第2話 相馬探偵社

 昭和モダンと持てはやされた時代もいつのことやら、いまではただ使いづらいだけとなった石造りの三角屋根。夏はムシ暑いし、冬にはびゅうびゅうと隙間風が入って来るような始末だ。よくこれであの震災や大空襲を生き延びたものである。


 そんな雰囲気だけの不当物件の一階をサロン[喫茶店]に貸しつつ、その家賃収入を頼りにほそぼそと営む一軒の興信所があった。しかし創設者の強いこだわりによって、名は相馬探偵社という。


 当代を任されている三代目、相馬蒼偉[そうま・あおい]は十代の頃に単身渡仏。画家を目指すも一向に芽が出ず、仕舞いには絵の具代を稼ぐためにやっていたジェラート売りの方が軌道に乗ってしまい、当時の親方から真剣に暖簾分けの話までもらっていたほどなのだが、父親の急逝に伴い帰国、そのまま不本意ながらも家業も継いだというような状況であった。


 当然のことながら仕事に身が入るわけもなく評判は落ちる。

 近頃では不貞妻に三行半突きつけるための、素行調査が月に一度あれば御の字だ。どうしても金のない時などは、自称フリーライターなどとのたまう腐れ縁が持ちかけてくる、珍妙奇天烈なヨタ話の裏づけ調査に借り出されるのである。


 そして、いまがまさにその時。


「ちょっと聞いてんの? さっきから生返事ばっかりして」


 バンっと、先代から引き継いだ年代モノの書斎机を叩いて彼女はいった。ピンと吊り上がった眉は子供の時分から変わらない。曲がったことが大嫌いで好奇心旺盛、学生時代はまるで気性の荒い猫のようだとささやかれたものだ。社会に出て少しは落ち着いたかと思いきや突然、大手デパートの採用を蹴り、文筆片手に日本中を駆けずり回るという有様。これが蒼偉のいう腐れ縁、佐々木沙希[ささき・さき]その人だった。


 山と積まれた資料の合間を縫ってふたりの視線が交差する。

 椅子の背もたれに身体を預けていた蒼偉は胡乱だった意識を呼び起こし、目の前で憤慨する見慣れた顔に向けてようやく一声絞り出す。


「なんだっけ……」


「もうッ!」


 やってられない、そんな態度を全身で表現する沙希が、部屋の中央をほぼ占領している応接用のソファーへと、そのしなやかな肢体を投げ出した。テーブルの上では階下のサロン、カフェ・ド・サンドリヨンから出前させたエスプレッソが冷めている。もう十月も終わる、そろそろ暖炉の掃除でも始めねばと思う蒼偉であった。


 だがその前に解決せねばならない事件がひとつ。沙希のご機嫌伺いである。


「えーっと。死んでから読む絵本でしたっけ」


「『読んだら死ぬ絵本』です! 死んだら読むってそれじゃお葬式の本でしょ。まったくいつもテキトーなんだから……」


 ブツブツと聞き取れない語尾をつぶやきながら沙希が眉根を寄せる。蒼偉は悪びれもせずに「そうでした、そうでした」とうそぶきながら席を立ち、テーブルへと歩み寄った。


 テーブルには冷めたエスプレッソの他に来客用の灰皿、そして一冊の絵本が置かれている。

 表紙には『ひかりの森のおはなし』とあり、緑色の背景に手を繋いだ男の子と女の子が描かれている。


 絵本を拾い上げた蒼偉はおもむろにページを開いた。

 内容は極めて曖昧なもので、付与された絵もまるで子供が書いたかのような稚拙さを感じさせる。しかしながら蒼偉は一瞬、我を忘れて見入ってしまったことを自覚した。

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