69 ジャンは蘇らない
低いブザー音が鳴った。
成田毅は天井を見上げ、ゆっくりと窓へ視線を向けた。
カラマツの黄色い葉が一枚、揺れて落ちていく。
長い長い冒険活劇の夢から目覚めたのだ。
ここは日本? 問いかける。ここは、本当に日本なのか。立ち上がって、窓辺まで歩く。
ドアをノックする音が聞こえた。ドアを開ける。寺島軍団の軍服を着た兵士が立っている。
「桂木という女性が、面会を求めています」
成田は無言で頷いた。
「食堂に待たせております」
「わかった」
もう一度、窓辺に行って外を見た。
裸になったカラマツの林と三階建ての兵舎が林立している。
小春日和だった。
ここは日本……。成田は確認するように呟いた。
左手首のモニターを見た。午前十時七分。
洗面所で用を足し、顔を洗い、歯を磨く。
昨夜は三か月ぶりに風呂に入った。新しい下着に着替え、左足首に桂木から指示された注射をする。コルセットを嵌め、ベッドに潜り込んだ。髭は剃らなかった。白くなった口周りの髭が、妙に似合っていたからだ。
ズボンを穿き、シャツを着る。軍のジャケットを羽織る。
ベッドに腰を落とし、ベッド脇の軍用リュックサックを開ける。そしてレッドを膝の上に載せる。レッドはスリープ状態だったが、機能は維持している。背中に十五センチほどの破片が突き刺さっている。貨車が破壊されたときの破片が食い込んだのだろう。
ぼろぼろになったロボットスーツを手に取った。背中の部分が三センチ裂けている。成田は吐息をつくと、レッドの頭を撫でた。軍用リュックサックにレッドを入れ、背負う。ショルダーバックに、ロボットスーツとヘルメットを入れると、成田は立ち上がった。
左足首の腫れと痛みはひいていた。
桂木が若い女と談笑している。
二人の足元にブルーが伏せている。
食堂は朝食時間と昼食時間の間で、二人のほかに誰もいなかった。成田の姿に気付いた桂木は立ち上がった。若い女も成田を振り返って、立ち上がる。
「おはようございます」桂木は笑顔を浮かべ、目の前の女を紹介した。
「娘の愛梨です」
愛梨は桂木と並んで成田を見つめた。桂木と目の当たりがよく似ている。
「母がお世話になりました」
「こちらこそ。元気そうで、なによりです」
成田は軍用リュックサックを下ろし、ショルダーバックと共に床に置いた。そして椅子を引き、腰かける。
桂木がコーヒーカップにポットからコーヒーを注ぎ、成田の前に置いた。
「足のほう、大丈夫」
「はい。痛みはありません。ドクターのおかげです」
「三か月の長い休暇が終わりましたね。仕事よりきつい休暇でしたけど」成田はコーヒーを一口飲んだ。
「房総の病院に復帰ですか」
「三月まではね。愛梨の術後管理がありますから。その後のことは、まだ考えていません」
「ブルーを手に入れたんですね」
「ミッションを引き受ける条件に、愛梨のこと以外は、何もなかったんですが、ブルーがついてきたので、大目に見てもらいました。グレイはどうしたんですか」
「わたしも、引き受ける条件に、グレイは入っていませんでしたので」
「ジャンが破壊されて、サクラコが落ち込んでいましたね。でも、もう一度復活できるんでしょう」
「これから情報管理局と交渉してみます。それから、レッドの修復も、交渉してみるつもりです」
桜子に、ジャンが蘇ったことを伝えることができれば、彼女の心を少しでも癒すことができるだろう。
「ナリタさんは、これから、どうなさるの」
「北海道に戻ります。年金と医療保険を得られますので、農場をやりながらのんびり過ごします」
「そう。時々会いましょう、サクラコも交えて」
「そうですね」
成田は笑みを浮かべた。
桂木と娘愛梨は去っていった。
もう二度と桂木と会うことはないだろう。成田は彼女の後ろ姿を見ながらそんな予感を感じていた。
「ナリタタケシです。年金と医療保険の手続きに参りました」
情報管理局の受付カウンターに、有村から渡されたデスクを置いた。白髪の老人は何も言わずに、そのデスクをAIの感知装置の上に置いた。そしてモニターを眩しそうに見つめる。
「手続き完了です」
老人はカウンターにデスクを置いた。
「これから生活される所は、北海道帯広の、デスクに記された住所でよろしいですね」
「はい」
「それでは、帯広支局で、受けとりの手続きをしてください」
「ロボットは、どうなっていますか」
「はい。用意しております。送付先は記載の住所でよろしいですね」
「そうだが、ジャンの記憶の入力は済んでいるんでしょうね」
老人はモニターを覗き込んだ。
「ジャンというのは、あなたと行動を共にしてきたロボットの名ですね」
「そうです」
「ジャンの記憶は消去されています」
「消去? どうして」
成田は声を荒げた。
「そのロボットは、自律型ロボットと認定されています。ご存じでしょう。自律型ロボットは法規違反だということを」
「そんなことは、分かっている。もう一度、再生してくれ」
「消去したものは、再生しないのが、決まりです」
成田は腕を組んで宙を見つめた。
徐々に、堪えきれない喪失感に襲われてくる。
大きな深呼吸をした。
「それなら、ロボットは放棄する」
老人は眉をひそめた。
「欲のない人だ。一億円はする代物ですよ」
「その代わり、頼みが三つある」
成田はカウンターに軍用リュックサックを置いた。中からレッドを出す。
「これを修理して、わたしの所に送ってくれ」
ショルダーバックから、ヘルメットとロボットスーツを出して、テーブルに並べた。
「最新鋭の新品と交換してくれ」
成田は老人の反応を見た。
老人は無表情で成田を見つめている。
「最後の三つ目だが」
そう言って、成田は一息入れた。
「グレイというドックロボがいる。それをわたしに譲り渡してくれ」
老人はモニターを見つめ、ぼそぼそと言葉を発した。そして成田を見つめる。暫くしてモニターが点滅した。
「レッドの修理と、ヘルメットとロボットスーツは可能です。グレイは、分かりません」
「内務省の有村に連絡してくれ。必ず了承が得られるはずだ」
「グレイは、今どこにいるんですか」
「昨夜まで、寺島ドームにいた」
「今は、いません。確認しました」
「捜してくれ」
老人はロビーに視線を送った。
「もしかして、グレイは、あの犬ではありませんか」
成田は振り返った。
グレイが成田を見つめていた。
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