどうしても嫉妬しちゃって……恋の対象としていなかったはずの幼馴染みのことが本当は好きって気持ちに気付い――船倉くん? 何でそんな険しい顔してんの?」


 ラブコメとしてはかなり王道というか悶えそうな話で良いと思う。それに津布楽さんの絵が加われば最強なのではと思った。

 それとは関係ないことで一つ思ったことがある。


 津布楽さん、恋愛が何たるかを知ってるのでは?


 おれが彼女の創作作りに協力することになったのは、彼女が男女の恋愛を知らないのとおれの作品を評価する能力、の二点だ。

 後者はいいとして、前者の恋を知らないという設定はどこにいったのだ。彼女がさらっと口にした概要からはめちゃくちゃ恋の匂いがした。あれがラブコメじゃなければ何なのか。

 もしかして津布楽さんは――


「――成長した?」

「ほえ?」


 津布楽さんはこの短期間で成長したのではなかろうか。

 何があったのかは解らないが、恋愛観というものを学習して人を恋することができるようになったのではないかと思った。彼女にとって未知の概念だった恋をようやく知ることができたんだ。良かったなぁ。


「津布楽さん。おめでとう。恋がどういうものか解ったんだな」

「え? 恋、というかいきなり何の話をッ――!!」


 とぼけた表情をしていた彼女は激しく咳き込み始めた。自分の肺でも吐き出そうとしているのかと思うくらい激しかった。


「エホンッ! エッエエエッホン!」

「喉壊れるぞ……」

「ンッ、ンンンンッ!! あのッ! 私まだ恋とか知らないからッ! ぜんっぜんわっかんないからッ! ただそのあの、こ、こういう感じかなって思って言ってみただけだから! 好きとか解んないし幼馴染みなんて何それってレベルだしッ!」


 おそろしい早口だった。あらかじめ録音した音声を早送りしているのかと疑うほどだ。

 これ以上何も喋るなという圧も感じられる彼女の迫力におれは閉口した。一言でも反論を投げれば胸ぐらでも掴まれるかもしれない。現に彼女は身を乗り出し、今にも暴れそうな右腕でこちら側の机の縁を掴んでいる。机を投げる気か?

 おれは降参と無抵抗の意思を表明するため両手を挙げた。空手少女に勝てる気がしない。それに戦ったとしてもおれは眼鏡を割られた時点で死亡確定だ。視界が奪われたら明日から黒板の文字は全て抽象画と化してしまう。


「私は恋が解らないから船倉くんに頼んだんだからね!? オーケー!?」

「オーケー……」

「はいよろしい! でも船倉くん。私は今ぷんぷんです」


 ぷんぷんって何だよ。


「船倉くんにはお仕置きが必要です」

「え、津布楽さん?」

「お、し、お、き。お仕置きを受けてもらいます」


 お仕置きと聞いて当然ポジティブには考えられなかった。

 津布楽紅羽ことBL漫画家くれはの処女作を読んで、彼女が考える『お仕置き』というものが何なのかはしっかり目撃した。スパダリ(スーパーダーリンの略)設定のイケメン上司に主人公がキツいお仕置きをしていたのだ。おれには恐ろしくて恐ろしくて……。話す勇気など毛頭無い。

 血の気が引き、微笑む彼女が悪魔の使いにしか見えなかった。

 お仕置きは嫌だ、お仕置きは嫌だと心の中で復唱し、下る審判に怯える。目を閉じてどうか謝罪だけで済みますようにと祈っていると津布楽さんの含み笑いが聞こえた。


「私の恋人になってもらいます」


 それは耳を疑うお仕置きだった。

 

 

 

 

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