第4話 彼岸花
桜堤に来た。桜の時期ならば古い堤防の上を桜色の雲が覆う。堤防の向こうは一面の菜の花で黄色い絨毯。
秋が来て暑さも和らいだ頃。ぼくらが来たときは曼珠沙華祭りだった。堤防に植えられたソメイヨシノの下に、一面のヒガンバナが咲いている。
「思ったよりすごいね。桜の時期ほどは混まないけど、ここも人で沢山だ」
「そうですね」
ワモリさんはぼくと並んで歩く。まだ半袖でいられる季節。薄緑のセーラーワンピースを着せてみた。ヒガンバナの鮮やかな赤とは軽く補色の関係。淡い色は木陰でも映えるだろう。
「先に、好きなところへ歩いていってごらん」
「好きなところ、ですか?」
「では、堤防の上を北の方へ」
「わかりました」
しゅっと伸びた背筋をぼくは目で追う。堤防の法面の木陰に一面の真紅。ところどころに白い花や薄桃色の花がある。軽やかに進む彼女の後で、ぼくはズームを中望遠にしてカメラを構えた。
「先生、着物ですよ」
堤防の先まで行って、写真を撮って、折り返して、水門のあたりまで来た。ワモリさんは堤防の下に見える振り袖の女性を指差していた。着物は深い緑の地に鮮やかな草花が染められている。長い黒髪を三つ編みにして片側にまとめているようだ。華やかなかんざしが添えられている。
彼女はさりげなく歩きながら、時々、付き添っている男性の方に目をやった。彼は特にあれこれ指示するでもないが、ここぞというときを見計らって写真を撮っていた。
「きれい…」
ワモリさんはしばらく振り袖の艶やかさに目を奪われているふうだった。ぼくらは連れ立って堤防を降りると、そばへ行った。
「清楚な方ですね。素敵です」
遠くに立って見ていると、カメラを持った男性が近づいてきて、ぼくとワモリさんに声をかけてきた。
30代半ばぐらい。身長はさほどではなく、体格はやや筋肉質。短く刈った髪は清潔感があり、物腰はやわらかで、人付き合いが得意そう。
「あ、ありがとうございます。お連れの方も、素敵ですね」
静かにぼくらの方に歩いてきた彼女に気づきつつ、ぼくは答えた。
「こんにちは」ワモリさんもお辞儀をする。「アドバンストハビタントのAH857F、名前は『ワモリ』です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。私はザ・ネクストのNH918F、名前は『コロネ』です」
ワモリさんとコロネさんがお互いに名乗りあった。
ぼくと男性とはもう一度目を合わせて、軽く会釈した。同好の士。
ワモリさんは人間ではない。ひと目でそれを見抜くことは難しいが、少し話をすれば微妙な違和感で案外簡単にそれと分かる。
とはいえ、人間そっくりな存在に「あなたは人間ではありませんね」と声をかけて、もしそうでなかったら大変だ。
人間が彼女たちに話をするときは、だから、人かそうでないかはあまり区別しない態度で接するようにしている。
ただし、ワモリさんたちはそうではない。彼女たちは仲間がすぐに分かる。そうすると、まず自分から名乗り出て機種と名前を告げ、人間ではないと打ち明ける。相手も同様に返す。このやり取りを通すことで、人と人に似たものとが、それぞれ立場を理解し、適切にふるまえるようになる。
「こんなところでFOHを愛する方にお会い出来るとはうれしいです」
「こちらこそ。特に同じカメラのユーザーというとなおさらうれしいですよ」
「いえ、まだFOHもカメラも駆け出しですよ」
FOH。エフ・オー・エイチ、フレンド・オブ・ヒューマンの略。彼女たちはそう呼ばれる。人にそっくりの人形が自立して歩き、人と話をするようになってからつけられた呼び名。最初は多少の悪意を持ってフェイク・ヒューマンと呼ばれた。FHという略称で呼ばれることも。その後に、業界の方で「人類の味方」といった、同じFで始まる前向きな言葉を考え出し、FOHという略称が定着した。
「AH8の第5世代ですか。ではワモリさんとのお付き合いもなかなか長いんですね」
「そうですね、こうして連れて歩くようになってもう5年ほどです」
FOHが人とより沿うようになって20年は過ぎているから、手に入りやすい時代に助手に採用したぼくはまだまだだけど、ぼくより若そうな彼は、新興ベンダーのネクストのFOHをパートナーにしている。
「それにしても、晴れ着とは素晴らしいですね」
ぼくはスマホを操作し、愛好者が交わす名刺を用意した。NFCでさっと相手のスマホに触れれば、ぼくのハンドルネームとSNSのアカウント、それにFOHの顔や名前を伝えることができる。
「コロネはうちの店番や、配達を手伝ってもらっています。だから、オフの日のために思い切って振り袖を着せてみることにしたんです。かんざしは今回奮発しました」
彼はそう言って、スマートフォンをタッチさせた後、紙の名刺もくれた。
――手作りパン工房 タカハシ――
名刺にはそう書かれていた。住所と電話番号もある。名刺の片隅では、エプロン姿のコロネさんが微笑んでいた。「コロネです。ご注文はこちらまで」。そう書かれた下はQRコードがある。スマホはRFタグも認識しているようだ。タップすればサイトに飛べるはず。
「よろしければ、いつでも来てください。おかげさまで、案外広い地域のお客様にご贔屓にしていただいています」
「分かりました。こんど寄らせていただきます。焼きたてのパンのいい匂いがしてくる気分です」
「ありがとうございます」
高橋氏は屈託のない笑顔で答えた。
FOHの始まりは、本当に等身大ドールだった。小さな人形のベンダーが、人体の造形のデータを独自の調査やネットの画像や動画をもとに集めるシステムを用意し、人工知能に人体の学習をさせた。深層学習で人体の何たるかについて理解を深めたそれは、性別、年齢、背丈や顔の特徴など、いくつかのパラメータを指定するだけで、実際に存在する人間だと言われてもおかしくない人体の3次元データを生成できるようになった。そして、実際にいそうな人間の造形に対してちょっとだけ華やかな特徴を付け足すことで、目をみはるような美男美女を生み出すことに成功した。
人体の設計データを元に、当時の最新の高分子材料の造形技術を駆使して、まさに「人間」としか言いようのないものが、立体物として創造された。その人形が目を開けば、ひと目で多くの人を魅了した。不気味の谷は軽々と飛び越えてしまった。
とはいえ、等身大ドールの愛好者は限られる。ベンダーのもとにロボットの開発メーカーが声をかけ、その等身大人形は自律的に歩くことが可能になった。愛好者は人形を運ぶ労力から解放され、ぎこちなく後をついて歩いてくる人形に不思議な愛着を持つようになった。
ソフトウェアやインターネットサービスの大手ベンダーも開発に加わった。人形は世界を見聞きし、彼らなりに世界を理解し、人に対して語りかけるようになった。
その頃には人形の動きはずいぶんと自然なものになっていた。会話も、パーソナルアシスタンスアプリ程度のことはすぐに覚えた。それはそうだ。当のアプリがインターフェスとして人の形を身につけただけのこと。しかし表情と身振りが使えるようになったことは大きい進歩だと受け取られた。
こうして、人とともに歩き、人と話ができる人形が誕生し、と同時に、人の姿をして、人として振る舞う、人でない存在に「フェイク・ヒューマン」という呼び名が生まれ、人々の興味を呼んだ。
アンドロイドがいる日常が、フィクションから現実になった。
「妻が案外人形が好きで、写真集とか集めてるんです。人形をお迎えしようかと何度か話をしました。あ、それは60cmドールのことです」
「ああ、なるほど」
「まだ商売を初めたばかりで持ち合わせがなくて、あれこれ考えていたんですが、妻が、FOHなら人の衣装が着せられるねって言い出して」
「あ、すると」
「そうです。コロネの振り袖は妻の成人式のときの着物です。パン工房だからFOHは経費で落とせるというのもありますが、公私混同でまったく申し訳ない」
「いえいえ、私も助手として仕事を手伝わせていますから」
そんな会話をぼくらは続けた。
ワモリさんとコロネさんは並んでヒガンバナを背に立ち、たびたびポーズを変えてはぼくらに微笑みかけた。白いヒガンバナを挟んで左右で二人が見つめ合うカットがとても気に入った。
「でも、それだけではFOHをお迎えする決断はできなかったかもしれません」
「というとやはり」
こんどはぼくが座ってレフ板を持つ係になり、話を聞いた。
「この子達を授かったことで私も決断しました。店番と配達の他に、子守りまでさせようとか、まったく都合のいいことばかり考えていたんですが」
「いえいえ、確かにベビーシッターはまだFOHには難しいと思いますが、異常がないか見ていてくれて、何かあったら連絡してくれるということは、みんなできるはずですよ」
「ええ、何度も助けられました」
「この子達もコロネさんが大好きみたいですよ。ちょっと妬けちゃうくらい」
穏やかな女性の声が加わった。傍らには幅の広いベビーカー。双子の男の子がすやすやと眠っている。木漏れ日が柔らかく揺れる。
「もう少ししたら、お子さんの面倒も任せられるようになるかもしれませんね」
「やっぱりそうなんですか?」
「ユーザーが会話をすることで、システムにデータが集まるそうですから。行動についても、ぼくたちを観察しながら、徐々に色々学んでいると思います」
ぼくはワモリさんとの他愛もない会話を思い出しながら話した。
「この前は、『私が写真を撮ってあげる』とか言い出して、本当に撮りました」
スマホでサーバーから当該の写真を探し出して、ぼくはその情けない自分の姿を見せた。
「あら」
「うわあ、ちょっとした反逆じゃないですか」
「『友達』なら、これぐらいのいたずらはするもんですよ」
「成長が楽しみですね」
「いつまで『友達』でいてくれるかは分かりませんが」
「コロネさんもそういういたずら覚えるかな?」
「それはパラメータの設定で調整できると思います。店の手伝いが主な仕事なら、きっといい子でいてくれますよ」
「おとなしすぎるのも心配よ」
奥さんがふと真剣な顔になった。
「じきに怪獣二人が暴れだすんだからっっっ!」
そう声を上げると、ちょうど目を覚ました双子にわっと近寄っていった。母親の奇声に、未来の怪獣たちはケタケタと笑った。
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