第6話 疑似恋愛
【恋人】こいびと。
恋しく思う人。相思相愛の関係にある人。恋愛関係にある者。
辞書やネットで意味を調べるとそのように書かれていた。
もちろんこの二文字構成の単語の意味が解らなかったからではない。今更ながらこの二文字の意味を自分が間違って覚えているかもしれないと思ったからだ。
結局その不安は杞憂に終わった。おれはちゃんと正しく記憶していたようだ。
だが津布楽さんは間違えて覚えているかもしれない。恋を知らないと言い張る彼女が「恋人になってもらいます」と発言したのだ。ちょっとした矛盾を感じざるを得ない。それと彼女は「変人」と「恋人」をごちゃまぜにしている可能性だってある。部首の「心」と「夂」が違うだけでとても似ている……気がする。いや、全く似てない。十五年も日本人をやっていたらこれは大きな違いだとハッキリ気付くはず。それに「変人になってもらいます」だとしても意味不明だ。
やはり彼女は意味を解っていてそう言ったのだろうか。
おれは昨日の放課後で起きたことがあまりにも衝撃的で、午前中からずっとぼんやりしていた。
「おい静真。ボケッとしてる暇があるならおれがオススメしたアニメ観ろよ」
彼はアニメ以外に語れることはないのだろうか。
三度の飯よりアニメ、アニメなしには夜も日も明けない。そう言う喜太郞に「円盤でも食って暮らせよ」と以前冗談ですすめてみた。するとあろうことか彼は「一体化、か……」と関心を持ってしまった。
何を言いたいかというと、やはり彼はアニメ以外に語れることがないということだ。おそらく彼からアニメを取り上げたら骨も残らない。
「お前がハーレムものに手を出さない理由は解る。でもな、観てみれば魅力に気付くぞ。簡単に気持ちよくなれる。苦しみなんてない。可愛い女の子に無条件で愛される楽園の世界で自己投影してみろ。トぶぞ」
「違法薬物でも誘ってるかのような物言いだな」
「一緒にトぼう。ソロは寂しいからな」
「ソロはお前だけだ」
喜太郞はいつもの調子だった。
この能天気な彼の性格がうらやましい。対しておれは津布楽さんの言葉一つで動揺してしまうほど繊細だった。
「悩みならこの松本喜太郞が聞いてやる。ほら、言ってみろ。言うのはタダだぞ。今だけな。明日からは有料だからな」
「たちの悪い言い方だな……。別に何もない」
「おいおいおい、隠しても無駄だぞ。おれは静真の友だちを何年やってると思ってるんだ」
「半年だな」
「半年……。うん、半年だな。でもそれがどうした! 確かに現世はまだ半年だが、前世はどうだ!? 覚えてるだろ!? おれとお前がどんな出会い方を――」
ピタッと口が止まり、喜太郞はフリーズした。
女の子の接近を感じ取ったようだ。
「船倉くーん。あれ、お話中?」
「いや、今終わった」
「また松本くん石みたいになってるし。そんなに私が怖い?」
仕方が無いんだ。彼は魔法使い同盟を意地でも守り抜くつもりだから何を言っても無駄だ。松本のご両親は学校での彼を見たらどう思うだろう。きっと悲しみしか生まれないな。
津布楽さんは視線をおれに戻した。
「放課後どっか遊びに行こうよ。勉強になると思うし」
「いいけど、勉強って?」
「それ言わせる~?」
「マジで解らないんだが……」
彼女はおれの耳元に顔を近づけた。ふわっと柔らかい女の子の匂いが頬を撫でて漂う。これがフェロモンというやつだろうか。ヤバいですね。
「恋人がどういうものか教えてくれるんじゃないの?」
彼女は周囲に聞こえないボリュームで囁いた。
いや、聞いてませんが。恋人がどういうものかを教えてなんて一言も聞いておりませんが。
「初耳だが」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
言ってません。昨日、あなたは「恋人になってもらいます」というお仕置きの内容をおれに告げると赤面して教室から飛び出て行きました。戻ってくるかと思ってとりあえず待ちましたが、あなたは戻ってきませんでした。
「ごっめーん。言葉足らずだったかな。ということだから今日は付き合ってね」
戦慄するほど言葉足らずですよ。おれのドキドキを返してくださいよ。「恋人」の意味を調べた時間を返してくださいよ。
やはり彼女は恋を知らないらしい。喜太郞、おれも女性恐怖症になりそうだ。
過去の全てが創作に活きる。
放課後、二人で昇降口へと向かっているとき唐突に彼女はそう語り始めた。過去の経験、記憶、感覚は無意識に作品に反映されるらしい。だからこそ全ての経験が無駄になることはないので率先して未知の世界に足を踏み入れるべきだ、という旨を聞かされた。
高尚な話もするんだなぁと思った。彼女の創作論はすっと抵抗なく同感でき、聞いていて飽きが来なかった。
良い機会だからおれは個人的な質問をしてみることにした。
「いつ頃からBL読み始めたんだ?」
「うーん、小四かな」
随分と早いな。小学四年生には過激すぎると思うのだがまぁ津布楽さんならあり得るか。
「偶然の出会いだったなぁ。深夜にトイレで起きてね。真っ暗な家の中を怯えながら歩いてたら台所から光が漏れてたの。見てみたらママがしゃがんで何か読んでた。正直その時は怖かったからバレないように自室に戻ったんだけど、後日親がいない日を狙って台所の床下を開けてみた」
「まさか……」
「まず目に飛び込んできたのは災害用備蓄。缶詰、パック、水とか大量にあった。でも私は絶対に何かあると確信してた。だから全部出したよ。そしたら収納庫の最深部にあったんだよ、大量のBLがッ!」
「お母さんが気の毒すぎる」
「半日ずっと読みふけったね。もう私は完全に目覚めてた。腐女子として覚醒したの。この世にはこんなにも素晴らしい芸術があるのか、と! 蛙の子は蛙だね」
津布楽さんはガッツポーズをして意気揚々と歩き続ける。昔の高揚感を思い出したせいか、瞳が爛々と輝いていた。
「お母さんにはバレたのか?」
「うん。というかその日に。時間を忘れて夢中になってたらママとパパが帰ってきちゃった。ママ、いきなり『ギャアアアアア!』って絶叫しだすからビックリしたよ。あの絶望した顔は忘れられないね」
「悲劇だ……」
「それから私の生活は一変して今ではこうなりました。まぁママは喜んでたからこれで良かったけどね。隠して生きるの辛かったらしいよ。だから今はみんなハッピー!」
ハッピーエンドで良かった。津布楽さんのお母さんはさぞ苦しかっただろう。きっと子育てや仕事で追われる日常の、唯一の癒やしだったに違いない。もしかしたら娘が成長して余裕ができるまでずっと封印するつもりだったのかもしれない。
娘さんが立派に成長して良かったですね、ともし会ったときには声をかけようと思った。
おれたちはとあるゲームセンターに到着した。
「津布楽さんってゲーセン来るんだ」
「たまにねー。じゃあ船倉くん。疑似恋愛を始めましょう」
「ぎじれん……何だって?」
「私は恋を知りません。だから船倉くんは『これが恋だ! これがデートだ!』と私に教えなければなりません」
「はぁ」
「最初に言ったけど、過去の全てが創作に活きるんです。私はラブコメを描くためにたくさんラブリーなことをしなきゃダメなんです」
「おれ以外でもよくないか?」
「君じゃなきゃダメなの」
「え?」
「ぁっ――」
津布楽さんは小さく声を漏らした。細い指を口元にもっていき、目が大きく丸く広がった。その少女漫画みたいなセンシティヴな反応におれは一瞬戸惑う。
おれはどのように反応し返せばいいのだろう。あたかもおれが恋を知っているというような口振りで彼女は繰り返し「恋を教えて」と言ってきたが、おれも大概同じだった。人並み以上に恋愛経験があるわけでもない上に誰かと付き合って恋愛関係を結んだこともない。だからこうして言葉に詰まる。
結局、おれも恋を知らないのだ。
「むんっ!」
彼女は急に翻ってパンチングマシーンに強烈な突きを食らわした。大きく開いた脚のももは筋張り、突きを繰り出した勢いで彼女の赤茶髪は鳥が羽を伸ばしたように宙で舞った。
流石お強い。バゴンッという大きな音は近くにいた客の目を奪い、視線を彼女に集中させた。
「な、なんで測定されないの!?」
「そりゃお金入れてないからな」
「あ、そっか……」
津布楽さんは恥ずかしそうに俯いた。
その彼女らしくない様子を見るのが嫌だった。いつもみたいにはっちゃけていて元気いっぱいのお気楽女子高生の方がいい。おれは百円を財布から取り出して腕をまくった。
「津布楽さん。男の力を見せてやろう」
百円を入れ、画面のアニメーションが動き出す。ちなみにおれは力が強いわけではない。さらにこういったアクション系のゲームはやったことがない。
正直怪我が怖かったがやらなくちゃダメだ。だってデートっぽいじゃないか。彼女に良いところを見せようと頑張る彼氏、彼女を愉しませようと一肌脱ぐ彼氏、みたいでまさに彼女が望む恋愛だと思う。疑似恋愛という前提は忘れて恋人同士だと思ってやった方が彼女のためになる。
おれは渾身の一撃を放った。
「え、船倉くん雑魚すぎでしょ」
おれは最初のステージでゲームオーバーだった。どうやらおれの攻撃力ではスライムすら倒せないらしい。
でも津布楽さんはお腹を抱えてゲラゲラ笑っていたので結果オーライだ。
「殴り方が解ってないんだよ~。力任せに突く時はね、こうして片足を出して肩ごと前に突き出すの。無理矢理押し込むイメージ」
「詳しいんだな」
「そりゃあ九年間人を蹴って殴ってトロフィー獲得してきてるからね~。船倉くんなら左手で十分だね」
誇らしげにそう言うと、コンティニューしてスライムを弾き飛ばした。親指を立ててドヤ顔になったので「すごいすごい」と賞賛の拍手を送ってあげた。
次々となぎ倒していくその姿は勇ましかった。『紅羽』という響きも見た目も格好いい名前は彼女のためにあったんだなと思うほど気高く美しかった。
「う~楽しかったぁー! 鞄ありがとー」
満面の笑みを咲かせた彼女はやっぱり可愛い。未だに彼氏無しでフリーなのが信じられないくらいだ。
預かっていた鞄を手渡すと次はクレーンゲームエリアへと連れられた。
お菓子、フィギュア、小さな家電など様々な商品がクリアケースの中で並んでいるこの光景こそ、まさにゲーセンだ。そしておれは割とクレーンゲームが得意だった。中学時代に友人と通ってコツを掴んだのだ。
「はひゃ!! ペンギンのぬいぐるみ!!」
津布楽さんは大きなコウテイペンギンのぬいぐるみに釘付けになった。ケーキに涎を垂らして魅入るスイーツ好きの女子みたいにべったり手をガラスに貼り付けた。相当欲しいらしい。
「津布楽さんってペンギン好きなのか」
「大好き! 可愛いもん!」
「そういや部屋に赤ちゃんペンギンのぬいぐるみが置いてあったな」
「丸っこくて可愛かったでしょ! あぁ~癒やし~」
おれは再び財布を取り出した。しょうがねぇ、男を見せてやろう。
「もしかして取ってくれるの!?」
「勿論。クレーンは得意なんだ。それに彼氏っぽいだろ?」
「うえ~それ言っちゃう? そんなに彼氏彼女を本格的に演じたいなら呼び捨てにしようよ」
「それは……ハードル高いな……」
「高くない! ほら、私のこと呼び捨てで言ってみて!」
これから全神経を集中させてコウテイペンギンを取るつもりだったのにここで動揺させるか。マインドセットをしっかり行えば取れないものはないというのに……。
おれは百円玉をつまんだまま息を大きく吸った。
「紅羽……さん」
「さんは、い、り、ま、せ、ん~。疑似恋愛なんだから気にすることないのにー」
「津布楽さんで呼び慣れてるからなぁ……」
「だめー。私のラブコメ作りのために頑張ってよ。彼氏っぽく格好いいこと言ってみてよー」
おれは自分を暗示した。これは疑似恋愛でただの演劇にすぎない。用意された台本を読み上げるだけだ。そこに本当の感情はない。
強くそう言い聞かせながら過去に観てきた数々の作品を脳裏で再生した。膨大な台詞を参考にし、高校生のカップルを条件にして文章を構築していく。
焦るな、平然とした態度で言えばいいんだ。おれは覚悟を決めて役者になった。
「紅羽。お前のために取ってやるよ」
彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて台詞を吐いた。
我ながら吐き気がするほど気持ち悪い。おれが拳銃を所持していたら即座にこめかみをぶち抜いていただろう。それくらい恥ずかしかった。
だが津布楽さんの反応は予想に反していた。
「やば、エモすぎぃ……」
涙目になっていた。いったい恋って何なのだろう。
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