押しかけ談判

 私たち四人は、エリスの待機所にあるテーブルに向かい合って座った。

 私の向かいに羽毛田、はす向かいに山内、そして隣には、コオロギ。

 目の前の二人はずっとコオロギを注視していたが、コオロギはずっと出されたコーヒーに大量に砂糖を放り込んで啜っているだけだった。

 先ほど羽毛田が最大限に気を遣って用向きを訊ねたのを、コオロギが「うるせぇ」と一蹴して以来、ずっとこの沈黙は続いている。気まずい。一体彼は何をしに来たのか。


 羽毛田は時折私に視線を投げては、目で「とんでもない奴を連れて来てくれたな」と訴えかける。私はそれに苦笑を返しながらも、少なくとも今、こういう汚いオヤジのアレを口に含まずに済んでいることに感謝してもいた。


 背後から階段を降りる、数人の男たちの足音が聞こえる。待ち人がやって来たのだ。先ほど羽毛田が電話で呼びつけた責任者が。

 私は不安に耐えきれずそわそわと貧乏ゆすりを始めたが、コオロギの表情は変わらない。しかし先ほどまで啜っていたコーヒーは机上に置き、腕を組み背もたれに身を預けていた。どうやら待ち人の到来には、私よりずっと早く気付いていたらしい。


 やがて背後のドアがコン、コン、とノックされ、「失礼するよ」と慇懃に挨拶を述べながら、一人の男が入室して来た。私は恐ろしくて俯いたままだったが、ちらりと横目にコオロギの様子を窺うと、無遠慮に大きく身を捻って振り向き来訪者を凝視している。


「どうも。あんた責任者?」

「……あぁ、そうだが」


 低く、渋い声だった。男はコオロギを怪訝な目で観察しながら部屋の奥へ進み、素早く立ち上がった羽毛田と山内が腰掛けていた黒いソファに腰を下ろす。


「あんたは何モンだ?」


 白髪混じりの髪をオールバックにした中年の彼・中曽根なかそねは、二年間ここで勤務している私も片手で数えられる程しか目にしたことのない、地位の高い男だ。

 山内ほどの大男ではないが、醸し出す威圧感と貫禄では上回っているように感じられた。しかし先程のコオロギの怒号を目の当たりにしていたためか、以前目にした時ほどの圧は感じられなかった。


「俺は……そうだね、この人の相談員」

「相談員?」

「死にたいぐらい悩んでんだって、この人」

「……だから何だ?」

「ここ、やめさせてやってよ。要は金だろ。そんなもんどうとでもなる」


 中曽根はその眉を顰め、目の前のコオロギに対する違和感を一層強めているように見える。


「どうとでもってお前な……こいつの借金がいくらあるか分かってんのか?」

「知らねーよ。本来そんなもん払う気ねーんだけど、穏便に済ましたいからそう言ってんだ。どっちにしろ死人は出るぜ。人が死ぬ瞬間ってのは、見る人によっちゃ結構な衝撃らしいからな。嫌なら目ぇ瞑って耳塞いでろ」


 コオロギの言葉の意味不明さに困惑しきったのは中曽根だけではない。山内も、羽毛田も、私も同じだった。

 が、中曽根は流石に大物。話の通じない相手への対処は心得ているようだ。懐からケータイを取り出すと、誰に憚ることもなく話し始めた。


「もういい……完全なキチガイだ。やれ」


 中曽根が話し終えるや否や、背後の扉が勢い良く開け放たれた。私は直感で恐怖を感じ椅子の下に身を隠そうとしたが、それより早く隣に異常が発生した。そして。


「グェッ」

「ふぐっ……」


 背後から二つのうめき声が聞こえ、次にドサドサッ、と、何かが床に落ちた。


 恐る恐る顔を上げる。中曽根、山内、羽毛田は三人とも顔面蒼白となって沈黙し、音のした方を呆然と見つめている。

 一切音の消えた部屋の中、私は硬直しきった首を無理やり、ギリギリと回して背後を振り向く。


「ひッ……!?」


 そこにあったのは、血だまりに沈む二つの死体。どちらも黒服に身を包んだ、山内並みの大男だった。それぞれの手には、火を噴くことが無かった拳銃がしっかりと握られていた。


 そしてその二つの間に立つ彼、コオロギは相変わらず事も無げに、二つの死体を交互に見やる。片手には、鮮血の滴るバタフライナイフが無造作に握られていた。

 やがて青ざめた、非力な、震えた子羊のようになった三人の男たちの一人と化してしまったかつての大物・中曽根に目線をやる。中曽根はヒッ、と小さく悲鳴をあげると、口をパクパクと動かして何か言おうとするが、乾ききった喉から声は出ない。


 コオロギはファミレスで私と交わした何気ない会話の中で発した声と、何ら変わらぬ調子で言う。


「こいつらの給金と、これまでの稼ぎで足りるだろ」


 誰も答えない。いや、答えられない。コオロギが頭をかき、二つの死体のうち一つ頭を思い切り蹴飛ばした。鈍い音が鳴り、首が変な方向を向く。


「ヒィッ……!?」


 三人は似たような悲鳴をあげた。どうやらコオロギは親切心から、三人の声が出るようにしてやったようだ。


「足りるなァ!?」

「は、はいぃ……」


 中曽根は目に涙を浮かべ、鼻を垂らし、威厳のかけらもない声で返答した。


 コオロギは満足げに少しだけ口角を上げると、目の前で次々に展開された異常事態にすっかり放心してしまった私の肩にポン、と手を置き言った。


「行こうか」


 なぜだか、恐怖はかけらも湧かなかった。


「……はい」


 私はともかく、彼について行くことを決めた。先のことなど、もうどうでも良かった。

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