第7話

「はーい、皆、集合ー」


 多向が間延びした声で浅葉中バドミントン部のメンバーを呼ぶ。

 周囲に集められた女子達は互いに今日の試合でのことを話したり、雑談を続けていた。時間は午後五時。全てのスケジュールは終了し、フロアの壁に貼られたトーナメント表は優勝のところまで赤い線が引かれ、閉会式も滞りなく終わった。

 あとは恒例のミーティングをして帰宅するだけになる。

 場所は客席――試合の時に荷物をまとめておいていた場所だった。大会が終了した後は基本的には速やかに施設から出るが、今回は予定よりも早く大会が終わり少し時間が余っていたため、客席でミーティング後、自由解散の流れとなった。

 男子も合流して全員集合したところで多向に代わって庄司が口を開いた。


「まずは今日、よくやった! 新体制になって初めての試合ということでいろいろと緊張したと思う。結果が出せた者、出せなかった者、それぞれ理由があるだろうから、必ず振り返って次に繋げてほしい、では、今日の成績だが」


 庄司はまず男子から発表する。閉会式が終わった段階で全員がそれぞれの結果を知っている。それでも全員の前で入賞者を発表するのが庄司のスタイルだった。

 男子はシングルスで一年の遊佐修平がベスト4に入った。準決勝で今大会優勝した清華中の石田とぶつかり、一ゲームだけだが14対14からセティング(延長)までもつれ込み、会場を沸かせていた。ダブルスでは竹内と田野が準優勝。以前、学年別大会で倒した、翠山中の大場・利のペアに惜敗していた。

 学年の最強ダブルスが解消され、竹内と田野には優勝するチャンスだったが生かすことが出来なかった。

 そして、女子は。


「女子シングルスだが、一年の朝比奈が優勝だ。よく頑張ったな」


 一年女子が歓声と共に強く拍手をする。朝比奈自身は少し顔をほころばせて笑顔を見せていたが、特に強く表すことなく「ありがとうございます」とだけ庄司に伝える。知美はさりげなく視線を向けながら、嬉しくないのだろうかと思う。自分に理解できない朝比奈の心の動きは、知美を不安にさせた。そんな知美の心の動きを知ることなく、庄司は続けて結果を発表する。


「女子ダブルスは、寺坂と菊池が準優勝だ。おめでとう」


 その言葉に対しても拍手が起こる。しかし、一年女子の勢いは明らかに朝比奈の時より劣っていた。それが知美にも影を落とし、笑顔を作っていても内心、喜びきれなかった。


「今回、朝比奈と遊佐は一年ながら市内のベスト4の一角に食い込んだ。特に朝比奈は、このまま油断せずに練習を続けて、次の学年別も、来年のインターミドルも制する気持ちでやってほしい。遊佐も同様だ」

『はい!』


 二人で同時に言う遊佐と朝比奈。既に二人の間には強者同士の雰囲気がある。庄司は更に、竹内と田野、知美と菊池に対しても言った。


「ダブルスはどちらも優勝を逃したが、けして追いつけないものじゃない。特に寺坂と菊池。お前達はスコアとしては大差で負けたが、実力はそこまで離れてはいないぞ。そこを忘れるな。竹内と田野も次の学年別こそ優勝を勝ち取れ!」

「はい!」


 竹内と田野は気合いを込めて庄司へと言い返す。すでに目標は学年別。今回負けた大場・利ペアの打倒だ。

 しかし知美は自分の目指す場所が全く見えず、真っ暗になっていた。


(実力の差がない……なんて……どこでそう言えるのか分からないよ……)


 庄司が気休めの嘘をつくとも思えない。日頃から自分の弱点を自覚することで、そこを克服するというのが庄司の指導方針であり、駄目なところは容赦なく指摘してくる。逆に良いところは素直に誉める。そこから考えれば、本当に差は少ないのだろう。だが、少ない実力差なのに大差で負けたのは事実だ。同学年や後輩からはどう見えたのか。その結果が、拍手の大きさの差となって出ているのだろう。


(最悪……最悪だよ、今日は)


 知美は泣きそうになるのを堪える。みんなの前で泣くのだけは避けたい。そうしなければ自分の立場は更になくなるだろうと思った。知美は上を向いたりうつむいたりと何度か繰り返して涙の波が収まるのを待った。落ち着いた頃に、庄司の話も終わる。


「では、解散。気をつけて帰るように。明日は練習あるからな」


 庄司の言葉に押されるように皆で歩いていく。淀みなく進んでいく朝比奈とそれについて行く一年達。その後ろを知美は沈んだ表情のまま歩く。菊池も隣で無言のままだっったがふと前を見て立ち止まった。それに気づかずに知美は進み、前に立っていた相手にぶつかりそうになった。


「あ、ごめんなさ――」

「寺坂さん。どうも」


 そこには今村が立っていた。知美にとって今、一番会いたくない相手がいる。思わず顔を背けてしまった知美だが、今村は構わずに続けた。


「今日の試合、第二ゲーム、ラブゲームじゃなくて残念だったわ。もう少しだったのに」

「……そう」


 真っ向から嫌みを言われても自分になにが言い返せるのか。また、何故こんなことを言われるのか。知美は顔を背けたまま理解できずに、その場から離れようと横をすり抜けるように歩いていく。今村は追いかけてはこなかったが、知美の背中に向けて言った。


「次の学年別では本当に一位をもらうから! 今日みたいな腑抜けたプレイなんて許さないから!」


 その言葉に含まれる怒りに知美も気づく。

 そして一つの答えにたどり着いた。


(部活の仲間だけじゃなくて、今北や今村にも呆れられたんだ)


 仲間に呆れられたというのは知美だけの考えであり、確証はどこにもない。だが、今の知美には正常な判断が出来る思考はなかった。

 対戦した相手にも本気を出せと言われる自分に知美は心底嫌になる。もう誰の声も聞きたくないと早足で駐輪場へと向かった。後ろから「待って」と言いながら追いかけてくる菊池も放っておいて。

 だが駐輪場に着いた時には、今度は朝比奈と遭遇する。ちょうど出ようとする朝比奈の進行方向に立ち塞がる形になる。


(なんで今日って……タイミングこんなに悪いの?)


 自分の運のなさにうんざりして停めてある自転車の間に入って通路を朝比奈に作る。朝比奈は会釈をしてそのまま通り過ぎた。特に何も知美に言うこともなく。


(まるで……私なんて意にも介さないって感じよね)


 朝比奈が自転車を漕いでいく後ろ姿を眺めたまま、しばらく立ったままだった。そのうち菊池が追いついてきて知美に声をかけるまで、ずっと。


 * * *


 菊池と別れてから、知美は自転車を自分の家とは別の方向に走らせた。先に電話して友達と寄り道をして帰ると言うことは伝えている。母親は、最初はすぐ帰ってくるように返してきたが、知美の声に何かを感じたのか遅くならないように、と言って電話を切った。知美はしばらく目的地を定めずに自転車を走らせていく。夜の涼しい風は試合後時間が経っていた肌を冷ましていく。秋の風は長い間浴びていたら風邪を引きそうなほどには冷えていたため、知美もあまり長くは外にいる気はなかった。

 遠回りをするような経路で知美がついたのは公園だった。

 鹿島杯の前に竹内と朝比奈のことについて相談した時も来た場所。市民ホールに隣接した公園だ。

 知美が携帯電話の時計を確認すると夜六時から少し過ぎたところ。ぼんやりしていたとはいえ、一時間も自転車でさまよっていたのかと思うと、急に足が痛んできた。

 確認すると休日の、しかも夜六時ということで人はいない。あまり人がこないような位置を選んで自転車を止めてベンチに座った。見上げると暗くなりはじめた空にぽつぽつと星が瞬き始める。

 しばらくぼんやりと星が増えていく様子を眺めた後で、知美は思考を再開した。


(私って……弱い)


 試合を思い返してみると、頭も心も痛くなる。今北と今村はスマッシュの威力もドロップの際どさも学年別の時とは比べものにならないくらい凄くなっていた。全体的にショットの威力と精度が上がっている。

 学年別の時。最後は運であろうが、それまで競り合ったのは自分達の実力。苦しくてもついていけたのは拮抗していたからだろう。

 だが、今回は全くついていけなかった。庄司は「少ししか差がない」と言ったが、その根拠はいったい何なのか。知美はそれを考えようとしたけれど全く思い浮かばない。そもそも材料も少なすぎた。自分の記憶にある試合展開はラリーをしていても最後にはあっさりと点を取られること。最初はラリーが出来ていても必ず最後に打ち負ける。それが十五回続いただけ。第二ゲームの時に一点取れたのも運が良かっただけ。


(結局、運に頼ってて自分が成長しなかったのかな)


 自分の半年間を振り返る。女子の先輩ダブルスはそこまで強くはなかった。自分達でも気を抜かなければ勝てるレベル。それだけに明らかに負ける相手との調整が出来なかった。男子には全国クラスのダブルスがいたが、逆に強すぎて自分達だと全く相手にならず、相手もまた調整にもならないだろう。それで邪魔をしても、と練習することはなかった。そのままインターミドルで負け、三年も引退し、残ったのは自分達。自分と菊池が部内で最も強いダブルスで、今以上強くなるためにはどうしたらいいか分からないまま、ただただ部活を流れを止めないためだけに部長の仕事を全うしようとしていた。

 そこで知美は、自分が強くなろうとしてもいなかったことに気づいた。


(私は強くなった気がしなかった。なら……今北達に負けるのは当然か)


 人は成長していく。自分が成長しないなら、先に勝った相手でも抜かされるのは当然だ。負けた相手は知美達に勝つという目標を持って日々練習に励んでいるのだから。

 そして、試合中に気付いた自分の本当の気持ちもある。


「だから、皆に馬鹿にされるんだよね」


 成長を感じることができない自分。そして、部長として他の部員によく思われたい自分。部員達のことを考えて部活を進めていくという裏に隠れた自分の醜い気持ちが顕在化した。皆が笑っているような幻覚が目の前に広がって、試合どころではなかった自分。もしかしたら、それが大差で負けた原因かもしれない。

 堂々巡りの思考。袋小路に迷い込む。

 唯一分かるのは、知美が少しでも成長していれば今回のような負けはなかったということだ。


「なにしてんだろ、私」


 知美は立ち上がって自転車に跨る。向かおうとする先は家。体に触れる風が心地よさよりも冷たさを伝えてきていた。これ以上外にいれば風邪を引くかもしれない。


「辞めようかな、バドミントン」


 不意に口にした自分の言葉に、知美は驚く。まるで自分ではない意志が呟かせたかのように。しかし、そんな意志など存在せず、口にしたのなら知美の意志なのだ。

 思い出すのは朝比奈の冷めた目線。後輩達の視線。同期達の視線。顧問の視線。

 全ての視線が今回の自分の体たらくを責めているように知美には思えていた。部長としてもプレイヤーとしても中途半端でこの先やっていけるかどうか、知美の中で自信は完全に崩れさった。自分の今の気持ちを吐き出さなければ壊れてしまうと、知美は誰かに相談できないかと人を思い浮かべる。

 だが、副部長の菊池でさえも候補からは外れた。おそらくは知美の考えを「考え過ぎ」だけですませてしまうだろうと考えたからだ。

 たとえ知美が気にし過ぎ、考えすぎだとしても。今はそれを踏まえた上での解決策を相談できる人間でなければいけない。思考そのものを変えるのは今の時点では無理だ。

 跨ったままで痛くなったため、知美は自転車を漕ぎだした。もうあとは家に帰るだけだが、帰っても食事をする気にはなれなかった。帰ってそのままお風呂へと入り、就寝する。一日経てば気は晴れているかもしれない。かすかな希望にすがるだけでもまだ体は動いた。


(ラケットを直さないとだめだし……ちょうどいいかもね)


 知美は既にラケットが直るまで部活を休もうと決めていた。

 その間に自分の思考を整理しようと。

 部活を辞めるかどうか。辞めないなら今後どうするか。

 間違っているかもしれなくても、自分にとっての今の答えを出さなければもうバドミントンをやっていけないと知美は思った。


(よし……決まった。まずは帰ろう)


 知美は体の震えを自覚して本当に風邪が心配になっていた。くしゃみを我慢して自転車を漕ぐ速度を上げる。悩んでいたことに答えがでなくても、とりあえず方向性が決まるだけでも楽になる。



 だが、知美の問題とは別に部にも新たな問題が発生することになることを、まだ知美は知る由もなかった。

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