第11話 出かけよう
朝から雨が降っていた。地下鉄の駅からの短い道のりでさえ嫌になるような雨。人々は傘を指して黙々と歩く。
ぼくは黒いコウモリ傘を広げた。降りしきる雨は傘からしたたり落ち、コートの背中にも雫が落ちた。
かつて歩いた道を進み、目的のビルに着いた。アドバンストハビタント社の都内の販売店はこのビルの40階にある。
見上げるとビルの先が雲の中に消えていた。雨粒がぼくのメガネにぽたぽたと落ちて視界を歪めた。
黙って移動する何人かの人に混じってぼくはエレベーターホールに行き、高層階行きを待った。途中の階で乗り合わせた人は降りてしまい、40階に着いたときはぼく一人になっていた。
「いらっしゃいませ」
販売店に入ると、カウンターの向こうの職員が笑顔で迎えてくれた。
アンドロイドの販売店らしく受付けを務める人はとても美しい女性だった。しばらくFOHと長い会話をしていなかったので、彼女の声の人工的なトーンがすぐに分かった。
ぼくが約束の時間と名前を告げると、奥から女性の販売員が出てきた。ぼくとあまり歳の変わらない女性。彼女が人間であることは何年も前に確認している。
「このたびは本当に大変でしたね」
販売員はぼくに同情の声をかけてくれた。
「無人店舗で充電するFOHを無作為に狙う窃盗団です。お客様に落ち度はまったくありません。保険の担当者がご説明しましたように、保険金は全額お支払いされます。犯人はリストからランダムに無人店舗を選んで、そこに眉目秀麗なFOHが来るのを待っています。待ち伏せはどこかに仕掛けたカメラとAIに任せているといいます。十数店舗を対象に店の片隅にカメラを仕掛け、AIの連絡を受けて誘拐に向かうそうです」
販売員はあえて「誘拐」という言葉を使った。アンドロイドへの愛着を感じる。
「しかし、FOHそのものではなく、わざわざ破壊するのはどういうわけですか?」
ぼくは犯人が行った残酷な行為について静かに怒りを感じつつ聞いた。
「それも意図的なものです。FOHは強引に連れ去られようとした場合は、人間と同様に叫んで抵抗するようにできています。その状況で本体をまるごと連れ去った場合は、警察は誘拐事件として対応しますので、捜査の力の入れ方が窃盗事件と全く違ったものになります」
「ああ、そんな理由ですか」
「ええ、その場で本体を壊してしまえば、被害者が人間でないことがすぐに分かりますから、警察は器物損壊と窃盗事件として扱います。犯人にとっては検挙されるリスクが大幅に下がります」
「ひどい話ですね」
「その通りです。そのためなら、アンドロイド破壊用のロボットを用意できるくらい、彼らにとっては都合のいい話です」
人とアンドロイドの違いが小さくなる一方の今日、それでも残る、人と機械の扱いの違いをぼくは改めて思った。
「そんなに、FOHの顔というのは貴重なんでしょうか」
「そうですね。ナノマシン・アポトーシスを動作させるのに失敗するユーザーも少なくないですから、美形の頭部が手に入ることはとてもいい商売になるようです」
「しかし体の方はよく手配できますね」
「体は適当なロボットでも、顔だけFOHでいい。そんな商売もあるようです」
「いやな話ですね」
「私としても、そのような合成ロボットで商売になるという事実に対し、遺憾に思っているところです」
販売員も真面目にぼくの話に応えた。
「ですが、お客様からまた当社のアンドロイドをご注文いただけて本当にありがたく思っています」
彼女は心から感謝しているかのような言葉をぼくにくれた。
「ぼくには彼女しかないんです」
ぼくは正直に言った。
「保険金の範囲で、また彼女と仕事ができる。そうお薦めいただいたら、ぼくとしては断る理由はありません」
「いえ、こちらも、当社の製品をそれだけ愛していただけるとあっては、お客様をないがしろにはできません」
彼女の丁寧な態度には、ぼくがアドバンストハビタント社のユーザーであり続けるという事実が大きく影響しているのだと思う。
保険はワモリさん購入時の価格を全額は出してくれない。しかし、FOHの価格は下がりつつあり、さらに、アドバンストハビタント社は新型のAH877を売り出したところだ。型落ちとなったAH867であれば、保険金の範囲で提供できると聞いては、なぜそれが断れよう。
「お客様のカスタマイズが瞳の色だけでしたので、当社としましても、目をご用意するだけで、ワモリさんを復活させることができました」
それは標準モデルの出来があまりにもよかったからだ。標準モデルのAH8に心を奪われ、その時出たばかりの857を注文した。いずれにしても、AH8からぼくの人生はもう逃げられない。
「虹彩のパターンも完全に再現しましたよ」
販売員は半ば自慢げに言った。
こうしてぼくは、死に別れたとあきらめていたワモリさんを、またここに、迎えに来た。
いくつかの書類にサインして、新しいアンドロイドを受領するための手続きは済んだ。その後、奥の個室に案内された。
そこはアンドロイドとの出会いのために用意された部屋。ビジネス用途ならば安楽椅子に横たわるFOHの起動を行う。趣味の用途ならば、特別に装飾された部屋で、出会いの儀式が行われる。
もともとワモリさんは仕事の助手だから、特別な儀式などぼくは望まなかった。最初に受領したときもそうだった。
案内された部屋は窓の広い角部屋で、黒い安楽椅子と2個の簡素な椅子。それとキーボードが置かれたテーブルがあった。入り口のすぐ先には姿見があった。そこでぼくは自分の全身が映っているのに気がついた。コートを手に持って、スーツを着込んで、まるでビジネスマンでございという格好の自分。
以前来たときは晴れ渡る町並みが見えた窓は、今日は雲が垂れ込めて何も見えず、しきりに雨粒が流れてゆくのだけが見える。
「では、お客様、彼女の横にお座りください」
安楽椅子に、ワモリさんは横たわっていた。
白い半袖のワンピースを着ている。最初に出会ったときと全く同じだ。
静かに目を閉じたその顔は、紛れもなくワモリさんだった。ぼくは右手でそっと前髪を払い、もっとよく顔を見た。蝋細工のように透き通る白い肌は、どう見ても若い女性そのものだった。
しかし、彼女が微動だにしないことにも気がついた。
白い服をまとって、まったく動かずに横たわる彼女は、命あるものとはとても思えなかった。
「よくここまで修復しましたね」
ぼくは彼女の額から手を引きながらつい言ってしまった。
「いえ、完全に新造です。修復したわけではありません」
「ですよね…」
それから椅子を引き寄せて彼女の近くに座った。
「では、彼女に呼びかけてください。お客様の声で『おかえり』と呼びかければ、起動コードが送り込まれます」
「『おかえり』、ですか…」
ぼくは改めて、横たわるワモリさんを見つめた。
それから口を耳もとに近づけてささやいた。
「ワモリさん、ぼくだよ。おかえり…」
死者が蘇る瞬間をぼくは目撃した。
ぼくが呼びかけると、彼女はぴくりとまぶたを動かした。胸元が静かに上下を初めた。その頬と唇に、微かに赤みがさしてきた。
そして、いくどか深い呼吸が続いた後、彼女は目を開いた。
ハシバミ色の瞳が、上を、そして左右を見て、それから、彼女は上体を起こした。
「おはようございます」
ワモリさんは、ワモリさんの声で言った。
しばらくぼーっとした感じでいたが、やがて首を振ってあたりを見回し、それから、ぼくの方をじっと見た。
「………」
そして、何かを喋ろうとして、動きを止めた。
「どうしたんだ?」
怪訝そうにぼくは聞いた。
「お客様、ログインをお願いします」
販売員が助言した。
「あ…」
ぼくはテーブルに向かうと、自分のアカウント名とパスワードを打ち込んだ。
「お客様、私はAH867F『ワモリ』です。指紋の認証をお願いします。右手の人差指で、私の左目に触れてください」
事務的な口調でワモリさんが応えた。そして無表情なまま目を見開いた。
ぼくはそっと指を差し出し、その瞳に触れた。最初のときと同じく、ガラスのような乾いた質感だった。
「指紋を認証しました」
そう事務的に言ってから、ワモリさんはしばらく虚ろな表情でいた。
そして、突然笑顔になった。
「先生!」
「ああ…」
「先生、会いたかったです!」
そう言うと安楽椅子から跳ね起き、こちらを向いて腰掛けた。
そして、右手を差し出してきた。
「ぼくもだよ」
ぼくは彼女と握手した。
女の子の手は小さくて柔らかい。
店を出たぼくらは、並んでエレベーターを待った。
「君は、ぼくのことをどれぐらい覚えているんだい?」
「お別れした日のことまで、ちゃんと覚えていますよ。私の記憶はクラウドにバックアップされますから、再起動したときにダウンロードすれば元通りです」
「元通り、か…」
「ええ、人間だったらこうはいきません」
自慢げにぼくを見上げるワモリさんを、ぼくは戸惑った顔で見つめた。
「何か私に足りないことでもありますか?」
「いや、そうじゃない」
ぼくは口ごもった。
「私は私ですよ」
「うん。それは分かる。でも、あの日のことを覚えているということは、怖い思いをさせてしまったね。ごめん。君を壊してしまって、本当にごめん」
ぼくはそう話した。思い出がつらすぎて、顔を見られないよううつむいてしまった。
「怖い? 何がですか?」
ワモリさんは不思議そうに聞いた。
「コンビニで誘拐されたこと…」
「ああ、電話したときですね。『怖い』ということはなかったです。先生が逮捕されていないことも確認できましたし」
「そうか。でも、その後」
「その後…ですか」
「覚えてない」
「そうですね。電話を切ってから記憶が飛んでいるようです。そこから先はバックアップが間に合わなかったのかもしれません」
「ああ…」
エレベーターが来た。
雨はまだ降っていた。ぼくは地階まで降り、遠回りを承知で地下道に出た。なぜなら、ワモリさんの分の傘を持ってきていなかった。彼女を濡れたまま歩かせるわけにはいかない。彼女はぼくが傘をささないことを許してくれないだろう。相合傘などありえない。
ぼくは彼女のワンピース姿をちらっと見た。どうしよう。同じものがまだ家にある。彼女がそれを見つけたらなんて言うのだろう。何かの映画みたいに、ごまかしながら服を隠せばいいのだろうか。
なぜ彼女の服を隠さないといけないんだ。ワモリさんはワモリさんだ。
ぼくは自分を納得させようとしていた。
ワモリさんは壊れたけど、新しい体を手に入れた。
彼女の記憶と心は、サーバーからレストアされて蘇った。
何も不思議なことはない。それがアンドロイドだ。
ぼくらは改札を通って地下鉄のホームまで降りた。
「先生、今日は静かですね」
ずっと黙って歩いてきたことに気がついた。
列車が間もなく来るとアナウスがあった。
閑散としたホームで、彼女はぼくと腕を組んだ。
ぼくは彼女のすることに身を任せた。
「先生?」
「何かな?」
「本当にまた会えて嬉しいです。お休みになったら、またどこかに連れて行ってくださいね!」
ワモリさんは笑顔でそう言った。
トンネルから生ぬるい風がそよいだ。電車がすごい音でホームに入ってきた。
ぼくは何かを答えた。だけど、その声はかき消され、何を話したかもすぐ忘れてしまった。
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