第10話

 月曜日の十六時半。

 知美達女子バドミントン部員は二年C組に集められていた。部員はそこまで数は多くないため基本、何か会議があった場合は前の方に座る。だが、何故か今回は二年生は後ろに座るように――正確には三列目から後ろに座るようにと多向が指示していた。とりあえず横一列になって座っているとちらほらと一年生も集まってくる。多向のところに行って欠席するための理由を伝えている生徒もいたようだが、すぐ終わると言われてそのまま参加させられていた。更に、最後尾に座ろうと移動していたところを捕まえて一列目に座らせる。

 徐々に嫌な予感に形ができてくるのを知美は感じていた。


「ねえ、里香。本当に多向先生には言ってないの?」

「本当だって。早坂さんにも先生には言わないでくださいって言っておいたし……あの人も告げ口するような人じゃないし」


 身をすり寄せてひそひそ声で語る知美と菊池。

 知美は前日のメールが来てから、菊池に一年がサボっていたことを先生に言ったのかと問いつめた。その結果、菊池は早坂にしか言っておらず、早坂や相沢からも漏れる可能性はほぼないと結論づけた。つまりは、他にサボっていたことを告げた生徒がいる。考えられるのは最初に彼女達を見つけた同じ代の大西恵里奈で、直接電話でも聞いてみたが、違うと答えられた。当人も事を荒立てたくないと、もしも一年がサボっていることに確証を得ても黙っているつもりだったという。

 ならばいったい誰なのか。

 その答えがもう少しで分かる。

 最後に朝比奈がやってきて一番前の窓際席に座ったことで女子バドミントン部が全員そろう。

 二年生は知美を入れて五人。一年生は十人。

 全員が教卓に座る多向を見ている。


「さーて、揃ったわね。じゃ、ミーティングを始めます」


 多向は一度言葉を切って部員達を見回した。そしてタイミングに遊びもなく単刀直入に告げる。まるで力のあるスマッシュが放たれたように。


「一年生達。最近部活をサボって市民体育館で練習してるようだけど、なぜ?」


 やはり、という空気が教室を包み込む。多向もそれを察して言葉を続けた。


「桐木の昌子が教えてくれたわ。多分、いろいろ思うでしょうけど、あなた達が間違ったことしてるんだから昌子を責めるのは勘違いなんで止めてね」


 名前が出た桐木昌子へと一年女子の視線が向く前に、多向が制していた。寺坂は桐木の背中が震えているのが分かる。サイドポニーにしている髪の毛の先がふらふらと行先が分からないように揺れている。

 いくら多向が他の一年生を制しても、結局は意識が集中するのは止められない。


「ど、どうしてでしょうか」


 そんな中で多向に向けて質問を投げたのは、宮越歩だった。シングルスで朝比奈と共に鹿島杯に出た一年生。多向は「どうして疑問に思うの?」と逆に問いかけて宮越に発言を促す。宮越は耳にかかるセミロングの髪を指でいじりつつ、おどおどしながらも言った。


「部活では……強くなれないと思ったから、休みました。朝比奈さんのほうが、先輩達より強いし、朝比奈さんと練習していたほうが、いろいろ気をつけられるし、私も上手くなった……と思います。部活だと打つ場所も限られるし、時間も限られるし……思ったように強くなれません」

「……他の一年も同じ理由?」


 宮越の言葉が終わったところで多向は他の一年に尋ねる。一人が頭を下げるとそれに付き従うように次々とうなずいたり、言葉を発した。ただ一人、朝比奈だけは何も言わないし、動かない。


(打つ時間、か)


 知美もその点は気にしているところだった。

 体育館は広くても全部を使えるわけではない。バドミントン部で言えば半分は卓球部が使っている。体育館の半分を更に男子と女子で分け合っているため、必然的に打つ場所と時間は限られる。市民体育館で自分達だけで練習すれば、少なくともシャトルを打っている時間は使ってる間できるだろう。


「じゃあ、結論としては。一年全員が今の部活について不満があって、嫌だから休んで市民体育館に行ってるってことね」


 宮越がどれだけ言葉を選んでも「つまりはそういうこと」という本質を多向は突いていく。多向の言葉に一年生は黙るが、多向は無言を許さず一人一人指名していった。指名までされて一年は黙っていることはできず、仕方なしに返事をする。

 最後に朝比奈に声をかけると、即座に「はい」と返事をした。


「これで一年全員、か」


 そう呟いてから多向はポケットから小さな紙を取り出した。それを一枚ずつ一年生が座る机の上に並べていく。

 それが何なのか知美のほうからは見えなかったが、一年生が怯えているのは分かった。端に座る朝比奈まで紙を配り終えた多向は教卓に戻り、説明を始める。

 その出だしに、知美は思わず声を上げてしまった。


「今、配ったのは退部届です」

「――多向先生!?」


 知美の驚きの声を無視して多向は続ける。その表情は特に感情が表れておらず、淡々と事実を告げていく機械のようだ。


「部活が嫌だからって文句も言わずに部活をサボるような人は、無理して部に所属してもらう必要はありません。辞めてください」

「……あ、あの。それは横暴で――」

「別に部活入らなくても内心点には響かないわよ。あなた達に入部の義務はないし、嫌だからってサボるくらいなら辞めてもらってかまいません」


 宮越がオドオドしながらも必死に自分の考えを言おうとしたが、多向は気にせず自分の意見を言いきった。他の一年は俯いてばかりで多向から視線を逸らしていた。唯一、朝比奈はまっすぐ前を見ている。


「バドミントンの試合も、浅葉中バドミントン部として出てるんです。個人としてただバドミントンの試合に出たいなら、市内の一般人も混じった大会に出ればいいわ。やり方教えてあげるし。あ、でも未成年はいろいろ制限あるかしら」

「でも……」

「宮越さんも皆も、浅葉中バドミントン部では強くなれないから逃げてるんでしょ? 何とかしようとしないで。無理なんかして、遠くの総合体育館に行ったり、怪しまれないように丁寧にローテーションで部活に参加したり。欠席の理由を考えるのも大変だったでしょう? すっぱり、退部届を書いて辞めていいわよ。別にバドミントン部が困ってもあなた達には知ったことではないでしょ?」


 知美は多向のことを侮っていたことに今更ながら気づいた。

 自分達に比較的近く、何もできない、ただ試合の際に引率するだけの顧問だと思っていた。

 しかし、穏和な仮面の裏に確固たる意志を持っていることを隠していたのだ。それを今、真正面から一年は叩きつけられている。


「ただ、バドミントンがしたい。上手くなりたいなら別に部活をする必要はないわ。バドミントン部にいるなら、バドミントン部として強くなるために一緒に頑張っていかないと。それを放棄するんだからほら、早く書きなさい?」


 それは一年が圧力に屈して退部しない、サボらないと言わせるための方便ではなかった。そのような意志があるのなら、一年も多向を舐めてかかり、耳を貸さなかっただろう。だが、多向は本気で一年全員がバドミントン部を辞めてもいいと思っている。それが知美にもひしひしと伝わってきていた。


「浅葉中バドミントン部として、共に成長していく気のない、ただ強いだけのバドミントンプレイヤーなんて、いらないわ。浅葉中バドミントン部に必要なのは、浅葉中バドミントン部員だけよ」


 空気がよどみ、動きが止まる。

 それから十分ほど無言の時間が過ぎた。誰もが、次の行動をとることが出来なかった。

 そして、誰かがため息をついた時、初めて動きが生じた。


「組と名前と、退部理由だけでいいんですね」


 朝比奈は返答を待たずに退部届に書き込んでいた。そしてそれを多向へと歩いていって渡す。多向が内容を確認して問題ないことを朝比奈へと告げると、彼女は鞄を持って教室から去ろうとした。


「ま、待って!」


 扉に手をかけた朝比奈を止めたのは知美だった。力の限り机に手を叩きつけて、注目を集めさせる。

 一年も二年も多向も。そして朝比奈も知美に注目して次の行動を待っている。知美は息を静かに吸って、言った。


「朝比奈さんは、バドミントン部に必要な人です」


 知美は今までになく強く言ったつもりだった。意図通りに、今までと何か違うように感じさせることができたらしい。一年も二年も自分を見る目がいつもと違った。自分にとってもいつもと違うことをしており、手に汗がにじんでくる。


(でも……逃げない)


 不安を形あるもののように考えて手で握りつぶし、知美は続きを発した。


「多向先生が言ったように、バドミントン部として強くなるためには、朝比奈さんが必要です」

「そうなの?」


 多向の言葉に一つ頷き、知美は日曜日に見た一年女子が上手くなっていることを伝えた。それは朝比奈と練習したからこそ。宮越が言うように、朝比奈と一緒に練習する時間を二年生ももっととれば、部全体で上手くなれるはず。

 そこで朝比奈が口を開いて知美を遮った。


「でも、私は弱い人しかいない部は興味ないです。一年の子達も、私は練習相手になってもらってただけで別に上手くしようなんて思ってません。それも、そろそろ疲れてきました」


 朝比奈の言葉に一年からも息を飲む音が聞こえる。朝比奈の本心。誰も相手にしない、置いていくという決意。自分の歩む道には自分しかいなくてもいいという強い意志。

 だからこそ、知美も引かない。本気の言葉を朝比奈にぶつける。


「ダブルス対シングルスとか、いろいろ方法あると思う。私達も朝比奈さんが強くなるように頑張るから、朝比奈さんも私達が強くなるようにいろいろ、やってほしい」

「だから。私はもうそんなことをしたくないんです。私は、自分が強くなりたいんです。その意味では、私は浅葉中バドミントン部員ではないです」


 朝比奈はドアを開けて教室から去ろうとした。そこで知美は「勝負しましょう!」と提案していた。

 その提案の意味が分からず朝比奈は足を止めて知美を振り返ってしまう。その場で動きを止めたことで、知美に話す機会を得させた。

 知美の意図通りに。


「私と朝比奈さん。シングルスで勝負しましょう」


 その言葉に朝比奈は完全に体も知美の方に向け、扉にかけていた手も離した。知美と話す体勢になる。


「寺坂先輩が? 私と? ……相手になるわけないじゃないですか」


 その言葉に一年も、二年でさえも同意するような空気を出す。それは知美も当然分かっていた。

 朝比奈美緒に単独で勝てる選手はいない。市内でも一位だったのだ。誰にも無謀な挑戦に取れるだろう。

 だからこその、勝負なのだ。


「うん。それは分かってる。だから、ハンデをつけさせて?」

「ハンデって……」


 驚きを隠せない朝比奈や部員達を後目に知美は条件を付けていく。


「朝比奈さんはマイナス15点から。私は14点から。サーブは朝比奈さんから。この状況で、私が勝ったら朝比奈さんは部に残って私達と一緒に強くなる。これで朝比奈さんが勝ったら、去る。これでどう?」

「……そんな不利な条件をどうして受けないとダメなんですか? 話になりません」

「これは早坂先輩もやったことあるんだよ」


 知美の言葉に朝比奈の動きが止まった。その反応も知美の予想通り。そのことを顔に出さないように、出す余裕を自分に与えないために言葉を続ける。


「早坂先輩もシングルスで強くて、誰も相手にできなかったから、そんなハンデ戦で練習してたの。それでも最後にあの人は勝ってたから凄かったけど。朝比奈さんは……入部したての頃に早坂先輩を目指してたよね? なら、この部から去るならそれくらいのことやって欲しいな。生意気なこと言ってるんだから」


 知美は自分らしくない、意地悪い言い方で朝比奈を責める。そのことで背筋を冷や汗が流れる。

 朝比奈がこれに乗るかどうかは半分は賭だ。

 勝算がないわけではない。

 朝比奈は入部当初から早坂を尊敬していた。彼女を目指していたといっても過言ではない。その早坂がしていたという形式で勝負を挑まれているのならば、断らないのではないかと考えていた。


「でも部長。それで勝っても当たり前じゃないですか?」

「卑怯ですよ!」

「確かにちょっとハンデ多すぎない……?」


 一年だけではなく二年からもやりすぎではないかと声が上がる。知美はそれでも自信を持って朝比奈へと向き合う。表情を作るのは楽だった。今の心境は無理をしてないわけではない。皆の視線が針のように自分を突き刺していく。でも、挫けたりはしなかった。自分が思っている通りの展開なのだから、痛くても耐えられる。


「受けてあげたら?」


 部員達のざわめきを止めたのは、多向だった。知美も朝比奈も多向に視線を移す。退部届の件を置いていかれた形になった多向だったが特に不満も表さず、淡々と朝比奈に言う。


「朝比奈さん。この部でもまだ学ぶことがあったじゃない。マイナス15から三十点取って勝つなんてできたら大したものよね。本当にこの部で学ぶことなんてないと思うわよ。だから、受けてあげたら? せっかく部長自ら言ってくれてるんだし」


 心なしか多向が「部長」という言葉を強く言ったように知美には思えた。それを考える前に朝比奈が「分かりました」と同意する。

 朝比奈は知美に向き合って、改めて条件を口にする。


「マイナス15対14から開始。サーブは私から。ゲームは……一ゲームですよね? それで私が勝ったら部を辞める。部長が勝ったら私は部に残る。これでいいですね」

「うん。いいよ。じゃあ、明日の部活でやろうか」

「分かりました」


 条件と試合の日を決めて、朝比奈だけ教室から出ていった。残った部員達はしばらくしてからまたざわつきだす。

 それを多向が手を叩いて止める。


「終わった訳じゃないわよ。他の一年はどうする?」


 結局、朝比奈以外の一年は部に残ることとなった。



 * * *



「寺坂先輩!」


 ミーティングが終わり、自転車乗り場まで来て帰ろうとしていた知美に声がかかる。振り返ると、そこには宮越が立っていた。ばつが悪そうに視線を逸らしつつも知美に話があるようで、タイミングを計っている。


「どうしたの?」


 知美から声をかけるとタイミングを掴んだようで、宮越は話しだした。


「朝比奈さんのこと……怒らないでください。朝比奈さん、強くなって、全国大会に出るのが目標なんだって前に言ってたんです」

「……皆、そうだと思うんだけど。何か他に理由があるの?」

「詳しくは分かりません。でも、何か強くなることだけ目指してるっていうか……だから、部活を辞めようとしているのかもしれません。自分が急いで成長するために。社会人のサークルにも部活がない日に参加してましたし」


 宮越の様子を見て、知美は少しだけ安心していた。その気持ちを素直に宮越に伝える。


「良かった。朝比奈さん、一人じゃないんだね」

「え?」


 知美の言葉が意外だったのか聞き返す宮越。知美は続けて言葉をかける。


「朝比奈さん。一年の中でも浮いてる感じだからさ。他の一年の子も特別扱いしてるっていうか……。さっきも、一年の女子は関係ない、みたいなこと言ってたし。だから心配だったの。宮越さん、朝比奈さんのこと支えてあげてね」


 知美はそこまで言って自転車に跨り、宮越の傍を通り過ぎていく。

 風を感じながら知美が思い出したのは、早坂のことだった。

 早坂は同じ学年の中でも実力がずば抜けていて、誰もが相手にできなかった。それこそ、マイナス15対14というハンデ戦でも負けるビジョンが見えないほどに。だからこそ、自分達はどこか早坂を特別視して避けていた。

 朝比奈は早坂と同じように見える。

 でも自分だけ強くなろうとして離れていこうとするところは違う。

 早坂は皆を引っ張っていこうとしていたのだから。


(私が考える部長。私が考える、バドミントン部。なんとか伝えたい)


 それを伝えるために、負けられないハンデ戦。

 後輩にそんな勝負を挑むのを、後輩だけじゃなくて同じ学年の仲間もどこか否定的だ。

 しかし、知美は折れないと、自分自身に誓っていた。

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