逆転
銃声を聞いた住民からの通報により
若頭、中曽根、アロハシャツ、三人とも、花田には見知った顔だった。
全員が一撃で額を撃ち抜かれて即死している。整然とした事務所にはもみ合った形跡もなく、以前訪れた時と何も変わっていなかった。床一面に広がる血の海と、割れた窓ガラス以外は。
「お前ら、ちょっと出てろ」
「……はい」
花田警部がヤクザ並みにドスの効いた声で命令すると、三人の若い刑事たちは一斉に場を辞して、ビルの階段を降りていった。残されたのは花田と、神田川組六代目・
進藤は、血の海にしゃがみ込んで骸を覗き込む花田を尻目に、少し前まで若頭が腰掛けていた椅子に座って割れた窓ガラスから外を見る。そして、年相応にしゃがれた声で言った。
「花田よォ……」
「んん? なんだ、進藤サン……」
「酷いモンだな、こりゃあ。俺たちゃ頑張ってきたよ……年寄りになるまで極道やって来て、そりゃあ何度も死線も越えたサァ。それを……若造の気まぐれでここまで滅茶苦茶にされたんじゃ、たまんねぇよ。なぁ花田……」
花田は内心、進藤の言い分を嘲笑しつつ答えた。
「あー、そうだな……」
「アイツにゃ大概、報いてやってきたつもりだぜ? やって来た仕事にゃあ、たーんと褒美をくれてやった……だのによ、何が気に入らなかったんだろうなぁ」
「ここまでやられてアイツの心中を慮ってやれんのが、アンタの度量だよ進藤サン」
花田は心にもない世辞を口にしつつ、既にこの後進藤が自分に要請するであろう物事を予想し、ほくそ笑んだ。
「なぁ花田……分かってんな?」
「何がだ?」
「とぼけんじゃねぇよォ……長ぇ付き合いだ。こういう時の対処は……心得てんだろ?」
「あーあー、わぁってるよ、進藤サン。悪りぃのはいつだって、常識のねぇ若モンだ。よぉ〜く分かってる」
花田は血の海から立ち上がり、別に踏みつけにしても何ともない抜け殻を無造作に跨ぎながら、進藤に歩み寄り言った。
「その代わり、俺にもちゃんと褒美は、ね」
「おう。頼んだぜ」
♦︎
二人の若者が次に逃げ込んだ先は駅前のネットカフェの個室だった。
古びたカプセルホテルやら、閑散としたオフィス街やら、何やら化石じみた裏社会を放浪しては殺伐とした空気を吸いすぎた二人は、ちょっと今風の、自分たちの年齢に見合った場所に居場所を探したかったのかも知れない。
キョウコは、一言も語らないコオロギの横顔に、徐々に感情が生まれているのに気付いた。彼は苛立っていた。出会った時には確実に見られなかったものだ。
「ねぇ」
「なんだよ」
「怒ってんの?」
彼は答えなかった。薄暗く狭いブースの中、すぐ側にあるパソコンの電源は切ってある。両隣のブースは空いていて、私たちは二人きり。これは現状を整理して、コオロギという人間を知るまたとないチャンスだと思った。
しかし、そんな私の思考は不意に打ち切られた。コオロギがジロリと、恨めしげに私を睨み言葉を発したのだ。
「お前、大概だな」
私はギクリとした。言っている意味は大体分かる。事務所を襲ってみんな殺してしまえば、安心して眠れるんじゃない、と彼に提案し、やらせたのは私だったからだ。
しかし私は、ここに至ってもまだ一睡もしていない。私のイライラはピークに達していた。
「ろくに考えずに実行に移したのはアンタじゃない。私だけのせいにしないでよ」
コオロギは答えなかった。こうして怒っていても、私に対して何かしようとはしてこない。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない」
「何を」
「アンタの正体」
「別にどうだっていいだろ」
「相談員じゃないことは認めんのね」
コオロギはまた黙った。私は、答えないならそれはそれ。頼めば何だってやってくれる彼を都合よく使ってやろうと考え始めた。そして私は、また提案した。
「ねぇ、コオロギ」
「何」
「私、ちょっと眠るわ」
「あっそ」
「何もしないで、私の側にいて。それで誰か来たら、私を守ってね。そうしてくれないなら、答えてくれるまでアンタの正体、ずっとしつこく問い詰め続けるから」
コオロギはまた私の目を見た。目の下のクマは一層濃くなり、その目の奥からは、私への様々な感情が窺えた。不信、苛立ち、軽蔑……
私は何だか、それがおかしかった。コオロギと出会ってから、とことん変わっていく自分と、彼と私との関係が楽しくて仕方がなかった。
コオロギは諦めて目を伏せた。
「……いいよ。早く寝ろよ」
「ありがと」
私は小さくお礼を言うと、断りなくコオロギの膝に飛び込み、そのまま目を閉じた。
コオロギの表情は全く窺えないが、戸惑っているのか少し身をよじる。
やがて、彼は私の肩に触れた。恐る恐る、まるで怯えた猫のような手つきだ。触れて暫くすると、彼は私の肩を優しく撫で始めた。
一体彼は、何を考えているのだろう。起きてもう少し心に余裕ができたら、色々聞いてみよう。
そう決めて数秒後、私は泥のように眠りに落ちた。
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