第15話 伝えるべきこと

 小蔦さんとの口裏を合わせで難は逃れた、と思いたい。

 少し無理がある話だということは解っていた。演劇部に興味をもったことは一度もなく、役者になろうと志したこともない。けれどあのグラウンドでのことを誤魔化す方法はこれくらいしかなかった。

 おれはつくづく嘘や演技をするのが下手だと実感した。津布楽さんはきっとおれの嘘に気付いているだろう。小蔦さんは難なく不自然なく説明していたがおれの演技はあまりにもお粗末で、意味を成していなかった。

 ともあれ彼女と話すことができてよかった。

 

 午前の授業中、おれはぼんやりと昨日の放課後を思い返していた。

 

「津布楽さん! 足早っ!」

「あちゃぁ……。面倒なことになったね」


 告白練習の様子を津布楽さんに見られてしまった。非常にマズイ事態だ。どう考えてもヤバい。小蔦さんに告ったと思われているはずだ。


「かのん、ヤバい。ヤバいだろ、もう終わりだ、ヤバい」

「あんたの語彙力の方がヤバいけどね。いや~でもマジでどうしよう」

「もう終わった……。絶望の始まりだ」

「大袈裟すぎ」

 

 あのやり取りを津布楽さんにどう説明すればいいんだ。当然小蔦さんの企みをそのまま話すわけにはいかない。津布楽さんに告白する練習をしてました~なんてことをご本人の津布楽さんに話したら混沌とした暗い未来の到来は必至だ。

 いつから聞かれていたかは不明だが「好きだ。付き合ってほしい。ずっと一緒にいてくれ」という台詞は確実に聞かれた。最もヤバい台詞だ。やっぱりヤバい。


「とりあえず私から紅羽に説明しとくよ」

「どう説明するんだ!? まさか本当のこと言うんじゃないよな!?」

「なわけないじゃん。私が静真の想いを代弁してどうすんの。そこまで私は馬鹿でも無神経でもないよーだ」

「おれの想いはどうでもいいとして……、待て待て。説明するなら意思を統一しよう。かのんの説明とおれの言い訳が一致していないとすぐにバレる。もっと面倒なことになるぞ」

「じゃあどうするー? 私もう帰りたぁーい」


 帰るなよ、帰ったらおれは終わりなんだよ。

 おれは考えた。全てが円満に解決されるハッピーエンドだ。津布楽さんが納得し、おれも小蔦さんもいつもの平和な日常に戻れるハッピーエンドを必死に考えた。

 一方、小蔦さんはしゃがんで蟻の観察をしていた。何を暇そうにしているんだ。自分たちが危機に瀕していると自覚していないのか? 


「演技。演技ってことでいいじゃん」


 ぼそっと彼女はそう呟いた。


「演技? どういうことだ」

「うちって演劇部あるでしょ。そこに入部しようと思っていて私に演技力を評価してもらってた、でいいんじゃない? 映画好きの静真ならお芝居に興味があるっていう説明は納得すると思う」

「なるほど……。いいかもしれない」

「もうこれでいこうよ。はい、この話はおしまい」


 すっと立ち上がった彼女はどこか心残りがあるような声色で話を切った。そんな態度では聞かざるを得ない。


「まだ別の話があるのか?」

「あるに決まってるじゃん。紅羽が逃げた意味、ちゃんと理解してる?」

「それはヤバい現場に立ち会ってしまったっていう罪悪感からで……」

「それもそうだけど違うでしょ! 普通は『あ、ごゆっくり~』とか『すみませ~ん』とか言って穏やかにその場を去るの! あんなチーターみたいな全速力、おかしいと思わないの!?」

「そりゃあ腑に落ちないところはあるが……」

「あれは紅羽が一番見たくない光景だった。静真が誰かに好きって伝えている光景は紅羽にとってはすごく辛いことでしかないの! ここまできたら解るでしょ!? ねぇ!!」


 小蔦さんはおれの肩を揺さぶって声を荒げた。

 解ってる。おれも薄々気付いていたんだ。でもそれを知ったところで何ができよう。何もできないなら知らなかった方が幾分か楽だ。

 

「静真。紅羽のことが好きなら答えてあげて」

「でも先輩への返事に迷ってるって……」

「関係ないでしょ、この意気地無しのボケ眼鏡! いい? 明日、何らかの形で自分の気持ちを紅羽に主張して。でなきゃ無理矢理ホテルに連れ込まれたってデマ流すから。未遂に終わったけど脱がされて体中なめ回されたって話も追加する」

「それ社会的に本気で死亡するやつじゃねぇか……」

「じゃあ頑張って。審判の日は明後日なんだよ? 後悔したくないでしょ?」

「……解った、何とかやってみる」

「よろしい。期待してるぞーい」


 そんな絶対命令を昨日の放課後に下された。

 おれはいつその命令を遂行するか悩みに悩んでいた。今朝から津布楽さんと衝突してしまったが故に雰囲気はあまりよくなく、近寄りにくい。放課後を待てば例の教室に集まると思うが、昨日の今日だ。ばっくれる可能性だってある。

 この八方塞がりの現状をどうにか打破できないものかと思っていた矢先に授業中にも関わらずスマホが鳴った。マナーモードにしておけよと心の中で誰かに悪態をついたが、その着信音はまぎれもなくおれのポケットからだった。


「授業中だぞー、電源切っとけー」

 

 教師がさらっと注意する。

 音量をゼロにし忘れていた。いつも授業前は気をつけているというのに今日はどこか抜けている。

 おれはこっそりスマホの画面を確認した。


『ちゃんと言うんだぞー。見張ってるぞー。あとこの授業終わったらトイレ来て♡』


 小蔦さんからのメッセージだ。

 おれは彼女の席に顔を向けた。手のひらを合わせて謝っている。授業中にスマホいじりはやめなさい。

 授業が終わり、小蔦さんの姿を確認する。たった今教室から出て行ったようだ。置いてけぼりにしたらまた新たな制裁を追加されるかもしれないので当然行くしかなかった。


「待ァてぇー……。静真、何処へ行くゥ……?」


 喜太郞がおれの肩をがしっと掴む。


「トイレだが」

「おれも行くゥ……」


 何か企んでいる顔だ。明らかに善人の顔をしていない。

 こいつを連れて小蔦さんと会うわけにはいかないので作戦変更だ。


「あ、下駄箱に忘れ物したんだった。悪い、一人で行ってくれ」

「それも付き合うゥ……」

「何だよ、ストーカーに身を改めたのか? それなら『おれはキモオタだ』って自分で連呼してたときの方がまだマシだぞ」

「黙れェ……」


 仕方ない。諦めた。

 なおも肩を掴み続けるアニオタを連れておれはトイレへと向かった。女子トイレ前にはスマホをいじる小蔦さんがいた。


「あ、来た来たって……、何でキモいの連れてきてんの?」

「どうしようもなかったんだ」

「おい松本。どっかいけや」


 小蔦さん、喜太郞へのアタリが強い。侮蔑の目がすごい。

 対して喜太郞は怯むことなく一歩踏み出し、力士のように自分の腹を叩いた。威嚇のつもりらしい。


「小蔦かのん。貴様、何を企んでいる。静真をどうする気だ」

「は? どうもしないっつーの。キモいから近寄んな、汚れる」

「ぎゃあぎゃあとよく鳴くメス豚だなァ。まるでオークに陵辱されるエルフだ

! 鳴けよォ! もっと鳴けよォ!!」

「豚はテメーだろ。醜いオス豚ッ!」


 小蔦さんは喜太郞の股に蹴りを入れた。その痛みがどんなものかをよく知っているため反射的に「Oh……」という声が漏れた。あれは痛い。あまりにも残酷な痛みだ。見ているこっちも辛くなる。

 倒れ込む喜太郞を残し、小蔦さんはおれを連れて一つ上の階へと上がった。


「何であのモンスター連れてくんの! トイレも一人でいけないの!?」

「違う違う。あいつがついてくるんだ。意図はわからない」

「まぁノックアウトしたからいいけど……。それで、紅羽に伝えられそうなの? 私の約束覚えてるっしょ?」

「覚えてる。努力してるところだ」

「今日が勝負なんだからなぁー? 明日はいつ返事をするか解らないんだから先手を絶対打つんだぞ! ふぁいとだー!」


 両手をグーにして万歳する小蔦さん。こんなに応援してくれるのが不思議でならなかった。彼女の親友が関わっているからとしても、普通は津布楽さん側で応援すると思う。

 

「うわっ、追いかけてきた」


 喜太郞がゆっくりと階段を上がってきた。まだダメージが残っているようだ。


「小蔦かのォん……。お前は男の一番大事な部分を壊したぞ……」

「いぇーい。静真、先に戻っててよ。こいつ潰してから戻る」

「お前に話があるゥ……、逃げんじゃねぇぞ」

「逃げねーよばーか。ほらほら、静真行って」


 大人しく従うことにした。きっと小蔦さんなら大丈夫だろう。

 むしろ喜太郞の方が心配だ。子孫繁栄が不可能にならないよう祈っている。魔法使いには関係ないかもしれないが。






 津布楽さんに何かを伝えるとしたら、ぱっと一つ思い浮かぶことがある。


 先輩と付き合わないでほしい。

 

 その想いが強かった。

 それがとても我が儘で傲慢な願いということは重々承知している。責任も取れないくせに人の恋路に文句をつけるなんて厚顔無恥の最低野郎だ。

 考えるだけなら咎められない。だが言葉に、顔に、仕草に意思を乗せた瞬間おれはその最低野郎に堕ちるだろう。

 どうしようもない事態としか思えないが希望はある。理由だ。おれが先輩と付き合ってほしくない理由をハッキリと伝えることが最低野郎に堕ちない唯一の活路だ。

 

「来てたんだ」


 放課後、遅れて津布楽さんがやってきた。

 船倉静真と津布楽さんと椿先輩が使うこの教室におれは少し早めに来ていた。気持ちの整理と覚悟を決める時間がほしかったからだ。これで彼女が来なかったら徒労に終わっていた。


「昨日も来たんだぞ。誰も来なかったけどな」

「うっ……。ごめんなさい」


 いつも通りメモ帳を取り出して創作の方を開始した。

 行き詰まっていた登場人物の名付けは大体決まった。ヒロインは須々木すすきもみじ、主人公は板垣千春いたがきちはるとなった。ちなみにヒロインの「もみじ」を漢字変換すると「紅葉」となる。津布楽さんの名前にも「紅」が入っているので相当自分を投影しているに違いない。あえて指摘はしなかった。図星だったときの恥ずかしがる様子を見たくないからだ。共感性羞恥というものだろう。


「もみじって響きが可愛いよね。ちはるって音もいい。やっぱり名前って音が重要だと思う」

「そうだな。呼びやすくて印象にも残りやすい」

「だよねー。あと二人の細かい設定も考えてきたからメモしてくれる?」

「オーケー」

「ありがとー! じゃあまず誕生日は――」


 今朝のピリピリした雰囲気はもうどこかへ消え去っていた。あのジト目を放課後ずっと向けられていたら頃合いを見て逃げ出していただろう。

 だったら今伝えられるだろうか。先輩と付き合うな、と。

 でも口が開かない。言った瞬間、おれと津布楽さんのこの関係がひっくり返ってしまう気がして怖かった。自分の気持ちが悟られるのも怖かった。津布楽さんに軽蔑の目をされるのも怖かった。

 しかし、思い出せ。一番怖いのは何だ。


「身長は私と同じ169で体重は……、これはやっぱり非公開ってことで――」


 津布楽さんが誰かと付き合うことだろ。それと比べれば他は些細なことだ。


「胸の大きさは圧倒的D! お尻は普通って書いといて。自分のと比較してみる」


 きっと後悔する。遠慮してしまった自分の首を絞めてやりたいくらい後悔することになる。

 そうならないために小蔦さんが指導してくれたんじゃないか。

 覚悟を決めろ、船倉静真。


「性格はちょっと引っ込み気味だけど主人公のこととなると情熱的になる、で」

「津布楽さん」

「ツンデレ気味でもいいかも。ちょっと痴女っぽくても――」

「津布楽さん!」

「あっ、はいはい! ごめん興奮しちゃった。あかんヨダレが……」

「疑似恋愛をしよう」

「え? なに!?」


 じっと彼女の目を見つめた。逸らし続けた瞳から今度は逃げなかった。

 

「先輩への返事に迷ってるんだろ」

「……う、うん」

「断ってくれ」

「えっ。……どうして?」

「嫌だからだ。紅羽が知らない男と歩いている姿なんて見たくない」

「んぁっ……。それって、いや待って。むり、尊い」

「とにかくおれは嫌だ。それだけだ」


 そう言い切り、おれは教室から出た。

 恥ずかしさで真面に立っていられなかった。気味悪く身体をくねらせ、トイレの洗面所まで千鳥足で歩いた。もう頭が爆発してしまいそうだった。

 顔を洗って熱を冷ます。もうこれで小蔦さんからの社会的制裁はないはずだ。よしよし、よくやった。これでよかったんだ。おれはそう自分を奮い立たせた。

 もはや告白だった。あなたが好きだから、と伝わってしまったと思う。彼女にどう思われるかは解らないがこうして放課後に会う関係が終わらないといい。それ以外は何も望まない。


「うしし。火照ってますなぁ。その表情好きだわぁ」


 ハンカチで顔を拭いていると生徒会室から椿先輩が現れた。おれは眼鏡を外したまま先輩と向き合う。この際、視界がぼやけていた方が話しやすい。今は誰の表情も真面に見ることができなさそうだ。


「何でもないです。気分転換に顔を洗ってました」

「あら、そぉ? 今、あなたすっごくえっちな顔してるわよ」

「やめてくださいよ……。冗談でもそういうこと後輩には言わないでください。リアクションに困ります」

「ふふ。まぁいいわ。お大事に~」


 先輩はひらひらと手で宙を仰ぎ、トイレへと消えていった。先輩の気さくさのおかけで少し気が落ち着いた。何だかんだで頼れる先輩だ。

 津布楽さんが待つ教室のドアを開ける。彼女は窓の外に顔を向けていた。おれは恐る恐る席に近づき、元いた彼女の目の前の席に座った。


「もう、疑似恋愛は終わり?」

「……終わりだ」


 そう告げると彼女はとても可愛らしく微笑んだ。

 その笑顔のためなら何でもできる。本気でそう思った。

 

 

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