第13話

 寺坂知美の独白。

 知美は体を震わせつつも言葉を紡いでいく。

 ユニフォームの裾を両手で自然と掴んでいて、力を込める。どこかで支えないと倒れそうだったから。


「私ね、鹿島杯が終わってから、ずっと悩んでたんだ」


 一度言葉を切って、頭の中で伝えたいことを整理する。長くなってしまうとしてもすべて伝えきるために、流れと要点を確認してから、言葉を再開する。


「試合でも結果、残せないし。私が部長でしっかりしてないから、皆の練習もうまく見れないし。朝比奈さんも愛想つかすのも当たり前だなって、思ってた。だって、今の試合を見てても皆、分かるでしょ? これだけ強いんだから、部活を辞めようとするのも当たり前だよ」


 知美の中で、試合をしていく中でも変わっていった意識。

 試合の前はどんなことをしても勝って、朝比奈を部活に押しとどめて、徐々に説得していこうと思っていた。多向からのメールが届いて、相沢からの助言を参考にして前日の寝るまで考えていた展開だ。

 しかし、試合をしていく中で知美も分かったことがある。朝比奈から逃げずに立ち向かったことで分かったことがある。今までの逃げた状態から前を向いて考えたこと。実際に朝比奈と対峙して理解できたこと。

 自分の今までの経験も、勝つために思考してきたことも全ては無駄ではなかったのだ。

 すべてを終えて、今、こうして思ったことを隠さずに話す。


「だからこそ、私は朝比奈さんにいてほしい。一緒に、部の皆が上手くなるために協力して欲しいんだ」

「……私は、そんな暇は」


 朝比奈は顔を背けて呟く。知美から表情は見えなかったが、頬が歪んでいるのが微かに見える。悔しさに耐えるために歯を食いしばっているのか。

 知美は一つ頷いてから口にする。


「うん。何か、急いで強くなる理由があるんでしょ? だから、私達ももっと朝比奈さんが強くなるために何をしたらいいか考えるよ。だから、朝比奈さんも、私達が強くなるために考えて欲しい」


 知美は一度言葉を切り、今度は周りにいる部員達に言う。手を広げて全員に聞いてほしいという思いを身振りでも伝えながら。


「朝比奈さんだけじゃなくて。他の人も、皆で一緒に、強くなるのに協力して欲しいんだ。私達の代は……あまり実績を残せてないけど。一つ上の人達も、やっぱり差はあったけど。結果を残した人達は、自分達で本当に考えていたもの。私が部長として考える部は、皆で一丸で考えて、成長していく部なんだ」


 自分の中にあった答え。

 相沢や早坂など、一部のプレイヤーは確かに強く、全国までの実績があった。一方で、実らないプレイヤーもいた。

 練習への意欲の差。意識の差。そして、向き不向きの差。

 いろいろな差が混ざりあって結果が出ていくのだとしても。知美はできれば全員が、自分が納得する結果を出して欲しいと思っていた。だから、自分が一番実力があり、他者に指導できるという状況が必要でそこに達していない自分が恥ずかしくなった。

 でも知美は止めたのだ。

 自分の弱さから逃げることを。

 自分が何とかしようとするのではなく、皆にも協力してもらって共に成長していこうと。自分が皆の力を引き出すのではなく、皆が皆の力を引き出すように。


「別に私じゃなくていい。里香でも絵里奈でも、宮越さんでも、朝比奈さんでも。誰でもいい。皆で、強くなりたい。だから朝比奈さん。あなたにも協力して欲しいの」


 朝比奈から逃げず、朝比奈を頼る。先輩や後輩といったことなど関係なく、実力者に教えを請う。それは恥ずかしいことではないはず。

 知美は視線をしっかりと朝比奈に向けて、手を差し出した。

 朝比奈はしばらくその手と知美の顔を交互に見ていた。それから一つため息をついて、知美から離れる。

 周囲から息を飲む音が聞こえたが、朝比奈は歩き出すと同時に知美へと言った。


「言ってることは分かりました。でも、握手はしません。試合に負けたんですし、約束通り部活は辞めません。部活を辞めないなら、私が強くなるために、皆が強くなるのに協力しますよ。暇がないって言ってられませんしね」


 気だるそうに言いながら朝比奈は体育館から出ていった。荷物は置いてあるため、一時外しただけだろう。朝比奈の言葉を聞く限り、知美の思い通りになったと言える。

 そこで知美は手を下ろして、息を深く吐いた。


「はいはい。じゃあ、少し休憩してから部活始めましょ」


 誰もが落ち着いたタイミングで多向が手を叩き、部員達の間にある空気をを引き締めた。一年は試合を見ていて堅くなった体をほぐしつつ体育館から出ていく。知美に声をかける部員はいなかった。まだ、部を辞めそうになった騒動から声をかけづらいこともあり、朝比奈を追っていったのだろう。

 二年は知美の周囲に集まって試合を終えた彼女を次々に労った。試合の最中に知美が勝つことを諦めていたことを謝罪していく。その事は知美も仕方がないことだと気にせずに笑顔で言葉を返していた。

 最後に菊池が言う。


「お疲れさま、トモ」

「里香……ありがとう」


 菊池の言葉にようやく終わったのだと感じると、足に力が入らなくなってよろけた。慌てて支える菊池に謝りつつ、しばらく体重を預ける。


「いろいろ緊張しちゃって……力抜けちゃった」

「寺坂さん。頑張ったわね。部長らしかったわよ」


 多向が傍に来たので知美は菊池の体から離れる。少しふらつきつつも多向へと微かに笑顔を向けて言う。


「いえ……まだ、部長として皆に認められたか分かりませんから……」

「そう? 二年や、一年の一部には認められてるんじゃない?」

「え? 一年って……」


 多向の言葉に知美も、二年の面々も驚く。

 同学年の女子が自分を部長として支えてくれるというのは分かる。だが、一年は誰もが朝比奈のほうを支持していたのではないか。だから、部活より朝比奈との練習を選んだのではないか。

 そこで思い出した。

 多向が一年の練習を休む真相を知ってミーティングを開いたのは――


「桐木の昌子。私に練習をサボってることを言いにきたのよ。その時ね、不思議に思ったの。いずれバレるんだろうけど、自分から言いにきた理由はなんなの? って。私はね、先に言ったことで何か許されるって勘違いしてるんじゃないかって思ったのよ。そうだったらもう怒ってやろうって」

(怖い……)


 過去を思い返して語る多向の笑みは鬼気迫るものがあり、知美は体を震わせる。しかし、その怖さも次の瞬間に霧散し、普通に話し出した。


「でもね、理由は、部長に悪いって思ったからなんだって」

「……私に?」

「そう。部長になる前から。部長になってからも、自分達を気にしてくれていた部長に悪いと思って、サボるのはもう止めようと思ったんだって」


 その時、知美は胸にちくりと何かが刺さったような気がした。思わず手を心臓の近くに持ってくる。何も刺さってはいない。しかし、徐々に痛みが広がっていく。

 不快ではない。ただただ、胸が苦しくなる。


「見てる人は見てるのよ。頑張ってる人って。もっと早く自信を持っても良かったわね」


 多向はそう言って、知美の頭に軽く手を置く。

 知美の目に映る多向の顔は、本当に優しく見えた。そして、同じ言葉を伝えた。


「寺坂さん。頑張ったわね。部長らしかったわよ」

「――ぁ」


 痛みはやがて涙となって外に出る。

 知美は崩れ落ち、溢れる涙を抑えるために両掌で顔を覆う。菊池も含めて二年女子は知美の気持ちが伝わったのか、一緒に目を潤ませていた。


(――通じてた。認められていないわけじゃ、なかった。部長として、何もかも駄目だったわけじゃなかった)


 自分の今まで。

 インターミドルを終えて日にちは経っていなくても、部長として部をどうしていくか、考えない日はなかった。より良くするために考えてきた。試合に勝つために思考すること以上に。

 鹿島杯で負けたこと。朝比奈が勝ったこと。

 それも、今まで自分が経験してきたことで。

 頑張ってきたことは、無駄ではなかった。

 そう強く思って、知美は嗚咽を止めることが出来なかった。


「だから……何度も言ったでしょ。気にしすぎだって」


 里香の声は顔を掌で覆っているために見えない今でも、分かった。しかし、肩に置かれた手は間違いなく菊池の物だと分かった。そして周りで一緒に泣いてくれているのも、自分の仲間達だと。

 こうして知美の戦いが一つ、終わった。



 * * *



(……酷い顔)


 休憩の時間が終わってもしばらく涙が止まらなかった知美は、多向の計らいで休みとなった。知美の言葉を実践しようと、副部長の菊池含めて二年生が一緒に練習メニューを考え、それをこなしていく間に一年も意見を言う。まだ朝比奈の発言率は高いが、徐々に改善されていくだろうと思わせる。

 そんな感想を持ちつつ、知美は体育館から出てしばらく教室で休んでいた。ようやく落ち着いたところでトイレに行き、自分の顔が酷いことになっていることに気付いたのだ。


「……もう少し、落ち着かないと外も歩けないよね」


 涙で真っ赤になった目。瞼も真っ赤に腫れている。これで青く染まっていたら誰かに殴られたと言われそうなほどだ。人の注目を逸らしながら家まで帰れる自信は知美にはない。時間が経てば充血も落ち着いていくだろうと気持ちを切り替えて、知美は洗った手を瞼に当てた。水の冷たさが心地よく火照った頭さえも冷やしていくように思える。

 自分の感情が制御できなくなったのは、やはり知美自身、疲労が限界にきていたからだ。

 慣れない挑発。打つショットの調整。

 最後の失敗できないところでの打ち回し。

 自分のバドミントン人生の中で間違いなく、一番頭を使ったのだから当然といえば当然だった。


「先輩達はもっともっと考えてたのかな……はぁ」


 まだ憧れた先輩達との差はあると改めて思い知る。それでも今の知美は焦らない。自分の出来る範囲で、皆と共に強くなろうと決めたから。不安になっても、そのことはもう迷わない。今日の勝利で自信がついたことも一因だろう。自分の経験に間違いなく糧となった。

 瞼から手を離して、少し赤みが引いていることを確認してからトイレから出る。するとちょうどやってきた人とぶつかってしまい、知美はよろけた。


「あ……」

「具合はどうですか?」


 ぶつかった衝撃でなのか一歩後ろに下がった体勢で、朝比奈が立っていた。

 朝比奈は知美を真正面から見据えて動かない。知美に会いに来たということなのだろう。突然の行動に驚きつつも知美は「大丈夫」と頷く。すると朝比奈は「そうですか」と呟いてから背を向けた。余りにあっさりと去ることに拍子抜けした知美だったが、何とか「あ、ちょっと」と呟いた。小さな声だったが、朝比奈に届いたらしく、足を止めて振り返る。


「なんです?」

「……朝比奈さん。どうしてそんなに急いで強くなろうとしてるの?」


 宮越も言っていた、朝比奈が強くなりたい理由。急いで強くなろうとしている理由が分かれば、もっともっと何か協力できるかもしれない。そう思って聞いたのだが、朝比奈は軽く笑うと頭を振った。


「先輩に教える義理はないです」


 さらりと言って朝比奈はまた歩いていこうとした。だが、何かを思いついたのかすぐに振り返り言い捨てる。


「今度また、マイナス十五点から試合やってください。今度は、絶対に勝ちます」


 それだけ言って去る朝比奈に、今度は知美も声をかけることが出来なかった。敵意も何も感じないからこそ、全く言う気がない『強くなりたい理由』と、純粋に困難に挑んで勝ちたいという強い思い。

 朝比奈の中に踏み込むには、知美にはまだ足りないものがたくさんある。

 しかし、ほっとする自分がいる。


(今までぎくしゃくしてたんだし。いきなり仲良くなれたら変だもんね)


 自分の中の思いを全部出した知美。

 一方で朝比奈はまだ思いを表に出しはしないだろう。今しがた接したように。

 だがそれでも構わないのだ。それは、これから共に作っていく時間の中で決まる未来だ。自分がいなくなる時にもし朝比奈と分かり合えないとしても、自分が精いっぱいやった結果ならば。今の自分ならば受け入れられる。

 何もかもが、今からスタートだ。

 更に知美は苦笑しつつ呟く。


「私も、言ってないことはあるしね」


 皆に良く見てもらいたかったこと。皆のことを考える一方で、それが自分を良く見てもらうための手段としても使っていたこと。それを言うことはなかった。

 それは、ひどい裏切りとも思っていたが、相沢にもそういう気持ちはあっても不思議じゃないと諭された。ならば、思っていてもいいのだろうし、それを言わなくてもいい時に言うこともない。

 ちゃんとやるべきところはやる。自分を甘やかすところは甘やかす。

 そうやっていろいろと学びながら成長していけばいい。


(……あとは、結局、言えなかったし。嘘ついたの)


 もう一つの嘘。

 早坂がマイナス15点対14のゲームをやったことなどないことを、最後まで言うタイミングがなかった。

 二年が何か言ってくるかと思ったが、知らないところで実際に行っていたのかとでも考えたのか、知美の発言に本当かと聞いてくることもなかった。知美と菊池は他の部員よりも早坂と共に試合を勝ち進み、代表として別行動をしていたことで知らない間に行ったと思い込んだのかもしれない。菊池は菊池で、知美と早坂が小学校時代からの知り合いと分かっていた分、自分の知らない空白の間でゲームをしていたと思ったのかもしれない。

 全ては憶測だが、言われたら答えるつもりではあった。結果的に嘘をつくことになったが。

 それはかつて行った遊び。

 小学生時代に、相沢がマイナス15点から。自分が14点からという条件で何度かしていた遊びだったのだ。今回の油断させる戦略も半分以上は、相沢に勝とうとして考えたもの。

 今までもこれからも、頼るところは頼る。それが心苦しいとしてもそう思う自分も認めよう。

 自分を全部受け入れて、一歩ずつ成長していこう。


「頑張ろう」


 一度目を閉じてから、開く。

 目に映る光景は今までよりも綺麗に映っていた。



 完

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