机上の日誌

70 「二〇七五年九月一日真夜中から十一月三〇日黄昏まで」




 二〇七六年五月三〇日。午後三時五分。北海道帯広。


 空に轟音が響いた。成田毅は農場の居間から外に飛び出した。西の空から、軍用大型ヘリが飛んでくる。農場の空き地の上空でホバリングしていたが、緩やかに着地した。


 まだ雪の残っている所もあるが、大地は草が生い茂り、タンポポの黄色い花が一面を覆っている。アカシアの白い花も咲き始め、甘い香りが漂っている。


 ヘリから女が下りてきた。続いて、蜘蛛頭アンドロイドが三体、女の後ろに立った。女は桜子だった。六か月振りだった。

「タケ爺、久しぶり」

 桜子は後ろで手を組んで体を揺らしながら歩いてくる。

 満面の笑みだ。

 ヘリから大型ロボットが降りてきた。それは、ジャンと同型の軍用ロボットだった。


 レッドが母屋から飛び出して、桜子の元に走っていく。

 まるで生きている子犬のようだった。

 桜子は腰を落とすと、レッドを抱きしめた。


 成田の所まで歩いてくる。

 桜子は両手を広げ成田の体を抱きしめた。

「元気にしていた? 心配していたんだよ」

「お前さんも、元気そうだな」

「元気だけが取り得だから。忙しくて、来れなかったんだ。ごめんね」


「タケ爺、怒らないでね」

 桜子はポシェットからデスクを取り出した。

「ものすごく、大事なものを忘れていた。ジャンと別れるとき、ジャンから渡されたの。タケ爺に渡してくれって」

 成田はデスクを手に取った。

「調べたら、ジャンの記憶が入っていた……」

「そうか……」

 桜子は大きく頷いた。


「あのロボットに、ジャンの記憶を入力して。気付いたときにはじめて見る顔がタケ爺だったら、ジャン、きっと喜ぶと思うの」

 成田はロボットの前に立った。

「胸の蓋を開けて、そこにセットして。自動で入力される」

 成田は桜子に言われるままにセットした。


 ロボットの体から微かな起動音が聞こえた。

 瞼が開く。

「気分はどうだ」

 成田が訊いた。

「とてもいいです」

 ジャンは周囲を見回した。

「ここは、何処です」

「北海道、わたしの農場だ」

「今日は、何年、何月、何日ですか」

「二千七十六年、五月三十日だ」

「場所も、時間も、変わったんですね」

「みんな無事だ。これまでの事は、時間をかけて、ゆっくり話してやる」

 成田は母屋に入った。


 アンドロイドが入ってきて、テーブルに木箱を置き蓋を開けた。桜子は中からバーボンのボトルを出し、テーブルに置く。

「ドクターから、タケ爺へのお土産。一ダースある。それから、これも」

 桜子は植物繊維でできた箱を持ち上げた。

「ミル、ドリップサバー、ペーパーフィルターが入っているわ。ドクターは使っていた物と同じ種類の物らしいわ。コーヒー豆、二袋。当分もつわね」

「ありがたい。ドクターに、わたしが喜んでいたと伝えてくれ」

「分かった」


「ドクターはどうしている」

「仙台に戻った。開業医をしている。娘さんも、元気になったし」

「そうか、戻ったのか……」

「タケ爺が、子供だったドクターを仙台まで送り届けたんだって?」

「遠い昔の話だ」


 アンドロイドは、成田に指示されて、木箱とコーヒー豆二袋を、納戸に運んでいく。

 成田はテーブルの木椅子を引き、桜子を座らせた。

 テーブルにバーボンとグラス二つ置く。キッチンから一口サイズに切ったチーズと苺を大皿に入れて持ってくる。グラスにバーボンを注ぐ。

「ところで、調査委員会は、どうなった」

「まだ続いている。唐沢ホールディングスの会長は引退し、次期会長は外部役員から選出されることになっている」

「法的責任を追及しないのか」

「それも、これからです」


「サクラコ、わたしの願い、聞いてくれるか」

「聞いてあげる。何でも言って」

「わたしが死んだら、ジャンとグレイを引き取ってくれないか。ジャンから連絡させるから」

 桜子は額に手をやってうつむいた。

「ちょっと、待って」


 桜子は腕を組んで成田を睨みつけた。

「わたしが、今日来たのは、何のためだと思う。タケ爺を迎えに来たんだよ」

 成田はため息をついた。

「ドルマーが会いたいって、アヤトも、一緒に仕事がしたいって、そう言っているんだよ」

「お断りだ」

 成田は桜子を見つめて言い放った。

「おまえさんと、一緒にいたら、命がいくつあっても、足りなくなる」


 桜子は返答もせずに、成田をしばらく睨み続けた。

 そして、堪えきれなくなって、ふっとふきだした。

「ドクターも、同じこと、言った」

 姿勢を正し、胸を張る。

「お断りだ」


「そうか、わたし、失敗したな。わたしも、ドクターのようにプレゼント、持ってくるんだった」



「タケ爺、わたし、来月の七日、アヤトと結婚するの」

「そうか。ついに、総裁夫人か。おめでとう」

「らしくないけどね」


「今日は、まだ時間があるんだろう。楽しい思い出話をしようじゃないか」

「暗くなる前に帰ってこいと、言われているんだけど、まあ、いいか」


 桜子は陽気で可愛い女性になった。

 もう立派な大人の女性だ。成田はそう思った。


 楽しい時間は過ぎていく。

 午後十一時、桜子は成田に別れを告げた。

 レッドは、桜子について行った。

 成田はジャンとグレイと共に桜子を見送った。

 軍用ヘリが、暗い大空に消えていく。成田は長い間立ち尽くしていた。


 バーボンとグラスを持って、寝室に入った。

 窓際の小さな木机の前の椅子に座り、スタンドの灯りを点ける。グラスにバーボンを注ぐ。

 机の上には、一冊の分厚いA四サイズのノートがある。表紙には、「二〇七五年九月一日真夜中から十一月三〇日黄昏まで」と記されていた。三か月間の日誌だった。


 一ページ目を捲る。

 最上段に「二〇七五年九月一日 真夜中 桜子」と記されてある。

 そのページから三ページまで白紙だった。

 次のページ、四ページには、「二〇七五年九月一日 真夜中」と同じ月日が記され、南海のプラットホームで起こった出来事を記載してある。

 ページが捲っていく。中には白紙のページもあるが、十一月三十日の日没までの記録が丹念に綴ってある。


 白紙のページは、いつの日か、桜子が埋めてくれるだろう。


 白紙のページが現れた。最後のページだ。

 成田はペンを執り、しばらく考えた。

 バーボンを口に含んで、少しずつ喉に落としていく。

 そして、以下のように記した。


 黒崎桜子はどんな人物なのか、と訊かれることがある。

 その時には、わたしはこう答えることにしている。


 若くて、勇気があって、聡明な女性だ、と。



 二〇七六年五月三〇日


                        成田毅



 黒崎桜子、桂木奈津子、ジャン、グレイ、レッド、ブルー、スカイ、

 そしてジュンガルとガルバンの名もなき兵士たちに贈る







完結

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真夜中から黄昏まで サトヒロ @2549a3562

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