03 アカリさん
ある日、いつも通り伯父の家から帰ってきたら、廊下に見知らぬ女性がいた。
僕はうまく状況が飲み込めず、阿呆のような顔でその場に立ち尽くす。まさか自分の住処を間違えるはずがない。すわ、泥棒か? しかし彼女からは鬼気迫るような気配は感じられない。むしろ彼女自身も、予期せぬ事態にかなり焦っているようだ。先ほどから萎縮しきって、視線は左右交互に揺れている。
見ず知らずの人間が、他人の家に上がりこんで、勝手に怯えている。悪い冗談のようだった。
狼狽する僕と謎の女性。ピリッと張り詰める空気。そんな膠着状態を打ち破ったのは、能天気なキズナの声だ。
「おかえり、久世さん」
彼女は事も無げに言い放つ。
「アカリさんだよ。ほら、いつも話してる人!」
アカリさん。いつも話しに出てくる、キズナのネットゲーム仲間だった。
****
「わ、私キズナちゃんが男の人と暮らしてるなんて思わなくて……」
座卓の上には土鍋が置かれ、僕たちは三人でそれを囲む。材料は僕がいない間に、アカリさんとキズナが買ってきてくれたらしい。
「先ほどは取り乱してしまって、どうもすいませんでした」
「家族じゃないけど一緒に住んでる人がいるって、教えてたのに」
キズナは不思議そうに首をかしげる。
そりゃあ誰だって、キズナくらいの歳の子が誰かと暮らしていると聞けば、相手は女性と思うだろう。僕にはアカリさんの戸惑いが容易に想像できた。
「それに突然お邪魔しちゃって、すいません」
「いや、大丈夫だよ。キズナの友達なら歓迎さ」
アカリさんは先ほどから謝ってばかりだ。僕は鍋を食べながら、その姿を観察する。
話を聞いた限りではまだ大学生だという。僕より少し年下だけれど、背は僕と同じくらいだ。女性にしてはかなり身長が高い。体型はキズナと同じで痩せているが、キズナよりも背が高い分、どこか病的なものを感じさせた。
先ほどから気になっていることがある。果たして目の前の女性には、僕たちの関係がどのように映っているのだろうか? キズナは明らかに高校生くらいの外見で、そんな年頃の少女が、年の離れた男の家で寝泊りしている。はたから見れば、通報されても仕方がない。
僕は警戒していたけれど、アカリさんはなかなか口にしない。まだ少しぎこちない笑顔で、キズナとネットゲームの話を続けている。見た目は真面目そうな学生なのに、意外と頭のおかしなタイプなのだろうか。それとも僕たちの関係に勘付きながらも、あえて触れないようにしているのだろうか。
「久世さん」
初めてアカリさんに正面から呼ばれて、少し戸惑う。
「これ飲みませんか?」
そう言うと、彼女は床においてあったビニール袋から缶ビールを取り出す。その瞳は善意に満ち溢れていて、僕のことを不自然に意識しているようには見えない。彼女はどうやら、本当に僕とキズナの関係を気にしてはいないようだった。
「買ってきたばかりなので冷えてますよ」
「ありがとう」
僕とアカリさんは缶ビール、キズナはオレンジジュースを飲みながら、しばらく雑談に興じる。鍋の中が空になったころには、アカリさんの身の上話に移っていた。キズナはオレンジジュースを片手に、興味津々に聞いている。
「実家は北海道にあって、駄菓子屋なんです。だけど私、普通に就職して結婚したかったから、一人暮らしをするために東京の大学を受けることに決めました」
アカリさんもだいぶアルコールが回っているようで、恥ずかしがる様子もなく、にこやかな笑いを浮かべている。
キズナは頬杖を突きながら、
「駄菓子屋かぁ。代わりに私に継がせてほしいな」
と少し真剣そうな顔で言う。キズナが継いだら、その駄菓子屋はすぐにつぶれてしまうだろう。そう思ったけれど、キズナは上機嫌でアカリさんの話を聞いている。
「大学に入って最初の頃はちゃんと一人暮らしをしてたんですけど、今は彼氏と同居してるんです。彼は社会人なんですけど、SNSで知り合って、何度も会っているうちに本当に好きになってしまって……」
アカリさんはのぼせたように顔を赤くして、テーブルに突っ伏す。なるほど、彼女もずいぶんスリリングな恋愛をしているようだ。僕とキズナの関係を気にしないのもうなずける。
その後もしばらく他愛のない会話を続けていたら、いつのまにか終電の時間が迫っていた。
「私電車なので、そろそろ帰ります」
アカリさんの一言でその日はお開きとなり、酔ったアカリさんを駅まで送る。帰ってきてもまだ、キズナはテーブルの前から動いていない。
「SNSで出会って、そのまま付き合っちゃうなんて、なんだか素敵だね」
うわ言のように呟くキズナを尻目に、散乱した空き缶やビニールをゴミ袋につめる。するとテーブルの影に隠れて、見慣れぬ携帯電話が落ちているのをみつけた。おそらくアカリさんが忘れていったのだろう。
開いてみると、待ち受け画面にはスーツを着た男性とアカリさんが並んで写っている。アカリさんは心から幸せそうな顔で、カメラに向かってやわらかい笑みを浮かべていた。
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