第18話 お尻、見せてもらってもいいですか

 不安になってしまうほど幸せだった。

 今年一年どころか、五十年分くらいの幸せを一度に味わってしまったと思うくらい私は幸福感で満ち満ちていた。好きな人から「好き」と告げられるとこんなにも奥底から身体が温まるなんて驚きの新発見だ。毎日船倉くんに「好きだよ」とか「心の底から愛してる」って言ってくれれば私は生涯無病息災だろう。愛って素敵。ほんと好き。

 その贅沢な毎日を送るためにも今後の船倉くんとの接し方を改めて考え直す必要がある。もっと私を深く好きになってもらいし、定期的な――本当は毎日がいいけど――デートも恋人ならではの内容がいい。

 船倉くんから貰ったペンギンを股に挟んで抱きしめ、私はそんな妄想をしていた。土曜の午前中だ。未だに昨日の余韻が残っていてずっと布団の中でぬくぬくしながらその残滓を味わっていた。

 時刻は十時を過ぎている。

 あと二時間くらいこうしていようと思っていたが用事を思い出した。私はバッと起き上がってすぐ外出の支度を開始した。急がないと待ち合わせに遅れてしまう。


 若干肌寒い日だったのでトレンチコートを羽織り、小走りで街中心部に向かって歩いた。時間的にちょうど間に合いそうだ。少し癖の付いてしまった髪を指で梳きながら足を進めた。

 約束の数分前に待ち合わせ場所のファミレスに到着した。入店して店内をぐるりと見渡すと手を振るかのんの姿が目に入った。


「ごめん遅くなった!」

「紅羽、ぎりぎりセーフ!」


 席にはかのん、椿先輩、松本くんがいた。


「やっと来たか、津布楽紅羽。浮かれてんじゃねぇぞ」

「ご、ごめん……」

「ハハッ! 立場が逆転するってのは気持ちがいい! そうだよなぁ、おれが考えた案は最高だった。数日間苦しみ、悩み、葛藤して辿り着いた真実の愛! お前が静真と結ばれたのはおれのおかげと言っても過言ではない! むしろ十割おれのおかげだ! ひれ伏せ!」

「うぅ……。悔しいけど何も言えない……」

「もっと悔しがれ! もっと悔しがッ、ウッ!!」


 松本くんの向かいのシートに座っていたかのんがテーブルの下で蹴りを入れた。脛を蹴ったようだ。松本くんは口を開けて悶絶したが周囲の目を気にしてか、絶叫はしなかった。マナー的なところはちゃんと心得ているらしい。私は空いているかのんの隣に座った。

 椿先輩は自分の隣で苦しんでいる松本くんを見て「気持ち悪いわねぇ」と悪態をつくと私にメニュー表を差し出した。


「もう私たちは決まっているから。紅羽が決まったら呼ぶわ」

「解りました」


 さらっと見た後に店員を呼び出した。私はカルボナーラを注文した。先輩もパスタでかのんはドリア、松本くんはハンバーグだった。

 店員が去ると早速先輩が話を切り出した。


「では作戦会議を始めましょうか」

「作戦会議? 何のことです?」


 この集まりは私をお祝いする場だと聞いている。というか昨晩、先輩からのラインでそう連絡が来たのだ。


「アニオタくん。説明を」

「了解、副会長」


 先輩と松本くんはもう上司と部下の関係になっていた。もうこの光景は見慣れていたので驚きはしない。もはや日常風景だった。

 しかし今になってこの場の違和感を覚えた。しれっとごく当たり前かのようにかのんがいる。いつからこの二人に関わっていたのか全く解らない。昨日の屋上で松本くんと口げんかをしていたところを見て、何となく関わりがあったんだなぁと思っていたが一切私の前では話をしなかった。

 

「津布楽紅羽。とりあえず、おめでとうと言っておこう」

「ありがとー」

「さて。お前と静真を結びつけるシナリオはな、まだ完全には終わっていない。アフターストーリーを残している」

「え、まだ何かあるの?」

「ある。だがこれについてはお前がどう思っているかが重要だ。それでだ。お前、静真としてみたいことってあるか?」


 船倉くんと一緒にしてみたいことなんて膨大にある。というか全てを一緒に経験して一緒に過ごしたい。どれかって訊かれたら逆に選別に困ってしまう。

 こめかみを押さえて悩んでいると先輩がため息を一つ漏らした。


「焦れったいわねぇ。ここまで来て清楚ぶっても吐き気がするだけよ」

「清楚って……、そんな気はありませんが……」

「ヤりたいならそう言えばいいじゃない」

「!! あんた馬鹿でしょ!? そういうことを公共の場で発言すな! この性欲ババア!!」

「私、あなたの先輩なんだけどなぁ……」


 先輩は遠い目をして悲しんだ。一生そうしていてください。先輩は黙っていればクールビューティーとして羨望の眼差しを集められるのに、口を開いた途端ただの非常識な腐敗者に堕ちる。本当に勿体ないしがっかりだ。

 

「副会長、流石におれもドン引きです。子連れの客もいるんですから自制してください」

「そうね、悪かったわ。じゃあ紅羽、キスは?」


 キス。接吻。チュー。口づけ。

 船倉くんとべろちゅー……。

 

「顔赤くなってるわよ。あなた何を想像してるの」

「キ、キス……」

「そうよ。ドロッドロに溶け合う濃厚なキスを眼鏡くんとしたい?」

「ど、どろどろ……」

「副会長。表現に悪意がありすぎます。何度も言いますけど、周りの目を気にしてください。これ以上暴走するなら、おれは強硬手段で副会長を店から追い出します」


 そんなの、したいに決まってる……。

 好きな人とキスしたいなんて当たり前の欲求だ。私が何度脳内シミュレーションをしてきたことか……。何度妄想して絵に描き起こしてきたか……。

 

「先輩、でも大丈夫です。もう先輩たちに頼らなくてもやっていけます」

「ならいいけれど。私たちもそろそろ幕引きかもしれないわね。もう紅羽と眼鏡くんは運命共同体のようなものだから私たちが運命を操作するなんてことは愚かでしかないわね」

「そこまで深い関係にはまだなっていませんが……、まぁお気持ちだけ有り難く受け取っておきます。それはそうと、かのん。いつから関わってたの?」


 かのんは松本くんを指さした。


「おれが二日前の木曜日に小蔦かのんと接触した」


 木曜日と言えば朝から船倉くんと険悪な雰囲気になってしまった日のことだ。

 かのんへの告白は私の勘違いで、あれは演技の練習だと彼は主張した。言葉の上では解決ということにしたが完全に納得はしていなかった。


「本当に静真が私に告ってきたのかをこの豚が訊いてきたの。適当に演劇の話をまたしたら紅羽と静真をくっつける作戦を莉子りこ先輩とやってるって言い出してさ。あぁなら本当のこと話してもいいかなって思って。あんたが二年の先輩に告られたって話が嘘で、作戦の一環なのもそこの豚が教えてくれた」

「そんなことがあったんだ……。その、本当のことって何?」

「放課後にグラウンドでやってたことは紅羽への告白練習だよ。あいつが紅羽に好意を持っていたのは前から気付いてた。そんな時に二年の先輩に取られるかもって話を聞いたからヤバいと思って、先を越される前に静真に先手を打たせようとしたの」

「えっそうだったの!? あれってそういうことだったんだ……」

「そう。私と静真、莉子先輩と紅羽と豚で知らずのうちに対立してたってわけ。人間って面倒くさいね~」


 それぞれの思惑がうまく噛み合わなかったということだった。

 二人の話を聞いてほっとした。私は若干かのんに負い目を感じていたのだ。もし、かのんが船倉くんに惹かれていたら私は横から突然現れた泥棒猫だ。彼のことを何とも想っていないと断言はしていたけれど心ではどう思っているかは解らない。ずっとそれが引っかかっていた。

 

「じゃ、じゃあ私は遠慮なくいっちゃっていいのかな……」

「遠慮? もしかして私に? だから私は静真のこと好きでも何でもないって言ってんじゃん! 趣味が合うってだけで何でもないって!」

「ごめん。変に気を遣わせちゃって……」

「謝んなよ紅羽ぁ~。あんたは静真とヤることだけ考えてればいいんだからさ!」


 かのんは私の背中をさすって励ました。先輩もかのんも言い方がストレートすぎる。松本くんは「お前も追い出すぞ!」と先輩の時のように怒り、対してかのんは中指を立てて睨み付けた。この場においては松本くんだけが唯一真面かもしれない。

 みんな癖が強いなぁとしみじみ思った。


 ファミレスで昼食を終えると松本くんは去って行った。女子三人とぶらぶらするのは流石に堪えるものがあるのだろう。


「紅羽って静真の家知ってるー?」

「ううん、知らない」

「なぁんだー。知ってたらとつろうと思ったのに」


 行ってみたい気持ちはあったけれどまだ言い出せる関係ではなかった。それに放課後に集まると決めていたから彼の家を訪ねる機会はなかった。

 私たちの話を聞いた先輩は目を輝かせた。


「それ良い考えね! あの眼鏡くんは絶対むっつりスケベだから相当色んなもの隠し込んでるに違いないわ。親バレしないようにコンビニ受け取りで大人のおもちゃをいっぱい買ってそう」

「ですよね~! あいつ、いつもクールぶってますけど紅羽のパンツとか見たそうにしてますもん。私と話すときなんかいっつも胸ばっか見てるんですよ?」

「やっぱりスケベ野郎だわぁ。よし、決まりね。紅羽、電話してちょうだい」


 私は冗談だと思って薄笑いした。しかし二人は立ち止まって私に期待の目を寄せる。冗談ではなく本気らしい。


「や、やめましょうよ。突然は迷惑だと思いますし……」

「電話して許可を求めるのだから大丈夫よ。突然じゃないわ」

「でも、私……、まだ心の準備が……」

「あぁもう面倒ね。私が電話するわ」


 先輩はマジでかけやがった。私は手を伸ばして先輩のスマホを取り上げようとしたがかのんに抱きつかれてあっけなく阻止された。船倉くん、お願い。永眠してて……。


「もしもし、副会長です。突然悪いねー、今大丈夫?」


 繋がってしまった。私はもう諦めて運命に身を任せることにした。


「暇じゃない? あなた今後死ぬまで暇でしょ? 家にお邪魔したいんだけどいいかしら。え、嫌だ? こんなに美人なお姉さんが行くのに断るわけ、男が小さいなぁ。ついでに紅羽とかのんも行くわ。どう、凄いでしょ? ハーレムよ、好きでしょハーレム。好き放題できるわ。だからね、早く住所教えなさい。何渋ってんのよー、教えないとお姉さんぷんぷんだぞー。……気持ち悪いって、本気で言ってるなら殺すわよ。もう怒ったわ。お尻見せなさい。写真で送りなさい」


 話が大分違う方向へと進んでいる。お尻見せなさいって、それはもうダメですよ先輩。先輩が男の子のお尻が好きなのは知ってますけど現実で求めたら終わりです。

 

「だからお尻の写真送ってくれたら許すわ。えぇ、今回は諦めるからせめてお尻をちょうだい。あーあ、紅羽が残念がってるわぁ。別にアダルドクッズ持っててもからかいやしないわよ。そんなものが可愛く思えちゃうくらい過激なのをこっちは読んでるんだから。はい、はいそうね。いつかお邪魔させてもらからその時まで整理しとくのよ。じゃあ」


 どうやら船倉くんの家に突撃する計画は失敗に終わったらしい。本当に良かった。お洒落も不十分でシャワーも浴びていないのにお邪魔なんてできない。行くならせめて完璧な状態で会いたい。

 

「ダメだったわ。お忙しいですって」

「良かったです」

「良くないわよー。折角ご両親にご挨拶できるチャンスだったのに。今のうちに自分の顔を覚えてもらっていた方がいいわ。どうすんのよ、眼鏡くんの親が子離れできないモンスターペアレントだったら。打ち解けるまで時間がかかるわ」

「どうしましょう……」

「まぁいいわ。今度追跡して暴いてやる。……おや、来た来た。早速送ってきたわねぇ」


 先輩は表情を崩して女の顔になった。どこまでも性に関して貪欲な人だ。いつか船倉くんに手を出しそうだから警戒しよう。早く高校卒業してくださいね。


「……眼鏡くん。意外と好戦的ね」


 先輩の画面には、さっきからずっと要求していたお尻の画像ではなく放課後にBL本をはぁはぁ言いながら読んでいる先輩の横顔だった。本当に自分のお尻を自撮りして先輩に送ったのかと思って焦ったが、船倉くんらしい綺麗な返しで安心した。


「私を盗撮するなんて良い度胸ね。今度パンツ脱がせて撮影してやるわ」

「はいはーい私も協力します! ガムテープで手と足を拘束して口も閉じたらもうこっちのもんですよ! 全部脱がせて写真に収めましょう!」

「いい案ね、かのん。ん~興奮するぅ!」


 言いたい放題の二人を軽蔑する反面、二人が語る光景を即座に想像してしまう自分がいた。船倉くんの嫌がる顔がすごく鮮明に浮かんでしまう。


「ひ、人の彼氏をあれこれ言うのやめてくださいっ!」

「あら紅羽が怒ったわ。でも恥じらってて全然怖くないわよ」

「うぅ……、変態な自分が恨めしい……」

「今更じゃない。BL過激派組織の漫画家・くれは様が言っても滑稽よ」


 そう、どう見繕っても私は変態だ。今更清楚ぶっても確かに百年遅い。

 その時悪い予感がした。かのんは私がBL漫画家であることを知らない。私は油の切れた駆動の悪いロボットみたいに首をぎぎっと捻ってかのんを見る。


「え? 紅羽って漫画家なの?」

「い、いや、違くて、その……」

「先輩、どうなんですか?」

「スーパーエゥロォイBLを描いてるわ。超尊敬してる」

「もうやめてぇえ!!」

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