第14話 嘘、ついていませんか

 うそ、うそ、うそ! 船倉くんがかのんを好きなんて嘘だ! 

 行かなきゃよかった。気になんてしなきゃよかった! 

 私の名を呼ぶ船倉くんの声が野球部の掛け声にまじる。かのんの声も聞こえる。それでも私は振り返ることなく走って、走って、走って……、何も聞こえなくなるまで走った。

 私には解らなかった。人が誰かに想いを伝えている場に割り込んでしまったときの正しい反応というものが解らなかった。けれどその場にいてはいけないことは瞬時に直感した。あの時の私は二人にとって間違いなく、世界一の邪魔者だった。

 でも何で逃げているんだろう。

 何から? 何から私は逃げている?


 ――現実だ。


 船倉くんが私を見てくれなくなったという現実から逃げているのだ。私にとってこの逃亡は現実の否定であり、そしてさよならでもあった。

 胸を締め付けるこの苦しみと震える喉が私の呼吸音をひどく醜く演出した。湧き水のように少しずつにじむ涙で視界が濁っていく。でもその涙は拭えない。拭ったら止まらなくなると思ったから。

 





 私は校舎には戻らなかった。鞄を持っていてよかった。教室に戻っていたら途中で船倉くんとかのんにばったり遭遇してしまっていたかもしれない。それは絶対に避けたいことだった。でも明日は必ずやってくる。そう思うと憂鬱な気分になった。

 行く先は先週の土曜日に訪れたスタバ。もともと寄る予定だったので今日の出来事とは無関係だ。予定より時間は早まったが一応連絡は済ませてある。

 到着したら列にすぐ並んだ。店内を見渡すと四人席によく見知った二人が既にいた。バリスタにソイラテを一つ注文し、できあがりを待っている間にスマホケースに備え付けられた鏡で自分の顔を確認した。ちょっと目元が赤みがかっていた。ファンデーションで誤魔化す余裕はない。でも不自然とまではいかないからこのままでいこう。

 ソイラテを受け取り、二人が待つ席に向かった。


「よぉ、津布楽紅羽ァ。待っていたぞ」

「あら、元気ないわね」


 松本くんは邪悪に笑みを浮かべ、椿先輩はいつもの澄ました表情で私を迎えてくれた。


「元気ですよ」

「元気じゃないわよ。あなた目が少し腫れてるわ。何かあったの?」

「副会長。きっと津布楽紅羽は他校の不良とバトルしてたんですよ。不良狩りってやつです。多分一発お見舞いされたんですよ」

「あはは。二人とも変に考えすぎ――」


 無理に笑ったせいか、私はまた涙の予兆を感じ取った。鼻の奥がつんとして涙袋が小さく震える。ダメ、泣いちゃう。


「お、おいっ! 津布楽紅羽ァ! また泣くのか!? おれのせいか!? チクショウこれを使えェ!」


 松本くんはポケットティッシュを私に差し出した。だからそこはハンカチでしょ。

 

 この異質な三人の集まりは報告会だ。

 始まりは先週の土曜日。私が船倉くんのことが好きだと打ち明けると、頼んでもいないのに二人は私と船倉くんをくっつける作戦を考え始めた。有り難いことだったけれど何分、相手は鈍感な男の子なので二人は頭を抱えた。

 ひねり出した結果、まず船倉くんが私に気があるのかを調査するところから始まった。私が先輩に告られたという偽の話を船倉くんに聞かせ、動向をうかがう内容だ。

 正直私は気が進まなかった。すでに恋を知らないという嘘をついているのにまた嘘を重ねたくなかった。

 しかし、その架空の先輩の告白を最終的に断るシナリオになっているため、両者とも何も失うものはないという言い分を二人は掲げた。船倉くんが私に気がなかったら何もしないだろうし、もし気があったとしても私が誰かと付き合う結末にもならない。人間関係に変化はない。

 あくまで金曜日まで船倉くんの様子を観察することが最大の目的だ。

 そして今日はその成果報告だった。しかし私のせいで話は異なる方向へと進んでしまった。


「何があったの。あの鈍感眼鏡くんに酷いことでも言われたの?」

「いえ……、違うんです」

「おいおい何で水分の抜けたモヤシみたいになってんだよ。体育の威勢はどこにいっちまったんだ」

「モヤシじゃないし……」


 私はそっけなく答えてソイラテを口に含んだ。

 飲み物のおかげで少しは話せる状態になり、落ち着いてから私は事の顛末を二人に話した。

 船倉くんの様子がおかしかったから後をつけると人が寄りつかないグラウンドの隅っこで、かのんに告白していたところを目撃してしまった。さらに二人に私の存在がバレてしまい、その場から逃げ出してしまった。

 私がそう語り終えるとまず松本くんが口を開いた。


「マジか……。恐れていたことが現実になっちまったのか……。おれも静真の様子が変だったのは何となく解っていたんだ。訊いてみても適当にはぐらかされたから大したことではないと思っていたが……、まさか小蔦かのんが好きだったなんて」

「だからもう意味が……、ないよね。船倉くんはかのんが好きなんだし」

「いやダメだッ! まだ解らん! 小蔦かのんの返事次第だろ!」

「でも二人でデートするくらいだよ? 多分かのんだって船倉くんが好きだよ……」

「マイナス思考するんじゃねぇ津布楽紅羽ァ! あんな白ギャルビッチに取られてくやしくないのか!?」

「かのんはビッチじゃないよ、サイテー」


 椿先輩は松本くんの肩を殴った。流石に先輩も見過ごせなかったらしい。BLを馬鹿にされたとき並みに怖い顔をしていた。対して松本くんは親に初めて殴られたかのように驚いていた。親父にもぶたれたことないのに、と絶対心の中で叫んでいる。


「その小蔦かのんちゃんはあなたと仲がいいの?」

「親友です」

「そう。じゃあ明日になってみないと何も解らないわね。今は何もできない」

「でも……、きっと明日になっても何もできません。解りきっていることじゃないですか。もしかのんが振ったとしても私は何もできません。傷心の彼に、ハイエナみたいに近寄って……、私にそんな卑しいことできません」

「何もしないのもあなたの自由。私とアニオタくんは、あなたが何かをしようとしてるけど何もできなくて苦しんでる様子が気の毒だから協力してるの。あなたが何もしないと最初に決めているならあれこれ言わないわ」

「すみません……」

「謝る必要ないでしょ、エロ漫画家」


 椿先輩の言葉に松本くんが激しく反応した。


「エロ漫画家ァ!? おい、津布楽紅羽ァ! どういうことだ!?」

「アニオタくん、まだ気付いていなかったの? 彼女はBLという神聖なジャンルで戦う漫画家よ。激エロよ」

「あ、そっすか……」

「露骨に落ち込みすぎじゃない? 舐めてんの?」

「完全に守備範囲外なので勘弁してください、副会長」


 これからこのネタで松本くんは意地悪なことを言ってくるんだろうなぁとぼんやり考えた。誰彼構わず私の裏の顔を暴露して伝染病みたいに広がってくんだろうなぁ。でも彼の友だちは船倉くんしかいないからきっと大丈夫だ。感染力はゼロに等しい。

 励ましのおかげで少しは元気がわき、松本くんと椿先輩のくだらないやり取りが面白おかしくてつい笑みがこぼれた。


「紅羽、あなたはやっぱり笑っているときが一番可愛いわ。私の次に可愛い。その笑顔で彼をオトしなさい」

「津布楽紅羽。容姿だけは認めてやる。その姿で生んでくれた親に感謝するんだな。あとは中身を何とかしろ。そうすりゃ……、無敵だ」

「二人ともありがとうございます」


 私は私らしく微笑んだ。飾ろうという嘘のない笑顔が私の唯一の武器だというならボロボロになるまで使い古そう。

 武器は使えば使うほど主人に馴染むよう形を変える。相手に有効的なダメージを与えられるよう少しずつ、少しずつ形状を変化させるのだ。きっと私の想いを込めたこの表情だって受け止めてくれる人の心に少しずつ馴染んで浸透してくれる。

 まだ、私にも希望はあるはずだ。


 木曜日の朝。

 学校に行くのがちょっぴり怖かった。今まで通りかのんと挨拶できるか不安だ。船倉くんとも放課後に二人っきりになるのも怖い。

 でもそんな陰鬱な気持ちではいけない。暗い雰囲気の人になんか近寄りたくないだろう。

 そんな私を神様は試したいのか、偶然にも校門前で船倉くんと会った。校門を次々と通過していく自転車や生徒の波の中で私と船倉くんは立ち止まった。しっかりと目も合っていて引くに引けない。

 私から一歩を踏み出した。


「おはよう、船倉くん」

「お、おはよう」


 彼は何か言いたそうだった。私も言いたいことや訊きたいことがいっぱいあるからおあいこだ。

 私たちはそのまま並んで校舎へと歩く。しばし無言が続いた。それから昇降口に入り、靴を履き替えると彼から話が始まった。


「津布楽さん。昨日のことだけど、違うんだ。その……、あれは本気じゃない」


 予想外の言葉が耳に入ってきた。私はそう語り出した彼の顔を懐疑的な目で見つめた。


「本気じゃないってどういうこと?」

「多分津布楽さんの目にはおれが告白しているように見えたと思うけど本気じゃない。あれは演技なんだ」

「え? ちょっと待って頭が追いつかない」


 本気じゃない告白? 演技? じゃあ何? 

 意味が解らない。何もかもさっぱりだ。


「演劇に興味があって、かのんに付き合ってもらってたんだ。うちに演劇部があるだろ? 二年になったら入ろうかなーと思っててな」

「……なんでかのんなの?」

「映画好きだから理解してくれるかなって思って。頼んだらオーケーしてくれたんだ。人目のあるところじゃ恥ずかしいからあそこでやってた」

「ふぅん」


 どうも嘘くさい。私の目をちゃんと見てくれないし、話しながらジェスチャーをするなんて船倉くんらしくない。明らかに隠していることがある。

 私は彼のネクタイを掴んで自分に引き寄せた。


「私の目を見て。嘘ついてる?」

「……ついてません」

「逸らさないで、私を見て!」

「津布楽さん近すぎだから……」


 周りの生徒がニヤニヤしながら私たちを指さしていた。確かに近すぎた。まるでキスを激しく求めているみたいだ。

 恥じらいが込みあげてくる前に彼のネクタイを掴んだまま歩いた。犬の散歩みたいに引っ張って教室へと向かう。船倉くんの文句は一切受け付けず、淡々と歩みを進めた。

 そしてその主従関係の状態で教室に入り、かのんの席へと一直線に進んだ。


「あ、おはよう紅羽。どっ、どうしたのソレ……」

「かのん。昨日のことだけど」

「え? あぁ昨日って、あれは違うの。紅羽は勘違いしてるかもだけど違うから」

「何が違うの?」

「静真が演劇部に興味があるっていうから手伝ってただけ。自分が役者になりきれるかどうかを試したかったかららしいけど、というかそこに本人いるでしょ。犬みたいな本人が」


 話していることは一致していた。私はもう一度船倉くんを見る。どうやら苦笑いでやり過ごすつもりらしい。じーっと睨んでもその下手な苦笑いはぴくりとも動かなかった。

 仕方ないので彼のネクタイから手を離した。

 

「解った、信じます。ごめんね、船倉くん」

「いいや、おれも悪かった」

「謝らなくていいよ。だって私の勘違いなんでしょ?」

「ま、まぁそうだが……、でもごめん」


 二度も謝った船倉くんは私たちから離れていった。

 信じていいのだろうか。本当はもう付き合っていて、二人だけの秘密にしているなんてこともあり得る。かのんは親友だから応援してあげたい。でも相手が船倉くんなら話は違ってくる。恋に遠慮なんていらないんだ。

 私って嫌な女だなぁ。

 人の恋人を奪おうと画策するなんて最低だ。ダメって解ってるのに考えてしまう。


「紅羽、紅羽。耳貸して」


 かのんが両手で筒をつくる。私はかがんで彼女の口元に片耳を寄せた。


「静真が大好きなんでしょ?」

「……ッ! 違っ!」


 バッと身を引いた。思わず大声を出しそうになったところを何とかこらえたが、この動揺は弁解の余地無く彼女の質問に対する答えになっていた。かのんにまでバレている。自分の顔が徐々に熱くなっていった。

 かのんは手招いてまた耳を貸すよう促した。もうここまできたら私は裸同然だった。


「大丈夫。私は静真のこと何とも想ってないから。取ったりなんてしないよ」


 にわかには信じがたい言葉に私は戸惑う。昨日の心配事は取り越し苦労だったのだろうか。スタバでは松本くんにまた泣くところを見られちゃったし、先輩には余計な気を遣わせちゃうしで迷惑かけてばっかりで何もかも全てが最低最悪。

 再び顔を見合わせ、自分のもやっとした気持ちを絞るように声に出した。


「ホント……?」

「あはっ。紅羽ってそんな顔もできるんだね。不安そうに胸に手を当てるなんて少女漫画の乙女みたいでウケる~!」

「やだ……。死にたい……」

「乙女紅羽とかマジで面白いからやめて! お腹よじれる!!」


 かのんは机をバンバン叩いて笑った。その姿を見るとムキになっていた私が馬鹿馬鹿しく思えた。

 でも船倉くんの様子が気がかりだった。どうして私が目を合わせようとすると避けるんだろう。

 

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