第9話 駅

 夕方。空は曇っていて夕焼けはなく、ただ薄暗くなるだけの黄昏。

 ぼくらは駅に向かって歩いた。高架の駅を見ると新幹線が止まっている。そして、見ている間に発車して、行ってしまった。

「ああ、やっぱり乗れなかった」

「行っちゃいましたね」

「次に止まるのは二時間後だよね」

「そうです」

「完全に夜になっちゃうな」

 今日は電車で遠出した。帰るにはこの駅から新幹線が最速なんだけど、新幹線の駅と言いながら、止まる電車は日に数本しかない。

 歩く距離が長かったから、時間の配分を間違えてしまった。予定より15分ほど遅れて、こうして電車を乗り過ごした。

 ほとんど新幹線が止まらないこともあり、この駅は閑散としている。駅前もコンビニがひとつあるだけで、他にこれといった店舗はなく、駅前の土地はいくつも駐車場ができている。

「先生、私ここで充電して行っていいですか?」

 駅前ロータリーにさしかかったところで、コンビニを指差してワモリさんが言った。

「そうだね。今日はずいぶん歩いたから、今のうちに充電したほうがいいね」

「すみません」

「いや、いいよ。それより、君の電池もだいぶ劣化が進んできたんじゃないかな」

「まだ新品の90%の容量がありますから大丈夫ですよ」

「一割も劣化が進んでるのか。帰ったら電池の交換を相談してみるよ」

「いえ、私の自己診断プログラムが適切な時期を教えてくれますから、大丈夫です。点検が必要になったときには私からそう言いますから、その時はお願いしますね」

 気丈そうにワモリさんは行った。

「君がそう言うなら、心配なさそうだね」

「ええ。先生は先に駅に行っていてください」

「うん。切符は渡しておくから、ほどほどのところで切り上げて来てね」

「はい。じゃあほどほどで」

 ワモリさんは返事をすると、渡された切符を手にコンビニに入った。姿を目で追うとレジ横のちょっと奥まったスペースに入り、コピー機のそばに立った。こちらを向き直るとぼくと目が合う。彼女は笑って会釈した。ぼくは手を降って、駅へと向かった。

 コピー機の近くにアンドロイド用の非接触型の充電器がある。30分もいれば七割程度の急速充電が可能だ。それだけ充電できれば家に帰るまで余裕だろう。電車でスリープモードに入らなくてもいい。

 新幹線は座席の横にコンセントがあるが、アンドロイドの充電に使うのは禁止されている。新幹線の電力は車両の動力が第一だから、アンドロイドに使う分は分けてくれない。それに、スマートフォンやノートパソコンの使用を目的にして設置されているから、出力が足りない。一方、コンビニはアンドロイドのインフラとして整備されている。ワモリさんは所定の場所に行って立っていればいい。電気代はぼくのアカウントに請求される。

 

 駅についた。ぼくは入場して待合室に向かった。時刻を確認したが本当に、次の電車まで二時間も待たなければならない。その間に、この駅を何本の新幹線が通過していくのだろう。

 売店で弁当と缶ビールを買うと、閑散とした待合室で椅子に掛けた。飲み食いするのはワモリさんが来てからにしようと考え、荷物を横に置いた。そしてスマートフォンを取り出し、どの本を読もうかと考えながらアプリを開いた。

 一度読んだことがある小説が目に止まった。それをまた読もうと表紙をタップし、ページを開いた。最初まで戻って、目次を眺めて、スワイプを続け、記憶を呼び戻しながら文字を追った。腕時計をチラと見た。もう外は暗くなってるはずだ。

 しばらく読書に没頭していると、突然スマートフォンが震えた。マナーモードの着信だ。画面が本のページから着信画面になった。発信元は電話番号が表示されている。知らない番号。間違い電話だろうか。それとも…。どちらにせよいい電話ではないだろう。そんな予感を覚えつつ電話に出た。

「先生?」

 聞き覚えのある声だ。

「私です。ワモリです。お電話よろしいですか?」

 ワモリさんからだった。声は普通の調子だ。しかし、常時ネットにつながっているワモリさんが連絡にわざわざ電話を使うというのは奇妙だ。これは尋常ではない。

「ぼくだ。どうしたんだ? 電話なんて」

 胸騒ぎを感じながらぼくは応えた。

「今、男の人が三人ほど来て、先生が警察に捕まったと話しています。本当でしょうか?」

 声は冷静だが内容は差し迫ったものだった。見ず知らずの男がワモリさんに詰め寄っている。そんな光景が頭に浮かんでぞっとした。

「警察? まさか。ぼくは駅の待合室で君を待ってるところだよ」

「分かりました」

 状況を話すとワモリさんはすぐ返事をくれた。

「君はその人達を相手にしてはいけない」

「そうなんですが…」

 ちょっと戸惑った声になった。

「どうしたんだ?」

「私の手を引いてコンビニから出ようとしています」

「だめだ!」

「はい」

「ついて行ってはいけない」

「そうですよね。できるだけ抵抗してみます」

「頑張ってくれ。今すぐ行く!」

「はい」

 電話は切れた。


 ぼくはスマートフォンと切符だけ持って、早足で改札に向かった。駅員に外で連れのトラブルがと話して改札から出してもらった。

 そこからは走った。改札を出ると窓の外は真っ暗だった。エスカレーターも暗闇の中にある。ぼくが近づいてようやく灯りが点き、やおら動き出した。もどかしくてぼくはそこを駆けて降りた。

 駅前は街灯に照らされているが、まったく人気がない。空はどんよりと曇っている。雲が低くて、地上の灯りで色づいている。

 目指すコンビニはロータリーの向こうだ。回り道がもどかしいのでぼくはショートカットしようと歩道から踏み出した。

 ビーーーーーー!!!

 右からクラクションが鳴った。ぼくが一瞬動きを止めると、白いワンボックスが勢いよく通り過ぎていった。窓はミラーシェードになっていて街灯を反射していた。太いマフラーから品のない低音が響いていた。

 それが去ると、動いている車はなかった。コンビニを見ると何事もなかったかのようにそこにある。

 ぼくは今度こそ、走ってロータリーを横断してそこに向かった。照明が店内を照らし、外に光が漏れている。しかし、そこには誰の姿も見えなかった。ワモリさんもそこに、立っていなかった。

「ワモリさん!」

 ぼくはコンビニに入って叫んだ。明らかにだれもいない。ワモリさんも、彼女に話しかけてきた男達もいない。店内を一周りした。本当に誰もいない。そもそも無人店舗だった。

 何があったんだ…。

 ぼくは呼吸を整えながら店を出た。

 コンビニの横はコインパーキングの入り口になっている。駐車場は半分ほど車が止まっている。その車体をいくつかの街灯が照らしている。ぼくは駐車場を端から端まで目で追った。人影はない。

 あちこちを見回しながら、駐車場のゲートをくぐってみた。コンビニの裏手がちょっと影になっている。まさか…。

 そこにぼくは、女性の靴が、片方だけ落ちているのを見つけた。

 恐る恐るぼくは目線を動かした。

 暗がりに女性の足が見えた。片方は靴が脱げ、片方は靴を履いている。

 彼女は足をこちらに向けて、横たわっていた。

「………!」

 ぼくは言葉を失った。

 彼女のタイツとスカートは、間違いなくワモリさんのものだった。

 通過する新幹線の、風を切る音が響いた。


 ブルルルルル!

 ぼくは驚いて後ずさった。手に持ったスマートフォンが振動している。着信…。

「ぼくだ…」

 番号はさっきと同じだった。

「先生、ワモリです」

 意外なほど冷静な声で彼女は話した。

 ぼくは、目の前に何があるのか分からなくなった。

「先生、私の頭部が、盗まれたようです」

 淡々と、ワモリさんは状況を説明した。

 ぼくの前には、上半身が著しく損壊された、ワモリさんが横たわっていた。

「私の頭部が、現在高速で、先生から遠ざかっています。これは盗難とみなしてよろしいですね?」

 人間だったら確実に死んでいる状況で、彼女は電話を通してぼくに問いかけていた。

「ああ」

 できるだけ落ち着くようにして、ぼくは答えた。ワモリさんの上半身は、両の手があらぬ方向に曲がっている。破壊された金属の骨格と配線が露出している。そして微動だにしない。

「分かりました。ただちに頭部に保存されているデータを消去します」

 ワモリさんは答えた。この状況でどうして冷静に話ができるのだろう。まだこの状況を、何かの間違いだと思いたい自分に気がついた。

「消去?」

「はい。個人情報保護のため、データの消去をお薦めします」

「君は今どうなっているんだ?」

「私は、男性三人に店の外に引き出され、その後上半身が破壊され、頭部を持ち去られました」

「そんなことが…」

「通信環境が悪くても削除コードの送信は可能です。そのために超長波の帯域が確保されています。データを消去すれば、先生の個人情報はまず間違いなく保護されるでしょう」

「そんなことはいい。それより、君は大丈夫なのか? ぼくの目の前で、その、ひどく壊されて…」

「いいえ」

 ワモリさんが状況を肯定してしまった。

「お見苦しいところをお見せしてしまいすみません。今の私は、こうして通話をすることしかできません」

 なぜ詫びる。君が今、なぜ詫びるのか。

「今車の中なんだろう。さっき轢かれそうになったよ」

「先生にお怪我はありませんか?」

「大丈夫だ。なんともない」

「それを聞いて安心しました。警察に捕まっているわけでもないですよね」

「当たり前だよ! それより、君はどうにか逃げ出せないのかい?」

「私は民間人である先生の助手です。人を傷つけていい権限はありません。それに、今の私は頭だけになってしまいました」

「なんていうことだ…」

「データ消去に同意していただけますか?」

 電話を通して話すワモリさんは本当に冷静に、そして流暢に話している。

「分かった。答えは『はい』だ」

「分かりました。それと、できましたら、ナノマシン・アポトーシスの発動もさせてください」

 アポトーシス? なんだろう。とっさに意味が出てこない。

「これは私の頭部が悪用されないために、できるだけお願いしたいことです」

 ワモリさんの声に少し感情がこもっている気がした。そして思い出した。「ナノマシン・アポトーシス」。FOHのマニュアルの非常事態の項目に確か書いてあった。体を構成するナノマシンの結合を解いて組織を崩壊させる、非常措置だ。

「でも、それに了解するということは…」

「私が納品されたときに説明を受けているはずです。私の頭部のレアメタルなどの価値はそのままですが、しかし、人の頭部としての価値は消失します」

「ああ…」

「回答がない場合は、5分後に記憶の消去だけのコマンドを送るようにします」

「分かった。分かったよ…」

 ぼくは今から何が起きるのか、ついに理解した。

「では、ナノマシン・アポトーシスの発動に合意いただけますね。合意いただけるのでしたら、お手元のスマートフォンで指紋認証をお願いします」

 ぼくは、スマホの裏側を指で探り、センサーに指先を押し当てた。その手がひどく震えていることに、今更ながら気がついた。

「指紋を認証しました」

 また機械的な声でワモリさんが応えた。

「この通話の後に記憶の消去とナノマシン・アポトーシスを開始します」

「こんな別れなんて…」

 ぼくは横たわるワモリさんを見つめながらつぶやいた

「先生? もしできましたら」

 ワモリさんとの会話はあとすこしだけ続いた。

「私の体をあまり見ないでいていただけますか? 最後のお願いです」

「え?」

「記憶の消去も、ナノマシンのアポトーシスも、頭部と胴体を、区別しません」

「ああ…」

 これから起こる光景が目に浮かび、体が震えた。

「では、これでさようならです」

「さようなら。愛してるよ」

「私もです。愛してます…」

 通話は一方的に切られた。

 雨が降った。曇った夜空から、冷たい雨粒が落ちてきた。その雨は、ワモリさんの亡骸と、ぼくの顔を濡らした。ぼくは目を閉じて、ずっと立ち尽くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る