第10話 好きになってくれますか
おれたちの試合が始まるとすぐ仲間割れが発生した。
しかし自チームのコート内における小規模なもので、その勃発した仲間割れというのは津布楽さんと喜太郞が起こしたものだ。
「松本くんトス下手くそ!」
「お前のアタックがゴミなんだよ! 下品な乳ばっか揺らしやがって、いちいちあざといんだよ!」
「うわっ最低!! 松本くんだってお腹の醜いおっぱい揺らしてんじゃん! セクハラだからねそれ!? 逮捕だからね!?」
「おうおうやってみやがれ! 未成年は無敵だ!!」
二人がここまで仲が悪いとは知らなかった。むしろ喜太郞に関しては津布楽さんのことをいい目で見ていたはずだ。「津布楽さんとイチャつきやがって!」と中傷しまくっておれに嫉妬していたやつが何を言っているのだろう。狂ったとしか思えない。
「落ち着けよ、喜太郞。ただのゲームなんだから熱くなるなって」
「静真。お前は目を覚ませ。あの女はお前をたぶらかそうと必死な、哀れな女だ。嘘をついてお前を利用しようとしている」
「大層な陰謀論だな。ラノベ作家にでもなれよ」
「その目は飾りか? おい、津布楽紅羽。そうなんだろ」
喜太郞は中腰に構えている津布楽さんに声をかけた。
「試合まだ続いてるんですけどぉー」
「言い訳するな津布楽紅羽ァ! お前は嘘をついている! そうだろ!?」
「つ、ついてないし」
「見たか静真。あの動揺はクロだ」
多分お前に引いているだけだ。
おれは相手のサーブに集中した。単に仲の悪さで喧嘩しているようなのでわざわざ口を出しても無駄だ。松本喜太郞という人間の面倒な性格をよく理解していればこの判断が賢明だと解るだろう。
その後、おれたちは何故か勝利した。津布楽さんの技量が勝利に繋がったのだ。彼女の繰り出す殺人サーブが大量得点に繋げたのだ。
しかし十点差をつけたところで彼女は不自然なミスをしていた。ネット前にいた喜太郞の背中にジャンプサーブが直撃したのだ。途端に喜太郞は「津布楽紅羽ァ!」と叫び、津布楽さんは「ごめ~ん」とウインクして謝っていた。
君ら、喧嘩が低レベルすぎるぞ。
「ねりねり」
奇妙な擬音語を口ずさみながらノートに絵を描く津布楽さん。
昨日で物語の方向性は確定させたので彼女は主人公とヒロインの立ち姿や制服のディティールを丁寧に描いていた。
おれもペンを持ってメモ帳とにらめっこをしていた。ラブコメ的な展開を考えてほしいと頼まれたからだ。悶えるような、ニヤニヤしちゃうような内容を彼女は要望した。それから考えてみるも、中々思いつかなかった。創作とはこんなにも難しいのか、と作り手の苦労の一端を知った。
「船倉くん。明日かのんと何するの? ねりねり」
「体育のときにも言ったけど映画館に行く。十時上映のを観るらしいから見終わった後は多分、どっかでメシ食うって感じかな」
「ふぅん。昼休みにそんなこと話してたんだ。ねりねり」
「話すというか、かのんが一方的に報告してきただけだ」
「ふぅん」
ご気分が優れないらしい。喜太郞との喧嘩がまだ尾を引いているのだろうか。それもそうか。人にお前は嘘つきだと批難されれば良い気分にはならない。当然の結果だ。
確かに喜太郞は言い過ぎていた。女子に向かってプライベートゾーンをとやかく言うのは最低ゴミクズレベルだと思う。いくら津布楽さんが明るくて気さくな性格をしていても口に出してはいけないことだ。
「バレーの件だけど、おれから喜太郞に言っておく。あれは言い過ぎだって」
「ほよ? いきなり話変わったね」
「津布楽さん、何か元気ないからさ。喜太郞のせいかなって思って」
「あぁ~! 別に気にしてないからいいよいいよ」
「そうか? でも一応言っておく。ダメなものはダメだ。喜太郞のためにも忠告する」
「優しいね、船倉くん」
「そうでもない。裏では最悪なこと考えてるからな」
「えっ……。もしかして船倉くんも私の胸を下品だと思ってる……?」
「ハァ!? なわけあるか!!」
彼女はペンを置き、うっすらと笑みを浮かべた。これは意地悪なことを考えている顔だ。これから意地悪しますよ、これからたっぷりからかいますよ、という予告だ。
「……じゃあどう思ってるの?」
「どうって……。別に何とも……」
「違う評価があるから下品じゃないってハッキリ言い切れるんだよね?」
「ひ、卑怯な理屈だな」
「ううん、卑怯じゃない。立派な事実。私の胸を見てどう思うの?」
「やめろやめろ。そういうこと言うな。津布楽さんのイメージが崩れる」
「興奮する? 私で興奮できる?」
「話がおかしくなってないか。そのBL脳は一時停止できないのか」
「ねぇ――」
「作業に戻ろう。土日を挟むんだからこの放課後はできることを極力進めよう」
「――私のこと、好きになれる?」
その一言はとても強烈だった。
彼女と交わしてきた会話の中で一番強いメッセージ性のある言葉だった。憂いに満ちた彼女の表情も相俟って、その一語一語が胸に深く突き刺さる。言葉の重みというものがずっしりと背中にのしかかり、おれは答えに詰まった。
これはイエスかノーで答えてはいけない。
脳が警鐘を鳴らしている。これはそう易々と答えられる質問ではないと根拠も無いのに直感していた。
しかし彼女は待っている。彼女の潤った瞳が強く語りかけてくるのだ。
君は私が好きですか、と。
「お邪魔するわ。え、うわうわ何よ。熱く濃厚に見つめ合っちゃって」
こんな大事なときに椿先輩が登場した。
この人は暇なのか空気を読めないのか。いや、どっちもだな。
「先輩、今度は何の用ですか。受験大丈夫なんですか?」
「私の扱い雑になってない? 一応先輩よ?」
「そうです、一応先輩です」
「含みのある言い方ね。まぁいいわ。こっちも君を妄想の材料に使わせてもらってるからおあいこにしてあげましょう」
「今のは聞かなかったことにしてあげます」
だが助かった。もし先輩が来ていなかったらおれは汗をダラダラ垂らして答えあぐねていただろう。一方、津布楽さんは先程の様子から嘘のように変わってニコニコと先輩を迎入れていた。
「紅羽、やっぱり上手いわね。私も画力がほしいわ」
「そうでもないですよ~。これくらい練習すれば誰でも描けるようになりますって」
「上手い人はそういうけれど私には無理そう。すごく疲れるから五分ともたないわ」
「それは基本を知らないからですよ。こうやって筋肉を意識すれば……。はい、こんな感じに惚れ惚れする美脚ができあがります」
「うわ、すごい。エロいわね。ほら、君も見ておきなさい」
やっぱりこれってセクハラだよな。社会だったら絶対問題だ。女上司が後輩をセクシャルにちょっかいを出してくるという構図に似ている。やはりセクハラだ。喜太郞ならご褒美とか言うかもしれないが、おれは断固としてノーを突きつける。
勘違いしちゃうからだ。
「先輩。おれは正直残念だと思っています。先輩は本校の気高く美しい副会長として君臨していると思っていました。ですが、本性を知ってから失望の連続です」
「あらそう。でもこれが私の本性だから諦めなさい」
「先輩は性欲に素直すぎるんです。自制しましょう」
「いいじゃない。紅羽は理解者だし、あなたはこんな美少女二人を前にしても手を出せない臆病者のチェリーボーイなんだから何も問題はないわ。日常生活では隠してるんだから許してちょうだい。発散させてちょうだい」
ひどく傷ついたのでおれは負けを認めて黙ることにした。
「紅羽。明日暇ならパフェ奢ってあげるわ」
「わーい! 暇でーす!」
「良かった。そこで借りてた下克上返却するわ。学校よりかはいいでしょう?」
「すごく助かります。学校だとビクビクしちゃうので」
津布楽さんの疑似恋愛を断ってしまったときの記憶が蘇り、申し訳ない気持ちになった。仕方が無かったとはいえ、彼女が涙をこぼしたのは事実だ。それに女の子をあんな表情にさせてはいけない。罪悪感が心臓をわしづかみした。
「そこのチェリーボーイ君はどうせ、ご自宅で一人映画でも観て過ごすんでしょう? 寂しいことこの上ないわね」
「……明日は外出します」
「一人で?」
「いえ」
「ははぁん……交尾か」
違います。自制してください。
土曜日。
天気予報では終日曇りとなっていたが午前から快晴だった。気温も丁度良く、薄着と厚着のどちらでも過ごしやすい。ポロシャツがとても丁度よかった。
映画館には九時五十分に到着した。ロビー内は休日ということもあって人が多かった。特に若いカップルが目立つ。デートスポットとしてまだ根強い人気があるらしい。
この数では小蔦さんを見つけるのは難しそうだった。電話番号もアドレスも知らないからどうしようもない。最終手段として津布楽さんに聞き出すという手もあるが、あちらも椿先輩と出歩いていて邪魔になるだろう。極力避けよう。
しかしその懸念は杞憂に終わった。
「おいーっす、静真。お待たせ」
「一瞬で見つけた。オーラが違うな」
小蔦さんは若干ゴスっぽい服装をしていた。黒いスカート、白い長袖、底の厚いブーツで西洋の制服にも見える。彼女の白ギャルキャラと違和感なく融合していた。
「私たちの高校って私服じゃないからさ、こうして会うと何か新鮮だよね」
「そうだな。でもかのんはイメージ通りだった」
「やった、嬉し。ちなみに静真は普通すぎて何も言えない」
「褒め言葉として受け取っておく」
「お洒落した方がいいって言ったじゃん。しょうがないなぁ、午後は服のコーディネートだね」
「お洒落って難しいな……。とりあえずチケットを買おう」
小蔦さんと券売機のモニターを操作し、若干後方の列中央を確保した。スクリーン中心の延長線上に位置する良い席だ。首は疲れないし、字幕も見やすい。
今の時代、大人だと二千円近くもするらしい。学生割引が有り難かった。囁かれる映画館離れの話に納得した。これじゃあ違う趣味に移行してもしょうがない。
「よーしっ、開場は十五分後だね。今のうちに飲み物とか買っておく?」
「そうしよう。並ぶか」
「うわっ、何か彼氏っぽい」
「思ってもいないこと言うなよ。変に意識しちゃうから」
「ウケる~! 静真チョロすぎ~」
そのくらい大目に見てほしい。おれは女子と映画を観に行くのは初めてなんだ。ちょっとしたことで挙動不審になって慌てふためく未来しか見えない。
並びながらメニュー表を眺めていると小蔦さんが話題を振った。
「今回見る映画のあらすじとか読んだ?」
「いや。どんな話なんだ」
「第二次世界大戦中のとある夫婦の話。妻と子供と幸せに暮らしていた工作員の主人公に、突然『スパイ容疑の妻を暗殺しろ』と政府から命令されるの。この愛は本物か、この幸せな家庭は全て嘘なのか、と葛藤しながらも妻の潔白を信じ続ける主人公を描いたサスペンス映画! 観なきゃでしょ!」
「説明上手いな。これは名作の予感」
「でしょ~! 聞いて解ったと思うけど女友だちを誘える内容じゃないでしょ? でもどうしても観たくてね~! 付き合ってくれてありがとね!」
こちらこそ有り難い。素敵な映画との出会いはどんな形でも嬉しいものだ。
おれは新たな映画好き同志と出会えたことが嬉しくて、調子に乗って秘密にしていた自分のブログを見せてみた。
「これ、おれのブログなんだけど良かったら映画探しとかで参考にしてみてほしい」
「ん~? どれどれ……」
「映画の布教を目的とした紹介ブログだ。ジャンル分けとか類似作品とかもして、なるべく読者に見つけやすいように心がけてる」
「――って、これ『映画の海』じゃん! 私たまに読んでる!」
「うえっ!? マジ!?」
「うわああぁ~! こんな偶然ってあるんだ。びっくりー」
「おれも心臓止まるかと……。なら忘れてくれ。恥ずかしくなってきた」
「別に恥ずかしくないってぇ~。読む価値があるから読んでたんだよ。じゃあ今回も記事にする感じ?」
「……集中して観ないとな。うろ覚えじゃ記事にできない」
とは言ったが絶対に書けないな。小蔦さんがうちの読者だったと知って集中できるわけがない。さらに女の子と隣の席で映画を観るという未知の体験も重なるのだ。
このラブコメ的展開におれは耐えられるのか。
でも津布楽さんの創作には役立ちそうだ。彼女が言ったとおり、過去の全てが創作に活きる。これも貴重な経験となるはずだ。
「じゃあ静真。良い映画かどうかの判断って何で決めてるの?」
それは難しい質問だ。良いか悪いか、という判断は個人の主観に依存する。それぞれの物差しで判定するのだから方法は人の数ほどあるだろう。
しかしおれにも物差しはある。メモリがぼやけた曖昧な物差しだが、共感してくれる人は多いと思う。
「エンドロールが流れた瞬間だ。その瞬間に感じ取ったものが映画への評価だと思う。席を立ちたくない、この余韻に浸りたい、劇中の音楽と共に振り返りたい。そんな気持ちにさせてくれる映画がきっと、良い映画だ」
津布楽さんの物語もそうあってほしい。
最後の一ページをめくるのが惜しいと思ってしまうくらい素敵なラブコメを描いてほしいと思った。
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