第9話
(どうしようかな)
知美は自宅の傍にある公園に来て、ブランコに乗っていた。軽く前後に動かしてゆらゆらと揺れながらこれからのことを考える。
部活を終えて朝比奈達の真実を知り、帰宅する前に泣いた。その後、何とか普段通りの自分を取り戻して家に入り夕食を食べた。その後に夜風に当たると言って近所にある公園へとやってきていた。
小学生低学年の頃はよく近所の友達と一緒に遊んでいたが、最近は全く足を運ばなくなっていた。通り過ぎた時に遊んでいる子供を見て懐かしむくらいだ。
知美がここにきたのは、夜の八時過ぎという時間帯には人通りがほとんどなくなり、部活帰りに寄っている公園に近い状態になるからだ。家からも解放されて、どこかで一人になって、いろいろ考えていたかったからだ。
格好は白基調のパーカーの下に長袖を着て、下は上に合わせた色のミニスカート。髪型はいつも二つに分けている縛りを一本にして後ろに垂らしている。
秋の夜ということで少し肌寒かったが、前日よりは気にはならない。
(また風邪引いちゃうかな)
そう考えてもすぐにどうでもよくなったのは、別に風邪を引いてもいいと思っていたからだ。むしろ風邪をひけば部活を休む理由になる。部長失格の烙印を押された自分が部にいても意味はないのではないか。そう思えて知美の気持ちは沈んでいく。
下を見ると自分のミニスカートが見えた。徐々に視線をあげて自分の服装を眺めていくと、ひどく新鮮な気持ちになる。
部屋着も急な来客があった時のために多少気を使っているが、それよりも少しだけ自分にとってはいい服を選んでいる。休日にはバドミントン中心で、朝からジャージを着て学校に行くとことも多かった。もしバドミントンを止めたら自分は休日や平日の夜に何をするのか。考えてみても思いつかない。バドミントンが占めていた時間に、ぽっかりと穴が空く。
(やっぱり、止めた自分なんて想像できないよね……でもそうすると、どうすればいいんだろ)
一年達が部活をサボっていたところを目撃した。一年は否定するかもしれないし、開き直って認めるかもしれない。どちらにせよ、女子バドミントン部は分裂する。菊池の性格なら明日には多向に報告するかもしれない。分裂が避けられない中で、自分は部長として何ができるだろうか。いくら考えても「何ができる」の部分で考えがつまり、スタート地点に戻ってしまう。
(うーあー! 分からない!)
知美はやけくそ気味にブランコをこぎだした。勢いに乗せて空に近づくたびに、このまま飛んでいきたいと思う。もし自分に高く飛べる力があったならば、皆を引っ張っていける力があるのなら、どこにでも行けるのに。
そう思ってもすぐに下に引っ張られていく。どんなに飛ぼうとしても重力や鎖に縛られて飛びきれない。スカートが風になびくのも構わずにブランコをこぎ、力を込める。
高く遠くへと羽ばたきたかった。
自分には、そんな翼はないと分かっていても。
ちょうど前方の到達点についた時だった。背中――正確には下から声が聞こえた。
「おーい、そんなにこいでると危ないぞ」
聞き覚えのある声。急に現れたかと思ったが、知美の視界には自分の見える範囲に自転車を止めて公園に入ってくる人影が映っていた。ただ、意識していなかっただけ。
「え……きゃっ!」
かけられた声に意識を取り戻したところで、後ろにブランコが移動する。そのまま下に戻ったところで声の主を見て、知美は見知った顔に驚きの声を上げた。
「あ、相沢先輩!?」
すぐ傍に住んでいる一歳年上の男子。
インターミドルが終わって引退した男子部の、そして町内会のサークルで小学生の時から一緒にバドミントンをしてきた男子。
更には、知美の思い人でもある。
驚きの声と共に高くブランコは上っていく。そこでスカートが風になびいていることに気づくと、知美は慌ててスカートを左手で押さえた。羞恥を感じつつもそう簡単には止まらないブランコに怒りも含め、脳内は完全に混乱していた。
(なんで!? なんで相沢先輩がここに!? スカート……中、見えた!? 見えてないよね! ブランコ早く止まって――!)
こぐのを止めたことで徐々に勢いをなくしていくブランコ。知美は止めることに必死になり、無言でブランコの勢いを殺していく。その間、相沢はだまって知美を見ていた。その視線がまた知美の心をかき乱す。
いつの頃からか恋心を抱いていた相手の視線は、知美にとっては薬でも毒でもある。嬉しいけれど恥ずかしく、辛いものだ。
ようやくブランコが止まり、知美は嘆息した。心臓はブランコを止めるために四苦八苦しただけではなく、相沢の登場にも荒れている。更に相沢は止まったところを見計らって知美の隣のブランコに腰を下ろした。
(ひっ――!?)
ブランコの間は知美の片腕を伸ばしたくらいの長さ。そんな距離に相沢が座ると自分の心臓の音まで聞こえるのではないかと錯覚する。
「ど、どうしたんですか? こんなところで」
黙っていたら心臓が破裂しそうだと、知美はひとまず会話を開始する。話している間に多少落ち着くかもしれない。かつ、どうしてこのタイミングで会うのかという疑問もあった。
「別に。図書館で勉強してから、吉田の家でもう少し勉強した後に帰って、この時間だったんだ。そしたら寺坂がブランコこいでるから。裏に住んでるのに会うの久しぶりだなーっと思って」
ダブルスのパートナーだった男の名前が出てきて、知美はただただ感心する。部活を引退した後でも勉強にバドミントンにと相沢はパートナーと共に頑張っている。第三者の名前が出てくると自然と落ち着いて、知美は気になったことを聞いてみた。
「……見えました?」
「え?」
「な、なんでもないです!」
すぐに否定して会話を終わらせる。
仮に見えていたと言われたら恥ずかしさに気を失うかもしれない。だが、見えなかったのも残念な気がすると、相反する感情に知美は頭がくらくらしてきた。
(私……舞い上がってるのかな……)
おそらくもうほとんど会うことも、会えたとしても会話をすることはないだろうと思っていた存在。家が近くとはいえ、現役の時でもバドミントン部以外で話した記憶はほぼ、ない。
部活に来なくなった後、家を出る時は毎回、相沢の家のほうを見ていた。家を見ていれば相沢がどこかから姿を現して偶然会えるのではないか。そう期待している部分もあった。
自分の抱いていた恋心が成就することはないと分かっているだけに、今のこの時間は知美にとって奇跡だった。
「ゆ、由奈先輩も元気ですか?」
「ん。ああ。最近は一緒に勉強するくらいしか一緒にいられないけど」
「デートはしないんですか?」
「たまにはね」
聞いても仕方がない恋人とのことを尋ねて、逆に知美は冷静さを取り戻す。自分が勝手に舞い上がっているだけで、相沢にとって知美は後輩のうちの一人なのだと自覚するための儀式みたいなものだ。
知美は最後に息をゆっくりと吐いてからブランコから立ち上がろうとする。そこに、相沢が尋ねた。
「実は部活のことで寺坂が悩んでるって相談されてな」
いきなり言い出した相沢に驚いて顔を凝視してしまう知美。相沢は後頭部をかきながらばつが悪そうに言う。
「自然に聞こうと思ったんだけど、こういうのダメだわ。試合みたいに上手くは考えられない」
相沢は苦笑しつつ、隠してて悪い、と頭を下げる。知美も謝る必要はない、と相沢に言う。
相沢はほっとした様子で一度言葉を切ってから再開した。
「実は早坂からメールがあってな。菊池に寺坂が悩んでるって相談されたんで、俺に相談乗りにいけって。早坂でもいいじゃんな」
出てきた名前はまたしても一つ上の憧れの先輩で早坂由起子。同じく小学生からの知り合いだ。総合体育館から帰る時に置いていった菊池が、早坂へ連絡したのだろう。知美はいくつかの出来事が一つに繋がってほっとする。そこから知美は相沢に向けて言う。
「大丈夫です。これは女子バドミントン部の問題ですし。先輩達はもう引退したんですから、頼っていられません」
「それはそうなんだろうけど、解決できるのか?」
「解決します」
相沢に言われて言い返したまでは良かったが、先ほどまで部活を辞めようと思っていたのは事実。それでも、知美は先輩の力を借りることだけはしてはいけないと考える。
(駄目でも、部長なんだから……もう、三年生は引退したんだから、力を貸してもらっちゃ行けない)
代替わりとはそういうことだと知美は思っている。
今まで任せていた部についてのことを託されて、そこからはもう自分達の責任となる。むしろ、菊池が早坂に連絡を入れること自体してはいけないことだ。余計な心配をさせてしまい、申し訳なくなる。
「確かに今、ぎくしゃくしてるんです。一年と二年の間で。でも、私は部長ですし、菊池も他の皆もきっと力を貸してくれますから。自分達で何とかします」
「なんとかなってないから、菊池も早坂に連絡してきたんだと思うけどな」
相沢の言葉に知美は次の言葉を紡げなかった。その隙をついて、相沢は更に言葉を重ねていく。
「菊池も寺坂と同じように、もう自分達の部なんだから自分達で何とかしないとって思ってると、思うぞ。寺坂からどう見えてるか分からないけど。でも、そう思っていても早坂に相談せざるをえないんだから、よっぽど追いつめられてるってことじゃないか」
「……それ、は……」
自信を持って言葉を返せれば、相沢もこれ以上なにも言わないだろう。
そう思っていても、知美は言葉を出せなかった。相沢からくる静かな圧力。自分を責めているわけではないと分かっていても感じるのは、知美自身が責められるに足る理由を抱えているということ。それを自覚しているから、相沢に責められているように感じてしまう。
その知美の緊張を見て取ったのか、相沢はため息をついて場の空気を緩めた。苦笑いしつつ知美へと諭すように言った。
「なんか部長だ、とか。自分達の部とか、気負いすぎなんだろうな」
「そう、ですか……?」
「そう。部長だから、そりゃ、部内で統率力もピカ一で、実力も凄くて、完璧超人なら文句ないだろうけど、そんなの別に必要でもないだろ」
「……でも、早坂先輩や吉田先輩は、部長らしかったです」
自分の理想を最も身近で体現していた先輩達。その一員にいたはずの相沢から否定の言葉を聞かされるのは辛かった。声も低く、ぶっきらぼうな言葉遣いになる。相沢は知美の様子を感じ取ったのか、嘆息交じりに告げる。
「あいつらは実力もあったし、リーダーシップもあったからな。それに比べると寺坂は弱いだろ」
自覚していたことをはっきりと憧れの先輩に言われて知美はショックで顔を落とす。ただでさえ落ち込んでいるのに、更に落ち込ませる相沢が何を考えているのか分からない。悶々としている知美に相沢は優しく告げる。
「でもな。じゃあなんで寺坂が部長になったんだ? 先生から指名されたんだろ」
「……はい」
「なら、寺坂にも部長の資質はあるってことさ。寺坂は早坂や吉田を参考にするのはいいけど、自分なりに部長していけばいいんだよ」
相沢の言葉を自分の中で噛みしめる。
自分の中の部長像は正にさっき言った、男子部の部長や早坂だった。実力を持ち、リーダーシップを発揮する。誰もがその人の言うことに従う。
しかし、知美にはそこまでの実力もリーダーシップもない。ならば、どうしたら部に貢献できるのか。
相沢の「自分なりに部長をする」という言葉に何かがひっかかりそうで、知美は自然と口を開いていた。
「私、この前の鹿島杯、二位だったんです」
知美は自分に劣等感を抱かせていることを一通り吐き出した。
鹿島杯で、学年別で勝った相手に惨敗したこと。
逆に一年の朝比奈美緒がシングルスで優勝したこと。
それに対して劣等感を抱いて、どう接していいか分からなくなったこと。
一年も朝比奈の強さに憧れて、自分達を相手にしなくなっていること。
そして、自分が相手にされなくなることに怯えていること。
良く思われたかったという気持ち。
だから何、ということではない。単純に思っていることを吐き出しただけ。
それは副部長の菊池には近すぎて言えないこと。だからと言って早坂のような先輩や、同級生の男子には気軽には言えない。
先輩であり、幼い頃から知っている。そんな立ち位置の相沢にだけ、今の知美はただの愚痴を吐けた。
ひとしきり口から出し終えると、知美は少しだけ体が楽になった気がしていた。そして目から涙が出ていることにはっとする。
「あ、えと……ご、ごめんなさい……」
「いいよ。泣きたい時に泣いておけよ」
相沢がそう言って、腕を伸ばして知美の頭を軽く叩く。
そこで、知美の中でタガが外れた。
涙と共にこみ上げてくるものを抗わずに吐きだす。声をあげると近所に聞こえるという判断はついたので、口に手を当ててできるだけ漏れないように。
「……ぅ……ぅぅ……ぁ……」
泣いている間、相沢の手はゆっくりと、優しく知美の頭を撫で続ける。その温もりが心地よく、知美は自分が『柔らかく』なっていくように思えた。
* * *
しばらくしてようやく感情が収まったところで、相沢が一つ質問をした。
「寺坂は、朝比奈をどうしたい? いろいろ悩んでるからこんがらがるんだよ。一番困ってるところから片づけよう」
その問いに寺坂は少し考えてから答える。それはいろんな感情の下にあったもの。部長として、上の年目としてのプライドも全て吐きだして。残ったのは寺坂個人の思い。
「朝比奈さんにはちゃんと部活にきてもらって、みんなの練習を見てほしいです」
そう言って相沢の顔を見る。今までずっと反らしてきた視線を、この時、ちゃんと見ることができた。そのまま言葉を続ける。
「朝比奈さんに教えてもらったら、ちゃんと皆、上手くなると思うんです。実際、今日、来ている一年生見てたら鹿島杯の前より上手くなってました。多分、部活を休んで朝比奈さんと練習してた時に教えてもらったんだと思います。上手い人が一緒に練習してくれたら、それだけでも真似たり、勝とうと頑張ったりして自然と上手くなると思うんです。だから……私は、朝比奈さんを部に戻したいです」
息を切らせず言い切ったことで、呼吸が荒くなる知美。何度かゆっくりと深呼吸して落ち着かせたところで相沢が言った。
「そうか。なら、そのために何をすべきか考えればいいさ。案外、一つ解決したら一気に三つ四つ解決するぞ」
「はい」
「あともう一つ。目標決めたら、どんな手段でもやりきるんだ。プライドとかいらない。自分がどんなに恥をかいてもいい。自分の領域に相手を誘い込め」
「……それって、バドミントンの試合のことですよね」
「全部だよ」
知美の返答に相沢は笑って、ブランコから立ち上がった。そのまま「じゃあな」と手を軽く挙げて背を向ける。知美は立ち上がると、歩きだした相沢の背中に向けて頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「ああ。近いからって気を抜かないで、気をつけて帰ろよ」
相沢はそのまま公園の外に止めてある自転車に向かう。だが、すぐに足を止めて振り返ると知美に言った。
「あとな。人に良く思われたいとか、当たり前のことに悩むなよ。誰だって嫌われるより好かれたいだろ。俺だってそういう気持ち、あるんだからな」
「……私に対して優しくしてくれたのもですか?」
「少しはある。まあ、そもそも。こういうので悩むいい後輩だから、嫌われたくないし、困ってるなら助けたい。多分、二年の女子も皆、分かってるさ。寺坂が気付いていないだけだ」
相沢は少しばつが悪そうに去っていった。
視界から相沢が消えてもしばらく知美は立ったままだった。自分の中で少しずつ、重かったものが落ちていく。
(朝比奈さんを連れ戻すために必要な手段はプライドを捨てて、か)
知美の中で、一つの考えが形を成していく。
相沢との会話の中でふと思い出した昔のこと。浅葉中バドミントン部の一年と二年だけの世界に閉じこもっていた知美が、一歩だけ外を見て、感じたもの。
タイミングは分からないが、近いうちに実践しようと知美は決めた。
(まだ……『憧れの部長』はあるけど……少しずつ、自分なりの部長を目指してみます。ありがとうございます)
再度心の中でも相沢へと礼を言い、知美は家に戻るべく歩きだす。そこで、携帯電話がメールの着信を告げた。
パーカーのポケットから取り出して見てみると、部で導入しているメールマガジンのサービスからのものだった。タイトルは「会議を開きます」とあり、知美の中に嫌な予感が走る。
メール本文を読むと、
『明日、月曜日の放課後、十六時半から二年C組で女子バドミントン部の会議を開きます。必ず全員出席するように。休む場合は多向に理由を直接説明しにくること』
と多向からの言葉が書かれていた。
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