番外編2「不器用な二人」

本編読了推奨。本編後の部活の話。






 体育館に続く扉の前で寺坂知美はラケットバッグを背負い直すと、息をゆっくりと吸い込み、吐き出した。数度深呼吸を繰り返した後で、首の後ろで二つにくくっている髪の毛をバイクのハンドルのように両手で掴む。まとめられている根本が引っ張られて痛みを感じる。しかし、逆に気を引き締められた。

 意を決して扉を開けて大きな声で挨拶を発する。


「おはようございます!」


 知美の声に反応して男子も女子も挨拶を返してきた。洪水のように押し寄せる言葉の中を縫って体育館のステージ――いつもラケットバッグを置いている場所へと進んでいく。着替えはすでに更衣室ですませていて、白地の中学Tシャツとハーフパンツ姿だ。バドミントンシューズはつい先日、買い換えたばかりの新品。心機一転で部活に望みたいという自分なりの決意の印。


(今日からまた、がんばろう)


 知美にとって、今日から部活はこれまでと異なり、新しいものになるはずだった。

 朝比奈美緒との部活での試合を終えて、これからは仲間達と一緒に強くなろうと決めた後、数回の部活はこれまでとはほんの少しだけ違った光景が見られた。一緒に強くといっても具体的なビジョンが見えなかったが、部員達が自分達なりに他者を気を付けて、全体練習や試合練習に関わらずいろいろ気になった点をアドバイスしている。知美も実践しようと動き、ぎこちないながらも後輩との会話も増えてきた。その光景は、おぼろげながらも知美の理想に近づいていると思える。

 ただ唯一の懸念材料として、朝比奈とは試合の後から一度も会話をしていない。


(朝比奈さんに強くなってもらうためにも、今日こそは)


 自分の覚悟を新品の靴に乗せて体育館の床を蹴り、目的の場所にたどり着いたところで周囲を探すと朝比奈の姿はなかった。


「あれ、朝比奈さんは……」

「今日は遅刻だって」

「……え?」


 自分の呟きを聞いて告げてきた副部長の菊池里香に向けて、寺坂は呆気にとられた顔をさらしてしまう。自分の決意の第一歩があっという間に遮断されたことに切なくなってしまうが、それでも少しだけほっとしていた。何も言わずに遅刻をしていた朝比奈が連絡をちゃんと入れるようになったことだけでも十分な進歩だろう。少なくとも、部活にちゃんと出ようとはしているはずだ。念のため菊池に尋ねる。


「他の一年はいるんだよね」

「見ての通り。まだ気にしてる?」

「念のため、よ」


 菊池の返しに内心で動揺しつつ表には出さない。女子バドミントン部のいざこざは決着したのだから、怯える必要はない。それでも心の中のどこかでまだ朝比奈を怖がっている自分がいるのだ。


(怖い、か……そう簡単にはいかないよね)


 決着がついたとはいえ、裏切られた時のダメージは知美の心に影を落としている。自分への不理解を臭わす会話が聞こえると心が冷たくなり、痛くなってしまう。練習に集中すれば感じないため、早く練習を始めてしまおうと準備運動を素早くこなした。

 じんわりと肌から汗が滲む程度になって、基礎打ちを菊池と始める。

 すでに一年や二年の一部は先に基礎打ちを始めていて、終わった順に適度な休みを取っていた。ただ、あまり関係ない私語は許されておらず、話されるのはほとんどが自分達が打ったシャトルについてだった。

 基礎打ちの相手の様子から何が足りないのか。どうしたら上手くなるのかという点をできる限り上げる作業。

 知美が最初に提案した時にはいまいち乗り切らない空気で、アドバイスも途切れがちだったが、一週間もすれば全員慣れたのか会話が続くようになる。相手のスタイルを自分のことのように分析していく過程の中で、自分自身も見つめ直し、苦手なところを補い、強くなる。

 まさに全員で強くなるという雰囲気の中、静かに体育館の扉を開いて朝比奈がやってきた。


「すみません。遅れました」


 入り口付近には男子がいたため無言でスルーし、基礎打ちをしている知美の傍にやってくると頭を軽く下げて言った。


「日直で、先生に雑用を頼まれていました」

「ん。分かったよ」


 にこやかに返したつもりだったが、実際にはどうだったのか分からない。感想を聞けるであろう朝比奈も、知美の言葉を受けても無表情を崩さずにすぐ離れてしまった。


(……どうだったんだろう)


 気になりつつも基礎打ちは途切れさせずに続けていき、一通り終えてから全員の様子を見る。準備運動は全員がこなして、知美達が最後。朝比奈は遅れてきたこともあり準備運動を続けていて基礎打ちをする気配はない。


「はーい! じゃあ、次は――」


 知美は大きな声で女子全員に次以降の流れを告げる。全員が知美に対して返事をする中で、やはり朝比奈は無言で頷くだけだった。それを分かってしまうのは、朝比奈に注目してしまっているからなのだが。


(これからこれから。部活はまだ長いから)


 心機一転で朝比奈に受け入れてもらうという思いが折れそうになるのをこらえながら、知美は部活を続けていった。


 * * *


「ナイッショー!」


 後輩のダブルスと同学年のダブルスとが試合形式の練習をしている中、知美は審判役をかって出て、得点を数えつつもアドバイスを出していた。ダブルスの連携については現在市内で二位であるペアの一人ともあって、自分達ができていなくても理想は見えている。頭に「私もできてないけど」と付けてしまうが、知美の言葉に笑いながらも仲間は素直に頷いてきた。その後、似たシチュエーションになった場合には知美の言った通りに打ち、良い結果が生まれる。そこで嬉しそうにパートナーとハイタッチする仲間達を見ると自分も心地よくなった。

 ただ、本来の目的である朝比奈へのアドバイスは実現できていない。


(再三チャンスあったのになぁ)


 試合形式の練習の前に行われたノック練習では朝比奈もシャトル出しに加わり、知美がノックを受ける側になった時は朝比奈が出す番だった。左右前後に振られている内にあっという間に終わった。速度が速く、ノックの半分は取れなかったため、横から菊池が注意をしたほどだ。注意を受けた後は少しだけコースも速度も緩くなったが、それでも知美にはギリギリのところ。すべて終わった後にはヘトヘトになってコートの外に出た。

 直後に朝比奈の出番で菊池がノッカーを務めている間に横から声を出そうとしても、疲れて何かを言うことにはならなかった。


(何か、言える状態だったとしても、どう言ったらいいか分からなかったけど)


 知美と違って朝比奈は来るシャトルをすべて打ち返していた。しかも、打ち返すコースもちゃんと考えているのかコートの右奥と左奥にほとんどシャトルが集中している。結局、一本も自分の側には落とさずにコートを出た朝比奈は知美の傍に来ても頭を軽く下げただけで過ぎていった。流石の朝比奈も息は切れていたため辛くなかったわけではないだろうが、プレイの質が自分との格の違いを見せつける。

 一通りノックの顛末を思い出すと、ため息が漏れた。


(……私の悪いところも指摘してほしかったけど)


 ほとんど返せなかった自分にはアドバイスをすることさえないというスタンスなのか。朝比奈にとってまだ部活は来る価値がない場所なのかもしれないと思うと気が重くなる。だが、元々その状態から一歩だけ前進したのだから、改善していくしかないのだ。


「はい、じゃー次は」

「先輩。私、いいですか?」


 ダブルスの試合練習が終わり、次に入ろうとした知美は、朝比奈から直接指名された。周りを見てダブルスの選手達はたいてい休憩しており、朝比奈が次に出ることに異論はないらしい。知美は顔を輝かせて大きく頷いた。


「うん。よろしくね!」

「はい」


 知美が入った側とは逆に朝比奈が入る。足下にあったシャトルをラケットで拾って軽く跳ね上げながら知美達の準備を待つ朝比奈を眺めていると、隣からラケットで頭をこづかれた。


「あんた。顔に出過ぎよね」

「いったーい。里香……」

「さ、朝比奈さんを鍛えられるよう頑張りましょうか」


 自分が望むことが周囲に分かりやすいとしても、ちゃんと言葉にして実行しようとする菊池に笑顔になった知美は、サーブ位置に立ってラケットを掲げる。

 朝比奈もそれが準備完了の合図として、サーブを打った。ダブルスに対応するようなショートサーブ。シングルスのサーブの構えにも関わらず、シャトルは白帯の上をギリギリ通って知美の目の前に落ちていく。プッシュができなかった知美はロブを上げようとして、思いとどまってヘアピンを打った。朝比奈は後ろに下がろうとした体を押さえ、前に出て同じくヘアピンを打つ。知美のいる側ではなく逆サイドに切れ込むクロスヘアピン。強引にラケットを伸ばして何とか触れると、今度は無理せずロブを上げた。


(やっぱり凄く厳しい……ノック練習の時みたいに)


 最初にロブを止めたのは、直前にノック練習を思い出していたからだ。シャトルを厳しい場所に速く打たれてしまったために打ち返せなかった記憶。それが朝比奈へも適用できないかと。


(あれだけ厳しいシャトルをもし取れるなら……きっと、試合でも役立つよね)


 ロブを上げたことで腰を落として防御陣形を取る。朝比奈は菊池と知美を一別してから知美の方へとスマッシュを打ち込んできた。取りづらい胸部へと一直線に伸びてくるシャトルにバックハンドに持ち替えて前に突き出す。強く振らずにネット前に落とすだけでよいと弾き返したが、そこには既に朝比奈が飛び込んでいた。


「はっ!」


 気合いの声と共にシャトルが知美の股の間を抜いて着弾する。一歩も動けなかった知美の代わりにシャトルを拾った菊池はドンマイと一声かけて朝比奈にシャトルを渡した。


(いくらなんでも速すぎだよね。なんであんなにすぐ前に?)


 知美はネット前に打ち返した時を思い出す。シャトルをどこに打つかというのをある程度察知してから動くものだが、他の方向に打たれる可能性も考慮して余裕は残しているのが普通だ。だが、今の朝比奈の突進は知美がネット前にストレートで落とすことしか未来を見ていない。他のコースには絶対にこないという確信がどこかにあるのだろう。


「ねえ、里香。私って打つ場所読みやすい?」

「今のプッシュなら、たぶん分かりやすいかも」


 菊池の言葉に視線を向けると菊池はちょっとタイム、と朝比奈に手で示してから耳元に口を寄せた。


「知美は今みたいなボディアタックの場合はほとんどストレートのヘアピンで落としてるからね」

「そうなんだ。気づかなかった」

「朝比奈はよく見てて、狙って打ってるんでしょうね」


 菊池が離れてレシーブの体勢を取ると、朝比奈もサーブの構えに入る。流されるままに腰を落として知美も準備を整えてから、朝比奈の姿を見た。知美に打ったの同じようにショートサーブ。ただ、打ち方をダブルスのようにバックハンドに持ち替えてから打っていた。知美に打った時とほぼ同等の軌道を描いてシャトルは進み、菊池はプッシュを打とうとしても打てずにロブを上げた。シャトルを追っていった朝比奈は知美の方を見て、またスマッシュを放つ。最初の時と同じように、胸部を狙って。


(これを、前じゃないところ、に――)


 バックハンドで胸部に持ってくるのは変わらず、ロブを上げようとした知美だったが朝比奈のスマッシュの威力に押されてストレートに返してしまった。完全に読んでいた朝比奈はバックハンドでプッシュし、シャトルを叩きつける。あっという間に2対0となり、自分のところに落ちたシャトルを拾って羽を整えながら菊池へと言った。


「里香。サーブプッシュ苦手だよね。今も上げちゃった」

「うん……分かってるだけどね」

「もしかして、朝比奈さん。私達が弱いところを対策できるように打ってくれているのかも」


 菊池のように直に伝えてくれることで自覚するが、今のように何度も同じように打っていれば自分が攻められる場所が弱いと分かるのかもしれない。寺坂はノックに関しても自分と他の部員とに向けるシャトルの軌道やコースは少し違っていたように思える。


(スパルタだけど、ちゃんと私達を強くしようとしてくれてるんだ)


 朝比奈の内心は分からない。しかし、彼女は彼女なりに言葉にせずに鍛えてくれている。菊池も知美が思っていることが分かったのか、ため息混じりに呟いた。


「アドバイスし合おうって言ってすぐにしづらいのは分かるけど……素直じゃないというか、不器用というか。でもいいじゃない。頑張ってプッシュできるようになるよ」

「私も。あと、朝比奈さんにアドバイスできるように」


 知美は朝比奈にシャトルを渡して笑顔で手を振る。だが、朝比奈は反応せずにサーブ体勢を取った。早く次のラリーを開始しろと行動で示してくる。知美はラケットを掲げて迎え撃ちながらも、朝比奈のことを嬉しく思う。


(少しずつ、ね)


 いつか言葉も交わせる時が来るだろう。そう思い起こさせる小さな変化。

 変化を嬉しく思いつつ、知美は朝比奈の一球一球に全力で応えていった。

 結局、この日は最後まで朝比奈にアドバイスはできなかった。しかし、もう落ち込みはしない。確かに朝比奈には自分の思いは届いていると実感できたから。

 季節は秋から冬に流れていく、ある部活の一コマ。

 それが続いていくように知美は願い、応え続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る