第12話 ラブコメ的展開

 隣が気になって映画に集中できないと思っていたがそんなことはなかった。内容が非常に良かったからだ。すぐ意識をスクリーンに投入でき、あっという間の二時間で片時も目を離すことができなかった。

 

「静真、最後泣いてたでしょ」

「バレたか」


 小蔦さんの指摘通り、おれは最後の最後で泣いた。今までチェックしていなかったことを後悔したほど良い映画だった。情報収集を怠っていたとして深く自省しよう。

 おれたちはファストフード店でハンバーガーを食べながら余韻に浸っていた。やはり良い映画というものはエンドロールの流れ始めが違う。感動が波となり、頭の中で延々と波紋を打ち続ける。この夢心地な気分がたまらなくいいからおれは作品を漁り続けるのだ。


「でも良かったよね。私も満足」

「かのんには頭が上がらない。誘ってくれてありがとう」

「いえいえ~。こっちこそ付き合ってくれてありがと。意外と静真って感受性豊かなんだね。私も泣きそうになったけど結局こらえちゃった」


 泣きそうなときは泣いた方がいいのだ。感情を引き出すことが作り手の目的なのだからそれに応えられるなら応えた方がいい。

 

「私、あーいう人間の内面性を描いた映画が好き。失望ばかりさせられるけど本当は美しい生き物なんだ、人間は美しくあるべきなんだっていうメッセージにめっちゃ共感する」

「解る気がする」

「バイトしてるとさ、ホント思うんだよね。自分のことを神様だと思ってる人たちってすごく多い。何でそんなに横暴で気遣いのない行動が取れるんだろうってがっかりさせられる。醜い生き物にわざわざ成り下がって何が楽しいんだろう」

「それが人間ってもんだろ。動物的な欲と理性が二十四時間いつも脳内で拮抗してるんだ。少しくらい傾いても仕方がない」

「それもそうかもねぇ~。じゃあ禁欲がもっとも美しい人間の姿かもね。でも我慢してちゃダメか。やっぱり最終的には生き物を辞めなきゃダメだね」


 中々とんでもないことをおっしゃるなとコーラを飲みながら思った。

 しかし自分でメンヘラっぽい姿と言っているくらいなのだ。多少闇深くても何らおかしくない。


「この後はどうするんだ?」

「映画観る前に言ったじゃん。君をお洒落くんにするって」

「あれは冗談じゃないのか。別にいいって。このままでいい」

「ダメです。君はお洒落にならないとダメなんです」

「何だよその頑なな意思……」


 彼女は指さし代わりにつまんだポテトを突きつけた。何が彼女を駆り立てているのか見当も付かなかったが激しく断ることもできないおれはただ従うしかなかった。

 

 洋服店に到着。

 これから採寸なり試着なりを強制的にさせられるんだろうとおれは気が滅入っていた。デートっぽいから創作に役立つとは思うがこんなにも気疲れするとは、全国のラブコメ主人公はご苦労様です。

 しかし、おれは荷物持ちになっていた。

 季節物の新作が大量に出ていたそうで、小蔦さんはおれにカゴを持たせて飛んでいった。巨大な鏡の前で服を自分に重ねては戻し、おれに「似合うかな」と訊いてきてはまた違う商品に手を出し、と大変忙しかった。

 レディースエリアにいるこの現状もおれにとっては一大事だった。普通に女性下着が展示されている上に、周りはもちろん女性客だらけだ。たまに通りかかるカップルが心の支えだった。赤の他人の男性が世界で唯一の仲間だと錯覚するほどに。


「これなんてどうかな」

「可愛いと思います」

「さっきから同じ返答なんですけど、しずまぁー」

「そうか? 悪い。とても趣深い」

「古典の授業みたいでヤダ~」


 あ、でもこれラブコメっぽいな。

 自分を可愛く見せるために頑張ってる彼女とその様子を見守る彼氏といった構図だ。スリーサイズがバレてあたふたしたりとかありそう。

 おれはハッとして気付いた。

 これはもはやデートなのでは、と。第三者の目で船倉静真と小蔦かのんの様子を見れば誰だってデート中の高校生と認識するはずだ。

 もちろんそんな気ではいない。これはただ遊んでいるだけであって決して恋愛を目的とした行動ではない。

 

『さては静真殿、異性の友だちってものを信じていると?』


 こんなときに喜太郞の言葉が脳裏をよぎった。お前はいつも面倒なことを言ってくるな。けれど不思議と的を射たことが多いから憎めない。

 どんどんカゴに重みが増していき、片手で持つには厳しくなってきた頃に彼女は服選びを辞めた。


「これでいっかな。ありがとね、持ってくれて」

「持ち帰るの大変そうだぞ。大丈夫なのか」

「ヘーキヘーキ。肩にでも担いで帰る」

「それは格好いいな」

「でしょー? あっ、ごめん! 静真の服選び忘れてた!」

「そのまま忘れててよかったけどな。メンズ雑誌でも買って勉強しとくからいいよ」


 小蔦さんの服選びだけで三十分は荷物持ちをしたのだ。ぶっ倒れてしまう。

 おれは会計コーナーの方へと足を進めた。彼女は渋々だが従ってくれた。


「もー。これじゃあ振り向いてもらえないぞー」


 脈絡の無い言葉におれはとりあえず笑って済ました。大御所芸能人の古い引用に苦笑いする若手芸人のように。あれは見ていてこっちが辛くなる。

 そんな場違いなことを考えていたとき強烈な不意打ちをくらった。


「紅羽が好きなんでしょ? ダメだぞ、もっと頑張んなきゃ」


 今度は引きつって笑った。頭脳は大人の小学生に悪事を暴かれた犯人のように。

 




 自分ことを一番良く理解しているのは必ずしも自分自身ではないらしい。

 その事例を挙げるとすれば『長所』が適当だろう。

 長所とは優れている点ということであるが、ここでは自己アピールにおける長所についてだ。

 受験、就職活動といった場面で行われる面接にはうんざりするほど自分の長所や短所を分析する機会を設けられている。何が優れていますか、何が人間として評価されますか、という自己分析を薄っぺらい紙に書かなくてはならない。

 嘘でも誠でもどちらもでいい。面接官は人の心まで見抜ける超人ではないのだ。どう印象に残るかが重要であって、事実はそこまで重要視されない。

 しかしそう頭で理解していても自分の長所や短所に悩むときがある。自分には長所がないのではと頭を抱える人は決して少なくないだろう。短所ばかり見つかって劣等感に苛まれることもあるだろう。

 そんなときは親しい人に分析してもらうといい。他人がどうして自分の内面を語れるのかと疑問を呈するかもしれないが、意外にもぽんぽん意見を出してくれる。他人の方が自分のことを知っているケースは珍しいことではない。とても不思議だ。

 つまり自分が思う姿は必ずしも他人が見ている自分とは一致しないのだ。


 おれが小蔦さんに問われた質問はまさにその考えの通りだった。小蔦さんの目にはおれは津布楽さんに好意を抱いていると映っているらしかった。

 それでは自分自身に質問してみたらどんな答えが出るだろう。

 でも答えられない。環境を変化させたくない、という弱気な性格のせいだった。


「船倉くん。船倉くーん?」

「あ、あぁ……」

「土日で何か使えそうなネタ思いついた?」

「いくつかは」

「良かった。教えて?」


 おれは箇条書きにしたものを津布楽さんに渡した。

 どこか居心地が悪かった。この広い教室を二人だけで使っている贅沢さか、それとも津布楽さんと二人っきりという事実がそう思わせているのか。いや、どちらもだ。都合の良い話だが、椿先輩、どうか乱入してきてください。

 

「ふぅん。かのんとこんなことしてたんだ」

「うっ……」

「図星? 船倉くんって解りやすいね」

「……でもラブコメに使えるネタだと思うんだ」

「ほぅほぅ。映画館で肘掛けに手を乗せたら重なってしまったハプニング、洋服のお店で彼女の荷物持ち、帰り道で手を繋いでとお願いするヒロイン。ふぅん、ベッタベタのベタの助ってくらいベタすぎるネタだね」

「……ちなみに誤解のないよう言っておくが全部が全部事実じゃないからな。ほとんど脚色してる。かのんと手を繋ぐなんてことはしてない」

「はーいはいはい。まぁ参考にはさせてもらいまぁーす」


 お得意のジト目で対応されたので、どうやらおれのネタが採用される望みは薄そうだ。創作の大変さが身に染みて解った。

 

「津布楽さんはどうだった? 先輩とパフェを食べに行ったんだよな」

「行ったよー。美味しかったなぁ。千五百円もするんだよ? 太ってもいいから毎日食べたい」

「千五百円もするパフェがあるのか……。スイーツの世界は恐ろしいな」

「食べた人にしか解らないよーん。ま、この話は置いといて。よいしょ、キャラデザほぼ完成したから見てみて」


 スケッチブックには二ページにわたって主人公とヒロインの立ち絵や表情が描かれていた。主人公は黒縁眼鏡の似合う爽やかな印象だった。ヒロインは立ち絵では物静かそうな印象だが、表情を二転三転と変え、感情が自然と表に出ちゃう設定のようだった。それがヒロインの魅力ということになっているのだろう。

 それにしてもやはり上手い。キャラクターの身体はとても自然だし、今にも動き出しそうだ。彼女のBL作品の作風とは大きく異なり、一般的な大衆向けデザインとなっていた。求められる世界観に合わせてしっかりかき分ける技術もあるらしい。


「凄いなぁ。着実に物語に命が吹き込まれている感じがしていいな」

「気に入ってくれた?」

「もちろん。興味本位の質問だけど、キャラのモデルとかってあるのか?」

「えうっ、そ、そりゃあモデルを用意するときもあるけど……」

「まぁそうだよな。ちなみにこの二人のモデルはいるのか?」

「主人公は、その……」


 彼女は俯いておれを指さした。


「ぼ、ぼくですか」

「うん……。ごめん、勝手に起用しちゃって……」

「いやいや別に謝らなくていい。逆におれなんかでいいのかよ。嬉しいけどさ」

「うん、いいの……、君でいいの……」


 何だ、何だこの空気は。とてもムズムズして椅子の座り心地がよくない。

 おれは心の中で叫んだ。椿先輩来てくれ、お願いだから先輩助けて!

 

「お邪魔するわ」

「センパイッ!!」


 先輩が暇で良かった。もういつでも来てください。

 いつも通りノック無しに現れた先輩は津布楽さんの隣に座った。


「どうしたの、君。入るやいなや情熱的に私のことを呼んで」

「いえ、忘れてください。ただ思考は現実化するもんだなって思いました」

「意味不明。あら、出来上がったのね。いいわねぇ~」


 津布楽さんの絵は先輩も高評価のようだ。

 この二人のキャラクターがもうじき白黒の世界でラブストーリーを繰り広げる。ここにいる三人だけでなく、これから世界中の人の目に触れるなんて信じられなかった。本当に広くて夢のある世界だ。

 

「紅羽、この二人の名前は決めたの?」

「名前はまだなんです。何か縁のある名前にしようかなって考えてはいるんですがまだ決まっていないです」

「そうなの。確かに名前は大切よね。イメージってものがあるからちゃんと考えないと……、あれ? この主人公、彼に似てない?」

「に、似てないです! 似てません!」

「どう見ても目の前の眼鏡くんをモデルにしてるでしょ。あなた意外と大胆ね」

「変な言い方しないでください!」


 自分で暴露しておいて先輩には嘘をつくこの差異は何だ。やはり女の子は、というよりかは津布楽さんは難しい。

 ギャーギャー言い合う二人を放っておいておれは名前を考えてみた。縁のある名前は何だろう。作品にあやかるのが一番だと思うが、現代学園のラブコメだから結びつけにくい。とすれば親が子に名付けるような感覚が良さそうだな。

 

「そうそう、紅羽。二年の男から告られたんですって?」


 おれは反射的に津布楽さんの顔を見た。何か理由があったわけでもなく、本当に反射的なだけだった。


「はい……」

「もう返事はしたの?」

「まだ考え中です……」


 考え中。

 ごく当たり前のことで口に出すことすら馬鹿馬鹿しいくらい明確なことだが、津布楽さんがその二年の生徒と付き合う可能性があるという意味だった。

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