第12話

「ポイント。トゥエルブフォーティーン(12対14)」


 多向はそうカウントを告げた後で、こらえきれなかったのか欠伸をし、慌てて口元に手を当てた。他の部員達は欠伸こそしていないが、緊張感は完全になくなっている。マイナス15点から始まった朝比奈の点数はもう12点を数えていた。そしてその間、一度のサービスオーバーをすることもなく、特にピンチらしいピンチも朝比奈は陥っていなかった。

 知美がハイクリアやドロップなど状況打開を狙ったようなショットをしても、朝比奈は即座に反応してスマッシュやヘアピンを厳しいコースに打って得点を重ねた。ほとんどの部員には同じシーンを何通りか写し続けているだけのように思えているだろう。


(ようやく、ここまで)


 知美は息を切らせている『振り』をして朝比奈を見る。

 実際のところ、数回の打ち合いで終わるラリーで体力は全く削られない。朝比奈も平然とした顔で知美を見返しており、少なくとも体の疲れは全くないと知美には見える。

 逆に知美は点差が縮められていくこと、あと三点で負けるというところまで追い詰められたということで精神的に辛いところまで来ている。

 ――普段ならば。


(あとは仕掛けるタイミングね)


 あえて単調な攻撃を仕掛けて、簡単に得点される。それの目的は周りも朝比奈もさすがに理解しただろう。何かショットに工夫はこらし、本気にも見えるようにしていたが分かる人には分かる。

 今までの自分の試合運びがこの終盤で何かをするためのものだと。他の部員達が緊張感をなくしてもコートの周りで試合を見ているのは、その知美が攻撃をする瞬間をまだ待っているからだ。


(朝比奈さんもきっと疲れてる。いつくるか分からないもの)


 三十点も取らなければいけないことへの不安。

 ミスをしてはいけないという不安。

 更には、何時、どこで知美が仕掛けてくるか分からない不安。

 知美は極力それまでと同じように振る舞う。今までバドミントンをしてきた人生の中で一番頭と演技力を使った。その結果がどうなるかは次のゲームで決まる。


「ラストスリー!」


 朝比奈は自分を鼓舞するように叫ぶ。今まで得点を重ねてきた中で、一度気を引き締めようということだろうと知美は思う。その様子を見ながら構えると、すぐに朝比奈がサーブを放つ。

 ロングサーブで打ち上げられたシャトルの下に入り、知美はストレートのハイクリアで返す。それは今までと違いしっかりとコートの奥まで跳ね返った。朝比奈は体を知美の真正面に行くように移動したが、シャトルが今までよりも深く返ったことに気づかなかったのか、上を見上げて慌てて後ろに下がる。バックステップで、タイミングは遅れたもののシャトルの下に入り、ハイクリアを打ち返した。知美は返ってくるシャトルを見ながらその軌道が今までよりも甘いことに気づいて確信を深める。


(まず一つ)


 今まで『あえて』シャトルを中途半端に返していた。その違和感には朝比奈も気づいているだろうが、ならばどこでしっかりとしたハイクリアを打ってくるか。そのことが朝比奈の神経をすり減らしていた部分のはず。

 だからこそのかけ声。

 残り三点を取るために気を引き締めなおしたのだ。

 そして知美はあえてそこを狙って仕掛けた。相手の『気を引き締めなおした時を狙ってはこないだろう』と、気を引き締めたからこそ生じた隙を突くために。


「はっ!」


 知美は次にクロスにハイクリアを放つ。軌道は通常のハイクリアよりも少し低く、速く奥へと到達するように。朝比奈は中央に戻ってからまたシャトルを追う。知美がクロスでハイクリアを打つこと自体が、今までのラリーの中で初めてだった。全く追いつけないシャトルではない。しかし、初めての軌道に体の反応が遅れる。


「や!」


 後ろにジャンプしてシャトルを捉え、スマッシュを打ち返す。空中でもバランスを崩さずに的確に打ち返した朝比奈に一年は歓声を上げたが、知美はシャトルに向かって一直線に向かっていく。


(ジャンプしてからしか打てなかった!)


 わずかな反応の遅れが重なって、朝比奈の行動を制限していく。

 通常ならばまず、朝比奈は崩れない。

 しかし、27点分の似たような軌道や威力のシャトルを打たされ続けてきたために、体が感覚を覚えてしまった。試合の中で体に一時的に覚えさせられた感覚を消すのは不可能に近い。知美は畳みかけようとシャトルをしっかりと拾い、ヘアピンを打った。

 ちょうど着地した朝比奈は前に打たれたシャトルに向けて走ってくる。知美の目線では、朝比奈の表情に初めて危機感が見えた。危機感以上に、焦燥に近いものまでも。

 何かを感じる前にシャトルを取られ、ロブを上げられた。知美はロブを追って真下に行き、直前で少し後ろに下がると前に勢いよく踏み出してラケットを持っている方の腕をしならせた。


「ゃあ!」


 前に行く力としなりを利用してスマッシュを放つ。あまり角度がないためオーバーヘッドストロークで放つドライブといってもいいかもしれない。今まで、ダブルスのドライブを打つようなドライブなら知美は打ってきた。それを朝比奈は楽に返していたわけだが、今回のドライブは勢いも飛距離もそれまでの物とは段違いだ。

 朝比奈はコート中央に戻りきる前にラケットを伸ばしたが、シャトルに触れることができずに膝をつく。そしてシャトルはシングルスラインの内側に落ちていた。


「ポイン――じゃなくて。サービスオーバー。フォーティーントゥエルブ!」


 サーブ権が移動するとは多向も思っていなかったのだろう。言い間違えてから慌てて訂正する。朝比奈はというと、膝をついた状態からしばらく立たずに落ちたシャトルを見ていた。その光景に一年から朝比奈へと悲鳴にも似た声がかかる。

 朝比奈はインターミドルの直前に足首を怪我していた。今回も同じように怪我をしたのではないかという不安が形になる。知美も内心ヒヤリとしたが、表情に出さないよう必死に押さえ込む。

 朝比奈は一年達の声を軽く手を挙げて押さえ、ゆっくりと立ち上がった。それから軽く上下に体を揺らし、膝を曲げ、アキレス腱を伸ばす。自分は何ともないというアピールをしてからシャトルを拾い上げて知美へと打って渡した。

 シャトルを受け取った知美はこれまでの打ち合いで少し崩れてきた羽根をしっかりと伸ばす。遂にやってきた自分のターン。自分がやるべきことを確認する。


(ここで決められないと、もう私に勝つ目はないよね。今までの複線もここで消化されたし……ここで取れないなら、残り三点なんて朝比奈さんの力ならすぐ取れる)


 自分の実力と朝比奈の実力を客観的に見てみる。

 今まで出来ていなかったことが出来るようになると見えた世界。

 それを取り払うきっかけをくれた相沢に感謝する。更に、声が聞こえてきた。


「トモ! ラスト一本だよ!」


 菊池の声が届く。そこで知美は、この試合を提案した時から今まで、一年は当然のこと二年もどこか静かに言葉や視線を向けてきた中で唯一味方になってくれていたことを思い出す。


(ごめんね。里香。副部長だから気楽なんじゃないかとか、思ってて)


 自分とは立場も考えも違うと思ってどこか期待していなかった。自分一人で何とかしないといけないと思っていた。

 それが間違いだと気付いてから、いくつもの事実が知美に見えてきた。

 14対12というスコアで、今の朝比奈美緒に勝つために、何をすべきか。これから皆にどう応えていくか。


「一本!」


 知美は自分が出せる精一杯の声を出してサーブ姿勢を取る。朝比奈はどんなシャトルが来ても柔軟に対応できるように上半身の力を抜き、つま先立ちになって待ちかまえる。

 朝比奈の体勢を確認し、知美は一点に向かってショートサーブを打った。

 前に飛び込む朝比奈。ダブルスならば打ち込まれそうな軌道だったが、シングルスで少し深めに構えていたことで前への到達が遅れる。結果、シャトルはネットを越えたためにロブでもヘアピンでも下から上に行くような軌道を取るしかない。朝比奈はそれを最小限に押さえるヘアピンを打った。

 一つ間違えばネットに引っかけて試合が終わる。

 そのタイミングでヘアピンを打った朝比奈の精神力と、それを通す技術に知美は素直に尊敬した。


(やっぱり……凄い!)


 知美は無理せずロブを高く上げて朝比奈をコート奥へと押しやる。追っていき、下に入った朝比奈は両足を揃えてから飛び上がった。


(ジャンピング――スマッシュ!?)


 今まで見せたことがないショット。

 通常のスマッシュより高い打点で打てることで角度や威力が増すが、体勢を保つのが難しく、打った後も隙が大きくなること。更には足への負荷がかかるため筋力が相当ないと諸刃の剣となる。男子が打っているのは見たことがあったが女子では初めてだった。それを朝比奈が出来るのか。

 知美も初めての情報に混乱しかける。

 だが知美はとっさに朝比奈の正面に移動してラケットを前に出していた。思考よりも先に動いた体。自分の体に宿る経験を信じて、しっかりと出す。

 結果、朝比奈のスマッシュは知美のラケットヘッドに捉えられて跳ね返っていた。スマッシュの威力を相殺し、更にふわりと返る。着地と、そこからのダッシュのタイミングが完全に遅れた朝比奈は落ちていくシャトルに近づくことさえも出来なかった。


「……ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。マッチウォンバイ、寺坂」


 知美はその言葉を聞いて天井を見上げる。少しの間、そのままでいた後で、前を向いてネット前まで歩み寄った。朝比奈は四つん這いになる形で俯いていた。張りつめていた緊張が試合が終わったことで一気に切れたのか。それによって疲れが押し寄せてきたのか。誰もが心配そうに見守る中で、朝比奈もまたゆっくりと立ち上がる。そして知美の待つネット前へと歩いていく。

 ネット前でお互い向き合い握手を交わす。試合の終わりだった。


「良く、打つ場所、分かりましたね」


 朝比奈の問いかけが最後のスマッシュの軌道のことだと分かった知美は苦笑しつつ答える。


「あれね……あのタイミングならクロスは打てないんじゃないかなって思ったんだ。ていうか、思うより先に体が動いてた。あれをコース打ち分けできるって相当凄い人だと思う」

「先輩の経験、ですか」

「そうかも……しれないね」


 一つ上の先輩達の戦い。自分の戦い。

 いろんな試合を、少なくとも一年は朝比奈よりも見ている。その見たり、経験したりしたことが今回役だったのかもしれない。

 朝比奈より弱い自分でも、勝っているところはある。

 自分を信じてラケットを振ったから勝つことが出来たのだ。知美が自分の今までを振り返っている間に、朝比奈は手を外して軽く手首を回しつつ、知美へと言う。


「私の負けですから、約束通り部活は続けますね。仕方がないですけど」

「……朝比奈さん」


 だが、知美が次に発した言葉は、朝比奈も、他の一年も二年も全く予測していないものだった。


「本当に嫌なら、止めていいと思う」

「……え」


 誰もが知美の発言に唖然とするが、朝比奈だけは冷ややかな目線を向けながらすぐに言葉を返す。


「それなら、こんな勝負させなくてもよかったじゃないですか」

「そうなんだよね。これで強引に引き留めてから徐々にって思ってたんだけど……やっぱり私は嫌だったから、今、言うことにしたんだ」


 知美は胸の、ちょうど心臓の上にある部分に手を当てて一つ深呼吸をしてから話し始める。


「皆もこの勝負で分かったと思うんだけど……私はね、全然強くないんだ。ダブルスでも負けちゃったし、シングルスでもこれくらいじゃないと朝比奈さんには勝てない。それで、私には、皆を引っ張っていく力はないって、思ったんだ」


 知美の少し震えた声が部員達に届いた。

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