06 和食屋にて
翌日の晩、僕はキズナとアカリさんを家に残し、伯父たちと近所の和食屋に来ていた。
「札幌からは鈍行列車でいろいろな景色を見てまわったんだ。俺たちは皆都会っ子だったもんだから、そりゃ新鮮な旅だったよ。あまりにはしゃいだもんだから、帰りの分の金まで使い始めていた。気づいたときには全員顔真っ青さ。必死に計算すると、どうやら電車賃の分だけはあるようだったから、俺たちは宿に止まらずに野宿しながら帰ったんだ……。それがまた、本当にたのしかったなぁ……。
駅の近くで野宿していると駅員さんが来て、待合室を空けてやるから泊まれっていうんだ。夜の真っ暗闇の中、気温は凍えるように下がっているし、無事に帰れるかどうか不安だった俺たちは、涙を浮かべて喜んだものさ。多少無茶をしても、親切な大人が守ってくる。まだ学生だった俺はその温かみに触れて、いつか自分もそういう生き方をしたいと思ったんだ……」
酒が入って饒舌になった伯父は、学生時代にサークル仲間と旅行したときの事を熱心に話し続けている。伯母と僕はそれを黙って聞きながら、要所要所で相槌を打つ。
伯父の話に耳を傾ける一方で、僕はアパートに残してきた二人のことが気になっていた。
夜は必ず一緒に過ごす。それが僕とキズナの暗黙のルールだったが今晩だけは事情が違った。今日はちょうどクリスマスの一ヶ月前であり、伯父と伯母の結婚記念日なのである。僕は毎年花束を贈って外食に連れ出していたのだが、今年はキズナがいたせいで危うく忘れかけていた。
今朝カレンダーを見て思い出し、慌ててキズナを起こして事情を告げたのだが、「うーんわかった」と気のない返事しか返ってこず、僕は大きなショックを受けた。
ちょっと前まではキズナだって僕と一緒に居たがって、僕の帰りが仕事で遅くなると、それこそ気を動転させてしまうほどだったのに。遅くなった日には、今日はどんな風に彼女を慰めてやろうかとよく考えていた。それがこれほどまであっさりと、まるで気にも留めない様子でいる。
僕がしつこく問いただしても、「今日はご飯を外で食べるってことでしょ」と事も無げに言い放ち、慌てる僕にアカリさんまでもが起き出してきて、僕をなだめる始末だった。やがて家を出る時間になり、仕方なく玄関で靴をはいていると、二人そろって示し合わせたような笑みで、僕を送り出しやがったのだ。キズナとアカリさんは、今頃楽しく雑談をしながらネットゲームをしているに違いない。
結局のところ僕は住居を提供しているだけの人間で、彼女たちにとってはただの邪魔者なんだ。邪魔者で結構! だけど、キズナだってアカリさんが来るまでは僕を求めてくれていたのに、少し薄情なんじゃないか……。
「智くん、全然お箸が進んでないわよ?」
僕が考え込んでいると、いつのまにか伯母が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「何かあったのか?」
「いえ、すいません」
「悩みがあるなら、私達が相談にのるわよ?」
覗き込むような伯母の視線から目をそらし、大丈夫です、と言って皿の焼き魚に手をつける。
普段はコンビニ弁当やカップ麺ばかりで、自分で身をむしって食べる魚は久しぶりだった。身を押さえながら骨を剥がそうとするが、途中で切れてしまって、なかなかうまくいかない。伯父も伯母も驚くほど綺麗に身をむしり出し、皮と骨は皿の横に丁寧にまとめられている。焦りを感じながら、僕が一生懸命に箸で格闘していると、
「さっきの話の続きだがな、一緒に旅をした仲間とは今でも連絡を取り合って、たまに飲み会を開いたりしてるんだ。人との繋がりというのは、本当に良いものだよ。ところで、お前の不登校は中学の頃だったよな?」
伯父はしわの入った顔をアルコールで真っ赤にしながら、真剣に僕のほうを見ている。僕は居心地の悪さを感じ、今すぐ席を外したくなるが、伯父はさらに畳み掛けてくる。
「お前にも、学生時代の友達がいただろう? 高校や大学では友達が出来たといってたな。まだ、その子達とは連絡を取り合っているか?」
「ええ、まあ」
僕の曖昧な返事に、しかし伯父はにこりと笑い、
「そうか。実のところ、お前はずっと学校でいじめられてると思っていたんだ。だって中学の頃、学校に行かないと言い出したのは、何かうまくいかないことがあったからだろう? 高校に入ってからは何事もなく通うようになったが、それでもどこか隠し事をしているような、暗い感じだった。
いや、杞憂でよかったよ! これだけは言っておくが、俺はお前がいじめにあっていると告白してきたら、いつでも学校に乗り込んでやる腹積もりだったんだぜ? だってお前は俺たちの、最愛の息子なんだから。いや、こんなこと酒の勢いでもなきゃ、恥ずかしくて言えないな」
伯父は柄にもなく、目を伏せて照れているようだった。
「そうね。智君は私たちの家族なんだから、何かあったら遠慮せずに言うのよ?」
「とにかく、今でも連絡を取り合ってる子とは一生物の付き合いになるぞ。よく考えて、大切にするんだ。困っていたら、手を差し伸べてやらなくちゃいかん。逆にお前が厄介な問題を抱えたときには、そいつらが力になってくれるだろう。俺たちも相談に乗るが、どうにも歳の差と言うものがあるからな。同年代の友情は、何があっても素晴らしいものさ」
僕は途中まで真剣な顔で伯父たちの話を聞いていたが、どうにも耐えられなくなり、トイレに行くと言ってその場を離れた。友人がいるというのは嘘だったし、なにより僕のことを熱心に思ってくれる二人の視線が痛かった。
トイレ脇の椅子に腰をかけ、何となしに自分の手のひらを見つめる。蛍光灯の放つ人工的な明かりが、皮膚を埋め尽くす不気味に青黒い血管を一本一本暴き立てていた。これは静脈で、体中の汚物を運び、肺や心臓に届けているのだ。僕の中の汚いものが、すべてここに集っている。
目を閉じて深呼吸をすると、ズキンと鈍い頭痛がして、たまらず眉を寄せる。アカリさんの件で昨日よく眠れなかったせいかもしれない。僕にはやはり、キズナと二人きりの生活を邪魔されるのは我慢ならなかった。それでもキズナが一緒に暮らしたがっているのだから、追い出すわけには行かない……。
どうして僕はキズナとアカリさんが仲良くなることを、素直に歓迎してあげられないのだろう? 二人は胸を張って友達同士だと言い合える年頃で、僕とキズナの関係などとは違うというのに。
そういえば、アカリさんの家出の原因について一つ分かったことがある。昨日の夜、風呂上りのアカリさんが着替えているときに、背中に青い痣があるのを見つけてしまった。チラリと見ただけでもわかるほど痛々しい痣が、大きく楕円形に広がっていた。あれはたぶん、誰かに殴られたか蹴られたかしてできたものだ。それも相当強い力で。
アカリさんは彼氏と同居しているといっていたのだ。あの傷は、その男につけられたものに違いない。
「いいから払わせてくれ。息子に奢るっていうのは親として、気持ちがいいもんなんだ」
会計の場で僕が財布を出していると、後ろから伯父が肩を叩いてきた。
結婚記念日のお祝いとして誘っている以上、ここで奢られてしまっては元も子もない。そう言ったのだが、伯父は譲る気がないらしく、なかなか引き下がらない。
「ごめんなさいね、この人頑固だから。智君、また今度奢ってくれる?」
「がはは、どうだ二対一だぞ。それで、いくらだね?」
伯父がレジの前に立ち、僕は渋々その場を下がる。伯父も伯母も、とてもうれしそうに笑っている。奢ることはできなかったが、二人の満足げな笑みに、僕としても悪い気はしなかった。
「料理も美味しかったし、楽しかったわ。また今度来ましょうね」
「今度は俺が九州に一人旅したときの話をしてやろう。また来ような」
二人の呼びかけに僕もうなずきを返して、その日はそれで別れた。
約束は二度と果たされることなく、それから三週間後、伯父は死んだ。
早朝、玄関先で脳梗塞を起こし、即死だった。
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