ドールと旅しよう

春沢P

第1話 自然史博物館

 街道からわき道に入り、ゆるく曲がる坂を下っていくと門を抜け敷地に入る。駐車場から歩き、石の階段をゆっくり昇るうちに左に建物が現れる。ぼくらは自然史博物館に来た。

 券売機で二人分のチケットを買った。再入場できるよう紙で発券してくれる。

「せっかく学生服みたいなかっこうで来たのに大人料金でよかったのかな」

「気分は学生だから別にかまいませんよ」

「やっぱり学生なんだ」

「何事も勉強です」

「立派な心がけだね」

「博物館に来たのですからいい機会です」

「化石や鉱物、生き物の標本とか、女の子が見て楽しいかな」

「それは見てみないと分かりませんが」

「うん」

「先生が楽しそうにしてるのが見られたら、それは楽しいと思います」

「君をがっかりさせないよう頑張ってみるよ」

 助手のワモリさんはいつも仕事を手伝ってくれているから、休みの日はよくこうしてあちこちに連れて行ってあげている。彼女が退屈しないようぼくはあれこれ考えて行き先を決める。行き先が分からないときは、ぼくの趣味で決めてしまうけど、それでもめったに誘いを断ることはない。若いのに妙に義理堅いところがある。だからといってつまらない思いをさせていいわけではない。軽いプレッシャーを受けながら、行き先を考えるのは仕事の合間のちょっとした楽しみだ。


 彼女はつんとした背筋で奥へ歩いて行く。

 肩にかかるぐらいの髪をハーフアップにして頭の後ろで白いリボンで結んでいる。黒髪というには少し色が軽い。ハシバミ色の瞳はくりっとしていて、好奇心を映しながら展示物を追っている。頬と唇は自然な赤みがさして、つややかに光を帯びている。半袖のセーラー服は白く、スカートと襟は濃い黄色のチェック。学生服にしてはちょっと派手かな。

 受付から奥に進もうとすると、通路の脇にマンモスの骨格がある。ワモリさんは立ち止まって見上げた。

「大きい!」

「ゾウだからね。それにしてもこれは大きい」

「日本にもゾウがいたんですね」

「これは中国から贈られたそうだ」

「そうなんですか」

「でも、毛の生えたゾウは日本にもいたんだよ。それどころか、ほぼ世界中に」

「今はもういないんですか?」

「食べちゃったからね」

「誰が」

「原始人。いろいろな説があるけど、人間が狩猟で絶滅させたというのが有力だ」

「おいしかったのかな」

「そうだろうな。人は肉を食べることで豊富な栄養を獲得して、大きい脳と知能を獲得したと聞いたことがある。肉を美味しいと感じる人間は、嫌いな人間より知能で優位に立って、それだけ多く生き延びることができた。そんな説明ができるかもしれない」

「でも、こんな大きい像を倒すなんて」

「『アトラトル』という原始的な道具で、強烈に槍を投げていたそうだ。罠も作ったんじゃないかな。後になって弓矢も発明した。それに、マンモスの骨や牙、毛皮は原始人の衣服や住居の材料にもなったから、ゾウはほんとうにかけがえのない資源だったんだ」

「でも絶滅させたんじゃ困りますよね」

「人はマンモスを追って世界中に広がったようなものだけど、その分多様な地域で生きることになったから、マンモスがいなくなった頃にはいろいろな食料の調達手段を獲得できたんだと思う。あと、氷河期が終わると、毛のあるマンモスは暑さがきつかっただろうと思う」

「人も一緒に滅びなくてよかったですね」

「そうだね」


 マンモスの脇を抜けると、両側が広いガラスの広間に空中の廊下がある。頭上には翼竜の骨が翼を広げ、右は大きい恐竜の骨がメタセコイアの木に首を伸ばしていた。

 そこを進んで最初の展示室が左に見えた。宇宙と太陽系に関する部屋。まずは地球の始まりから。入り口の狭い廊下では、頭上に惑星がぶら下がっていた。輪があるのが土星。隣のちょっと大きいのが木星。小さくて赤いのが火星で、次が地球。

 部屋に入ると、さまざまな銀河、恒星の一生、それから、地球のような太陽系の惑星の資料があった。さらに、惑星の成り立ちを知るためのヒントになる多数の隕石の資料も見られる。

「百万年に一度という、ゆっくりとした温度で冷えてできたそうですよ」

 ワモリさんは隕石の標本の一つを指差した。

「百万年じゃ、人類の進化が大幅に進んだ時間なのに、それでたった一度の変化なんだ」

「ゆっくりしてますね」

「宇宙はスケールが違うな」

 ぼくは、独特の構造だという標本を見つめた。説明を読まないと、ヘアライン加工された金属片にしか見えない。

「『隕石を持ち上げてみよう』だそうですよ」

「重い!」

 サッカーボールほどの大きさの、凸凹だらけの隕石を持ってみた。見かけよりずっしりと重い。台から落ちないよう、隕石は鉄の棒でがっしりと囲まれている。

「石ではなく鉄だそうですね」

「金属のかたまりなら、石よりずっと重いはずだ。表面が錆びてるし、これこそが『隕鉄』だ」

「石って実は軽いんですね」

「そっちの図にあるよね。この図は地球よりずっと小さい惑星のようだけど、星の中心付近は鉄などの金属で、その上にマントルがあって、表面に近い部分だけが『石』だ。地球の比重だって石より大きいだろう?」

「地球の比重は5.5だそうですね」

「石はだいたい2よりちょっと大きいぐらい。コンクリートで2.5ぐらい」

「地球の平均よりさらに軽いわけですね」

「そして水とか人とかはさらに軽い。比重1程度だからね。空気が一番軽い。空気の下に2番目に軽い水が海を作って、その次ぐらいに軽い岩石で陸がある」

「鉄の比重は7.85でしたっけ」

「重いよね。鉄鉱石だとそれほどでもないけど」

「隕石って重いんですね」

「隕石全般がどれぐらい重いかは分からないけど、図にあるような惑星が衝突でバラバラになって、その中身が隕石になるのが多数派だとしたら、地球上の石よりずっと重いのが多いんだと思う。その中でも、中心付近の金属が飛来したのが、ここにある隕鉄なんだろうな」


 展示室を出ると通路の向かいに次の展示室がある。

 生き物の進化の歴史を展示している。単細胞生物の群体の化石というストロマトライトは、とても生き物には見えない。そこから、エディアカラ動物群、カンブリア時代に爆発的に増えた多細胞動物、そして魚の誕生から脊椎動物の進化に続く。

「魚から両生類、そして陸に上がって爬虫類へ、お決まりの順序で並んでるね」

「普通そうじゃないですか」

「普通そうなんだけど、三葉虫から後の節足動物が足りなくない?」

「でもヒトの祖先じゃないですから」

「それを言ったらここの化石のどれもヒトの祖先じゃない。種として分岐した枝の先だよ」

「では言い直します。ヒトにつながる系統とは遠い系統だからですね」

「節足動物も面白いんだけどな。最初に栄えたのは三葉虫なんだろうけど、その後の、エビやカニの甲殻類、クモやカブトガニの鋏角類、地上では昆虫の進化と繁栄も見逃せない」

「それは好きな人が自分で調べればいいんじゃないですか」

「好きだから調べてるけどね」

「でしたらそれでいいんじゃないですか」

「まあそうだけど、横並びで節足動物と軟体動物があれば、今の自然で優勢な生き物をもっと網羅できるかなと思って」

「そんなに節足動物がお好きだとは知りませんでした」

「エビやカニはおいしいからね」

「そっちですか」

 もし生きてたら美味しそうに見えたであろう、鱗が残っている魚の化石をながめながら、結局食べることに話を持っていってしまった。カブトムシやクワガタの話もしたかったけど、そういう今の生き物の展示はもっと先にある。

「化石はだけど、生き物そのものじゃないんだ」

 話題を変えてみた。

「知ってますよ。鉱物に入れ替わっているんでしょう。有機物は長い時間に移動してしまった」

「でも、その鉱物が生き物の形を留めている。だから、たとえ有機物でなくても、その時代、そこに生き物がいたという確かな証拠になるんだ」

「有機物でなくても、生き物なんですか」

「正確には、生き物、だったもの。でも、ぼくらには、それは生き物そのものに見える」

「不思議ですね」

「そうかな」


 ぼくたちは化石の展示室から次の部屋に出て足を止めた。

 咆哮が響き渡る。

 恐竜だ。トリケラトプスを前に、ティラノサウルスが首をうち振って雄叫びを上げている。この博物館の自慢の展示。

「これはロボットですね」

「恐竜の動きを再現した、ごく単純なロボットだよ」

「でも鳴き声もあって生きてるみたいですね」

「実物大で、動く展示って、リアリティがあって意外とすごいよ」

「ティラノサウルスはなんかフサフサしてますね」

「羽毛だね。あんな大きい生き物にどれぐらい毛があったか、ぼくはまだ疑問に思っているんだけど、ここのロボットは首のまわりだけだから、その辺も考えて作ってあるよ」

「じゃあ隣の子供の全身に羽根があるのは小さいから?」

「小さいからだね。その分体温を奪われやすい。ニワトリぐらいの恐竜はティラノサウルスよりずっとたくさんいたと言われているけど、ほとんどは羽毛があったんじゃないかな」

「そうすると鳥みたいですね」

「おいしそうだよね」

「また食べる話ですか」

「鳥は今では恐竜そのものだという認識だから、ぼくらはいつも恐竜を味わっている」

「そういえば、マンモスは大きいのに毛がありましたよね」

「氷河期で寒かったからね。ティラノサウルスはもっと温暖な気候で暮らしてたと聞いてるよ」

 ティラノサウルスはまた首を振って雄叫びをあげた。それから、正面を向く直前に脇の子供をちょっとだけ見た。恐竜にも母性があるとさりげなく示している。かつて考えられていたほど、恐竜は冷血でも、愚鈍でもない。

「ティラノサウルスの前にちょっと立ってくれるかな」

「いいですよ」

「そう、そこでいい」

 ぼくはカメラを構えた。

「トリケラトプスも可愛いから、次はそっちで撮ってくださいね」

「わかったよ」

 こうして増えていくワモリさんの写真はぼくの宝物だ。


「それにしても誰もいませんね」

「今は子供が少ないからね」

「でも私たちの他に人がいませんよ」

「そんなに驚くようなことかな」

「博物館ならもっと人が来ていてもいいんじゃないですか」

「いるといえばいるよ」

「そうですか?」

「人だったものの痕跡が」

「原始人の模型と骨格標本じゃないですか」

「でもヒトには違いない。ほとんどの化石は複製だから、やっぱり痕跡だけど。本物なら数十万年とかだと骨そのものだよ」

「痕跡や骨の話をしてるんじゃないですよ」

「ぼくら以外の人間か…」

「私たち以外の人間です」

 どうだったろう。忘れてるだけで、どこかですれ違っただろうか。

 先を歩いていくワモリさんのつむじを見ながら、ここまでの景色を思い出してみる。

「ねえ、大きいムカデがいますよ」

 次の展示室に踏み込んで、ワモリさんはうれしそうに指差した。

「森の生き物を百倍にして模型を作ったってあるね」

「ムカデはおいしいのかな」

「ええと、食べられなくはないかな」

 他愛もないことを喋りながら、ぼくらは先に進んだ。

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