第6話 門前払い

 三つ揃いのスーツにチーフタイというのが、蒼偉の仕事における制服であり、またポリシーである。それはたとえ、実直な亭主の裏の顔をあばく時でも、家出した飼い犬を捜す時でも変わらない。


 フランスで得たものは大別するとふたつある。ひとつ目に忍耐、もうひとつはモードに関する鋭敏性。帰国してからも、なるべく最新の流行を生活スタイルに取り組むようにしているが、如何せん周りが付いて来れないので、いささか浮いた存在となる。


 惜しむらくは、もしフランス時代にこの流行を見る目が養われていたならばと、誰からということではなく口の端に上った。


 今日もまた、ビシッと極めた相馬蒼偉が街を闊歩する。手にはステッキ、頭にはソフト帽。一部の隙もないモダンボーイではあるが、隣に歩くのがゴージャスなドレス姿の麗人ではなく、くすんだ色をしたニッカズボンに、ハンチングを被った味噌屋の箱入り娘ときているのだからしまらない。


 だがしかし、ふたりはそんなことなどお構いなしにシャンと歩く。往来する自動車から警笛を鳴らされながらも、堂々と大通りを横切って。


 どことなく無頼漢の匂いがするふたり、誰も喧嘩を売ろうとはしない。たとえ売られてもどうせ買うのは沙希の方だ、などと蒼偉は内心毒づいていた。


 ふたりの訪ねる先はもちろん、件の児童養護施設『ひかりの家』である。解体前は財閥の一員であった御子柴興産。満州に持つ鉱山で一躍大企業へと躍り出た、故・御子柴鏡太郎氏が地域への福祉還元を目指した、慈善事業の象徴ともいうべき城である。創設から早や十五年。巣立った生徒の数も百では利かない。皆、良縁に恵まれたということである。それもひとえに、御子柴氏の崇高なる教育理念の賜物だ、


「と、もっぱらの評判なんですが実際のトコどうなんですか、フリーライターさん」


 クルクルとステッキを玩びながら蒼偉がいう。

 沙希は「それを探偵が聞く?」などと呆れ顔だ。ぼやき半分、しかし取材と称してかき集めた情報量は、彼女も自負するところではある。愛用の閻魔帳、もとい取材ノートにライトブラウンの瞳を走らせた。


「ここ数年の卒業生や里親たちに、かなりの数、近況を聞いて回ったけど苦情のひとつも出てこないわね。まあ中には思春期に入って素行の悪くなった子もいるみたいだけど、それを施設のせいにする親はいなかったわ。御子柴氏の死後も、これといっておかしくなった、なんてことはないみたい」


「ほほう。それでは、さぞや躾の行き届いたマナーハウスなんでしょうね、『ひかりの家』という施設は。おもてなしにも期待が持てます」


 蒼偉の表情も自然と綻んだ。しかし、


「お引取り下さい!」


 開け放たれた鉄扉の前で、蒼偉を出迎えたのはその言葉だった。


 ちょっと時間を巻き戻すと、こうである。中途半端な西洋かぶれの蒼偉にとって、ズカズカと他人の私有地へ割って入ることなどできるはずもなく、開放された鉄扉の陰から、庭先で遊ぶ施設の児童たちに優しく声を掛けた。「君たち、どなたか先生を呼んで来てはくれまいか。いやなに、探偵が訊ねて来たといえば話は通る」などとうそぶき、そして青バナを垂らした、いささか利発そうには思えない少年に手を引かれてやって来たのが、先ほど蒼偉に毅然とした発言を投げかけた女性である。


 話は通らなかった。


 蒼偉が見るに、身持ちの硬そうな女だ。若いがすでに小姑の風格がある。フリルのついた前掛けが、鉄製に見えたのは、これが初めての経験だった。


「困ります。突然お見えになられて探偵です、だなんて。私どもには子供たちを守る義務がありますので、事前にご連絡をいただかなければ、敷地内にお入れすることなどできません。ご存知でしょう? ただでさえあんなことがあったばかりなのに……」


 もっともな対応だった。

 しかし問題はそこではない。問題があるとすればこちら側の方だったと、蒼偉はいまさらながらに感付いた。


「ササキサキさん」


「ひとのことをカタタタキみたいに呼ぶのやめてくれる?」


「そんなことよりもだね。こういう無用な悶着を忌避するための根回しみたいなことを、通常、取材記者たる者は疎かにするべきではないんじゃないかね?」


 すると敬礼を交えながら沙希。


「自分はァ、突撃敢行取材を信条としております、隊長殿ォ!」


「やめちまえ」


 蒼偉は目頭がアツくなるのを感じた。

 しばらくは「そこをなんとか」などと女性をなだめすかそうと腐心したものだが、エセフェミニストの彼が、女性相手に押し問答を続けるわけにもいかず、いよいよどうしたものかと耳たぶを擦っていると、


「どうしたね?」


 低からず高からず、よく通る壮年の声が門前のやり取りを差し止めた。

 現れたのは声に似つかわしい、四十絡みと思われる清潔感のある男性であった。カトリックの神父が着るカソックのような詰襟の高い、裾長の上着を身に纏い、黒を基調としたその衣服には、シワどころか塵ひとつ見受けられなかった。


 全体として落ち着いた物腰。しかし蒼偉は彼に対して、どこか神経質な印象を受けた。


「や、これは失礼」と蒼偉が軽く自己紹介すると、男性は『ひかりの家』の院長代行、花岡牧夫[はなおか・まきお]であると名乗った。


「なるほど。青木君のことで取材を……」


 一度暗い顔を見せた花岡が次の言葉を発するまでには、しばしの沈黙を要した。それからひとつひとつの言葉を確かめるように、彼は慎重に蒼偉たちへと告げる。


「確かに……青木君の死には我々にも分かりかねることはあります。また先代の御子柴から続いております風評のことも鑑みますと、この上はしっかりと怪しげな噂とは事実無根であると証明していただきたくもあり、またひいてはそれが好奇の眼から児童たちを守ることにも繋がるようにも思います」


「では?」


「私でお役に立てるのならば……。まずはどうぞ中へ。お茶でも淹れましょう」


 こうしてやっとのことで屋敷に通された蒼偉と沙希。その光景を『鉄のエプロン』がいまだ苦々しく眺めているのを蒼偉は知っていた。喧嘩なら沙希が買います、そう心の中で何度かつぶやいた。

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