12 僕のなすべきこと

 キズナが頭のおかしな悲鳴を上げながら、床に落ちている雑誌を手当たり次第に破いている。暑さにばて、シャツ一枚で横になる僕の頭上では、その切れ端が紙ふぶきのように舞っている。

 付箋が貼られ、マーカーで丁寧に線引きされているあれは、通信高校の情報誌だ。不器用な母親の精一杯の愛情表現。嗚咽を繰り返しながら、キズナは憑りつかれたようにページを破り続けている。


 僕は止めない。

 それで気が済むものなら、続ければいい。さすがに食器類を割ろうとしたときは、怪我をするからと必死に止めたが、雑誌程度なら可愛いものだ。部屋はアカリさんがいたときからずっと片付けていないし、もう滅茶苦茶に散らかっているのだから、これ以上暴れたところでそう代わり映えするものではない。近所迷惑なのは許してくれ。できるだけ音がもれないように、窓をしっかりと締め切っている。ああ、だからこんなに暑いのか。

 クーラーを入れたくてもリモコンはこのゴミ山のどこかに埋まっていて、とても探す気にはなれない。汗でびしょびしょになったシャツを脱ぎ捨て、僕は半裸で横になる。

 僕はキズナと二人きりで過ごす今を、精一杯満喫する予定だ。だって、これは僕の望んだ未来だから。アカリさんはいなくなり、僕はキズナ以外に生きる意味を見失い、キズナは僕しか頼れる人間がいない。最高のシチュエーション。もちろんもうすぐ貯金は尽きて、僕たちは路頭に迷うけれど、それまではすべてがうまく回っていくと思う。


 横になる僕のちょうど目の前に、例のストラップが落ちている。いつか遊園地に行った時に買いそびれた、ヒモのところに不細工なペンギンがぶら下がっているやつ。

 醜く平たい鼻。晴れ上がった唇。左右非対称の瞳。どこか物憂げな表情。何度見ても面白い顔をしている。


 昨日、泣き疲れて眠るキズナを置いて、一人で遊園地に行ってきたのだ。前回と違い、売り場はすんなりと見つかって、僕とキズナのおそろいにしようと二つ買ってきた。だけどこうして捨て置かれているということは、あまり気に入らなかったのだろうな。この面白い顔をみたらきっと、キズナも元気を出してくれるだろうと思ったのに。

 そうして僕は寝返りをうつ。すると、キズナがこちらを見ていた。いつのまにか泣き喚くのをやめて、ぐったりと座り込んでいる。


「出て行ってよ」


 かすれた声でキズナが言う。その目は泣き腫らして真っ赤になっている。


「ここは僕の部屋だ」


 僕が答える。


「お願いだから、一人にして」

「じゃあ、家へ帰るかい?」

「嫌だ、帰りたくない。帰っても意味なんてないから。何も面白いことなんてないから」

「このまま今の生活を続けたって、苦しいだけだよ。行き止まりは見えてる」

「このままでいいよ」

「本当に? こんな状態だからこそ、今、少し離れた場所から人生を見つめ直すことができると思うんだ。それで、君にとって一番幸せなことは何か、考えてごらん?」

「わかんない」

「そうか」


 そうか。僕は体を起こして、ゴミ山の中から白いスポーツバッグを掘り起こす。ここに来るときにキズナが私物を入れていたそのバッグに、床に散らばった僕の下着を適当に詰め込む。暇をつぶせそうな文庫本を何冊か手に取る。財布の中に万札が数枚入っているのを確認してから、アパートの鍵と一緒にテーブルの上に置く。


「これで一ヶ月は足りると思う。戸締りはきちんとするんだよ」

「……どこに行っちゃうの?」


 不安そうにこちらを見上げるキズナ。僕は冷徹に告げる。


「一ヶ月以内に戻る。もし寂しかったら、家に帰ってくれて構わない」


 僕たち二人の幸せな生活は終わった。


***


 アパートを出て、コンビニのATMでなけなしの貯金をすべて下ろし、その日のうちに電車で北海道まで移動する。

 札幌駅に到着したときにはすでに夜遅くなっていて、駅前のネットカフェに入り、朝になるのを待つ。

 

 アカリさんを見つけるのに、張り込む場所は決まっていた。札幌駅から少し離れたところにある、それなりに有名らしい洋菓子屋だ。

 アカリさんと別れたあの日、いくら聞いても実家の詳しい住所を教えてくれなかった。唯一知っていた携帯の電話番号は繋がらなくなっていて、アカリさんは本気で僕たちとの関係を切りたいらしかった。

 その翌日には、僕はアカリさんが拒食症時代に書いたブログをくまなく廻って、何か情報が得られないか探していた。そこで、同じロゴの入ったお持ち帰り用の箱が、何枚かの写真に写りこんでいることに気が付いたのだ。その名前を検索するとどうやら有名な洋菓子屋で、分店はなく、札幌駅から少し離れた場所にあることがわかった。

 アカリさんは確か、ブログの写真は親や友達に頼んで撮らせてもらっていたと言っていた気がする。

 だとすれば、いくら洋菓子屋の前で張り込んでいても、アカリさんにもう一度会うのは難しいかもしれない。むしろ会えれば奇跡で、普通に考えたら不可能だ。だからこのことは、キズナにも言っていない。

 念のために電車の中で調べたところによると、毎週木曜日が定休日、営業時間は午前九時から午後七時半まで、店内で召し上がることも可能です、等。ネットカフェの個室でそのことをもう一度確認してから、明日からの張り込み生活に備え、足を折りたたんで眠りにつく。


 携帯にはキズナからの着信が何度もあったが、僕は一度も出なかった。謝るから帰ってきてほしいという内容のメールも来たが、返事は打っていない。どうしてかは僕もわからない。

 キズナが僕に見捨てられたと思い込んで、帰ってしまったら?

 アカリさんを見つけられなかったら?

 キズナがアカリさんとはもう会いたくないと言ったら?

 アカリさんが拒んだら?

 わからない。僕にはわからない。ただ、明日から洋菓子屋で張り込みを続ける、それだけだ。


***


※アカリさん捜索日記※

 一日目。晴れ。手がかりなし。


 洋菓子屋はちゃんとあった。僕は道路を挟んだ向かいの電柱に寄りかかり、文庫本を読むふりをして張り込みをする。店内への出入りは子供連れの夫婦が多い模様。


 二日目。晴れ。手がかりなし。


 洋菓子屋は爽やかな青い壁に、洒落た看板がぶら下がっている。一部はガラス張りになっていて中を見ることができる。ショーケースには高そうなケーキがずらりと並んでいる。トイレは少し離れたコンビニを利用しているが、5分ほどあいてしまうので不安だ。水分の摂取を控えるべし。


 三日目。曇り。手がかりなし。


 店に入ってみた。購入したケーキを中で食べられるようにテーブルが置いてあり、窓際には小奇麗な観葉植物が並べられている。ケーキはどれも値段が高すぎて手が出ない。見るだけにして退店。


 四日目。晴れ。手がかりなし。


 日差しが強くて、電柱に寄りかかっていると熱中症気味になった。やはり水分は程度に摂取するべきだ。だるさと吐き気に襲われ、午前中で断念。午後はネットカフェに戻り仮眠をとった。


 五日目。曇り。定休日。


 木曜日が定休日だったことを忘れていた。来週からは無駄足を踏まないようにするべし。


 六日目。曇り。手がかりなし。


 アカリさんらしき人を見つけたのでつけてみたが、全然別人だった。(見間違ったのは集中力が切れていたせいだ。今後注意しなければ。十分ほどその場を離れたので不安)



 十日目。雨。手がかりなし。

 

 雨のため、近くの喫茶店に入ったら、ちょうど洋菓子屋の辺りを見渡せるポジションを発見。少し距離が離れているので見落とす危険はあるが、トイレ問題は解決する。積極的に利用していきたい。


 十一日目。曇り。手がかりなし。


 やはり駄目だ。立っていないと眠気が襲ってくる。夜にうまく眠れないせいだ。午後からは再び、向かいの電柱で、文庫本を読むふりをして過ごした。


 十二日目。定休日。

 十三日目。晴れ。手がかりなし。


 特に問題なく張り込みを終了。ネットカフェでの生活にも慣れてきたが、一つ不満点を上げるならば寝心地の悪さだ。体を畳んで寝ているせいで、起きるとあちこちが痛む。それからフードサービスでピザばかり選んでいたせいで胃がキリキリする。


 十四日目。雨。手がかりなし。

 十五日目。晴れ。手がかりなし。


 何か臭うと思ったら、自分の体臭だった。それも今までに嗅いだ事のない類。


 十六日目。晴れ。手がかりなし。



 二十日目。晴れ。手がかりなし。


 張り込んでいたら突然嘔吐した。原因不明だが、ピザを食べ続けたせいだろうか。目立ってしまったから、明日からは場所を変える必要がある。


 二十一日目。曇り。手がかりなし。


 いい場所が見つからなかったので、再び喫茶店を利用した。今朝眠気対策で購入したカフェイン剤を服用したら、眠くはないが、とてつもない頻尿に襲われた。15分おきにトイレに行く羽目になり、透明な尿が大量に出る。それほどの水分を取っている記憶はないが、いったいどこから湧き出たのだろうか。目立ってしまった。もう、喫茶店にも行かない方がいい。



 二十六日目。晴れ。手がかりなし。

 

 金銭的な余裕はあるのだが、念のためにシャワーを控えることにする。いくらシャワーを浴びても体臭がとれないから。ひどい体臭。体中からピザの臭いがする。ちなみにピザはもう食べていない。


 三十一日目。晴れ。手がかりなし。

 三十二日目。晴れ。手がかりなし。

 三十三日目。定休日。

 三十四日目。晴れ。手がかりなし。

 三十五日目。晴れ。手がかりなし。

 三十六日目。晴れ。手がかりなし。

 三十七日目。晴れ。手がかりなし。

 三十八日目。晴れ。手がかりなし。

 三十九日目。晴れ。アカリさん発見。


 アカリさん発見。アカリさん発見。ただいま尾行中。イチゴのショートケーキをお持ち帰りの模様。それ以外にはネギが飛び出たスーパーの袋を持っている。駅前の混雑で見失いそうになるも接近。夜中の膨大な時間にネットで調べた尾行術に基づいて慎重に行動する。電車に十五分ほど乗り下車。構内ではかなり距離を詰めたが、マルタイ振り向かず。駅前すぐの駄菓子屋へ入店を確認。繰り返す、入店を確認。出てこないから実家だろう。あっけなく住所特定。日記終わり。以下すべて余白。

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