第13話 練習であって本気じゃない

 津布楽さんが交際を申し込まれた。

 そこまでは何も驚くことじゃない。彼女はもともと好意的な目で見られているので一人や二人、アプローチしてきてもそれはごく自然と言える。

 おれが驚いたのは彼女が返事を決めかねているということだ。

 以前からその二年の男子生徒と交友があったのだろうか。全くそんな気配はなかった。だがおれが津布楽さんと交流するようになったのはつい最近だ。入学から四ヶ月は経っているし、夏休みも挟んでいる。

 返事は今週の金曜日までらしい。今日は火曜日だから残り四日分だ。

 そんな計算をしたところで何だというのか。まるでその猶予期間で行動しろとでも自分に言い聞かせているみたいじゃないか。創作の協力をしているだけの冴えない男が彼女の交友関係をどうこうする権利なんてない。

 そう、理性では解っていた。

 でも本当は嫌だった。津布楽さんが誰かの彼女になるなんて。


「おい、静真。考え事か」

「まぁ考え事だな」


 津布楽さんの件もだが、創作の考え事もしていた。主人公の名前をおれが決めることになったのだ。ちなみにヒロインは津布楽さんが担当ということになっている。

 

「悩みならおれに相談しろよ。おれがどれだけのアニメを観てきたか知ってるだろ? 解決できないことは何一つない。アニメが全てを教えてくれる」

「因果関係おかしいだろ。別に悩みなんか――」


 ない、と言えば嘘になる。

 しかし喜太郞に話すわけにはいかない。津布楽さんとの仲がもっと悪くなってしまう。

 だから嘘をつくしかなかった。


「ない」

「ないならいい。そういや土曜日に小蔦こづたかのんと遊びに行ったんだろ。この裏切り者め。何して遊んだんだ? 場合によっては処す」

「映画観に行ってメシ食っただけだ。処されるほどじゃない」

「いや、しっかり死んだ方がいいぞ。それはな、世間一般で言う『デート』だ。前も言ったけど何で簡単におれを裏切れるの? 魔法使い同盟は? リア充は死ねって誓ったよな?」

「全部知らん」

「ちっ。これだから恋愛脳はクソなんだ。あと次の体育の準備運動、おれと組んでくれ。頼む」

「それが言いたかったのかよ。前振り長いな」


 




「津布楽さん。これ頼まれてた資料」

「うん、ありがとー」


 津布楽さんの様子は普段と変わりない。教室でも小蔦さんと和気藹々としていたし、体育の授業でも性懲りもなく喜太郞と仲間割れしていた。

 少しくらい様子が違っていてもいいくらいなのにニコニコとしている。おれがもし女子の先輩から告られたら一日中思考停止して抜け殻みたいになっているところだ。

 もし彼女の恋を知らない性質がそうさせているなら、その二年の先輩に少し同情してしまう。自分を好きにならないなんて知ったら自分の気持ちは成仏できない浮遊霊のように虚しく彷徨うだけだ。ただただ苦しさが募る。

 やっぱり気になってしまう。彼女は告られたことをどう思っているのか知りたかった。


「その……、興味本位の質問なんだけど……」

「んー?」

「津布楽さんに告ったその先輩ってどんな人なんだ?」

「うーん。格好いい人だよ」

「なるほど……」


 津布楽さんに告白するくらいだ。よほど自分に自信があるイケメンだろう。

 

「どうしてそんなこと訊くの?」

「どうしてって……。ただの興味だよ。津布楽さんが返事に困るくらい素敵な人なら誰だって気になる」

「興味かぁ。まぁそうだよね。これだけ一緒に放課後を過ごしてたら船倉くんでも気になるよね」

「そんなところだ」


 なぜ返事に困っているのか、とさらに話に踏み込もうとした。

 でも口が開かなかった。こんなにしつこく質問したらただの気持ち悪いやつだ。それに彼女個人の問題であっておれの問題じゃない。干渉するだけ迷惑だろう。

 

「ま、まぁこの話はまた今度にしよ? そうだ、主人公の名前考えてくれた?」

「候補はいろいろと……。こんな感じかな」


 すると傍観が答えになってしまう。

 本当にそれでいいのだろうか。いや、干渉は迷惑だと今し方思ったばかりじゃないか。

 早く金曜日になってほしかった。

 

 その日の夜。

 パソコンに向かってブログの記事を書いているとスマホがぶるぶると唸った。小蔦さんからの着信だった。連絡先を交換したものの、特にやり取りはしていなかったからこの唐突なコールに何か意味があるのではと勘ぐる。自分の性格がひねくれ始めていることに苦笑した。


「はい、船倉です」

『おっすー、かのんでーす!』


 調子のいい声色が耳に響いた。


「どうした。何か用か?」

『紅羽と進展あったかなーって思って電話してみた」

「進展って……。そもそも津布楽さんと何を進展させるんだよ」

『うわ、まだしらばっくれるつもり? どう見てもあんた紅羽のこと好きじゃん。紅羽のこと目で追いすぎだし。放課後だって二人でナニかしてるんでしょ? それで情の一つも芽生えないって……、ホントに男?』

「津布楽さんが好きなんて一言も――」

『だからそう見えるって言ってんの! ったくナヨナヨとナメクジみたいにじれったいなぁ。塩ぶっかけるぞ! 大さじ一杯なんて量じゃないからね!?』


 小蔦さんならやりかねないな。

 映画を観に行った日、彼女はおれを激しく問い詰めた。紅羽が好きなんでしょ、付き合いたくないのと洋服店を出た後、緊急会議という名のもと喫茶店で一時間ほど質疑応答された。

 おれは一貫してその質疑に「かのんの思い過ごしだ」と応答した。小蔦さんは津布楽さんの親友でもあるので、そんな近しい人に心の内を伝えるわけにはいかなかった。おれの津布楽さんの想いがどんなものであれ、絶対に津布楽さんに密告されると思っていたからだ。


『あのね。勘違いしてるかもしれないけどね、私としては紅羽が好きなら頑張ってほしいって思ってるんだよ』

「からかってるのか?」

『違うっつーの、ばーか。どっかのチャラチャラした男に騙されるよりかは静真といた方がいいの。もう、こんなことまで言わせる気? あんた結構いいやつだからお似合いだって言ってんの』


 小蔦さんは少し怒っているようだった。こんな面倒な男と通話していたらそうなるのも仕方がない。しかしおれだって言い分はある。

 

「かのんだって知ってるだろ。津布楽さん、二年の先輩と付き合うかもしれないんだ」

『はぁ? ナニソレ』

「知らないのかよ。先輩から告られたらしいんだ。返事は金曜日までに返すらしい。解るか? 津布楽さんは迷ってるんだ」

『それマジなの? 紅羽からそんなこと聞いてないけど』

「津布楽さんの口から言われたことだぞ」

『うーん……。まぁ紅羽なら隠すかもね。じゃあヤバいじゃん。どうすんの、取られちゃうよ』

「どうもこうもしない。関係ない話だろ」

『うわぁ、天涯孤独な人間って静真みたいなやつがなるんだなぁ。あのね、紅羽は君のこと相当気に入ってるんだよ? 気付かない? 男の子と親しく喋ってるのって静真くらいだよ。あの松本とかいうやつとも口喧嘩してるけど、それ以外だと静真しかいない。解る? あんたたち相思相愛の可能性がちょー高い』


 そんなことあるか。相手は恋の「こ」の字も知らないと言い張るBL漫画家だ。それに津布楽さんがおれを好きになる要素なんてないだろう。

 キーボードから手を離して「小蔦かのん」と表示されたスマホの画面を見る。


「もう切るぞ」

『はぁ!? 逃げんな雑魚!! 解った、解りましたぁ。ちょっと明日面貸せ。私が徹底的にこらしめてやる』

「暴力はなしだぞ」

『しーまーせーんー。特訓してやるから覚悟してろ!』





 水曜日。

 昨晩の『特訓』の話を睡眠とともにすっかり忘却していたおれは、登校してすぐ話しかけてきた小蔦さんの不満に満ちた表情の意味をすぐ理解できなかった。

 

「あ、おはよう」

「『あ、おはよう』じゃない! ほら、面貸せって言ったでしょ! 立て! ついてこい!」


 まだ朝の八時五分だというのに元気すぎる。一時限目が始まるまで机でゆっくりと徒歩登校の疲れを取りたいのに小蔦さんは構わずおれを誘拐した。

 連れて行かれた場所はグラウンドの隅だった。朝練に励む野球部やサッカー部の姿が見られるこのグラウンドで何をされるのか見当も付かない。校門からも朝練の人たちからも距離はあるのでジロジロと好奇の目で見られる心配はないが、逆にそれが怖い。何をされても助けが来ないからだ。


「よぉーし。いい天気、いい空気、いい場所!」

「かのん。教室に戻ろう」

「戻りません! じゃあ時間もないことだし告白練習するぞい」

「え? 何だって?」

「私を紅羽だと思って『好きだ』って言うの。もしくは口説いて。マジでその二年のチャラ男に取られちゃうよ」

「地獄のような練習だな」

「地獄でも天国でもどうだっていい。今日か、明日か、明後日で勝負が決まるんだよ? 悔しくないの? 好きな人が誰かと手を握って、誰かとキスしてるなんて絶対嫌でしょ? 私だったらそいつ殺しちゃうよ」


 津布楽さんが誰かと手を握っている、誰かとキスしている。

 それは卑怯な言い方だ。そんなの、嫌に決まっている。


「……解ったよ」

「ふふん。険しい道になるよ。早速言ってみよっか」

「……好きです」

「恥が見えるぞ! もっとこう、感情をこめて! 私がお手本を見せてあげる!」


 激しく叱咤した彼女はおれの手を握り、上目遣いでおれに詰め寄った。


「好き……、好きなのっ! 私じゃ、ダメかな……。こんなに静真が好きなのに、おかしくなっちゃうよ……」

「おおぉ……」

「感心してる場合か!! 八時半までには戻らなきゃいけないから巻きでいくよ!」


 おれはその後数回ほど頑張ってみた。だがどれも酷かったようで、感情がこもってない、棒読み、大根役者とダメだしのオンパレードだった。

 

 昼休みも特訓だ。

 飯を食べ終わるとまたグラウンドの隅に行き、昼練に励む運動部員の姿を背景に小蔦さんへ愛を告げる。


「好きだ!」

「朝よりいいじゃん! 授業中にイメトレでもしたの?」

「いや。ただふっきれただけだ。独り言のつもりで言ってる」

「ダメでしょそれ。まだ恥ずかしがってる。やっぱり紅羽が好きだから恥ずかしいの? ウブだなぁ、正直になろうよ」

「休憩しよう。精神的に疲れる」


 フェンスに背をもたれてグラウンドで走り回る運動部員たちを凝視する。まさかおれたちがこんなカルト宗教みたいなことをしているとは思っていないだろうな。告白練習なんて聞いたこともない。

 小蔦さんはしゃがんで野菜ジュースのストローを咥えてすすっている。こっちは気力を削りながら恋を叫んでいるというのに呑気なものだ。


「かのんは好きな人いるのか」

「え、私? 私はまだいないかなぁ。あれ、もしかして私に気がある? これだけ好き好きって言っちゃってるもんね。照れるなぁ」

「なわけあるか。なんかもう、恋って何だろうって思い始めてきた」

「きんもー! マジでないない、ポエムとかイタすぎ。ガチで引くっ」


 いーっと白い歯を見せると自分の膝をぺんぺん叩いて笑い始めた。


「あはは、おっかしー。そんな複雑じゃないでしょ。好きか嫌いか。たったこれだけだぞ?」

「そんな簡単じゃないと思うんだがなぁ……」

「簡単だってば。じゃあ私のこと好き? 嫌い?」

「……好き、としか選択できないだろ。嫌いだったら昼休みにこんなところにいねぇよ。それにかのんは友だちとしていいやつだと思ってる。映画の趣味も合うし、話していて心を許せるというか――」

「いちいち説明するとかウケる~!! いいからいいから、私ってあんたみたいにすぐ勘違いしちゃう女じゃないし!」

「ぐっ……。辛い……」

「でも嫌われてなくてよかった。でも気をつけるんだよ。好きってことは恋愛的にも好きになっちゃうかもしれないんだからなぁ? はい、特訓再開!」

「卑怯な言い方しかしないな、ホント。……好きだ!」





 放課後も少しだけ特訓するということでおれは津布楽さんに一声かけることにした。彼女はバッグに荷物をつめいている最中だった。


「津布楽さん。この後、少しだけ用事があるから遅れるかもしれない」

「あぁ、うん。何かあるの?」

「ちょっとな……。でもすぐ行くから待っててくれ」

「解った。待ってるね」


 特訓のせいか、この場でも津布楽さんに「好きだ」と言えそうな気がした。冷静に分析すれば感覚が麻痺しているだけにすぎないが一定の効果はあるようだ。すごいな、小蔦さん。

 おれはバッグを自分の机に置いたまま教室を飛び出した。

 朝昼と特訓した場所には約束通り小蔦さんがいた。スクールバッグを肩から提げてスマホをいじっている。


「遅いぞー、少年」

「悪い。掃除が長引いてて……」

「言い訳無用! さぁてやるよ!」


 小蔦さんの勢いある言葉で再び告白練習が始まった。

 もっと愛を込めて! もっと恥じらうように! 狂おしい愛を吹き込んで! という容赦ない注文を声に反映させようとがむしゃらに頑張った。

 異常な光景だと思っていたが、おれは割とこの光景を見てきたことにふと気がついた。映画だ。映画の役者だって本当に相手が好きで「愛してる」とは言わないだろう。もちろん感情を意識している努力は知っているが、本当に好きだったら場合によってはそれは浮気だ。結婚したらの話だが。

 おれの場合も酷似している。恋愛感情を抱いていない相手に「好き」と何度も叫んでいる。つまり演技ということになってしまうが大変なことには変わりなかった。

 役者ってすごい。


「良し、いいでしょう。これなら明日にでも先輩から先手を取れるかもね」

「はは……」

「苦笑いするでないっ! じゃあ最後に今日一番の気持ちを込めて告白してみよっか。私が紅羽だと思ってね。私も紅羽っぽく振る舞ってみるから」


 そう言うと小蔦さんはのほほーんと微笑んだ。なるほど、小蔦さんには津布楽さんが馬鹿っぽく見えているのか。面白いな。

 おれは深呼吸した。おれはハリウッドスター、おれは最愛の女性を追いかける男。自分を架空の世界に投入した。


「好きだ。付き合ってほしい。ずっと一緒にいてくれ」


 これは百点満点だ。十人中一人くらいは「お願いします」と返事をしてくれるだろう。一人でも十分だと思う。それくらい自信があった。


「うそ……」


 何が嘘なんだ? もはや本物に近い告白だっただろ。

 そう思ったがその声の主は小蔦さんではなかった。目の前の小蔦さんは表情を引きつらせて冷や汗をかいていた。さらに彼女の視線はおれではなく、おれの背後だ。

 振り向くと走り去っていく女子生徒の背中があった。

 美しい紅い髪が荒波のように揺れていた。逃げるように疾走するその女子生徒はまぎれもなく津布楽さんだった。

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