第6話 初詣

 ひどく寒い曇った日。風はなく空気がどんよりと重い。

 休日で役場の駐車場に車を置かせてもらえた。そこから参道をしばらく歩いた。昔ながらの町並みが続く道はびっしりと渋滞していて歩くほうが速い。まだ自分で運転する人が多いから、正月のこの道の混雑はまだ続くのだろうか。

 ワモリさんはぼくの少し前を歩いている。セーターにロングスカート。薄いマフラーを巻いている。色合いはモノトーンだ。

「やっぱり寒そうだな。その格好」

「そうですか?」

「今日はやっぱり寒いよ」

 ぼくはもくもくと白い息を出しながら喋った。ワモリさんは息を吐かない。

「私は寒さを感じませんし、この衣装なら軽くて動きやすいですよ」

「君がいいならいいけどね」


 参道から見えていた大きい鳥居がだいぶ近づいてきた。三が日は避けてみたけれど、鳥居のあたりまで参拝客が並んでいる。

 鳥居の前でワモリさんを撮影してから、少しお辞儀をして鳥居をくぐった。境内の列は長めではあるがそこそこの速さで動いている。両側は屋台が並んで、発電機の音と何かを焼く音。ソースか焦げる匂いもしてくる。

「先生は何か食べますか?」

「いやいいよ。君も何か欲しいものがあったら買ってくるけど」

「売っているのは食べ物ばかりじゃないですか」

「お面とかあるようだけど、まあいらないか」


 列が拝殿に近づいていくと屋台もなくなり、広い砂利の端にテントが連なってお札やお守りを渡している。

「あの巫女さんにFOHはいるだろうか」

「全員がそうですね」

「そうなんだ。この寒さだし人間にはちょっと厳しいかな」

「社務所の方は人間の巫女さんもいますよ」

「拝殿で神職を補佐している巫女さんもそうかな」

「そうみたいですね」

 列は四人が横に並んで進み、一時間もしないで拝殿の近くまで来た。

「そういえば、『神様は存在しますか』とか聞いて来たりしない?」

「それはプライバシーに踏み込みすぎた質問なので、私の方からすることはないですよ」

「そうなんだ」

「三大宗教と、日本向けには神道と仏教の各宗派の作法と情報をインストールしてもらっていますから、その分野で地雷を踏まないようにしています」

「さすがだね。じゃあ、ぼくから聞くけど、神は存在するの?」

「主観的には、信じる人にとっては存在します。客観的には、存在を証明する方法はありません」

「なるほど、よどみなく答えてくれるんだね」

「私たちが多く学習した分野の一つでもありますから」

「では、サーバーに接続したシステムとしての君じゃなく、ワモリ個人としての考えはどうかな」

「私自身ですか? 『先生のお考えのとおりです』がいいですか?『分かりません』がいいですか?」

「先回りしすぎだよ。君はいつも」

「正直いいますと、私はネットに繋がった状態のシステムが私であって、スタンダロンでは限定した機能しかないですし、個人といいましても、先ほどのこと以上には答えようがないです」

「じゃあ『分かりません』を受け取っておくよ。ぼくにも分からないことだからね」


 話しているうちに順番が回ってきた。ぼくは財布から二枚のコインを出して一枚をワモリさんに渡した。もうコインはお賽銭ぐらいしか使わないから、一度用意すれば一年ぐらい使えてしまう。

 ワモリさんはお賽銭を投げ入れると、鈴を鳴らし、見事な作法で二礼二拍手一礼を決めた。真剣な表情は本当に何かをお祈りしているよう。

 ちらりと彼女を観察しつつ、ぼくも手を合わせ祈った。

「先生は何をお祈りしたんですか?」

 参拝が終わって歩きながら、素朴にワモリさんが聞いた。

「家族の無事かな。あと、君ともずっと仲良くしていたい」

「いつも家庭を大切になさってますね」

「そうかな? それより君は、何をお祈りしたのかな」

「そうですね」

 アンドロイドが本気で祈りをささげることはないだろう。でも、さっきのやりとりからして、そっけない答えはしないだろうと思う。システムはユーザーのためになんらかの答えを用意しているはずだ。

「私は、……夢を見てみたいです」

「夢?」

「夢です。『神様、夢を見させてください』、そうお願いしました」

「それは高度なお願いだね。君らしいよ」

「そうですか?」

「おいしいものを食べたいとか、温泉でのんびりしたいとか、そういうんじゃないんだ」

「味覚や入浴も興味がありますが、やっぱり夢です」

「前もって用意してあった答えじゃなくて、本気なんだね」

「私たちはスリープ機能がありますが、本当にエネルギーを節約するだけの機能です。その間に、現実でない世界に行くことはできません」

「なるほど」

「偽物の現実にリアリティを感じる、という体験じたいがわからないのです」

「切実だね。うーん、君たちには、どういうふうにしたら夢が実装されるんだろう」

「どうしたらいいんでしょうね」


 境内の薄暗い木の下で、しばらくまたワモリさんを撮影した。憂いを帯びた表情をオーダーした。いい感じの絵になったかもしれない。

 それから鳥居をくぐって外に出た。ぼくは振り返って軽くお辞儀をし、それから上を見た。

 笠木・島木の下、左右に渡した貫の、柱から外に出た部分に、目立たないようにアンテナが配置してある。そこには十センチほどの四角いパネルも見える。アクセスパネルらしい。

「この鳥居は、昔倒れたことがあるんだ」

 ぼくはワモリさんに説明した。

「杉の大木で出来た鳥居で、百年以上も立っていたんだけど、老朽化して根本から折れてしまったんだよ」

「そんなことがあったんですか?」

「それからしばらくして、信徒からまた杉の大木が寄進されて、以前と同じようにこの鳥居が再建された」

「ネットで確認しました。定期的に点検していて、異常はなかったとありますね」

「笠木や貫が落ちる心配はしていたけど、柱が根本から折れるということは想定できなかったようだね」

「今はセンサーを取り付けて鳥居の様子をモニターしているとありますよ」

「あそこの、貫の端にある一区画がセンサーシステムの場所だね。そこから角を切り欠いて、木に埋め込む形でアンテナが配置してある」

「常時微動を測っていて、構造的な異常で固有振動数が変わったり、何かがぶつかったりしたらすぐ分かるようになっているそうです。地震の揺れも測って、壊れたところがあったらすぐ分かるそうですよ」

「ぼくが聞いたところだと、定期的に柱に超音波を伝えて、その反射からも構造的な異常を検知するようになってるって。あと、笠木の銅板葺きの一部はソーラーパネルにしてあるそうだよ。ちょっと見ただけじゃ分からないけど」

「建設会社の方でヒットしました。TH M S 、『鳥居ヘルスモニタリングシステム』と言うそうですよ」

「そうなんだ。でもそれ略称要る?」

「神社は沢山ありますから、ここだけのものじゃないんだと思います」

「そうか。そうだと、今の鳥居は、まるで生き物みたいに、自分の調子が自分で分かるんだろうね。前に倒れたときは人を怪我させたりしなかったけど、もし同じことがあったら、例えば今日みたいな日だったら大変だからね」

「神社でも科学的なんですね」

「科学でできることはやっておかないと。そうやって最善を尽くしてこそ、神様は力を貸してくれる」

「先生も神様は信じているんですね」

「初詣に来る程度には、信じているよ。今いる沢山の人と同様に」


 帰り道。参道をワモリさんととぼとぼと歩いた。

 曇り空の下、地味な色合いの景色。吐いた息が白いままどこまでも運ばれていく。

「先生、雪ですよ」

 ワモリさんが僕に伝え、空を見上げた。

「ほんとうだ。このあたりだと初雪だね」

 ぼくは、手のひらに雪を受けるワモリさんを写真に収めた。

 息が白くなれば寒さをより伝えられるんだけど。

 寒さ…

 ふと気づいた。

 ひどく寒い。

 ぼくだけじゃない。

 ワモリさんは僕の前に立ってこっちを見ている。そのセーターとマフラーはかなり寒そうだ。

 寒そう。そう、ぼく自身に、彼女が寒さを感じているというイメージが、降ってきた。

 ぼくは上着を脱ぎながら彼女の後ろにまわり、そっとそれをかけてあげた。

 上着が彼女の肩にしっかりかかるようにして、華奢な肩幅の感触に気づいた。髪が少し顔に触れた。

 ぼくは愛おしくなって、両手で肩を抱いた。そして、その手に力が入った。

「だめです」

 前を向いたまま、冷静な声で彼女はそう言った。

「そのお気持ちは奥様にどうぞ。ご家族の平和に貢献するのが私たちの役割です」

 ぼくが吐いた息が、ワモリさんの髪をかすめて、力なくどこかに漂っていった。

 

 駐車場に戻ると車の中にもう皆が戻っていた。

「だいぶ早く戻ってたんだね」

「こんなに寒いんだから当然よ」

 運転席に乗り込むと助手席の妻が言った。車の中はとても暖かい。

「積もらないうちに、早く帰りましょう」

「分かった」

 ワモリさんは後ろのドアを開けて乗り込んだ。

「ワモちゃん冷たい! 雪拭いてあげる。あとこれ」

 娘がタオルを手にとってワモリさんの髪に当てた。そして、膝の上あった自分のマフラーをぐるぐると巻いてあげた。

「ありがとう。カナちゃんは優しいね」

「ワモちゃん大好き」

「私もよ」

 ぼくは、前後左右を確認すると、黙って車を出した。

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