豹変
「あぁ、
「ホントですか?」
「うん……まぁ、ここらに住んでる、色んな人の悩みのタネになってる団体だわな」
コオロギと肩を並べ、勤務先のピンクサロン「エリス」へ向けて歩きながら、現在私を縛り、またエリスの後ろ盾になっている暴力団・神田川組について話した。
男でありながら私より背の低いコオロギの表情は、バンダナと長髪に阻まれて窺えない。しかし彼の声色は、心なしか今日初めて少しばかり暗くなっているように感じられた。
「ていうか、解決しに行くって、どうするんですか? お店に行ったからってどうなるものでもないと思うんですけど」
「とりあえず話すよ。店の責任者と。要は君を縛り付けてるのは親父さんが残した借金だろ。それさえどうにかなれば君を働かせる必要はなくなるわけだから」
明らかに相談員の仕事の範疇を超えている。というか、私は彼に一銭も支払っていないしそんな約束もしていない(ファミレスの支払いを除いて)。
どう考えても怪しい流れでしかないのに、なぜか私は彼を疑う気になれなかった。なんだかこのコオロギという男からは、打算も悪意も微塵も感じられないのだ。
「ここか」
「はい……」
エリスを前にして、胃がキリキリと痛んできた。古びたビルの地下へと続く階段の前にある、明らかに如何わしい雰囲気を醸し出す、色あせた看板。顔を片手で隠した女の写真と共に記されたカタカナの店名。
「じゃ、行こうか」
コオロギは一切の迷いなく、ただ通りを歩くのと全く同じ足取りでその看板を通り過ぎ、地下へと続く階段へと歩いて行く。私は否応なくそれに続いた。
♦︎
「いらっしゃい……あれ、キョウコちゃん?と……誰? あんた。客?」
出迎えたボーイ、というか中年男の
「客じゃないよ。責任者出して」
コオロギは身じろぎひとつせず、悪びれもせずに言う。男の顔がみるみるうちに曇り、振り返った先にある小さなカーテンを開けた。
「おい、なんか変なヤツが来たよ……ちょっと来て」
「あぁん?」
明らかにガラの悪そうな男の声が聞こえる。これも聞き慣れた声、エリスのガードマンを務める、神田川組の下っ端・
山内はすぐにカーテンの横にあるドアから出て来て、コオロギを睨み付ける。大男の山内と並ぶと、コオロギの貧相な立ち姿がより際立つ。しかしコオロギは動じない。
「お兄ちゃん、何? お客さん?」
「違うよ。あんた責任者?」
「コオロギさん、違うよ。この人は……」
「客じゃねぇなら出て行け」
キョウコが横から訂正を入れるより先に、山内の態度は豹変した。分かりきったことだった。
「ここがどこだか分かってんのか? 出て行かねぇならつまみ出すぞ」
流石はヤクザ、とんでもない威圧感である。前に酔っ払った大学生の集団が冷やかしに現れた時も、この凄み一つで全員酔いが覚めたように怯えきった表情になって退散していった。が、コオロギはモノが違った。
「話の通じねー野郎だな。責任者出せっつってんのにしゃしゃってんじゃねーよ三下。ぶっ殺されたくなかったらすっこんでろ」
キョウコは驚愕した。完全に予想外の事態だった。コオロギの声は、大きさもトーンも先ほどと大して変わらない。
しかし有無を言わせぬ迫力と殺気は山内のそれを遥かに上回り、山内は瞬く間に先日の大学生と同じかそれ以上に情けない、まるで蛇に睨まれたカエルのような表情になってしまった。
「な、なんだよてめ……いいか? 俺はな、神田川組の……」
「ンなこた知ってるよボケがァッ!!」
「ひッ……!?」
豹変したコオロギは突然足元にあったゴミ箱を思い切り蹴り飛ばし、鬼のような怒声を発した。
コオロギを除く全員が、腰を抜かさんばかりに恐れおののき後ずさった。
「責任者出せっつってんだ……二度目はねぇ。次に反抗したらマジでぶっ殺すぞ」
「わ、分かった……分かった! ちょちょ、ちょっと待ってくれ……!」
山内と羽毛田はバタバタと奥へ引っ込み、慌てて誰かに電話をかける声が聞こえた。
キョウコは怯えて物も言えず、身動き一つ取れないままにコオロギを見下ろしていた。
不意に、コオロギは視線をこちらに向けた。ファミレスで語らっていた時と同じような、何の圧もない子供のような表情で。
「じゃあ、ちょっと奥で休もう」
「は、はい……」
掠れた声で返事をしたキョウコを置いて、コオロギは店の奥へと歩いて行く。少しばかり緊張から解き放たれたキョウコは、自分が軽く失禁していたことに気付いた。
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