07 クリスマスと花火

「クリスマスに花火って、わたしたちロックだね」

「ははは」

 

 キズナの言葉に、僕はからからと笑う。そんなことを言うのは、おそらく最近はまっている深夜アニメの影響だろう。

 それは高校生の少女たちが部活動でロックバンドを結成し、全国のライブハウスで演奏してまわるという深夜アニメで、キズナは面白がってみていたが、僕は音楽を始めたばかりの主人公が全国をまわるという部分にどうしても馴染めなかった。

 音楽とは小さい頃からの積み重ねなのだ。才能なのだ。僕も高校の時ギターを買ったが、二日で飽きた。


 僕たちはアパートの駐車場で花火をやっている。辺りはすでに暗く、太陽の沈んだ冬の大気はコートを着ていても肌寒い。

 今日はクリスマスイブだが、今朝キズナが突然花火をしたいと言い出したのだった。花火は夕方に近くの雑貨屋で購入し、アパートの大家さんにも許可をもらっている。

 クリスマスイブは皆どこかに出かけたり、家の中で静かにすごしているのかもしれない。住宅街は先ほどからしんと静まり返っており、僕たちのはしゃぐ声だけが冬の夜空に響いた。


 キズナはカラフルに色の変わる手持ち花火を二本ずつ、両手で振り回している。踊るようにクルクルと回り、次々と花火を入れ替える。

 余らせるつもりで十分な量を買って来たつもりだったが、キズナのペースではすぐに使い切ってしまうかもしれない。

 一方アカリさんは、まだ始めたばかりだというのに、座り込んで線香花火を開封しようとしていた。


「あれ、アカリさんそれもう空けちゃうの? 最後までとっとこうよ」

 

 両手に豪快に火花を散らすキズナが近づいてきて、僕は煙を吸い込みむせ返る。

 

「私、線香花火好きなんですよね。なんだかロマンチックで」

「ちょっとキズナ、アカリさんにも煙がかかってるよ。もうちょっと向こうでやりなよ」

 

 僕がそう注意すると、

 

「あはは、ごめんね。でも楽しいなぁ。花火、久しぶりだもん」

 

 と言って笑った。

 僕もキズナと同じで、花火をするのは小学生の頃以来だった。キズナが花火と言い出したときから、まるで童心に返ったように、胸のわくわくが止まらないでいる。

 『スパーク花火』と印刷された袋を空け、ライターで火をつける。すると、雪の結晶のような白い火花が、四方八方に弾けた。


「久世さんのそれ、あんま勢いないね」


 キズナは不服そうだったが、僕はキズナが振り回している喧しい花火より、よほど美しいと思った。こう、辺りの暗さとあいまって、なんとも言えない風勢があるし、パチパチと弾ける音が、耳に心地よい。


「すいません、久世さん。少し手伝ってもらえますか? 暗くてよく見えなくて……」


 しばらくたって、アカリさんが困ったように呟く。僕たちより少し離れた場所に座り込んでいるせいで、花火の光が届かないらしかった。僕は終わった花火をバケツに投げ入れ、アカリさんの手元をライターで照らす。


「線香花火、本当に好きなんだね」


 アカリさんはもうすでに線香花火の一袋目を使い切っており、二袋目を開けようとしているところだった。キズナは線香花火を最後にとっておこうと言っていたから怒るかもしれないな、そう考えながらも、手ごろな一本を袋から取り出す。


「どっちが先に落ちるか競争しよう」

「それより今朝からずっと携帯がなってますけど、出なくていいんですか?」


 アカリさんが不思議そうに首をかしげる。


「ははは、いいんだ」


 一日中鳴り続ける電話は、おそらく伯母か、あるいはほとんど話したことがないような親戚からだ。今日は伯父の葬式なのだが、それをサボりこうして花火をしている。

 先ほどキズナがロックだロックだと言っていたが、本当にロックなのはこの僕自身である。通夜も葬式もすっぽかし、家出少女たちとつるみながら花火。ははは。これほどロックなことが、果たして今までの人生にあったろうか?

 ロックンロール!

 こんなことを言っていたら、全国のミュージシャンに怒られそうだ。


 とにかく、僕にはこれっぽっちも電話をとる気がなかった。何か言いたいことがあるのなら、いっそこのアパートまで来てくれればいいのにな。それで色々なことがばれたとして、だからなんだというのだろう。

 僕という人間ははっきりとここに存在しているのであって、それを見た他人が悲しもうが、絶望しようが、それはその人の勝手であり、知ったことではないんだ。


「あーずるい! わたしもしたい」


 僕とアカリさんが並んで線香花火をしていると、キズナが恨めしそうにやってきた。僕はあらかじめ袋から取り出しばらしていたものを、キズナに渡してやる。そうして三人横並びになり、線香花火の儚い火の玉をじーっと見つめていると、周囲に心地よい静寂が訪れた。


「線香花火って、星空みたいだよね」

「星空?」


 唐突なキズナの呟きに、アカリさんが不思議そうに尋ねる。


「そう、星空。満天の星空に見えない?」

「私には何かの植物に見えるかな……」

「えー、そうかなぁ」


 二人の会話を聞き、僕は大学時代に知った、ある面白い雑学を披露することにした。


「ねぇ、二人とも。星がどうして見えるのか知ってるかい?」


 僕の突然の問いかけに、キズナもアカリさんもきょとんとした顔をする。


「そんなの光ってるからだよ」

「それはそうだけど、そういう話じゃなくてね。

 いいかい、人間はどうして光を感じることができると思う? それは、目の網膜にある細胞が、光と反応するからなんだ。その反応によって、僕たちは光を認識している。だけど実は、もし星の光が普通に地球に届いているとすると、網膜の細胞が反応するほどの明るさには決してならないのさ。

 つまり、認識することができない。星はうんと広い宇宙全体に光を放っていて、その中の地球、しかも僕たちの目に入るような光はごくごくわずかだからね。それでも実際僕たちには星が見えてるわけだろう?

 その矛盾を解き明かすのが量子力学と呼ばれている学問で、聞いたことあるかな? 量子力学では、光はとびとびのエネルギーしか持つことが出来ないって、そう言うんだ。光を光子という粒だと考えて、その粒は、それよりも分割できない最低限のエネルギーを持っている。それは網膜と反応することができて、星の光を認識できる。どうだい、面白いだろう?

 だけど、考えれば考えるほどわからなくなることもある。どうしてとびとびのエネルギーなんだろう、その間の部分にはいったい何がつまっているんだろう、って。それでも実際、僕たちには星が見えているからなぁ」


 そこまで言い切って僕ははっとした。途端に、どうしようもない恥ずかしさがこみ上げてくる。学者でもない僕が、他人の受け売りで勝手なことを話してしまった。それも変に熱中して、一番聞かれたくない相手に口を滑らせてしまったのだ。どうも今日の僕はなんだかふわふわとしていて、普段どおりの落ち着きがなくていけない。

 僕は恥ずかしさを紛らわせるために空を見上げた。今夜は曇り空のようで、頭上には真っ暗闇の空が広がっている。

 冬の冷たい大気に晒されて、耳にジリジリと熱が帯びているのを感じる。


「久世さんって、頭良かったんですね」


 頭を下げると、アカリさんは目をまん丸とさせて僕のほうを見ていた。そして肝心のキズナは、いつもと変わらない様子で線香花火を続けている。軽蔑されるかと思ったが、そんなことはないようだった。安心して、僕はほっとため息をつく。


「いや、ごめん。大学で聞いた話の受け売りなんだ」


 僕がそう弁解すると、


「わたし、チューソツだからわかんないよ」


 キズナがぽつりと、ふてくされたように呟いた。


****


 あらかたの花火を使い切り、燃え滓の入ったバケツを処理しようとしていると、不意に誰かの視線を感じた。

 振り返ると、少し離れたところで、真っ黒な車に寄かかりこちらを見つめる女性がいる。


 その表情を、目つきを、服装を、僕は知っていた。


 短く切りそろえられた黒髪、少しつり目気味の目にメガネ、黒いスーツ。あの時とまったく変わらない風貌。それは忘れるはずもなく、キズナの母親だった。

 いったい、いつから見ていたのだろう。

 今のところキズナは、母親の存在に気づいていないようだ。アカリさんと一緒に、花火の入っていた袋を束ねている。まさか、彼女が呼んだのか?

 僕は背中に冷や汗が流れるのを感じながらその場に立ち尽くす。とにかくキズナと母親を会わせる事は避けたかった。キズナ自身が呼んだのだとしても、何か上手い言い訳をして、平和的に帰ってもらいたい。

 僕たちとの穏やかな生活を守るために、ここで僕は行動を起こさなければならない。


 二人にコンビニで雑誌を買ってくると告げ、今だこちらを見続ける女性の方へ向かう。

 僕が近づいても女性は顔色一つ変えず、怒っているのか真顔なのか判別のつかないような表情で、じっとこちらを見つめていた。


「こんばんは、はじめまして」


 僕は努めて明るい調子で話しかけた。しかし女性は表情を変えず、僕の足先から頭のてっぺんまでを値踏みするようにしげしげと見つめてから、


「あなたが、あの子を保護してくださってるのですね」


 と、よく通るはっきりとした声で答えた。その声質はキズナの透き通るようにやさしい声とは似ても似つかないし、口調からしてやや神経質そうな感じがして、やはり大雑把なキズナとは違う。


「私があの子の……、キズナの母親です」

「へぇ、キズナ。ははは、本名もキズナと言うのですね」


 女性は少し困惑したように肯くが、僕はそれを無視して喋り続ける。


「ははは、てっきりハンドルネームなのかと思ってましたよ。おそらくご存知の通り、僕とあの子はずいぶん長い間一緒に暮らしているんですけど、そういえば一回も、あの子の名前を聞いたことがなかったな。いや、気にならなかったというより、本当に忘れていたんですよ! しかしまあ、そんなことはどうだっていいんだ。ハンドルネームだって、実名だって、所詮はただの名前なんですから。大切なのはそんなものじゃないでしょう? あなたはあの子の母親なんだから、それを一番良く知っているはずだ。あの子が何を幸せに思って、何を夢見て生きているのか。あなたは母親なんだから、それを一番知っているはずだ。あるいはあれくらいの年頃の子にとって、親は自身の人生における目標でもあるでしょう。違いますか? でもそうなんですよ。否定したって、子供は勝手に親の背中を目指して生きるんだ。それが親と子の関係ってものなんですよ。いや、実際のところ僕にも親はいましたが、死んでしまったんで、よく分かりませんけど。

 すいません。話がそれましたね。すいません。それであの子の本名もキズナだと言うけれど、漢字はどう書くんですか? まさか『葵絆』とか……。葵と絆の二文字でキズナなんて読みませんよねぇ? いや、この前インターネットで面白半分に検索していたら、キラキラネームとしてこれが出ていたんですよ。絆って漢字一文字ではだめなのかなって思っちゃいました。ははは、こんなこと言ったら失礼でしたかね。だけど、あなたは真面目そうな見た目だし、キラキラネームをつけるとも思えないな。そうしたら、やっぱり漢字一文字でキズナですか? それともキラキラネームなんですか? 先ほどから黙りこくって、どうなんですか?」


 僕はほとんど我を忘れて、喉を引き攣らせながらそう問い詰めた。頭に血がのぼり、沸騰したように熱くなっている。いったい僕は何を言っているのだろう? そんなことを思う余裕もなく、腹の底から次々に言葉があふれ出し、それを目の前の女性に投げ続けた。


「漢字で一文字の、絆ですが……」

 

 困惑した声が返ってくる。

 僕は女性の顔を直視することができない。


「……あなたがキズナを保護してくださっていること、感謝はしています。しかしその行為が、あの子の可能性を奪っているということに気づいていただきたい。

 私にはあの子が何を考えているのかさっぱりわかりませんが、あなたのことをとても信頼しているようです。どうかあの子に、家へ帰るように説得してはもらえないでしょうか? 私が何を言っても、聞く耳をもたないんです。いったい、どうしてあんな子になってしまったのか……。育て方を間違ったのかもしれないわ」


 育て方を間違ったのかもしれないわ。


「先ほどの花火の様子はずっと見ていました。私は今まで、あの子のあんな顔を、見たことがなかったから……。本当に幸せそうでした。私はあの子に幸せになってほしいんです。あの子はかわいそうに……、学校でひどいいじめにあってたいようで……。置いていた封筒のお金がなくなっていたり、こっそりかばんを開けると破れた教科書が出てきたりして……。だけど本人に言うと、突然暴れだすんです。家中をめちゃくちゃにして、夫も帰りが遅く、何を考えているのか分からないし……。私は仕事ばかりで、あの子に何も……、守ってあげることも、愛してあげることもできなかったから……。だからあんなに楽しそうなあの子の顔を見てたら……、うぅ……」


 女性はぼろぼろと涙を流して膝を折る。一方で、僕の心はすっかり冷え切ってしまっていた。

 無言で女性に背を向けるとそのままアパートへ戻り、その日はそれから、何事もなかったかのように過ごした。

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