第4話 探偵、やる気を出す
「――なんだか意味深な内容ですね。まともな児童書とはとても思えませんが」
「大人向けの絵本ってヤツなんじゃない? 人生の教訓だの、やたら哲学的な感じに書いてあるアレ。出版規制も解かれて久しいからね。業界も色々考えるわけよ」
ウンウンとまるで業界人ぶって腕組みする沙希を尻目に、蒼偉はまだ絵本に見入っていた。文章よりもむしろ絵の方に注視する。色使いや構図、線の一本一本まで食い入るように。
そしてフゥと一息吐くと、目頭を押さえて沙希とは対面の一人掛けへと腰掛ける。
「これはまるきり子供の絵だ。タッチに迷いがない。なんて奔放なんだろう」
「はい?」
感動に打ち震えている蒼偉との温度差を感じつつも、沙希は聞かずにはいられなかった。それがどう『読んだら死ぬ』ことに関係して来るのかと。
「そんなことは知りませんよ。私はただ、この絵の素晴らしさに言及したまでです。それにね、私ァ『読んだら死ぬ』なんてヨタは信じちゃいないんですよ。そんなもんの裏なんざ取ったところで、どうせ子供だましの記事にしかなりませんて。ま、カストリだったらその程度の胡散な記事でもいいんでしょうけど」
すると沙希は憤慨した。
「カストリのどこが悪いのよ! これでもボクは作家志望なんですからね、いまはその下積みなんですぅ!」
「だからってエログロ主体の娯楽雑誌はないでしょうよ。親泣かせてどうすんですか。ただでさえ跡継ぎ候補蹴りまくってんでしょう? もちっと腰据えて将来を考えたらどうですか」
この男にだけはいわれたくない、彼女はそういう顔つきをした。
沙希の実家は佐々木庵という江戸時代から続く老舗の味噌問屋だ。一人娘である沙希には是が非でも婿を取ってもらわねばならず、親としては心中ただ事ではない。ましてや当の本人に、結婚する気がないので始末におえないのだ。この問題はちょいちょい家族間以外でも議題となり、蒼偉にしてみれば妹のようなものだから、正直、無関心ではいられなかった。
「だったらさ――」
こういう時、沙希には蒼偉を黙らせる秘策がある。
「君が味噌屋を継いでみる?」
ツイと向けられる沙希の流し目。蒼偉は「ご冗談でしょう」と首をすぼませ、この話はもう終わり。効果は絶大である。
付き合いは古いが、お互い不思議なことにその気がない。ゆえに腐れ縁なのだ。
すっかり場の空気は乾いてしまった。蒼偉の脳裏もいまでは冴えざえとし、次の話題を待っている状況である。それを感じ取り、場に次の命題を提供するのはいつも沙希の役回り、そしてこの時もまたそうであった。
「どうでもいいけど、マジで知らないの? その絵本の噂」
と、彼女はテーブルの上の絵本をアゴで指した。蒼偉はまったく知らなかった。正直、『読んだら死ぬ絵本』というのも、ついぞさっきまで沙希の創作だとばかり思っていた。
しかし彼女いわく、ニ、三年前に実際に起きた不幸な事故をモデルにして全国へと広まったのだという。地方によって尾ひれのつき方はまちまちであるが、噂のあらましは概ね「ある老人が子供たちに『ひかりの森のおはなし』を読み聞かせていると、突如苦しみ出し、そのまま心臓麻痺で死んでしまう」というものだった。
こんな荒唐無稽な話を、当時は一般新聞各社もこぞって記事にするほどの盛況ぶりで、連日誌面をにぎわしていたのだという。しかし蒼偉はこう答える「それじゃあ私が知らないのも無理はない」と。
「どうしてよ?」
「だってその頃、まだパリにいたもの」
「ああ」
分かってみれば単純なことだ。
沙希はようやく溜飲を下げ、冷え切ったエスプレッソを口に運んだ。
「でもそれ以外の実例はないんでしょ? だったら偶然以外の何者でもないじゃないですか。そんなものどうやったって、似たり寄ったりの記事になるでしょうに。さすがのカストリでも、いまさらそんな使い古されたネタを買いますかね?」
すると沙希は自慢げに顔を上げた、フフンと鼻を穴を広げて。
蒼偉はおもわずその横っ面を張り倒したい気分に駆られたが、彼女は幼い頃から合気道を修めており、おそらく彼の平手は沙希の頬に触れる前に、ねじり上げられることだろう。
沙希は普段から、蒼偉に対し、後れを取ることはありえないと豪語している。彼もまた情けないことに「そうだろうな」という自覚はあった。
さてそんな機微はさておき、沙希は取材用にいつも持ち歩いているショルダーバッグの中から、新聞記事の切り抜きを取り出した。それは三面記事どころか、弱小新聞の地方欄に三行ほどで書かれた、とても小さな記事であった。
「飛び降り自殺?」
「そう!」
「これが一体なんだっていうんです?」
「死亡した男の名前は青木多喜男[あおき・たきお]、事故現場は青木が昔、入園していた児童養護施設なの。でね、彼の遺体が発見された時、傍らにその絵本が落ちてたっていったら驚く?」
「……ほほう」
「聞く気になった?」
「まあね。続けて」
明らかに眼の色が変わった蒼偉を見て「しめた」という顔をしたのは沙希の方。
反対に蒼偉は「しまった」と思わずにはいられなかったが、ようやく今回の話を面白いと感じ始めたのも確かだった。
沙希はバッグの中から今度は取材用のノートを取り出し、物知り顔で淡々と当時の状況を語り出す。
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