第11話 チョロ
カフェ・ド・サンドリヨンは、蒼偉がフランスに在住していた頃に出会った若手シェフが開いたサロンである。
蒼偉の帰国とほぼ同時期に日本で修行していたところ、偶然再会。おりしも彼が自分の店を持とうと、店舗を探していたというタイミングだったので、「良かったら使ってくれ」と蒼偉が気軽に声を掛けたのが始まりだ。
喫茶店というよりは洋風の食堂といった感じ。軽食とはいえ、まだ日本人には馴染みの薄い、本場のフランス料理が味わえると人づてに伝わり、いまでは文壇の著名人や文化人なども足しげく通う、隠れ家的存在となっている。
芸術と一時の異国情緒を味わえる店。
そんなフレコミとは全く別の理由で、この店を有名にする要素がもうひとつ。
「おーい、ハキム」
それは若きフランス料理家、ハキム・アクバルが正真正銘のインド人であることだった。蒼偉の呼び掛けに、白亜のコックコートを纏った褐色の好青年が振り返る。
「あー、エスプレッソを人数分と……なんか適当にプチフール[菓子の詰め合わせ]を」
「ウィ、ムッシュ」
キランと輝く白い歯がこぼれるのを確認して、蒼偉は改めてテーブルを見返した。
同席しているのは、自分を含めて五人。隣には相棒然とした顔で沙希が座り、向こう正面には三人の若い男女が並んでいた。ひとりは女性、非常に目鼻立ちのしっかりした顔つきで、濃い目とも思える化粧がよく映えた。名を高杉ひばりといい、駅前のキャバレーでシャンソンを唄っているという。
残りのふたりは男性だった。これがまた見事に対照的な風貌で、ひとりは関取のような体躯の持ち主、もうひとりは小柄だが、鋭い眼差しの向こうに知性を滲ませていた。関取の方が本田圭吾、そしてインテリのとっちゃん坊やが北村義経だと沙希から紹介を受ける。
三人が揃うのは青木多喜男の葬儀以来らしく、またそれ以前にもなかなか再会の機会がなかったそうで、蒼偉や沙希をそっちのけで昔話に華を咲かせていた。
そういうタイミングで出されたエスプレッソとデザートは、蒼偉にとってみれば話題を転換させる救世主となる。去り際、ハキムにはさりげなく目配せ。メルシー・ボクー。
「と、本日はわざわざご足労いただきまして、ありがとうございました。これからいくつかお話をお伺いしますが、そのお礼に甘いものなどを。お嫌いでなければよろしいのですけど」
すると本田圭吾が豪快に笑う。
「とんでもない! 自分は甘いものには眼がない性分でして。では遠慮なく」
「あんたは少し遠慮した方がいいわよ。また太ったんじゃない? まったく昔からぶくぶくと。ツネからもなんかいってやってよ!」
高杉ひばりの冷ややかな視線を浴びながらも、タルトやエクレアを摘む手は止まらない。そんなふたりのやり取りを眺め、さも懐かしそうに北村義経はつぶやくのだった。
「思い出すな……こうやっておまえらがいい合ってると多喜男君がすぐ飛んできて。それで、ひばりが泣かされると麻美亜ちゃんがさ」
「うん……いつも優しく慰めてくれた……。まさかあんな風になっちゃうなんてね……」
その言葉を境に三人の表情が沈む。
酷だな、とは思いつつも、蒼偉は聞かざるを得なかった。
「その大下麻美亜さんなんですがね。具体的にはなにが原因で、いまの状態に?」
「それが……私たちにもよく分からないんです」
「自分らも、四年前に御子柴先生の葬儀で集まった時に、初めて麻美亜ちゃんのこと聞かされたぐらいで、それまでずっと里親のもとで幸せに暮らしているもんだとばかり……」
さすがの本田圭吾も菓子を持つ手を止めた。
「その時には青木多喜男氏もご参列を?」
「いえ、仕事で海外に行っていたと花岡先生に伺いましたけど」
「ほほう……」
高杉ひばりの返答に蒼偉が不気味な笑みをもらした。
「それではあなた方は園をご卒業なすってから、一度として青木氏の顔をご覧になってはいない? 辛いことを思い出させてしまうようですが、ご遺体の方も酷く損傷してようで、本人確認はできなかったんじゃないですか?」
「ええ……確かにお顔は見せてもらえませんでしたけど……それがなにか?」
「いえ、ちょっとお伺いしたかっただけですよ」
蒼偉は耳たぶを触りながらまた別の話題を持ちかける。
「子供の頃のお話をもう少し聞かせてください。年長組のおふたりが園から離れる以前に、なにか変わったことはありませんでしたか? なにかこう……特別なことは」
「そういわれても、ガキの頃の記憶だからなー」
本田圭吾は腕組みして巨体を揺らす。高杉ひばりも同様に眉間にシワを寄せ、記憶の迷宮をさまよっている様子だった。そんな中で唯一、北村義経だけが「そういえば」と口を開く。皆の視線は彼に集中した。
「結婚式……」
「はい?」と片眉を跳ね上げて聞き返す沙希。
一方、蒼偉は我が意を得たりといった表情だった。
「多喜男君と、麻美亜ちゃんの結婚式をやったんだ。もちろん、おままごとだけど。でも、ふたりが好き合ってるの、俺たちも知ってたし『いつか結婚するんだ』みたいなこといっつもいってたしな」
「ああ、そうそう! 私も思い出した! あの時、お祝いの歌を唄ってあげたっけ」
「そんなことしたっけ? 覚えてないなぁ」
「あんたは食べ物のことしか、覚えてないからね」
「なんだと?」
「なによ!」
「やめとけって……。なあ探偵さん、それからあんたちょっと間違えてるぜ?」
北村義経は糸のように細い眼を見開いて、こういった。
「年長組は三人だ」
「なんですって?」
蒼偉の声がひっくり返る。
そればかりか、高杉ひばりも本田圭吾も、この発言には驚きを隠せない。
「なにいってんだよ、ツネ。年長組はふたりだろ?」
「そうよ、多喜男君と麻美亜ちゃん以外に誰がいたっていうのよ?」
「おまえら覚えてないか? ほら、少しの間だったけどひとりいたろ、院長が連れてきたガリガリのヤツでさ」
すると本田圭吾が「ああ」と叫ぶ。
「チョロのことか? でもアイツを生徒と呼んでいいもんかね?」
「誰ですか? そのチョロってひとは」
「正直、自分たちもよく分からんのですよ。自分からひとの輪に入ってくるようなヤツじゃなくって、いつもその辺をチョロチョロしてたもんですから、そう呼んでただけなんです。そういや本名すら知りませんなぁ」
「つまり『ひかりの家』の一期生は全部で六人だと?」
「ヤツを勘定にいれるのなら、そういうことになりますなぁ」
やっと色が出揃った――この時、蒼偉の脳裏は、キャンバスの空白部分を埋める鮮やかな色で溢れていた。花岡がついた嘘と、過去の檻に囚われた少女。そして『ひかりの森のおはなし』に隠された本当の意味。
確かめねばならない。
そのすべてを。
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