第3話

 時間は流れ、九時となり大会の開会式が始まる。

 男女一列で大会本部の前に学校ごとに並ぶ。これまでは先輩の背中を見ていた知美も、目の前には大会の役員達が並んでいる光景を最前列で見ている。開会の挨拶を地域のバドミントン協会の副委員長という人がしているのを聞きつつ、周りを眺める。

 参加数はこれまでどおり四校。どの学校も見知った三年生は消えて自分達の年代と一つ下だけ。本当に世代交代したのだと、知美は不思議な感覚を味わっていた。足りないことはどこか不安なのに、何かが始まるという期待感がそれを薄く上塗りしている。


「――それでは、これで開会の言葉とさせていただきます。皆さん、スポーツマンシップに則り全力で競いあってください」


 副委員長が戻り、進行役が大会のルールを説明する。

 試合は標準のルールに則り、男子はシングルスダブルス共に十五点の三ゲーム。女子はシングルス十一点、ダブルス十五点で同じく三ゲーム。

 三位決定戦はなし。一年と二年の区別なく行われる。

 開会式は滞りなく終わり、知美達は自分達の場所へと戻った。その間も一年は朝比奈の周りに集まって彼女を誉め讃えている。二年女子は自然と知美の傍に集まって歩いていく。自然と分離した今の状況が、そのまま女子バドミントン部の現状のように知美には見えた。


(まずは試合がんばろう。そしたら、もう少し何か変わるかもしれない)


 自分達の陣地に戻ったところで、多向が女子へ、庄司が男子に向かって今日の試合プログラムを配っていた。知美も受け取って開いてみる。三年がいなくなって初めての試合。当然といえば当然だが、トーナメント表も一新されていた。

 知美と菊池は第一シード。今村と今北は第二シード。

 女子に関しては学年別大会での一年次の組み合わせとほぼ同じだった。男子は一年男子ダブルス優勝者の一人、藤本がシングルスに転向したために、シングルスもダブルスも少し変わっていた。

 頑張ろうと決めたが、自分の試合は予定では十一時過ぎからだ。シードのために二回戦から。先に一回戦が徐々に終わっていく。

 一番近い試合は――


「朝比奈さん。第一試合ね」


 ちょうど多向が朝比奈へと言う。それに「頑張ります」と返す朝比奈。自分が注意した時と変わらないテンションと口調。今までの実績が皆無だからか、あるいは単純に組み合わせの運がなかったのか。

 浅葉中女子シングルスの一位は、第一シードの下に配置されていた。


「一つ勝ったらもう第一シードだなんて!」

「朝比奈さん大丈夫?」

「負けちゃうかな……」


 女子シングルスの一位は学年別でも一位だった。知美には全く接点はない。それでも、朝比奈は冷静に他の一年女子に返した。


「大丈夫。頑張るよ」


 知美や多向には見せなかった微笑み。同性の知美も少しドキっとしたその笑みに一年達はきゃーと黄色い声を上げて騒ぐ。

 それを多向に注意されて静かになると、それでも朝比奈へとエールを送る。

 そこで、アナウンスを告げるチャイムの後に声がする。


「これから一回戦を始めます。男子シングルス第一試合――」


 男子シングルス、男子ダブルス、女子シングルス、女子ダブルスと順番に呼ばれていく。その中で、朝比奈の名前があがった。朝比奈は一回だけラケットを振ってから浅葉中の場所から離れる。離れていく朝比奈へと向けて知美は一言、口にした。


「朝比奈さん、頑張って!」


 朝比奈は一度振り向いて静かに返す。


「はい。頑張ります」


 その表情にも口調にも何も読みとることができなかった。



 * * *



 朝比奈がコートに立ち、ついていった一年女子がネットを挟んだ反対側へ入ってウォーミングアップを開始する。少し後で打ち合っている間に相手と審判が到着して、朝比奈はアップを止めた。ついていった女子がそのまま線審に入り、試合が開始される。


「オンマイライト、朝比奈さん。浅葉中。オンマイレフト、小木さん。清華中。イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」

「お願いします!」


 サーブ権は朝比奈。シャトルを持つ左手をゆっくりと前に出し、離れた場所で落とす。落ちていくシャトル目がけて、下から一気にラケットを振り切った。

 シャトルは高く遠くに飛ぶ。通常のサービスフォームよりもコントロールが難しそうに見えるが、朝比奈が打ったシャトルは綺麗にコートの奥へと向かっていく。小木はラケットを振りかぶりネット前にストレートでドロップを落とした。

 コートと水平でネット際で浮かない綺麗なドロップだったが、そこに一瞬で朝比奈は詰めた。ラケットを前に出して二の腕の中心を支点にするように小刻みに振ると、シャトルがネット前に鋭く落ちた。


「ポイント。ワンラブ(1対0)」


 小木はシャトルを拾って朝比奈へと渡す。軽く打たれたシャトルを中空でラケット面に上手く掬い取り、左手に持って最初と同じような独特な構えをとる。そこからまた高く遠くまでいくサーブを放ち、朝比奈はコート中央に戻る。小木は次にスマッシュで朝比奈の左を狙った。ストレートに伸びる分、フォアに構えた状態からは取り辛いコース。しかし、朝比奈は一歩でシャトルに追いつき、更にはラケットを持ち替えた上でクロスに打ち込んだ。鋭く返ってきたシャトルに追いつくことができず、小木はラケットを伸ばした状態で止まってしまう。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」


 淡々とサーブを始めようとする朝比奈。まるで機械のように、一点ずつ取っていく。何の苦もなくレシーブする朝比奈に、すでに小木は飲まれているように知美には見えた。


「実際、凄いわよね」


 客席とフロアの中空を隔てる手すりに体を預けて、知美は朝比奈の試合を見下ろしていた。相手が状況の打開をはかろうとサーブからのレシーブの種類を変えても、その次にはシャトルを相手コートに沈めていた。的確に相手の死角を突く力。一回戦の試合とは思えないほどに、圧倒的な力の差。まだ一回戦だけにどこからも注目されていないが、その瞬間はすぐに訪れるだろうと知美は思う。次の、第一シードとの試合となれば。


「うっわー。朝比奈さん、圧倒的ね」

「同じ一年じゃ相手にならないよね」


 菊池が驚いて呟くのに合わせる。少し離れた場所では一年女子が黄色い声援を朝比奈へと送っていた。


「大人気ねー」

「私達もあれくらいにならないとね」

「あそこまでは無理じゃない?」


 菊池はあっさりと言って試合に視線を戻す。知美も見てみると、11対0のラブゲームでまず朝比奈が取っていた。毎回のラリーが三回で終わっていて、試合時間も十分にも満たない。

 相手の死角を突く力。

 バドミントンはその性質上、ショット一つでラリーが終わることはまずない。何故なら、相手が打つ前にコート中央に戻っている場合、まず死角が存在しなくなる。前にも後ろにも、打てるかどうかは別としてラケットを振る時間が与えられるのだ。

 そのため、プレイヤーはシャトルを打ち合って隙を作りだす。相手を動かすことや自分が攻撃することで作られる隙を狙って、互いに打ち込む。

 だからこそ、朝比奈のように交互に打ったシャトルが三回目で通るのは、相手の思考の死角を的確に突いていること以上に、相手は朝比奈の速度についていけていないを意味する。サーブを打ち返すことによって生じた微かな隙を、強引に押し広げるためにはよほどの実力差がなければいけない。

 知美は朝比奈を見ながらある種の感動を覚えていた。


(凄い……)


 試合を圧倒的優位に進めるその姿。それは一年上の憧れた先輩の姿に似ていた。入部当初、インターミドル前もその先輩と何度か打っていたくらいだ。影響を受けた部分というのはあるのだろう。知美も見間違えはしなかったが、確実に似通ったものが朝比奈のプレイにあった。


「いっぽーん!」


 自然に口から出る応援。一年の応援に混じって知美も朝比奈の勝利を願う。

 そして、朝比奈は一点も落とさないまま試合に勝利した。


「ポイント。イレブンラブ(11対0)。マッチウォンバイ、朝比奈」


 ネット前に出て、相手に「ありがとうございました」と言いながら手を出した朝比奈。小木は呆然としながら、その手を握り、同じように返事をしてコートから出た。その様子は全く疲れていない。当人の顔も、試合をしたのか分からないというような顔だった。


「実力差がありすぎて全然動かなかったんだね」

「うん……やっぱり強いね」


 菊池に答えながら、ラケットを片づける朝比奈を見る。試合に勝っても表情を見せない朝比奈を見て、知美はどこか寂しさを覚えた。


(勝って当たり前、なのかな……勝てたら凄く嬉しいのに)


 ラケットバッグを持って朝比奈が浅葉中の陣地へと戻ってくる。そこでこれまでと同様に周りに群がって讃える一年女子達。それに丁寧に「ありがとう」と返していく朝比奈を見ていると知美の中に一つの想いが生まれた。


(みんなと線を引いてるんだ……)


 誰にもほとんど変わらない態度で接する。感情も特に示さない。

 バドミントンだけに邁進する姿。一年女子も、二年も後ろへ置いていき、一人で強くなろうとしている。一人で、進もうとしている。

 当人に確認したわけではないが、正しいように知美には思えてならなかった。それと同時にとてももったいないという考えも浮かぶ。

 みんなに心を開いたなら更に強くなれるかもしれないのに。

 部長として何とかしようという気が湧いてくる。


「里香。がんばろ!」

「急にやる気になってどうしたの?」

「前からやる気でしょ!」


 一年の輪から逃れた朝比奈はラケットバッグを置いて椅子に座る。すぐに他の二年や一年の試合が始まるために人がまばらになっていった。残った中にいた知美は朝比奈の傍に行って隣に座った。


「やったね、朝比奈さん。次も頑張ってね!」

「……頑張りますよ」


 返ってきた朝比奈の口調に含まれる、微かな負の感情。

 それに困惑した知美は次に言おうとした言葉に詰まってしまう。朝比奈は近かったことを利用して更に顔を知美に近づけて言った。


「私は私のために頑張ります。仲良しクラブをやってるやる気のない人はその人等でまとまってください。私は、勝って勝って勝ちまくりますから」


 それだけ言うと朝比奈は立ち上がり、背伸びをする。同じ一年でダブルスに出ている双子を応援しにいくためか、軽快に足を進めて去っていく。知美はしばらく行動ができなかった。いきなり怒りと言うよりも嫌悪感をぶつけられてよく分からなかったというのが半分。

 もう半分は、勝利した後の空気を利用して話しかけようとした自分の浅はかさを見破られたことによる情けなさによる脱力からくるもの。


「え、どうしたの!? トモ!」


 知美の様子がおかしいことに気づいた菊池が慌てて駆け寄ってくる。それを見て「大丈夫だよ」と言いながら知美は立ち上がった。微かに体が震えていたが、尻を両手で強く叩くと収まった。


「なんでもないよ」


 もう一度だけ菊池に言って知美は安心させるために微笑む。実際、もう回復はしていた。いきなり朝比奈の「本音」を見せられて驚いてしまっただけだ。


(そう。なんでもない。朝比奈さんの考えていることが少し見えただけ)


 なぜさっき本音を見せたのかは分からない。しかし、つかみ所がないと思っていた朝比奈の思考が見えたことで逆に知美は安心した。つまりは知美のことを……おそらくは二年や一年を朝比奈はそこまで好きではないのだ。


(それだけ分かっても今はどうしようもないけど……)


 それでも今まで見えなかった朝比奈の心が見えた。それは今までにない進歩。

 

「頑張ろうね、里香」

「え……うん。当たり前でしょ」


 菊池に改めて言う。それは試合のこともあるが、部活の部長と副部長としてという意味も含めていた。菊池が気づいたかどうかは知美には分からないが。

 知美は後輩の応援へと戻るために立ち上がる。先にいる朝比奈の姿を視界に収めて、決意を固めた。


(朝比奈さんの本音をもっと聞く。そのためには……今は私も全力で試合をやろう)


 そうすることが朝比奈の心を開く鍵になると、何故か知美は思っていた。試合をして勝利したことが要因か分からないが、試合の空気の中で本音を見せたのも事実。また、知美も優勝できれば朝比奈に何か言える立場になれると思ったのだった。

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