あっけない拘束
曇天。閑散としていた市内に、まばらに人気が出始めた。仕事を終えたサラリーマンやOL、部活終わりの学生、その他諸々の人々。
大型商業ビルのモニターにはコオロギの顔が大きく映し出され、道行く人々の中にはそれに目を止め足を止める者もいる。
インターネット上では既に、「ヤクザを殺して回る英雄」としてコオロギは祭り上げられていた。
二人のいるインターネットカフェの若い男性店員は世間の情報に無頓着な人間であったが、たった今、手元のiPhoneのネットニュースから情報を得た。逃走中の連続殺人犯・興梠一郎。市中の監視カメラに写し出された、その姿。
目の前のドリンクバーでカップに大量の氷とジンジャーエールを注ぐ小汚い小男こそがまさにこの「時の人」だと気付き、悲鳴を上げるのを懸命に堪えた。
♦︎
ドリンクを片手にブースに戻ったコオロギは健やかに寝息を立てるキョウコの側に腰掛け、その寝顔を見た。
一体自分は、彼女に何をしてやれたろう。彼女が自分にさせたことは、これからの彼女の人生にどんな影響を与えるんだろう。コオロギは少し心配になった。
次に、自分の置かれた状況に少しばかり想いを馳せる。
外でも、弄り方を知らない目の前のパソコンの中でも自分は時の人となっているのを、コオロギは知らない。しかし、何となく自分に明日は来ないことを直感していた。
コオロギはぼんやりと手を見る。まず手のひらを見て、それから裏返す。昔からこの手で何人もの命を奪ってきた。何人も、何人も……
キョウコと話す直前に殺したあの人は、最期、何を考えて逝ったんだろうか。その疑問は、あの晩から一度も頭を離れなかった。そのことが自分の判断力を鈍らせたのかどうかは分からない。
やれることをやっただけだ。それしかできなかったんだ、仕方ない。
いつもの言い訳が、何だかもう通用しなくなってしまった気がする。誤魔化そうにも誤魔化せない。
コオロギはごちゃごちゃと纏まらない頭のまま、傍目にはただ呆然と、キョウコの寝顔を見ていた。
……
随分長くそうしていた。不意に時間が気になったコオロギは、パソコンの電源を入れてみようという気になった。
ぐっすりと眠るキョウコを起こさないように、そろり、そろりとモニターに近づき、側にある電源ボタンを押した。
ウィーー……ン、と起動音が鳴り、モニターを見守るコオロギ。その背後から、非情な声がかけられた。
「興梠一郎だな」
ブースの扉を開けられたのさえ、気づかなかった。コオロギは振り返らず、相変わらずモニターを見つめる。まだ暗いモニターに映し出されているのは、制服に身を包み、こちらに向かって拳銃を構える警官。
やがて画面が切り替わる。ニュース画面に気になる文脈を見つけたコオロギは覚束ない手つきでマウスを動かし、それをクリックする。
「動くなッ!!」
気にならない。撃つなら撃て。それで終わるなら本望だ。そんなことを思いながら、切り替わった画面を見つめた。
でかでかと映し出された自分の顔。「連続殺人犯・興梠一郎」。
あぁ、俺、そんな名前だったなぁ……
コオロギはそんなことを考えながら、強引に後ろに回される手を動かさず、身じろぎひとつせず、連行されていった。
ブースから引きずり出される寸前、自身を取り押さえた警官に向かって振り返り、言った。
「この子関係ないから。早く解放してあげてね」
警官は眉間に皺を寄せ、コオロギとキョウコの寝顔を見比べる。この上なく悲しげで虚ろなコオロギの目と、周囲で起こっていることを何も知らず、安眠に耽るキョウコ。
居たたまれなくなった彼は、無意識に答えた。
「できるだけのことはする……抵抗するなよ」
コオロギは素直に答えた。
「うん、ありがとう」
子供のように、無邪気で屈託のない声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます