第5話 それは転がるように

「遺体の状態から当夜、青木はひどい酩酊状態だったと推測され、これは事故現場となった児童養護施設『ひかりの家』の関係者の証言からも裏は取れてるわ。青木は施設を卒業してからも度々、創設者であり恩師でもある御子柴鏡太郎[みこしば・きょうたろう]氏を訪ねていたらしいの。その訪問は数年前に氏が亡くなられてからも続いていて、自殺した当日も、施設の職員たちと故人を偲んでいたそうよ。でも、その日はなんだかいつになく深酒で、職員たちの就寝時間を過ぎても、ずっとひとりで飲んでたみたい」


「それで気がついたら屋上から飛び降りてた?」


「そうよ。第一発見者は新聞配達の少年。事故現場をはっきりと覚えてて、その時から遺体の傍らに絵本があったと証言しているわ」


「外部からの侵入者の可能性は?」


「ないわ。当時の警察の捜査、といってもまだ二ヶ月前の話だけど、その時も自殺か他殺かの議論があったそうよ。でも、施設の周囲には有刺鉄線を張られたコンクリート製の塀があって、簡単には侵入できないし、もちろん屋敷自体にも侵入された形跡はなかった。あと絵本からも特に不審な指紋は検出されなかったって」


「ふーん……不可解だ」


「どの辺が?」


「まあ色々あるけど強いてあげるなら、なんで彼はわざわざ絵本なんか持って飛び降りたんだろうね。酔っ払って屋上に登るだけでも一苦労だろうに」


 右手で耳たぶを触る。それが考え事をする時の蒼偉の癖だった。同時に眼はぐるぐると天井を仰ぎ、口の中ではモゴモゴと舌でほっぺたを突き上げている。ここまでくれば彼の思考回路はもはや、一切の他事から切り離された状態といえた。しかし沙希もそれは心得たもので、彼の思考の間隙をついてさらなる情報を注ぎ足した。


「そこで『読んだら死ぬ絵本』の噂に繋がるのよ」


「繋がるって、どこに?」


「噂のあらましは覚えてる?」


「ああ、確かどこぞの爺さんが絵本読んで死んだってヤツでしょ」


「その爺さんが『ひかりの家』の創設者、御子柴鏡太郎氏なのよ!」


「おや、まあ」


「青木は施設の卒業生の中でも、最も御子柴氏を慕っていたというわ。当夜も恩師を偲んでの深酒、死因と噂されている絵本を肴に、夜通し飲むことだって考えられなくはない。そして、ついには意識が朦朧となり、絵本の呪いの餌食に……」


「ちょい、ちょい、ちょい」


「なによ?」


 沙希がキッと鋭い視線を蒼偉に向ける。彼は呆れ顔で溜息をついた。


「とりあえず二件の死亡事故に絵本は関係してるけど、死因は『心臓発作』と『転落死』でしょ? その辺を取り違えたらいけませんよ。大体『読んだら死ぬ』っていってもその程度の偶然ですぐ呪いとかいうのはどうかと思」


「それをこれから調査すんだろうがァー!」


 かなり食い気味に、沙希の怒号が飛んで来た。蒼偉はもうそれ以上なにもいえない。これも生活のためだと自分にいい聞かせ、憤りを押さえ込む。


 これもフランスで、絵描きの修行をしながら会得した心構えである。しかしながらこの精神操作法は、得てして本質を見誤るという結果を蒼偉にもたらしている。ジェラート屋しかり、今度もまた……。

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